Catch125 陀羅尼助の里
1日遅れてしまいました。
「陀羅尼助丸」という何やらおどろおどろしい名前の薬があります。東日本で生まれ育ったほとんどの方が縁の無い薬だと思います。私も買うまで知りませんでした。関西の方は割りとご存知のようですね。
東日本だと「赤玉」や「熊胆」或いは「仁丹」などに当たる、少しお腹が痛くなったり気分が悪くなった時などに飲む整腸薬です。1300年くらい前に修験道の開祖「役小角(役行者)」が作り方を伝えたと言われていますが、要するに山を渡り歩いて修行する山伏たちが持ち歩いていた薬です。
日本の薬事法の被害者 (被害薬?)で、腹痛や吐き気ムカつきだけでなく水に溶いて目薬にもなるのですが、今の法律では「1つの登録商品に1つの部位に対する効能しか表示してはならない」とかなっているらしく、目薬の方は書いたら駄目なんだとか。これを作っているのが前回お話しした天川村 洞川でした。
私が洞川温泉を訪れたのは21世紀が始まって少ししたとある年の夏でしたが、紀伊半島深部が南朝の根拠地となっていた600年前は中々近づく事も出来ない要害の地だったと思います。
暢気な話しですけど、私は旅行する時はいつも現地近くに着いてから宿を予約していました。この時は京都駅の公衆電話で何件か掛けた奈良市内のホテルが悉く空きが無く、備付けの電話帳でやっと空いているホテルを見つけ縁もゆかりも無い「八木」に泊まる事にしました。
奈良盆地の真ん中辺にある「八木」は近鉄の大阪-名古屋と京都-橿原のラインが交差する「十字型」の変わった駅です。立派なアーケード街のほとんどはシャッターが下りたままの不思議な街でした。出発時は奈良市内か飛鳥・斑鳩辺りを回る積もりでしたが、せっかく八木に泊まったので、吉野か天川に行けるかな、と思い付いたのです。
京都や奈良市内からではやはり遠すぎた事もあって、どちらも行きたいと思いながらも行けずにいた所でした。
翌日本屋さんで天川の載っているガイド本を買い、聞いたこともない近鉄の駅で路線バスに乗り換え天川へ。バスを待つ間にガイドに載っていた洞川温泉の旅館を予約し、食べ物屋さんも見当たらないので駅前の土産物屋で売っていた柿の葉寿司で食事を済ませました。
バスは小さな川沿いにどんどん山奥へ向かい続け、ほぼ人の生活が見えない山森の中を時折小さな神社や登山口らしきバス停を経て行きます。やたら「丹生なんとか神社」があって少し長いトンネルを抜けるとそこは一転して陽当たりの良い南朝の里でした。さっきまでとは逆に川が流れています。トンネルが分水嶺だったのでしょうか。
村役場のあるバス停からは洞川温泉と神社は反対方向になるので先に南側の天河神社に向かいました。天皇の御座所になっていただけあり、山奥に似合わない朱塗りの壮麗な社殿と、能面や南朝縁の品などが伝わる神社です。よく手入れされた心地よい境内でした。
歩いて洞川まで行き(←かなり無謀な距離。真似しないで下さい)古い店構えの薬屋さんで陀羅尼助を買い、地酒を楽し、もうとしたら宿には置いてありませんでした。あまりいいお酒が地元に無いので広島のお酒を取り寄せているのだそうです。翌日は入山口に「女人禁制」とデカイ看板が立つのに全く関係なくお姉さま方が連れだって登っている(大いに結構な事です)大峰山に登り、後は公共交通機関を乗り継いで高田馬場へ戻りました。
南朝が観応の擾乱の時に天川から軍を発して京都を占領した故事に、その距離感を掴みたいと行ってみた訳ですが、絶妙に「遠くて近かった」気がしました。
実際に行ってみて変な村起こしとかをする気配もない、昔ながらの生活が息づいている安定感を感じましたね。