Catch161 感覚に変調を来す(空間編)
少し長くなってしまいました。
スタジオジブリの傑作アニメ作品『となりのトトロ』に、「七国山」という地名が出てきます。元になったのは埼玉県に実在する八国山です。何が「八国」かといって、その名の通り旧国名でいう所の関東八国 (上野・下野・常陸・武蔵・上総・下総・安房・相模)が見渡せる場所だったんですね。
長らく高田馬場や隣接する下落合・上落合を生活圏として暮らしておりますが、毎日出入りしているビルの上層階から北の方に時折見える山が関東北部の山々だと気が付いたのは10年程前の事でした。
結構近くに見える気がしていたので「よく知らないけど、埼玉や群馬南部のどこかの低い山が見えているのだろう」程度に思っていたのですが、ある年のとて~も良く晴れた冬の日にいつになくシャッキリ見えている山の形がどうみても那須連山だったんですよ。
「近くの低い山」だと思っていたのは実は「遠くの高い山」だったと分かった時のこの衝撃。いや、そんなに遠くが見えるなんて想像もしていませんでした。感覚がおかしくなります。
村上春樹さんが『村上朝日堂』で「東京湾フェリーで千葉から神奈川へ直接移動すると落ち着かない、喉のすぐ下がへそみたいな変な感じ」という主旨の文章を書いていました。そういう感じです。
旅行代理店のお手伝いをしていた時に社員さんから「旅順と瀋陽ってどれくらいの距離か分かります?」と訊かれた事がありました。私は「300kmくらいですよね」と即答したのですが、何でもその方は旅行説明会で旅程に付けた地図が旅順-瀋陽間が300kmになっているのを見つけて(縮尺が間違っている)と思い、わざわざお客さまたちに「これ間違いです」とアナウンスしてしまったのだとか。
つまりその社員さんはいつも高速鉄道や飛行機であっという間に移動していたので遼東半島の先端にある旅順から“満洲時代”に中心都市だった瀋陽 (当時は奉天)まで300kmもあるとは思っていなかったのだそうです。
これは中国東北部、いわゆる“満洲”全体の地図を見れば旅順-瀋陽間なんて端っこも端っこ、ほんの少しの移動という感覚もあっての事だったと思います。
逆に私は沖縄南部の激戦地跡を初めて訪れ、摩文仁や喜屋武岬など『ひめゆりの手記』に出てくる土地を巡った時に「夜間に歩いて○○まで移動した」とか「✕✕から誰々さんたちが1週間かかって合流してきた」などと書かれ、2ヵ月ほどかけて沖縄本島の南端へ追い詰められて行った女学生たちの歩いた場所が自動車でほんの1時間ほどでたどり着いてしまう狭い狭い地域だった事に驚いた事もありました。
それぞれ頭の中のイメージが不正確だった訳ですね。
以前このエッセイで「新幹線や高速道路で新潟に移動する限り佐渡なんて見えない」と書きました。その後、上越新幹線に乗っている時に「あれ?」と思ったのですが、佐渡、見えてます。大嘘を書いてしまいました。
燕三条-新潟間は西側に弥彦山から連なる山塊が見え、それが尽きると海岸線の低い砂丘を覆う松林が新潟まで続きます。その向こう、やはり良く晴れた冬の日に砂丘よりも高い山が二列連なっているではありませんか。手前の低い小佐渡山地、奥の高い大佐渡山脈。佐渡だよ。見えてんじゃん。事実を目にしても新幹線から佐渡が見えるなんて、やっぱり変な感じです。
それから冬ではありませんが新幹線から見えた佐渡の写真を追加します。
「実際に行ってみないと分からない」とよく言われますが、生まれ育った環境と全く異なる空間感覚は本当に分からないと思います。