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三、女を拾う

 かつて、江戸と呼ばれていた町は明治政府発足と同時に東京と地名を変えた。

 しかし、まだ江戸の名残は色濃く平民の営みは以前と変わらない。変わってしまったのは、国のために命をかけた男たちの生活だ。倒幕に命をかけたものは英雄で、幕府を守ろうと働いたものは罪人となった。


 常世は日野を出るときに佐藤彦五郎から聞かされた。


『世間では旧幕府軍の残党狩りが始まったらしい。君はまだ若いし、顔も知れていないだろうが十分に気をつけるんだよ。とくに、元新選組の首は他よりも高く売れるらしいのだ』


 なぜ、そこまで新選組に価値があるのだろうか。常世には分からなかった。

 なぜならば新選組には日本を揺るがすほどの力はなかったからだ。幕府の役に立ったのかと問われれば、正直にいうと疑問である。

 元新選組の首は高く売れるというが、局長の近藤はとうの昔に斬首にされたし、土方は箱館で死んだことになっている。沖田は病に倒れ亡き人だ。

 原田は上野で討死。永倉は袂を分かち行方不明である。斎藤はどうなったのか。彼は会津と運命を共にすると言っていたので、生きていればどこかで謹慎しているはずだ。

 その他の生き残りを狩っても、まったくなんの役にも立たないだろうに。

 主要幹部たちはもういないのだから。


 ―― 討幕派の連中の方が、よっぽど黒かったけどな……。


 常世は一時、長州に身を置いていた。ゆえに、長州や薩摩の人間の野心は吐くほど聞かされているのだ。


 ―― どっちにしろ、俺には関係のないことだ。残党狩りに巻き込まれることはないさ。


 そんなことを考えていた矢先のことである。

 常世は人混みを避けるため、表通りから一本中に入ったときだった。

 身なりがみすぼらしい、柄の悪い男四人が寄ってたかって悪巧みの最中である場面にでくわした。


 ―― なんだよ、いきなりこれかよ。


 世が変わっても、貧乏人は貧乏人。腕に覚えがある男はこうやって人を襲い、物を盗む。盗むものがなければ適当にうさを晴らして捨てるのである。

 さて、このまま引き返すか素通りするか。それとも奴らをこの場から消しさるか。

 常世の腕なら、不逞の(やから)を蹴散らすのも遊びにもならないほど簡単なことだ。


 ―― 余計な騒ぎは起こさない方がいいな。去るか


 とはいえこのご時世、警察とやらに目をつけられたくない。そう思い背を向けようとしたとき、常世の耳に野郎たちの会話が飛び込んできた。


「そんな鉢巻、後生大事に持ってるなんざ馬鹿のするこった。知らねえわけねえよな、新選組は高く売れるってよ」

「……せ。ころ、せ。私を早く、殺せ」


 ずいぶんと痛ぶられたのだろうか。新選組だったらしいその人間は、息も途切れ途切れであった。


「その鉢巻で絞め殺してやらぁ。さあて、なんぼのもんになるんだ、この若造はよ。ん? おい、こいつ男と思ってたら、女じゃねえか! 新選組にも女がいたのか。こりゃ高く売れるぞ」

「女だと! ほほう。よくみたら、別嬪(べっぴん)じゃねえか」

「へへっ。先に俺たちがおまえの身体が使えるか試してやらぁ」

「いや、だ。もう……殺して、くれ」


 その会話に、常世が去ろうと踏み出した足は完全に止まっていた。

 途中まで、新選組狩りに運悪く捕まったことに同情はした。それでも自分にはもう関係ないと放置しておくつもりだった。

 ところが、常世は聞き捨てならない話を聞いてしまったのだ。

 その元新選組隊士は女であり、その女を男たちが寄ってたかって凌辱(りょうじょく)しようとしていることを。

 それを聞いたとたん、常世は腹がカッと熱くなるのを感じた。

 気がつくと常世は、男たちの背後に立っていた。


「なんだ、おめぇ……ぐ、ガハッ」

「ひっ、何者だ!……うあぁぁぁ」

「やめ、やめてく、れ……っ」

「このやろぉぉ!……くっ」


 瞬く間に男たちは地面に顔をつけ、気を失っていた。殺さなかったのは常世の温情だろうか。いや、やはり面倒ごとは避けたかったのだ。

 常世は倒れた男たちを足蹴りにして、今にも気を失いそうな女の隣に腰を落とした。常世はそっと女の脈をみる。

 女は誠の鉢巻を盗られまいと、拳に力を入れた。


「い、いや……」


 蚊が鳴くような声で女は常世を拒んだ。


「俺をこんな(クソ)野郎と一緒にするな。悪いが、今のあんたに拒否権はない。死にたくなかったら我慢しろよ」


 常世は女の乱れた着物を適当に直して、素早く背負った。そして、地面をひと蹴りすると瞬く速さでその場から消え去った。


 常世の忍びのような身のこなしは、故郷で身につけたもの。妹を守るために必死に学んだものだった。




 ◇



 常世は人の多い町から離れるために、ずいぶんと走った。

 日はすっかり落ち、空気は一気に冷たさを増した。常世は人目を避けながら、見知らぬ元新選組の女を背負ったまま宿に入る。


 幸い金はあった。

 新選組の一員として戦った時の給金と、餞別だと土方為次郎が無理やり持たせてくれた。とりあえず当面の生活に困ることはない。

 初めは不審がっていた宿の主人も、金を多めに握らせると、絵に描いたようなゴマを擦りながら常世を奥に通した。


「お連れさんはご病気か何かで?」


 店主は無造作に布団を敷きながら常世に尋ねた。妙な病気だと困るのだろう。


「いや、疲労だ。故郷が遠すぎてこの有様だ。申し訳ないがたらいに沸かした湯と手ぬぐいを頼みたい」

「はいはい。そういうことでしたら、すぐに」


 常世は店主が出ていくと、布団に女を下ろした。

 ざっと見た限りでは、血が滲んでいる様子はない。しかし、ずいぶんと乱暴に扱われたらしい。女は口の端が切れ、その周りが紫色に変色していた。


 ―― 抵抗しなかったのか。仮にも元新選組だろ……


「お湯をお持ちしました」


 しばらくすると、店主に代わって女中が湯と手ぬぐいを運んできた。それとは別に、茶と握り飯もあった。


「すまない。助かる」

「御用の際はなんなりと仰ってください。では、失礼いたします」


 常世は女中が下がったのを確認して、手ぬぐいにたらいの湯を潜らせて硬く絞った。苦しそうに目を閉じた女の顔についた泥を、拭ってやった。


 ――常葉(ときわ)と同じくらいか。なんだって、新選組なんかに入った。家族はいないのか。


 顔と首を拭いて、再び手ぬぐいを湯につけた。

 さて、身体はどうしたものか。腰紐を緩めたのはよいものの、年頃の女の身体を晒すのは躊躇われた。

 しかし助けた手前、怪我の程度を知る必要がある。何もせず、朝になって死んでいたら寝覚(ねざめ)も悪い。


「すまない、許せ」


 常世はあくまでも怪我の程度を知るためだと言い聞かせ、着物をゆっくりと(めく)った。


「こっ、これは……」


 女の身体には、大きな痣があちらこちらにできていた。太腿、腰、脇腹、肩と棒で殴られたようなあとがある。まるで拷問にあったかのようだ。


「あの男たちよりも先に、誰かにやられたのか」


 もしかしたら内臓まで傷めているかもしれない。そうなると、本当に明日の朝には命がないかもしれない。

 常世は(ふところ)から薬を出した。故郷を出るときにおじじがくれた秘薬だ。ひとつは妹の常葉に渡した。それは常葉にではなく、土方の命を繋ぐためだった。

 そしてもうひとつを、常世は使おうとしている。

 自分のためにではなく、見知らぬ瀕死の女のためにだ。


 ―― 俺たち兄妹は、他人のために簡単に使ってしまうよな。せっかく、おじじが苦労して作ったのにな。人がよすぎるだろ。


 常世はその薬を自分の口の中で噛み砕いだ。そして、湯を口に含んでから、女を抱き起こして口移しで飲ませる。

 女は反射的にそれを嚥下(えんか)した。

 そして常世は知ってしまう。女の唇は柔らかく、ほんのり甘かった。


 ―― くそっ!


 常世は自分の口を手の甲で覆った。何気なく行った医術行為のはずだった。しかしそれは思いの外、男の劣情を煽ってしまったのだ。それを打ち消すかのように、常世は唇を強く噛んで首を振った。


 再び女を布団に寝かせると、常世は静かに廊下に出た。

 ふと、自分の唇に拳を当てる。

 どんなにごまかそうとしても、あの柔らかさがよみがえる。常世は消えないその感覚に目を閉じたまま空を仰いだ。



 ◇



 それから常世は寝ずに部屋の片隅で起きていた。ずいぶんと女と距離をとっている。膝に顎を乗せたまま、暗闇に浮かぶ女をじっと見ていたのだ。


 そして東の空が白み始めたころ、女が身じろいだ。


「うっ……ん……」


 どうやら女は危機を脱したようだ。

 寝返りを打った拍子に女の白い腕が畳に投げ出された。白くて細いその腕の先にはあの鉢巻が握られている。

 夜目のきく常世には、その鉢巻の端に十番隊という字が見えていた。おそらく女は十番隊に属していたのだろう。


「う、ん……」


 女は気がついたようで、目をうっすらと開け辺りを観察していた。ぐるりと視線を回転させて、常世の存在に気付く。

 女は「あっ」と小さな声を出し、常世を目でとらえた。


「気がついたか」


 常世がそう返すと、女は布団の中で頷いた。


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