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Catch19 ゲッベルスと私

ファシズムの最高傑作の1つ、ナチスについてはまだまだ研究を深めていかなければならないと思います。もう1つの傑作たるソヴェート=ロシアや、そこまでの深みは無い物の最近のトランプ政権なども機会を見て感想を書きたいと考えています。

 少し前に難しい映画を見ました。2016年に公開された映画『ゲッベルスと私』です。日本では2018年に岩波ホールで上映されました。


 103歳になるナチス=ドイツの宣伝大臣だったヨーゼフ=ゲッベルス博士の秘書だった女性へのインタビューと資料映像・音声の組み合わせで構成され「ナチズム」がいかに“普通の人々”を巻き込んで行ったのかを探った映画だったように思われます。


 「思われます」と書いたのは、通常のドキュメンタリー映画とは違い、作り手の意図がそれほど強く出ておらず、作品を観た観客に思考を大きく委ねる手法だったからです。


 公害や戦場での蛮行などを告発してきた従来のドキュメントは勿論、マイケル=ムーア監督のユーモアと強烈な皮肉を混ぜたニュースタイルですら「社会悪の糾弾」を根本に据えていますが、この作品はどうも観ているこちらが考えなければならない部分が多過ぎるように感じました。


 歴史的資料としての価値がとても高い「証言」である事は解るのですが、取扱いに注意が必要な厄介な資料です。


 歴史学では「テキストクリティック」資料の吟味という作業があります。扱う資料がどのような物なのか、経歴や背景を洗い出して明らかにする作業です。


 この『ゲッベルスと私』はそもそも証言者であるポムゼル女史が「本当の事」を語っているのか?「ナチズム」が否定された戦後を70年近く生きてきた中で自己保身の論理を醸成し続けた果ての「証言」なのではないか?


 繰り返される「あの時代に生きていれば“抵抗するべきだった”と主張し糾弾する現代に生まれ育った人たちも私と同じ事をするだろう」という見解。

「いい時代だった」「国全体が収容所の様な物だった」相矛盾する振り返り。非常に難題です。


 一連の証言を残した彼女は既にこの世には居らず、資料を元に私たちが考え続けるしかありません。パンフレットには「ナチズムを解説するならこの人!」と言うしかない石田勇治氏やドイツ在住の芥川賞作家・多和田葉子さんなどが文章を寄せていますが、それすら「本来排除した方がいい先入観」になってしまいそうで、中々自分自身の考えがまとまりません。


 パンフレットに載せられた文章の1つに「ドイツ人の免罪符」について触れている物があります。ナチスを積極的に支持していた訳ではない(かといって反発や否定もしていなかった)多くの ドイツ人が敗戦後に使い、自己の責任を曖昧にしてきた「総論賛成・各論反対」の論理です。「ナチスは悪い事をした」「だが私は知らなかった」「積極的に支持していなかった」。


 しかし、それが通るならまた同じ事が起きるかも知れません。起きようとしている時に歯止めにはならないのです。


 もう1つ私が警戒している“フィルター”は字幕です。同じ単語を訳しても「あなた」と「おまえ」ではニュアンスが違います。字幕すら翻訳者の主観が入り込んで証言のニュアンスを歪めていやしないだろうか?と疑っているのです。


 私の知人にポーランドの方がいるのですが、彼女は母国ではドイツ語の教師をしていた方なので、DVDが発売されたら是非とも観て頂き、全てドイツ語で語られているポムゼル女史の証言をニュアンス込みで解説して貰いたいと思いました。



 「資料」として差し込まれている様々な映像の中に、アメリカがこの戦争を戦う意義を工場労働者に理解して貰う為に流していたプロパガンダアニメがありました。


 曰く、「ナチスが開発した最強・最悪の兵器は大砲でも戦車でもない。“生まれが違う”というだけで他者や隣人を受け入れず憎むように仕向ける“人種差別思想”だ」。


 アニメーションでは他人を否定し、他国を否定して憎悪の連鎖が拡がってゆく様子をヨーロッパ大陸がベルリン辺りから発生したひび割れに覆われて粉々になっていくアニメで描いていました。


 何よりファシズム・全体主義を憎んだ保守政治家・ルーズベルト大統領の政権下にあったアメリカが作りそうな映像ですが、やっと退場したトランプ大統領にも見せてあげたい秀作でした。


 それと、ナチス宣伝省が撮影していたユダヤ人隔離居住区(ゲットー)の夥しい死体処理の映像もあったのですが、ナチスが何の為にこのような映像を撮っていたのかというと、キャプションに依れば「ユダヤ人が劣等人種である事を知らしめる為に製作」されたそうです。


 素直に解釈すれば「自活能力の無いユダヤ人たちは“ゲットー”に隔離しただけでこのように大量に餓死してゆく劣等民族」なんですよー、とドイツ国内や占領中の地域に向けて上映する気だったという事です。


 幸いと言いましょうか、このおぞましい「作品」は完成される事も上映される事もなく敗戦に至った様ですが、「ユダヤ人がいかに劣っているか」「いかに他民族に迷惑を掛けているのか」を主張する映像や書籍は、ドイツ国内に溢れていました。この作品が上映され受け入れられる寸前まで行ってはいたのです。社会や国が丸ごと発狂していたとしか思えません。

 この映画には他にもブンカ-なる面白い物も映り込んでおりました。ブンカ-とは何か?


 多分、明日の投稿でご紹介致します。

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