Catch126 マンデラの遺産
ラグビーワールドカップ2019大会は本当に良い大会だったと思います。
初の日本開催となったラグビーワールドカップ2019大会は日本チームの活躍で大いに盛り上がりました。福岡選手の突破力、堀江選手の力強さ、ラブズカフニ選手の穏やかな闘志など、参加した全ての選手・スタッフが持ち味を活かして勝ち進む様は、観ているこちらも巻き込まれ心地よい興奮に包まれた物です。
プロップの稲垣選手までがオフロードパスからのトライを決めてしまうなど、チームが狂騒状態となり、念願の決勝トーナメント進出を果たす事が出来ました。
初戦の相手は優勝2回を誇る強者・南アフリカ。前回大会では日本チームが勝ち「ジャイアントキリング (大物喰い)」と注目された事が思い起こされ「もしかして」と期待が膨れ上がりましたが、南アはやっぱり強かった。前半のコルビ選手、後半のデクラーク選手を起点に速さで重さで圧倒し、健闘していた日本をジリジリ引き離して勝利しました。
続けてウェールズ、イングランドにも勝ち、南アが最強の名門ニュージーランドに並ぶ最多優勝 (3回)を飾ります。
南アが初優勝したのは自国開催だった1995年大会です。映画『インビクタス』を観たことがある方なら、映画で描かれたこの時の「奇跡の優勝」を重ね合わせたかも知れません。私は思いっきり重ね合わせてしまい、優勝の瞬間はだだ泣きでした。
世界の反発を無視して「アパルトヘイト」と呼ばれる激しい人種差別政策を続けていた南アは、アメリカやヨーロッパ諸国によって経済制裁を受けていました。
スポーツの国際大会からも締め出され、「国技」と言われたラグビーもズタボロの状態に。しかも国民の7割を占める黒人からは「白人のスポーツ」と敵視され、黒人たちは相手チームの応援に回り自国が負けると喜ぶ始末です。ナショナルチームの選手もこれではモチベーションが上がるはずがありません。
状況が一変したのは白人政権 (デクラーク大統領)がアパルトヘイトを放棄し、全ての黒人が参政権を得た1990年でした。「テロリスト」として30年近く刑務所に収監されていた黒人解放闘争の指導者ネルソン=ホリシャシャ=マンデラ氏が釈放され、暗殺や民兵による虐殺事件など暴力の応酬が続く国内にデクラーク大統領とともに和解を呼びかけたのです。
彼は多くの犠牲者を出していた黒人解放運動の団体と白人中心の保守政党との間で粘り強く交渉を続け、全ての人種が参加する普通選挙を行う合意を取り付けます。
マンデラ氏は実施された94年の選挙で圧勝し、かつて彼に国家反逆罪で終身刑の判決を言い渡した国の大統領に就任しました。たまにこういう事があるので「人間も捨てたもんじゃない」と思えます。
マンデラ大統領は既に開催が決まっていたラグビーワールドカップのプレゼンテーションを行い、黒人たちが「ヤツらのチーム」と負けを喜んでいた南ア代表チームを「俺たちのチーム」と応援するまでに国内の意識を変えてしまいました。「民族の融和」「白人も南アの市民」を志向したマンデラ氏はラグビーをその象徴に選んだ訳です。
人種を問わない国民の熱狂的な応援を背に、祖国への誇りを取り戻してピッチに立った南アは初参加で優勝。ケープタウンもダーバンもヨハネスブルグも、南ア中で歓喜が爆発しました。
黒人でもラグビーをしたがる人が増えた事で裾野が広がり、以後、南アは決勝トーナメントの常連となってゆきます。
初優勝の時には非白人の選手は1人しかいなかった南アが、初の黒人キャプテン・シヤ=コリシを擁して勝ち取った3回目の優勝。マンデラの遺産は大きく力強く息づいているのです。
※インビクタス (ラテン語)=屈しない者たち
私がマンデラ氏を知った時、彼はすでに20年以上囚われている伝説の闘士でした。それから10年も経たない内に彼を犯罪者としていた体制が崩れ、大統領になってしまうなんて想像も出来ませんでした。