Catch169 エアポケット
住めば都ならぬ住んでるのが都。歴史の面からは江戸-東京ってそれほど食指が動く街では無いんですよねぇ。
高田馬場で暮らすようになってから30年以上が過ぎましたが、まだ行った事の無い市区町村や地域は数多くございます。ほとんどご縁が無いのが江戸川区・足立区・葛飾区・江東区・荒川区などの23区東部です。仕事や友人宅訪問などで足を踏み入れたり通過したりする事はあれど、旧所名跡を積極的に訪ねて回る事をして来なかった物ですから時々「お初」の場所で腰を抜かす羽目になります。
隅田川沿いに墨田区という区があります。国技館や錦糸町などがある区ですね。私はこの区は両国界隈しか知りません。関東大震災で一番被害が出た『被服厰跡』の記念公園や両国国技館、江戸時代にはここの境内で相撲が行われていた回向院というお寺などがあります。
上京したての頃、私はこの辺りにある学校に通っていたもので、空き時間に周辺を散歩していたのですが、意外と面白い物がありました。回向院には何故か江戸時代の怪盗『鼠小僧次郎吉』の墓があります。それから回向院の近所には吉良邸跡があります。有名な赤穂浪士の討ち入りの現場、吉良邸跡のごくごく一部が残されております。名所にありがちなほんまかいなの『吉良上野介の首を洗った井戸』と小さな神社があるだけなんですけど周辺から漆喰の分厚い塀で仕切られてちんまりと存在を主張していました。
通りかかったのは偶然でしたが私が生まれ育った新潟県新発田市は赤穂浪士一の剣客・堀部安兵衛の出身地 (新発田時代は旧名の中山安兵衛)でも有りまして、更には彼が名を轟かせた「高田馬場の決闘」の現場近くに住んでいる身としては「生まれが新発田で通う学校が吉良邸付近、住んでいるのは高田馬場という事は死ぬのは赤穂か京都なのかな」などとアホな事を考えていた物です。今考えると「死ぬのは高輪」(浪士たちが葬られた泉岳寺のある所)というのもあるかも知れません。
東京都北区も大してご縁の無い地域の一つです。大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一が晩年を過ごした飛鳥山や古河鉱業 (日本初の公害・足尾鉱毒事件を起こした会社)の社長宅だった『旧古河邸』などがある区です。
とある知人のお葬式で「会場こっち⇒」という案内板持ちを仰せつかり、私の持ち場は『上中里』という聞いたこともない駅の前でした。東京都心部は山手線が大動脈でそこから放射状にJRや各私鉄・地下鉄が伸びております。この『上中里駅』は山手線の北東の端・田端駅から京浜東北線で一駅目の所でした。
行ってみて驚愕しました。ココハ本当ニ23区内ナンカイナと思うほど閑散として人気のない小さな小さな駅で、半日案内板を持って立っていましたが通りすぎる人は多分100人もいなかったのではないでしょうか。もちろん駅からの乗降客を入れてです。先ほど上げた『旧古河邸・庭園』への最寄り駅で周囲にはそれなりのマンションなども建っていたんですけどねぇ。こんな「エアポケット」みたいな場所もあるんだととても不思議な想いを持った物です。
この上中里で下りると旧古河邸の他に桜や紅葉で有名な『六義園』もあります。あれから四半世紀、都心のエアポケットも変化しているかも知れませんが、訪れる機会があれば(そして時間に余裕があれば)散策を楽しんでみて下さい。切り通し沿いに閑静なお屋敷や小さな商店が続く都心離れした風情が楽しめますよ。
以前「死ぬまでに最低1年は京都に住みたい、それくらい至近距離で時間を掛けなければ訪れたい場所を踏破出来ない」と思っていました。何年住んでいても訪ね切れる物ではないと悟り諦めました。