第二話:独りの苦境
ちょっと死んでました。
……この、生きているともわからない状況のまま何日が経過したのだろうか。
どうやらここの気候は、熱帯雨林のような植生に日本のような気温という、なかなかによく分からないものとなっているらしく、初日付近こそ降らなかったものの雨が頻繁に降ることが分かり、飲み水には困らなかった。……この雨水が私の身体にどのような影響を与えるのかはともかくとして。
また、探索を少ししたところちょうどいい木のうろを見つけられたため、雨も日差しも一応凌げるようになった。
ただ、やはり問題は食料である。寝床を見つけられたところで緊張の糸が切れてしまい、満足に歩いて散策する体力すら残っていないことを自覚させられたのだ。
現状水だけで生き延びているが、やはり極限の空腹は人の脆弱な精神を蝕んでしまうようだ。気づけば自分の指や腕を齧ってしまい、その刺すような痛みで正気に戻るような日常を繰り返している。
最も手軽であろう果物はあまりにも背の高い木しか周りにないため当てにできないし、他の動物を狩るなんて不可能である。……客観的に見て、科学力のない人間が食料側であるのは自明だからだ。拾った命、流石にそこまで雑に使う気はない。
とはいえ、衣と食が満ちていない私にできることなんてある訳もなく。
「……ステータス」
ぽつり、と掠れた声で呟く。すると金属音のような甲高い音が耳朶を引っ掻いてから眼前に半透明の板が出現する。昨日はどこまで考えたんだっけ、と纏まらない思考が浮かび、十項目目の『四面楚歌』から考えるのを放棄したんだったと思い出す。
……このように、たまに思い出したかのようにステータスを見てスキルがどうにか使えないか画策するのだが、まさに火を初めて見た猿のような気持ちになるだけで実用的なものは何一つ得られなかった。むしろ『四面楚歌』とかこの状況の原因じゃないのか? とすら思えてくる。
ごつごつとした幹の感覚を背に感じながら、痛み軋む身体で身動ぎする。もう力の入らない腕をなんとか持ち上げて、うろを引っ掻いてまた一つ傷をつける。そして十個になった傷をぼうっと眺めて、ゆっくりと意識を落としていく。
そうして九回目の覚醒を後にし、十回目の夢の世界へ旅立っていった。
「……だれか」
無意識に助けを求めながら。
『――運命神エタナによる事象変動要請の確認。スキル:信号発信の発動が許可されました』
……そんな、誰かの声を聞きながら。
*
「……ん」
まどろみから浮上した意識が、尚も夢の世界の心地よさに引きずられているのを感じる。いつもなら感じる背中への不快感が今は全くなく、むしろ生前に感じていた毛布のような快適さすら感じられていた。もしやもう一度死んだのかも……などという案外洒落にならない思考すら浮かんできた。
珍しく目覚めがいい。この状況で熟睡できたのか、と呆れ半分で身体を起こすと……妙に肌触りのいい布地をまとっていることに今更ながら気づく。
瞬間、様々な考えが脳裏にほとばしり、同時に思考が停止した。浮かぶのはただ多くのクエスチョンマークのみ。そういえば体調も、疲労どころか空腹すら解消されている。なぜ、どうやってといった疑問符が私の頭を埋め尽くした。
多くの思考のせいで逆にクリアになった頭が存外冷静に周りの観察を始める。どうやらここは一種の天幕のようなものらしく、かなり狭いが人類が生きるには十分すぎる設備が整っていた。
「สวัสक्याดี आप जाग गए हैं?」
その、人の声らしき音の響きに思わず身体を竦ませ、ばっとそちらの方に顔を向ける。
そこには少し細めの二十代過ぎほどの女性が佇んでいた。にこにことした顔にはこちらを訝しがる様子など一切がなく、むしろ私が起きたことが心から嬉しい、というようにすら感じられた。
だがその音の響きが理解できず戸惑っていると、女性が寝具に近づき傍らの椅子に腰掛けた。
「Гм……a、あー、これで分かるかな?」
女性が喉元に手をやり、思案げにいくらか呟くと、次第にその音が意味を持ってくる。さっきまで明らかに未知の言語で話していたのに、と呆然としていると、女性がどこか申し訳なさそうに表情を崩し、口を開く。
「起きてくれて良かった……貴女、異空児でしょ? それも森の中に放置だなんて……。神様とやらの仕事も随分雑になったみたいね」
そこまで言ってから私の困惑顔に気づいたらしく、「……ごめんなさいね、いきなり」と微笑む。
「ええと……とりあえず、聞きたいことはある? なんでも聞いて頂戴」
その言葉に一応の冷静さを取り戻せた私は、少し緊張しつつも話し始める。
「……ここは、どこなんでしょう? あなたは……異空児、って……?」
「ここ? ここはミラネシア森林の休憩所だね。街と街を繋ぐ中継地点、って感じ。私はここに寄ったキャラバンの一員で、フェルミナっていうの。で、異空児っていうのは……有り体に言えばこの世界の住人じゃない人かなぁ」
ぎゅっ、と毛布を握る。わかっていたし、あの気が狂うような苦痛を経験したあとじゃ「ドッキリでした」と言われても洒落にならないのは理解していた。
だけど、この荒唐無稽でどうしようもない不条理に耐えるにはちょっとした希望でも十分だったのだ。それが無意識に潰えたことに、私は心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
ぽつり、と意識の外の問いが漏れる。
「……私は、どうずればいいんでしょう……」
寄る辺もなく、何も知らない世界に一人ぼっちで。
滲む視界に、頬を伝わるのは冷たい一筋の感情だけ。
気づけば、私は膝を抱えて泣いていて、隣のフェルミナは何も言うことなく静かに連れ添ってくれていた。
その優しさが、少しだけ心の傷に沁みていた。
生きてたら来週の休日に更新します。しないかもしれないです。