Catch115 街の名前が変わる時
高校の副教材「歴史地図帳」の出番です。
イスタンブール、南京、サンクト=ペテルブルグ。いずれも歴史の流れの中で幾度かその名前を変えた大都市です。そう言えば名だたる大国の首都だった事も共通していますね。
長らく地中海世界の歴史的な中心地だったイスタンブール (トルコ)は紀元前にギリシャ人が建設した植民都市「ビザンティウム」がその始まりです。ローマ時代末期にローマ帝国が首都を移し、移転させた皇帝の名前から「コンスタンティノープル」と改称しました。
現在ウクライナで行われているロシアの侵略戦争で「南部の要衝」として激戦が伝えられる「マリウポリ」やクリミア半島の港湾都市「セバスト-ポリ」、或いはイタリアの景勝地「ナポリ」など、地中海・黒海辺りには現代でも「何とかポリ」と名乗る市が幾つか残っていますが、これは全てコンスタンティノープルと同じく元はギリシャ人の植民地です。ナポリは「新しい町」=「ネアポリス」というギリシャ語の変化した物。「コンスタンティノープル」も「皇帝コンスタンティヌスの街」=「コンスタンティノポリス」のラテン語読みなのだとか。
1453年にオスマン=トルコ帝国がこの街を占領するとトルコ語風に「イスタンブール」と変わり今に至ります。それにしても「コンスタンティノープル」を「イスタンブール」、「アドリアノ-プル」を「エディルネ」、「アンティオキア」を「アンタルヤ」と読んでしまうのですから、トルコ語って大胆です。
重要な都市・首都の名前を変えるのは、時の政治事情が関係する事が多いようです。サンクト=ペテルブルグは『Catch25 カッコ良すぎる専制君主』で触れたようにロマノフ朝ロシア帝国の名君ピョートル1世が、大北方戦争でスウェーデンからぶん奪ったばかりの地に「聖ペテロの街」と名付けて建設した首都です。
「聖ペテロの」とは言う物の、ロシア語でペテロはピョートル。誰が見ても真意は透けて見えます。実際少し経つと通称は「聖」を外して「ペテルスブルク」または「ペテルブルグ」になります。遅れていたロシアを意識して先進国風にしたかったのか、何故かドイツ語風に名付けています。
その後ドイツと敵対関係になった時に「何で首都の名前がドイツ語なんだ、ロシア語にしろよ」となって「ペトログラード」となり、更に1917年のロシア革命の後で革命の指導者レーニンから「レニングラード」となりました。そしてソヴェート=ロシアが崩壊して初めのサンクト=ペテルブルグに戻っています。
南京はそれこそ政治事情で「建業」「金陵」「応天府」など様々な名前に変遷してきた事で有名です。
昨今のウクライナ情勢を伝えるニュースでウクライナ周辺を含む地図が良く映し出されますが、バルト三国とポーランドの間にロシアの飛び地があるのが気になった方も多いかと思います。私が今とても気になっている「名前が変わった街」がここにあるのですが、少し長くなりましたので次回に述べる事にします。
この飛び地、ロシアの行政区分上の名称はともかく、歴史的には「東プロイセンの北半分」としか言い様の無い地域です。これだけで経緯が複雑そうな気配を感じませんか?