Catch163 闇の入り口
今の時点で理解が出来ないからといって妖怪や幽霊が存在しないと決めつけるのは早い気がします。
広島県北東部の盆地、三次市には奇怪な妖怪談が伝わっています。通称『稲生物怪録』と呼ばれる江戸時代に起こった怪異事件の妙に生々しい記録です。
少年ながら一家の主を継いでいた三次の武士、稲生平太郎の家に連日さまざまな化物が現れる様になり、これを恐れること無く対峙して退けたという物です。絵空事と思うには異様に細かい化物たちの描写に、集団幻覚であれ何であれ少なくとも平太郎少年とその周囲は“そう見えるナニカ”を見たと考えられます。
白河宜之さんのマンガ『10月のプラネタリウム』に収録されている『平太郎お化け日記』はまさにこの怪異を描いた物です。また宇河弘樹さん作のマンガでアニメにもなった『朝霧の巫女』も副題に『平成稲生物怪録』と有るようにこの怪現象をベースにしたこの世と妖怪が住まう別世界の境が曖昧になる中で物語が進んでゆく物でした(途中から南北朝期の天皇家の争いや現代兵器が絡んで変な方向に行ってしまいましたが)。戦前から戦後にかけて活動した作家・詩人の稲垣足穂にも三次に伝わるお化け騒動を扱った作品があります。
今では三次に稲生物怪録を基に日本の妖怪を紹介する資料館も建ち、その道の通にはとても重宝されているのだそうです。私も何かの折りに一度テレビの映像で紹介されているのを見て驚いた物です。濃厚な怪異譚が伝わる遠野や京都、吉野山などもこうした意味では別の世界と隣り合う境目なのだろうと思います。
稲生物怪録では盥や徳利などの日用品や野菜に手足・目が付いて動き回る化物や、巨大だったり小さかったりサイズが普通ではない人間・動物の様な物が記録されていますが、基本的にそこに出て来るのは江戸時代の日本の一般的な世界観を映した物に思えます。
詳細な異形の神の描写で知られる旧約聖書の『エゼキエル書』の様な“人間の理解が及ばない異世界の者”と接触したのだろうと思える隔絶はありません。民俗学的に見て各地に伝わる“物怪”、日本的な世界観からはみ出す異質さを感じないのです。
夢枕獏さんの人気小説『陰陽師』の冒頭部分が一番この日本的な“生活感覚としての人間界と闇の隣り合わせ”を端的に表現していると思います。
高田馬場から三次は遠いですが、訪れる機会があれば妖怪資料館も行ってみたいと考えています。
「にも」と書きましたが稲垣足穂さんがそれより後の方々に三次の事を広めた大元なのでしょう。宇河さんたちの他にも栗本薫 (中島梓)さんとかにね。