Catch216 韓
日本のように他国に支配されアイデンティティーを塗り替えられかけた経験を持たない社会に生きていると分かりにくい部分です。
在日韓国人の方の著書を読んでいて「へぇ」と思った事がありました。国籍としては「韓国人」「朝鮮人」と呼ぶが民族名は「朝鮮人」。言語の分類上「韓国語」という物は無い、「朝鮮語」があるだけだ、という主旨でした。
まぁ1990年代に出版された本ですので当時はそうした見解も辛うじて通用したのでしょうけれども、分断から80年近くが過ぎた今ではかなり無理があるように思います。言語分類の上でも政治上もかなり差が出てきていると思うのです。
具体的に言えば「李」は北ではriで南はiと発音するなど主に北が中国語の影響を強く受けています。
政治上と書きましたが、南はそれこそ政治上の問題で本来朝鮮と言うべき所を片っ端から韓と言い換えています。発音よりもボキャブラリーで差が拡がっている訳です。
韓半島、韓国人、韓方薬 (←これは言い換えとは少し違いますね)、韓国語。朝鮮民主主義人民共和国も略称というより蔑称として北韓と呼びます。俺たちは韓。韓なんだよぉう、と全力で主張している訳です。
政治的な理由で生じた語彙の差は理由が解消されれば無くなるのかも知れませんが、分断から長い時間が過ぎています。解消する前に言葉として定着してしまいそうな気もします。
韓国という国称も王朝時代に宗主国の中国・明から朝鮮と韓の2つを提示され、李王家が1文字の国号は畏れ多いと朝鮮を選択した事、王朝末期に独立性を強調するために今度は逆に敢えて韓を名乗った事が前提にあります。末期に名乗ったのが大韓帝国でした。
半島で明治日本の影響が強まる中、日本はその時々の政治事情で朝鮮と韓国を使い分ける様になります。
大韓帝国末期、第二次日韓協約 (1905)で韓国の外交権を奪い、代わって日本が韓国の外交に「助言」する為に置かれた機関は「統監府」ですが通称で韓国統監府、トップは韓国統監と呼ばれていました。半島の王朝が「大韓帝国」、「韓国」だと名乗っていたので当然ですが。
そして併合後、恐らく「大韓帝国という物は無くなりましたよ、あれとは違う日本領朝鮮という新しい物に変わったんですよ」と印象付けたかったのでしょう、統監府に代わって「朝鮮総督府」が発足し地域の呼び名も朝鮮半島と変わりました。
ややこしい事に日本からの独立を目指す人々は「朝鮮じゃない、韓国なんだ!」と言い張り、第二次世界大戦で日本が敗北し実際に独立を取り戻せそうになった時、今度は自分たちが「韓国人」なのか「朝鮮人」なのか地域や日本支配下での地位、活動、思想、世代によって見事にバラバラになっていました。
例えば朝鮮総督府の打診で敗戦後の統治が空白になるのを防ぐために独立活動家などで立ち上げた臨時統治機構は「朝鮮人民共和国」と名乗りました。金九ら民族派が潜伏中の中国で作った独立運動組織は「大韓民国臨時政府」。人民共和国を準備した組織は「朝鮮建国準備委員会」。もうアメリカ占領下の南半分だけの独立で良いじゃないかと言い始めた李承晩 (大韓民国初代大統領)が保守系財閥と作ったのは「韓国民主党」。
総じて労働運動をやっていた独立活動家と朝鮮総督府に繋がりを持つ団体が「朝鮮」を使い、日本の支配を否定する活動をした人たちや南北分断を取り敢えず受け入れようとした勢力が「韓国」を用いているように見えます。
韓という国号も元々は古代中国の戦国時代 (BC600~200)に七雄と呼ばれた大国の1つが名乗っていた物です。
中国史では地方政権や行政区分の名前は大体その中心地の地名を取ります。劉邦が建てた「漢」の由来は秦末の乱世に彼が「漢中」に領土を貰ったからです。しかし「韓」は少し違います。
戦国時代の前にもう少し小さな国がひしめいていた春秋時代に黄河中流域 (現在の山西省~河南省辺り)にあった「晋」という大国が、有力な家臣によって3つに分裂した時に、分裂した領土を治める家臣 (独立したので「元家臣」かな)の家名で呼ばれるようになりました。「趙」「魏」「韓」です。つまり「韓」は領主の名字が先で後にその領域が「韓」という地域名になった物でした。
明がなぜ「韓」という国号を提案したのか分かりませんが、民族名や国称としてはそれほど深い意義を持つものではありません。
東西冷戦でいくつもの国がイデオロギーで分断されましたが、ドイツもベトナムもイエメンも分断中に別の名前を名乗りはしなかったので、再統一後に揉める事はありませんでした。
しかし分断が一番長く続き、国・地域名レベルで別々の名を使って来ましたので、もし将来統一がされた時にはいっそのことしがらみの無い「高麗」にでも民族名地域名を変えて再出発する方が良いのかも知れません。
実際、独立運動と統一を目指す団体の中には「高麗」を使った人たちもいました。