Catch160 プロ・アマ
明けましておめでとうございます、今年も宜しくお願いいたします。
民主党政権時代に妙な事件がありました。素人集団の無様さを顕にし右往左往していた政権の中にあって数少ないプロの政治家然として屋台骨となっていた仙谷由人官房長官が発言した「(自衛隊は)暴力装置」という言葉が問題になったのです。失言でも何でもなく社会科学用語では「警察や軍隊など実力を行使して治安や国防などの目的を果たす社会上の存在」を「暴力装置」と表現します。弁護士であり元は日本社会党の代議士でもあった仙谷氏は当然の言葉として使ったに過ぎません。
当時野党だった自民党が仙谷発言を「けしからん」と言って噛みついたのは、用語が間違っているとかいう事ではなく「暴力装置扱いされた自衛隊が可哀想だ」という何とも情緒的な理由でした。「暴力装置」は不当な言葉なのでしょうか。軍や警察を暴力装置と説明している百科事典や辞書は多くありますが、これらは改訂しなければならない「間違った説明」をしている物なのでしょうか。
最大野党が「失礼」「可哀想」という政治の論理とは程遠い理屈を振りかざしてギャンギャン騒いだ結果、政権内でもアンチが多かった仙谷氏をこの機会に降ろしてしまえ、と変な風に事態が転がり、仙谷氏は官房長官を辞任させられてしまいました(2011年1月18日)。
屋台骨を失った民主党政権は直後に起きた東日本大震災で危機管理能力の無さをさらけ出し、「未曾有の国難」に協力するどころか全力で政権の足を引っ張る事しかしなかった自民党 (この人たちには被災者の命よりも政権奪還の方が大事だった様ですね)の動きもあって有権者の信用を決定的に失う事になります。
フランスに「屋根瓦の日 (Journée des Tuiles)」という変な名前で呼ばれている歴史上の事件があります。フランス革命の直前に南東部のグルノーブルで起きた反政府運動です。政府の派遣した軍隊に市民が屋根瓦を投げつけ追い払った物でした。250年ほど前はプロの暴力装置と一般人の差はこの程度だった訳です。
小西誠さんという元自衛官がいます。佐渡の駐屯地に勤務中に当時激しかったベトナム戦争に反対する学生や労働者によ反戦運動や市民運動への治安出動を想定した訓練を拒否して「自衛隊は憲法違反の存在だ」「だからこの命令は通常の業務命令とは違い従う事は出来ない」と主張して裁判沙汰になった方です。
この方は自身が受けた暴力のプロとしての訓練を考えた時、一般市民や過激派が武装闘争もどきの行動を起こしても勝負にならないと思ったようです。そして本気で世を変えたいならテロリストになるのではなく自衛官になって暴力装置を変革するなり自分たちがプロに対抗出来るだけの実力を身に付けるなりした方が良いと考えていた様に思えました。
どんな職業でも技術が発達し、日々の訓練等で専門化が進んでいます。素人とプロの差がとても大きくなっているのです。暴力装置のプロとしての特化が進む自衛隊や警察は今や屋根瓦を投げつけたくらいで倒せる様なやわなものではありません。
ミャンマーのクーデターが広範な市民の反対・抵抗に逢っても倒れる事が無く、逆に主な活動家を逮捕・処刑して法的根拠の無い「実力=暴力」で権力を維持している現状があります。香港なども同様です。
選挙もそうですね。善意の一市民が政治を正そうとして仲間を募り立ち上がっても「プロ」の陣営が何議席と当選させて来る中で当選に至るまでさえ難しいのに、首尾良く当選しても待っているのは一人会派の苦難です。おかしいですよねえ?
どうも様々な場面で「プロ」と「アマチュア」の差が大きく成りすぎている様に感じるのです。差がそれ程でもなかった時代に考え出された制度が、時代の進展と共に合わなくなって来ているのではないでしょうか。