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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

やれやれ、カレーが嫌いな人間なんていないってことか……。

作者: 菊池あき

「カレーが嫌いな人間なんかいねえ。この世の真理だよな。」

唐突に斉藤要が言った。こいつは何を言っているんだろう、しかもいきなり……かなり呆れ気味に、それもまあ日常茶飯事のことなのだが、僕は思った。

「まあ待てよ、それを言ったら僕の妹なんて――。知ってるだろ?」

僕の妹はカレーと大便の区別がつかないとまで言い切った人間なのだ。世の中にはいろんな奴がいるけれど、本当にいろんな奴がいるなあとそのときは思ったものだった。それに、真理なんて言葉を軽々しく使うなんて論理を馬鹿にしてる。言葉をなんだと思ってるんだ――。そんなことをつらつら考えていると、

「それが、いないんだよな。」

断言されてしまった。言っていること自体は軽薄極まりない断定に違いないのだが、その口調には奇妙な確信があった。何故だろう?僕が不審な目を斉藤に向けると、

「電話してみな。絹ちゃんにさ。」

妹に電話しろとまで言われてしまった。よほど何かあるらしいが、わからない。また性質の悪いいたずらだろうか――?けれども、このときの僕はまだ気付いていないだけだった。自分たちに忍び寄る、運命とでもいうべき巨大な流れに……。とまれ、僕はその奇妙な自身に気圧されて妹に電話をかけたのだった。しかし、かからない。絹代の高校はとっくに終わっている筈だし、僕の電話ならすぐにとる筈だ。昨日今日で嫌われてしまったとは流石に思いたくない。焦った僕は家の電話にもかけてみるが、結局、妹が電話に出ることはなかった……。

「どうだった?」

意地の悪さを含んだ笑みを湛えて、斉藤が尋ねる。一体何が起こっているんだ。こいつは何かを知っているのか――?掴みかかるように斉藤に疑問をぶつけようとするが、その時には、彼の姿は忽然と消えていた……。これはどういうことなんだろう?斉藤は性格の悪いところがあって、いままで幾度となく趣味のよくない悪戯にひっかけられてきたけど、今度のように後味の悪いことはなかった。それに、一体普通の人間が消えるということができるものか?妙な胸騒ぎを覚えつつも、どうすることも出来ず、僕はしばらくそこに茫然としていた。

「とにかく――」

何があったか確かめなくちゃならない。僕は思考を無理やりストップさせると、家路を急ぐことにした。

 家の中は、がらんどうだった。玄関に入った瞬間、いつもと何かが違うのを感じた。その感覚を無視するように家の中に入っていくが、誰もいない。いるべき者がいない。いや、それだけではない、妹の部屋を開けた兄は、信じられないものを目の当たりにした。黄緑色のかけぶとんがない。セーラー服や、レースの付いたワンピースがない。いつも片付かない勉強机がないのだ。それは最早、妹の部屋「だったもの」でしかなかった。妹が消えたのではない。妹という存在全てが消えてしまったのだ。記憶の中を残して……。混乱、困惑、昏迷である。あんなに好きだった者がいないのだ。しかもあり得ないやり方で。僕は、再び茫然とすることを余儀なくされた。しかし今度は座っていて、あたりがさっきより暗かった……。こうなれば、最後の望みは、元凶にしかない。僕は今や友達ともつかなくなった友達の顔を思い出して、あいつの住むアパートに向かうことにした。なるべく早く――。何故妹は消えたのか、あいつは何をやったのか、ただの冗談なのか、身に迫った危機なのか。混乱する頭を振り、汗を垂らして辿り着いたのは、やはり、あいつの「だった」部屋だった。あいつの存在すらも消えている……。「きつねにつままれる」という表現があるが、僕は、まさにきつねにつままれたような顔をして、自分の顔をつまんだ。もう、どうしていいかわからない。信じていた世界が壊れて、アスファルトの熱い道が溶けていくような気分になっていた……。


 三〇分ほど後だろうか、僕は何処に行こうとするかも分からなくなりそうな足を運んで、大学の麻雀部の部室に来ていた。斉藤は麻雀を打つのが大好きで、ちょくちょく授業を休んでも麻雀を打つほどだったのを無意識に覚えていたのだ。扉を開ける。今は誰もいないようだ。汚い床を見渡す。誰も座らない麻雀卓を見る。と、そこに、僕は先ほどはいなかった筈の人間の姿を認めた。切れ長の目、通った鼻筋、漆黒のワンピースが、透き通るような肌に似合っていた。

「随分とほつれているな……。」

こんにちは、とか、すいません、とか突然現れた見慣れない人影にかける言葉を考える間に、先に声をかけられてしまった。しかも何のことやらよくわからない。確かに麻雀卓は使い古され、ところどころ擦り切れてはいるが……。

「そうではない。この場がだよ。君が田嶋優一だね。」

もっと不可解だ。なんだかスピリチュアルなことを言いだしたし、一体場所というのはほつれるという日本語をあてがわれていいものなのだろうか?しかも、そのスピリチュアルがもっと悪いことには、田嶋優一という僕の本名を言い当ててしまったのだ。本能的に危険を察知した僕がとった行動は、

「すいません、どちら様ですか。」

という自分は間抜けですという表明のような発話だった。

「今日は君、混乱の日だな。知恵熱を出すんじゃないぞ……。私の名前は織部瞬。時空の織手だよ。」

話せば話すほど不可解になって行く、今日は時がたてば経つほど不可解になる日なのだろうか……?それに、どうもこの織部という人は、僕に今日何があったかも、何を考えているかもお見通しらしい。あまりいい気分ではない。しかし、今頼れるとしたらこの人しかいないか――。

「あの……」

「田嶋優一。私も君を頼りたいのだ。実をいうとずっとここで待っていたのだよ……。もっと早く会いたかったが、因果律が邪魔をして――。」

わけがわからないし、もうどうでもよくなりそうだ。とにかく、聞いて確かめたいことは山ほど海ほどあるが向こうも何やら僕を頼りたいらしい。ということは利害は一致しているということだろうか。何かの間違いでなければだが……。

 ぱっ!と手を掴まれて、身が部室の外に投げ出される。もう少しでこけてしまうところだった。何をするんだ、と織部を見ると、涼しい顔に涼しい表情を浮かべて、部室の方を指さしている。見ると、部室がゆあんゆあんと不安定に揺れて、何と消えてしまった。残るはコンクリートの壁のみである。不可解だ……。

「なにがあったんです?」

まともな答えよ帰ってきてくれと祈りながら聞くと、

「ほつれていると言ったろう。あそこは悪魔召喚の場だからな、最早まともな場ではなくなっていたのだ。」

との答え。不可解だが、少しづつ不可解さが薄れてきている人間の適応能力に僕は気付いて、少しいやになった。

「悪魔……?」

「もう知る者は少ないな、麻雀というものがもともと呪術の道具だったということを……。斉藤め、それを知ってか知らずか悪魔を呼び出しおったのよ。」

「それで、なぜ僕の妹が消えたのですか、それに、貴方は何をしようとしているんです?」

僕は捲し立てるようにして聞く。

「なかなか適応が早いじゃないか。おおかたふざけて言ったのだろうよ、悪魔に。『カレーが嫌いな奴なんていなくなればいい』などとな。悪魔とはずるい奴だから、それで契約成立よ。」

「そんな……。」

冗談じゃない。この文明社会に悪魔とか、呪術とか……。しかし、それを信じなくてはどうしようもないことが身の回りに起き過ぎたし、この人物からも周りの状況からも、言い知れぬ悪寒のようなものを感じてしまうのだった……。


「見よ。」

織部がそこを歩いていた学生の一人を指差した。と、みるみるその姿が不安定になって、やがて消えてしまった。昨日までなら信じられなかった光景。今見ると危機感をあおられる光景。

「あやつもカレーが嫌いだったのであろう……。」

悪い冗談みたいだ。というか悪い冗談だ。まさしく悪魔の所業である。カレーが嫌いな人間が次々消えていくなんて……。

「さて、私が何をしに来たかも聞いていたな――。ようく聞けよ。この世界は二つに分かれようとしておるのだ。カレーが好きな者の世界と、そうでないものの世界。君の親友、悪魔に唆されて、カレーの世界の王となろうとしておるのだ。」

馬鹿げていて、馬鹿げた話だ。阿呆らしい。なぜ斉藤がカレーの世界の王にならなければならないのか。最早おとぎばなしの屑みたいな世界じゃないか。

「仕方ない。人の願いにつけこんで、人間を支配するのが悪魔だ……。」

阿呆らしい悪魔だ。

「さて、そうとわかれば行かねばな。」

ふっ、と耳に風を感じるといつしか物凄い高さのタワーの上に立っていた。ああ不可解。しかし、この場所は見覚えがある。町のど真ん中に聳え立つ、かつての税金浪費の象徴、メルヘンタワーの天辺に僕は立っていた。

「馬鹿と悪魔は高いところへ上りたがるのだ。」

したり顔で冗談みたいなことをいう織部。もしかしたら本当に冗談なのかも知れない。それよりも、その悪魔と対面するのがメルヘンタワーって、もう冗談としか思えなくて、僕は悪夢だと思い込みたくなってくる。


「冗談は俺は好きだぜ。」

タワーの天辺の、更に上から声がして、見上げると斉藤が立っていた。が、手が六本に顔が三つもついていて、昔の漫画のキャラクターみたいだ。それが何だか黒いもやもやに包まれている。どんどんこの世界がギャグに思えてくる。

「昔の漫画なんてやめてくれよお、今の俺は阿修羅様。羅刹様。悪魔様の斉藤様だ。さまを付けて呼びな。」

何だか自慢げだ。

「よければ側近にしてやったっていいんだぜ、新世界の帝王たる俺様のな。世界の半分をくれてやってもいい。酒池肉林だって思いのままさ!カレーを食べる選ばれた民の世界で、共にカレー風呂に入ろうぜ!」

カレー風呂なんて脂でどろどろしたもの絶対に御免だなあ、いや脅されたら入るかなあなどと僕は考え、斉藤じゃなくなりつつある斉藤はなおも続ける。

「カレー!カレー!カレー!カレーを汚す邪魔者はあと二時間もすれば完全に消える。我々の真実の愛を汚すものもだ。お前の妹は消えた。さあ、真実の愛を共に築こうじゃないか!」

ちょっと生理的に無理だと思うし、聞いてるとどんどん苛々してきた……。

「さあ、俺様のところへ飛び込んでおいで、この人知を超越した六本の腕で捕まえてあげるよ。カレーを食べながらセックスしよう!」

カレーとアナルセックスなんて最低の思い付きだ……。何で最低かは説明しなくても小学生でもわかるだろう。


ガシッ――。

ほら、長々と喋ってるから後ろから織部さんに羽交い絞めにされちゃってるし。ちょっと新世界を築くには小物キャラ過ぎるんだよなあ斉藤って人は。などともうこの非現実的な状況に達観してしまって呑気なことを僕は考えていた。

「ちょ、待ってよ!ワンチャンセーックス!」

斉藤の虚しい叫びが響く。ああ馬鹿だなあ。力に溺れた人ってこうなるのかなあなどと思いながらその光景を見つめていると、ガラン、と大きなまち針が足元に転がってきた。

「今のうちに、私ごと斉藤をそれで突き刺せ!」

織部の言葉が降ってくる。現実感を喪失していた僕は、え、私がやるの、というか刺したら死んじゃうじゃんとまた混乱の坩堝に追いやられたが、現実感のない現実は容赦ない。

「死なんから早う刺せ!」

「だめだめやめてやめて」

あーうざい。もうこの状況に頭のキャパシティが超えてしまったようになった僕は、そのまち針もなんだか妖しい光を放って、常の物ではないことを感じていたので、エイヤッ。思いっきりジャンプして突き刺した。

「はーはっはっはっはっは。」

「ウギャーなんかハイッテクルー」

頭上で何だか大変なことが起きているらしい……。怖いもの見たさで目を上げた僕が見たものは、筆舌に尽くしがたい光景だった。といって筆舌を尽くして説明しない訳には何もわからないので頑張って説明する。まず織部の傷口から緑色の電流のようなものが斉藤の傷の中に走り、肉を中から焼け焦がしているようだった。たまらず織部は苦悶の声を上げながら必死の形相で巨大まち針を引き抜くと、ステーキのような肉汁とか血とかを流しながら織部に向かっていった。その間に斉藤の傷口からは摂氏数百度はくだらないだろう高熱の溶岩カレーが四方八方に放射され、それらカレーというもおこがましい邪悪な物体を織部が呼び出したとみられるピンク色の芋虫みたいなやつが吸い込んでいた。と同時にいつの間にやら六本の手にチェーンソーを持った斉藤が織部に切りかかると、織部はバラバラのくちゃくちゃになって、しかし、そのばらばらがにゅーっと伸びて何百人ものニュー織部が誕生した。しかもそれらがすべていっぱいの顔ととにかくいっぱいのの手を持っていて、すごく不便そうだったけど本人は、

「どうだ、これで手の数は貴様の万倍、頭の数も貴様の万倍」

とゴキゲンな様子だった。僕はといえば真面目に教科書を読む子供だったのにそれを遥かに超えてくる現実というものにふわふわとした離人感を味わっていた。けれども斉藤と織部はどんどんもっと現実をわけのわからないものにしていく。メルヘンタワーの周り中から長い長いどす黒い手がうにょんうにょん伸びると、やがてタワー近隣は手だらけになった。

「何が万倍だ。これでこっちは手が百万。百倍強い!」

うわあ頭悪そうなセリフだ。けれど本当に強いのかも知れなくて、超ロング腕たちは僕らの周りをドーム状に包み、四方八方に空いている吸盤みたいな穴から溶岩カレーを噴射し始めた。すごく危ない。こんなところで死ぬのは嫌だ。それに負けじと異形織部も、眼からビームを打ちまくる。真っ赤なカレーに七色ビーム。どす黒い腕になぜか白銀のキューピッドみたいなものが舞い踊り、この戦いを祝福しているようだった。それからアヒルが召喚されて燃え尽きたり、ピアノの八八鍵盤がすべて尖った狂気になって呪いの音楽を奏でたり、美味しいケーキが食べられたり、本当にいろんなことが多すぎて記憶の処理が追いつかないが、気付くと僕らはハワイのビーチで流れ弾が僕の方に向かってきたことは記憶が鮮明だ。僕を助けようと焦る織部だが、とっても間に合いそうになく、僕は自分の運命を真剣に憎み始めたころ弾が当た、らない。なんとこの騒ぎの元凶邪悪なる斉藤が僕の盾になってくれたのだ。不思議なこともあるものだ。その隙に織部は斉藤に横十字固めをきめやっと斉藤を捕まえ、今度は例のまち針を百本くらい突き刺し突き刺し突き刺しまくって斉藤の力を奪った。実は斉藤が僕を庇うことを読んで、わざと撃ったらしい。(後で聞いた)織部も邪悪だ。 そして、体に戻った斉藤からなんだかカラフルなウォンバットみたいなのが出てくると、織部はその二つを結ぶどす赤い糸を糸切り鋏でちょん切った。そしてカラフルウォンバットと見つめ合うと、いきなりキスをした。

「どうしよう、一目ぼれだ。」

知るか。しかし悪魔の方もまんざらではないらしい。こうして目出度く結ばれた七色ウオンバットと青年は、共に縫い針を持ち、空のあっちやこっちを縫い綴じて行った。SF的なことがアナクロに行われている……。そして、織部はまた会おうと言い残して空の果ての光と消えた。出来ればもう会うような状況には置かれたくないものだ。斉藤はと言えば織部が傍に降ろしてくれていた。無事らしい。

「すまん……。優一。ずっと好きだったんだ。それを魔術に頼ろうとするから利用されて。」

なんだか一人で感動的ドラマチックをやっておる。こんな目にあって怒っていたし、世界に絶望していた僕は十回ほど殴るけるの暴行に出てしまったがまあ、それくらいは許してくれ。けれども、反省しきりの斉藤があんまり辛そうで哀れに思えてきたので、その後僕らは一度きりのキスをした。客観的に感動的だったが、二度としねえ。


僕には絹代がいるんだ。


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