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Catch149 王者の狂気

未だに根強い人気を誇るルードヴィヒ2世と皇后エリザベート。

 世界各地にニョキニョキ増殖中のディズニーランド。そのシンボルとも言えるのがほとんどの園にそびえる「シンデレラ城」です。本家カリフォーニャにも東京にもパリにも生えとります。行った事が無いので知りませんが、たぶんフロリダや上海にも。


 モデルとなったのはドイツは南部バイエルン州の「ノイシュバンシュタイン城」だと言われております。ノイシュバンシュタイン城は今でもドイツ有数の観光名所の1つとして人気のお城ですが、完全に中世後期 (1200~1600年代)様式の外観にも拘らず、建てられたのは19世紀末でした。2021年に放送を開始した大河ドラマ『青天を衝け』で描かれた、蒸気機関でガッシュガッシュ鉄やら木材やらを加工して鉄道だ大砲だエッフェル塔だとやっていた時代に何でこんな物が建てられたのでしょうか。


 「ドイツ」とひとくくりに言いますが、当時のドイツはノイシュバンシュタイン城が建てられる直前まで300近い細かな封建国家に分かれている、今とは全く異なる様相を(てい)していました。同一 (ドイツだけにー)の言葉を話す共通の文化圏ながらほとんどの都市や領域がそれぞれ主権を持つ「国」だったのです。日本で言えば戦国時代のような物。ベルリンとドレスデンは別の国でしたし、ハンブルグとミュンヘンも違う国。それがドイツ文化園の辺境にあったプロイセンによって統一されたのが1871年でした。


 ドイツ南部バイエルン(首都はミュンヘン)は中世以来ヴィッテルスバッハ家が治める「バイエルン王国」の領土でしたが、この統一運動の中で国としての主権を放棄しドイツ帝国バイエルン州となります。最後の王様だったのがノイシュバンシュタイン城を築いたルードヴィヒ2世でした。


 ヨーロッパの王家によくある事ですが、ヴィッテルスバッハ家も各地の王族・貴族と濃厚な婚姻関係を結んでおります。有名どころではルードヴィヒ2世のいとこにあたる“シシィ”ことエリザベート=フォン=エスターライヒは、宝塚の舞台やミュージカルにもなっている“ハプスブルク家最後の皇后”、波乱の生涯を送り今なお根強い人気を誇る「皇后エリザベート」その人です。


 近い血縁関係で婚姻を繰り返して血が濁ったのか、幼少期の生育環境のせいか分かりませんが、ルードヴィヒは美青年にばかり興味を示し、ゲルマン神話の強く美しい英雄たちが活躍する壮大な物語にのめり込む耽美的な王子に育ちました。幸か不幸か耽美が似合う美青年なんですよね、写真を見ると。ビジュアルが幸いして国民からの人気も生涯絶える事はありませんでした。「〽️ルックスがアドバンテージ♪」は真実だったようです。


 ルードヴィヒは大好きなゲルマン神話を次々とオペラにしたワーグナーに惚れ込み、ワーグナーの最大の庇護者となります。ドイツ統一後にかなり減らされた物の「元王様」として自由に使える莫大なお金が手許にあった彼は、大好きなワーグナーの世界をお城にしてそこに住んじゃおうと思いたったのです。


 正気の沙汰ではありません。


 訪れた方ならご存知でしょうけれど、中世さながらの壮麗な外観とは裏腹に、ノイシュバンシュタイン城はどの部屋も「ローエングリンの物語」やら「リエンツィ」やらルードヴィヒが好きで好きでだぁ~い好きだったゲルマン神話の世界が内装やマネキンで再現されているという、「その世界」に興味の無い人間には中々「キツい」物になっております。


 さすがにこの『ワーグナーテーマパーク』で暮らすのは本人も厳しかったのか他にも湖に浮かぶヘレンキームゼーやらベルサイユのトリアノンを真似したリンダーホーフやらお城を造りまくっています。


 最期もミステリアスでした。お金に糸目を付けない相次ぐ築城に悲鳴を上げたバイエルン州政府が彼を「禁治産者」にするために、精神に異常を来していると診断書を出して強制的に権限を取り上げ、余生の地で散歩に出たまま主治医共々水死した、事になっています。自殺なのか他殺なのか真相は分かりません。享年41。



 彼が「国王」として舵取りを委された19世紀末は、欧米列強がお上品な建前とは正反対にえげつない程アジアやアフリカ・中南米などを痛め付け富を絞り取った上に、その集積した富で更なる軍事増強と恫喝を繰り返す帝国主義の時代でした。


 幼少期は祖父も父も迫り来るプロイセンの脅威を前に、幼いルードヴィヒを気に掛ける暇も無い程、先祖代々受け継いで来たバイエルンの独立を守る事に一杯一杯だった事でしょう。彼はファンタジーの世界に慰めを求めましたが、現実に国王としては勝てる見込みの無いオーストリアとプロイセンの戦争に対して、同盟国オーストリアへの支援に反対したと伝わっています(結果は議会の反プロイセン勢力に押し切られて支援した上に大敗)。


 「狂王」として伝わるように本当に現実と空想の区別が付かなくなっていたならば、入れ揚げている神話の英雄たちに自分をなぞらえて好戦的になってもおかしくはありませんが、そうした気配はありません。150年前の常識では「異常者」として排除されてしまう振る舞いでしたが、ルードヴィヒ2世は美しい物に慰めを求めた孤独な優しい王だったのかも知れません。

日本にもおりますよー、狂気の帝王が。以下次号。

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