Catch15 シーア派
信教の違いは人を殺める正当な理由にはなりません。
「中東は世界の火薬庫」と言われて久しいですが、相変わらずサウジアラビアが混乱しています。この地域がきな臭くなるのはイスラエルかイスラムの一派『シーア派』が絡んだものが多いでしょう。
『シーア派』はイスラム最大の分派です。イスラムの主流派たる『スンニ派』とは1100年前から激しく敵対しています。そもそも『シーア派』という呼び名からして妙な物です。元々はこの集団ははっきりと他のイスラムと敵対し始めた頃「シーア=アリー」、アラビア語で『アリー派』と呼ばれていました。つまり今『シーア派』と呼ばれているその呼び名は直訳すると『派派』となってしまいます。変でしょう?
『シーア=アリー』の由来は預言者ムハンマド亡き後、イスラム共同体を率いていく指導者として「カリフ(アラビア語でハリーファ=“後継者”の意味)」を選び、その指導に従っていた「正統カリフ時代」に遡ります。
アリーとはムハンマドの従弟であり娘婿でもあるイスラム創草期最大の英雄です。イスラムが繰り広げた主要な戦いに総て参加し、勝利をもたらして来ました。
清廉潔白な人柄と信仰の厚さ、共同体に対する貢献の実績と血筋からムハンマドの後継者と期待され、早くから熱狂的な支持者を得ていました。ウマイヤ家がカリフを独占するようになったウマイヤ朝が成立するまで、都合4回行われた後継者選定において最初から有力候補になり続けますが、教団の長老が健在だったために三度に渡って譲り4回目の選挙でようやくカリフとなった人物です。
彼のカリフ就任に最後まで反対したのは対立候補でメッカの有力者だったウマイヤ家出身のムアーウィヤとムハンマドの最後の妻アーイーシャ(アリーの義母ですが彼より年下)でした。ムアーウィヤはアリーをカリフと認めず内戦が起こりますが、イスラム共同体の分裂を避けたいアリーは決戦を回避します。
急進的な彼の支持者はムアーウィヤは勿論の事、煮え切らないアリーに対しても憎しみを募らせ、双方に暗殺者を送り込んだ結果、用心深いムアーウィヤは難を逃れアリーは殺されてしまいました。
アリーの死が伝わるやムアーウィヤは直ちにカリフを名乗り、以後イスラムはウマイヤ家の人間がカリフを世襲する『ウマイヤ朝イスラム帝国』の時代に入ります。
常にウマイヤ家の正統性を脅かす存在であるアリーの子孫たちは、言い掛かりを付けられて次々殺されて行き、その悲惨な歴史と高貴な血筋から『シーア=アリー』の人々から宗教的な信仰を集める様になっていきました。アリーの血を引く者は『イマーム(アラビア語で“指導者”の意)』として崇められる様になります。
アリーの支持者が多かったのはシリアからペルシア(現在のイラン)にかけての地域でした。今『シーア派』が多いとされる地域の主要部分と重なります。『シーア派』と『スンニ派』の最大の違いは「アリーの血筋に特別な価値を見出だすか否か」という事であり、どちらもイスラムである事に違いはありません。
『スンニ派』のムスリムたちにとってもアリーは敬意を払うべき初期イスラムの指導者に違いはないのです。
2006年にイラク中部のサマラにあるイマームの廟が爆破テロで破壊されるという衝撃的な事件が起こりました。米軍などは「スンニ派による犯行と思われる」などと発表していましたが、冗談ではありません。被害に逢ったアスカリモスクはもちろん『シーア派』にとって最も重要な聖地ですが、『スンニ派』にとっても大切な巡礼地だったのです。
米軍のイラク駐留を延長に持ち込むには内戦状態が激化する事が望ましいと考えたアメリカの情報工作員の浅知恵としか思えません。いくら教義の解釈に違いがあって“対立”していると言っても宗派間共通の聖地を爆破するムスリムがいる訳がありません。
「○○宗と“対立”しているから」といって別の宗派が仏教の教祖・お釈迦様を祀ってあるお堂を爆破する訳がないのと同じです。それをやったらその時点で実行者たちは『仏教徒』を名乗る資格がないただの『仏教徒を自称するテロリスト』です。
現在イランと対立を深めているサウジアラビアは『スンニ派』の国だと説明されていますが、正確には『スンニ派系原理宗派ワッハーブ派』の国です。北部には『シーア派』住民がかなり住んでいますが、サウド王家は「気に入らなければ出て行け」と言わんばかりの傲慢な内政を展開しています。
2016年と2019年に起きた大きな反サウド家の動きも『シーア派』の指導者を影響などに配慮する事なく処刑してしまった事から始まりました。よく『スンニ派』=穏健派、『シーア派』=過激派などと説明されているのを見掛けます。しかし原理主義『ワッハーブ派』のやりたい放題が許されているサウジアラビアの様な“国”の存在の方が余程危険に思います。
サウジアラビアの国家としての問題は別項『エミレートオブアラブ』 (後日掲載予定)で詳しく述べたいと思います。
次回はスンニ派について書きます。