Catch2 時代の区分と元号
歴史か社会か言葉か曖昧なもの
日本の学校では近現代史が軽ろんじられている、という意見があります。
他国と比べてどうなのか?という視点や論点が無ければ一方的で不公平な言い草でしょう。私はよその国でどんな歴史の授業をしているか詳しく知りませんので、身の回りで聞きかじった情報を元に「歴史」「時代」の捉え方について考えた事を書いてみます。
実は「歴史」という科目でわざわざ「自国の歴史」と「世界の歴史」を分けて教えている所はそれほど無いのだそうです。
考えてみれば当たり前の事で、時間の流れは一つしかなく、世界共通です。この大きな流れの中で色々な場所で様々な事が起こり、今に至る。
習う方が今生きている現代に近いほど身近で大事なもろもろの事が詰まっている訳で、歴史といっても今行われている制度や国の枠組みがどういういきさつの下で今に至っているのか、現実と繋がる過去だから興味を持つ、という部分もあるわけです。この視点が「軽んじられている」、という事のようです。
アジアやアフリカ、中南米に多い旧植民地国家ではどんな歴史を教えているのでしょうね。
革命や独立戦争を経て今の国になった所は、近現代史こそ歴史の授業でしょう。何せ今現在の体制の正統性を国民に受け入れてもらう大切なプロセスですから。
日本は世界史・日本史ともに時間軸の上流から流れ下って現代に近づいて来るなぞり方をしていますので、最後の最後にこの一番大事な辺りが来てばっさりカットされて終わり、となるようです。
私が学生時代に受けた授業もそんな感じでした。特に気になったのは「時代の分け方」です。
時代が下がるほど刻みが短くなるのは当然ですが、日本史で近現代を明治以降の歴代天皇の在位期間で分けているのは適切ではないと感じています。
どういう事かというと、明治35年と昭和2年では今から見ると大差無いように思えます。逆に同じ昭和なのに、昭和10年と昭和45年ではエライ違いが有ります。
時代や国の枠組みを決めている大きな要素が違うからです。そう、憲法が違うからですね。
今の自分たちが生きているこの国や時代をより正確に思い描くには、元号で分けられた近現代の日本はあまり意味がないと思っています。現実に即して言い表せば、いま明治時代・大正時代・昭和時代などと呼ばれている明治維新以降の部分は昭和21年(正確には現行憲法の施行日)を境に「帝国憲法時代」「民主憲法時代」(あるいは「平和憲法時代」)とでもした方が分かりやすくなるように思います。帝国憲法が成立するまでは「維新時代」とでもするのでしょうかね。
正確に思い描いて欲しくないのだろうなぁ、教え方を決めている人たちは。皆さんが今の憲法が根本に「SDG`s」につながる平和主義・福祉国家主義を据えていることや、その大切さに気がつかない内になるべく帝国時代に近いものへと書き換えたくて仕方ないのでしょうから。
事のついでに元号そのものについて言えば、『元号は日本固有の文化の一部だから残した方がよい』という意見があるものの、天皇の代替わりやその後の恣意的な日付で切り替えるものだから日常生活では使いにくくて仕方がありません。
日常生活でも使いやすくするには“元号の切り替えを翌年の1月1日からにする”事か“数え年の復活”のどちらかをするしかないと思っております。
日本式元号が使いにくいものになっている最大の原因は「年の途中で次の年に変わってしまう」という点です。おかげで令和2年の5年前が平成の何年だったか、平成16年の100年前は昭和なのか大正なのかはたまた明治だったのかすら一般人にはすぐにわからない始末。
中国の明・清時代に行われていた「皇帝の崩御(死去)の次の新年から新元号」にすればこうした元号をまたいだ年の換算のしにくさは即解消されます。しかしこれは中国の王朝と同じ制度なので「日本固有の文化ではなくなる」と“保存賛成派”の方々には評判が悪いようです。
ならば“数え年制の復活”となります。
旧制度の数え年は「あれは自分が何歳の時の事だから〇〇何年だ」という具合に日本式元号を生活レベルで補完していたものだったのではないかと考えています。
明治時代に諸々の制度を欧米風に変える際に行った内の一つ、乳幼児医療改善に劇的な進歩をもたらした「数え年から満年齢への切り替え」ですが、日本式元号の存続には大きな不便さを引き起こしてしまいました。
乳幼児医療(もちろん成人医療もですけど“特に”という意味で)を科学的合理的にたもつなら乳幼児期に数えとは別に生後何週目・何ヶ月目かという満年齢をカウントしておくしかありません。
私にはどうも、現状で歴史や現代社会の把握をしにくくし、改善しようとすれば年齢勘定をややこしくする日本式元号を今のまま使う事が「日本固有の文化を守る」意味を持つとは思えないのです。
ジャンル分けし辛いです。