Catch203 小兵力士
勘違いで尊大になったり、自信を喪失して卑屈になったりというのは個人に限りません。
『お山の杉の子』という童謡があります。「汽車汽車シュッポッポ」と同じく戦後に軍国主義を煽る恐れがあると歌詞を変えた歌です。
要は芽を出した杉の苗が小ささを周りの木に笑われるけれど将来大きくなって皆の役に立つ素晴らしい者になって見せる!と気負う歌です。「シュッポッポ」が「兵隊さんを乗せて」の部分を「僕らを乗せて」に変えたように杉の子も「お国の為に」役に立つよう頑張ろうとする部分が書き換えられました。
変わった後の歌詞でも心情は伝わります。「自分(日本)は小さいけれど、今に大きくなって見返してやるぞ」という明治憲法時代前半期の心意気です。ここで注目したいのは「自分たちは小さい」と日本人が自覚している点でしょう。
日露戦争の優勢勝ちはまだこうした「正確な自画像」を国民もエライ人たちも持っていたからです(『Catch24 日露戦争の講和』参照)。しかし実像を盛って伝えた報道を信じた国民は譲りに譲ったポーツマス条約に納得せず日比谷焼き討ち事件などを起こす騒ぎになります。国民とエライ人たちの認識がズレ始めた訳です。
相撲で小兵力士が勝つのは難しいし凄い事なのですが、それをすっごく喜ぶのは多分体格に恵まれない者が恵まれた者を負かす“下克上”を帝国憲法時代に富国強兵で追い付け追い越せと一所懸命だった自分たちと重ね合わせていた頃の影響なのかな、と感じます。
柔道その他の無差別級の格闘技も同じような快感を感じるのはそういう事なのだろうと。
多分、自国を「小さい」「劣っている」と思っていない国には無いメンタリティだと思います。戦後もそうです。焼け野原になって出遅れたハンデをやはり追い付け追い越せと頑張って高度経済成長を成した訳ですけど、メンタリティは富国強兵の時と似たような物。
担い手が(特に主導する立場にあった中高年層が)帝国憲法時代に生まれ育った人たちでしたので当然ですね。
この辺りがやはり「文明の辺境」なんです。最初からトップクラスではない存在。「他所の国が作った栄誉」たるオリンピックやノーベル賞で一喜一憂する事象はそうでもないと説明が付きません。
満洲事変以降、少なくとも陸軍の指導層は「自分たちは弱くて小さい」「遅れている」と自覚する人が減って行きました。長年相手をしていた中国軍が弱すぎたせいです。
満洲事変を主導した石原莞爾が陸軍中央(東京)に処罰されなかった事で「成果さえ挙げれば軍内部の指揮系統を外れた行動をしても許される」と思い上がったさらに若手の参謀らがソヴェート=ロシアや中国に喧嘩を売る暴挙に出ますが、自分の実力を勘違いした上に内部の統制が効かない軍隊などゴロツキの集団に過ぎません。
中央の命令を無視する現場などいくら兵力を揃えても国防の足しになる筈が無いでしょう。
石原は独自の世界観と戦略論を持ち、手遅れになる前に手を打つ必要があると信じて独断専行に走ったと推測されています。しかしその権限を持たない自身が満洲事変を起こした事で生存圏がどうのという以前の問題を生み出してしまいました。
日露戦争後に国民が陥った錯覚に国の舵取りを任された方々が飲み込まれたのでしょう。
考えてみれば第二次世界大戦で実際に作戦指導をしたのは石原を含め当時40~50代の職業軍人たちです。ちょうど日露戦争が「勝利に終わった」と国民が浮かれていた時期に幼少期を過ごした世代でした。
対米戦争に反対したイメージで陸軍に比べれば理性的と思われがちな海軍も実情は変わりません。
お話にならない中国・ソヴェート=ロシアの海上戦力と、東洋の植民地を守る為に配備された欧米諸国の現地海軍も、東アジアの現地戦力だけを比べれば日本の方が上回っていました。陸海共に「苗から大木になった」と勘違いしていたのです。
アメリカが原子爆弾を作る為に使ったお金は当時の日本の国家予算の20年分以上だったそうです。軍事予算ではありません、国家予算の、ですよ。そんな桁違いの大木を「俺たちと同じか少し高いだけだろう」と客観性のかけらもない錯覚に陥って小兵力士のような快勝を夢見ていたのです。
そりゃコテンパンに負けますわな。しかも第二次世界大戦時のナンバーワンはアメリカではなくイギリスでした。