第一話:導入
「金田阿良々木さん……申し訳ないのですが、あなたの人生はここで終わってしまいました」
「人違いですが」
誰かもわからない名前に反射的にそう答えると、目の前の幼い少女……エタナと名乗るカミサマとやらの悲しげな表情が固まった。
「……私は新田、新田和流です。というか、死んだ記憶も感覚もないのですが……えっと?」
そこまで言うと、先程までの美しい表情をばっと崩し、焦りに焦りを重ねた焦燥の感情を浮かべながら手元の帳簿らしき紙束をめくり出す。
待つこと数瞬。ある頁で手を止めた彼女は、「ああ……」という表情を隠しもしないまま頬に伝う脂汗を拭った。そのまま挙動不審に帳簿をいじると、唐突にパタンと閉じてこちらの方に向き直った。
「新田、せさらぎさん?」
「和流です」
「あ、ああ、そう……和流さん。……申し訳ないのですが、あなたの人生は」
「どのような終わり方をしたのですか?」
先程の発言を焼き回すような言動をする彼女の逃げ道を無くすように問う。それにびくりと身体を跳ねさせた彼女は、諦めたように綺麗な笑顔からため息をひとつ溢し、可憐な少女の表情を疲れたOLばりに崩す。
「……ごめんなさい、手違いみたい……。正直、こんなことは有史以来一切なかったんだけどねぇ……だからあんたの対応は私の手に余るの。こんなことイレギュラー過ぎて……それこそ、信仰と歴史の深い神じゃないと対応できないの」
そこまで言うと、一息ついて指を鳴らし、何もなかった白の世界に一対の木製椅子と大きめの机、ちょっとした茶菓子をゲームのように生成する。まさに夢でも見てるかのような光景に目を開き、そんな場合ではないと知ってはいても少しの感動を覚えた。
「どうぞ、座って頂戴。正直私も考えることが多いの……そもそも原因がわからないと対処のしようもないからね。むしろ話を聞かせて欲しいくらい」
「……ええと、じゃあ遠慮なく……?」
座ってみると見た目よりも座り心地の良い椅子に感嘆してから、覚えている限りの情報を提供する。
「うーん……。といっても、正直おぼろげなんですよねぇ。確か今日は普通に学校に行って、普通に帰って……いつもどおりの生活をしていただけなんです。それに持病とかもありませんし、突然死する要因がないというか……」
「……お手上げね」
「それでいいのかカミサマ」
「いいのよ。むしろフレキシブルな対応をする方がいいの……うん、魂のデータ形式がほぼ一致するアバターを用意して、因果律の河が矛盾を許容するようこっちと向こうに配置して、オリジナルを向こうに送れば……!」
……いやいやいや。
「ちょっと待ってください。何を言っているのかは理解できませんが、だいたいわかります。そもそも私を日本に戻すことは――」
「無理よ?」
しれっと、何でもないかのように答える彼女に、絶望に先んじてイラつきが募る。
「だけど、あなたの分減るはずのない常識が減っちゃったから、それのカモフラージュのためにアバターを向こうに配置して、それで因果律が歪まないようにシンメトリーの要領であなたを転移するの。よくあるでしょ?」
よくあるってだけで人の魂を帳尻合わせに使わないで欲しいのだが。というか話の大半に理解が及ばないことに異議を申し立てたい。
「いえ、確かによくありますが……それだと私の命の保証も何も……」
「あ、準備できた? じゃあ和流さん、あなたの魂はこの時を持って天寿を全うし、新しく転移することになりました! これからは私の力も貸すし……不正って言うんでしょ? だからなんとかなると信じてください!」
「いやちょっと待っ……!」
そんな無責任な言葉が私の脳裏に反響し、次第に四肢の感覚が抜け落ちていく。とろんと瞼が落ち、それに呼応して意識まで遠のいていき――。
「……ん」
ぎゃあぎゃあという獣のような鳴き声にまどろみを邪魔され、意識が現実に戻ってくる。ぼんやりとした視界を擦り、周りを眺める。そこには地球のコンクリートジャングル育ちの令嬢が一生見ることのないだろう、熱帯に分布するようなジャングルの緑が広がっていた。
「……は?」
喉を震わせて驚愕をあらわす。そうしないと現状から目どころか意識を背けてしまいそうだったからだ。
そしてぼんやりと思い出すのは、直前の記憶。そして植えつけられたような……まさに植えつけられたのだろう、この世界についての知識の刷り込みだった。
チリチリと焼ける脳裏に顔をしかめつつ、お決まりのように「ステータス」と呟く。案の定というか、眼前に薄く半透明の……ただスキルと思しき文章を羅列しただけのステータスプレートが出現した。
……もう一度、辺りを見渡す。
水源はあるか? NOだ。さらにあったとしても飲用ではないだろう。
食料は? NOに決まってる。狩りなんて道具も経験も覚悟もなしにできないだろう。
不正? そもそも使い方の説明すらされてないが。
「……ああ、私はこれの名前を知ってるぞ」
さらり、と自分の髪を梳く。長さからして、身体も創りかえられたのかもしれない。
「――理不尽、だ」
いつも不条理に人の努力や覚悟を嘲笑う悪魔。
……ただの悪夢、ただの現実。
それが今、また私に牙を剥いただけだった。
作者が暇なら30日の19時に次話投稿します。