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E  作者: ウボ山
6/6

5

 妹はまだ帰ってきていないようだった。


 俺は制服のままリビングのソファに寝転がった。窓から差し込む西陽が、カーテン越しにも眩しい。部屋全体が泣き腫らしたように赤くなっていた。


 テレビから人の声が聞こえてくる。しかしその内容は聞き取れない。俺の脳はそれをBGMとして認識している。これが俺の集中法だった。今俺の意識は限りなく内に向いている。


 そのまま、ラブレターの差出人について考えてみる。他人に配達を任せた意気地無し。小心者。それくらいしかわからない。余りにも情報が少なすぎる。


 むつみが言っていたことを思い出す。


「少なくとも、ちゃんと思いを告げれる時点で小心者とは言えないんじゃないかな……」


 その通りだと思う。だが、差出人を特定するにはなんの手がかりにもなりはしない。


 そもそも、なぜ俺は差出人を特定しようとしているのか。それは手紙に署名が無かったからだ。ならば、手紙に署名が無いのは何故だ。それはわかる。書き忘れたからだ。手紙がイタズラではないと仮定するならばそれ以外ありえない。


 名前を書き忘れたのは、差出人にとって想定外の出来事だったはずだ。ではもし手紙に署名がちゃんとあったとすれば、事態はどのように展開しただろうか。差出人の名前を見た妹は、どうするだろうか。差出人にコンタクトを取ろうとする? いや、違うはずだ。


 俺は手紙の内容を確認する。


『拝啓』


『やわらかな春風を頬に感じ、心華やぐ頃になりましたが、ますますご活躍のことと存じます』


『さて、本日はお伝えしたいことがございましてお手紙を差し上げました』


『結論から申し上げますと、わたくしはあなたに一目惚れをしてしまいました』


『本来であればお伺いして申し上げるべきところなのですが、生来の小胆小心の性質から、失礼ながらお手紙にて微志をお伝えしたく思います』


『ましては、略儀ながら書中をもちまして告白申し上げます。花冷えの頃は体調を崩しやすいものです、どうぞご自愛専一にお過ごしくださいませ』


『敬具』


 この手紙は初対面の人間に対する文面ではない。普通、会ったこともない人間に手紙を出すのならば、まず間違いなく自己紹介を文中で行うはずだ。署名だけならともかく、それを書き忘れるなんてことは有り得ない。


 ということは、こいつの言う「一目惚れ」とは妹を道端で見かけて惚れた、とかそういう意味ではなく、妹と初めて顔を合わせて話した時に惚れたということに違いない。名前も知り合っているはずだ。


 それの意味するところは、署名が書いてあれば、妹はそれが誰からのものかわかったはずだった、という事だ。妹はラブレターを貰うような心当たりは無いと言うが、それは単純にあいつが鈍感なだけだ。まず間違いなく差出人とあいつは顔を合わせて話したことがある。クラスメイトかもしれない。


 それで?


 やはりそれだけでは特定には至らない。情報が足りなさすぎる。まだ見逃しがあるかもしれない。言外の意図? 暗号? 炙り出し? 透かし?


「なにしてんの」


 すぐそばで妹の声がした。その声に俺の意識は一気に表層へと引き上げられる。横を見ると、しゃがみこんで俺を見つめる妹と目が合った。テレビの中のアナウンサーが、交通事故について報じていた。


「見てないんならテレビちゃんと消してよね」妹はそう言って立ち上がると、テレビの電源を切った。「それでなにしてんの? それ」


「透かしてんの」俺は便箋を西陽に透かして見ていた。


「まあお兄ちゃんいつも気取ってるもんね」


「誰がすかした野郎だ」


 妹はそのまま台所に行って手を洗った。洗面所で洗えばいいものを、彼女はいつも台所のシンクで手を洗う。シンクを水が打つ音が空間を支配する。


「何かわかった?」妹は大して期待もしていないような口調で言った。


「……なーんにも」多分知り合いからだろうということはわかっていたが、黙っておくことにした。そんなことを知らせても、ただ妹がクラスで居心地が悪くなるなるだけだ。


「なんだ。昨日はあんなに張り切ってたのに」妹は言った。「せっかく情報持ってきたんだけど」


「情報?」俺はソファから体を起き上がらせる。見れば妹が自分のカバンの中を探っている。やがて一枚のプリントが出てきた。


「クラス名簿」妹はそのプリントを俺に手渡す。「まあ大した情報でもないと思うけど」


 妹から渡された両面印刷のプリントを見る。新一年生全員のクラスと名前、性別が一覧になっている。そう言えば俺の時にも入学式にこのようなものを渡された覚えがあった。俺はその中の妹のクラスの欄を流し見る。


 秋吉M

 網中F

 石川M

 稲見M

 越前M

 大上F

 奥F

 金本F

 熊埜御堂M

 桐ヶ谷F

 倉方M

 栗田M

 槻M

 小池F

 小宮山F

 貞永M

 塩内F

 渋江F

 瀬間M

 高馬F

 竹川F

 津M

 手塚M

 中西F

 灘岡M

 乃田M

 濱田M

 早笋F

 東堤F

 廣上F

 藤川M

 舟谷F

 松川M

 水谷F

 麦島F

 森中M

 山菅F

 雪井F

 脇田M

 和田M


 名前の羅列をしばらく眺めて、俺はあることに気が付いた。


「佐倉は?」


「え?」


「佐倉も同じクラスなんだよな? 名前が無いけど……」


「やっぱ気付いてなかったんだ……」妹は目の前にとんでもない馬鹿がいる、とでも言いたげな目でこちらを見た。


「なんだよ」


「お兄ちゃんさ、佐倉ちゃんのフルネーム分かる?」


「知らない」


 そもそも俺が佐倉のことを佐倉と呼ぶのは、妹が佐倉のことを佐倉ちゃんと呼ぶからだ。妹が彼女のことを佐倉以外の呼び方で呼んでいるところを見たことがない。だから俺が彼女のフルネームを知っている道理はない。


「もしかして、佐倉ってニックネームなのか?」


「いやそうじゃなくて、佐倉って名前だよ」


「ならどうして……」


「苗字じゃなくて名前なんだよ」妹は言った。「チェリーの桜だよ」


 数年来の付き合いにして驚愕の事実。


「え……だってお前いつも佐倉ちゃんって言ってるじゃないか」


「いやだから、さくらちゃんって呼んでるんだよ」


「いやいやおかしい! お前の発音は『枕』と同じじゃないか! 『桜』の発音は『あぐら』と同じで平坦になるはずだろ!?」


「いやだって人名だし……『カードキャプターさくら』と同じだよ」


「知らなかった……」


 俺はずっとあいつのことを名前で呼んでいたのか……まあだからなんだって話だが、いままでそうだと思っていた知識が否定されるとは凄まじい衝撃である。


 そんな中、ひとつの可能性が俺の中に浮かんだ。俺はすぐさまその思いつきを口に出す。


「もしかして、これ配達間違いだったって可能性はあるんじゃないか?」俺は言った。「これ誰々さんに渡しといて、って友達に頼んだのがお前の名前に聞き間違えられてお前のとこに行き着いた、とか」


「何をどう聞き間違えたら『奥』と間違えるの」


 そう言われると確かにそうだ。妹のクラスの名簿を見ても「奥」という音と聞き間違えそうな苗字はいない。


「お前と名前が同じだったって可能性も……」


「多分私の名前をちゃんと把握してるの、学校にはさくらちゃんくらいしかいないよ。まあ結構な人は苗字は知ってるだろうけど。『奥さん』って」


 悲しいことを言うなよ妹よ……。


 結局、調査は振り出しに戻った。俺はソファにしっかりと腰を落ち着けて、ため息をひとつついた。やはり向こうがもう一度接触してくるのを待つしかないのか。


 俺は手紙をもう一度読んでみる。何度見てもムカつく文面だ。慇懃無礼で、人を小馬鹿にしているような……そういうふうに感じてしまう。


 これを書いた人間はどんな人間なのだろう。改めて俺は考えてみる。字は丁寧だ。言葉遣いも、丁寧過ぎるくらいに丁寧。手紙の作法も遵守している。なんというか、手紙を書き慣れているような、そんな雰囲気がある。そんな要素から想像される人物像は、どのようなものだろう。


「お兄ちゃんは馬鹿にしてるみたいだって言うけどさ」妹は俺の後ろから手紙を覗き込んで言った。「私は綺麗な手紙だと思うよ」


 綺麗な手紙。妹はこの手紙をそう受け取った。この文面を小馬鹿にしていると感じるのは、俺の考え方がいけないのだろうか。俺が卑屈な捉え方をしているだけなのだろうか。


 俺はもう一度、手紙に目を通す。


(そうだ、こういう時は──────)






 その瞬間。


 ある種の気付きがあった。







(まさか……)







 その思い付きは取っ掛かりだった。


 そこからある仮説を組み立てる。


 コンピュータが最短経路問題を解くように。


 あるいは、子供が点つなぎで遊ぶように。


 情報と情報を繋ぐ。


 今までの出来事を、伏線を、一本の線へと縒り合わせるように。




 そうすれば、見えてくる。


 絵が。


 答えが。




 ある一人の人間の行動と、その心情を、破綻無く、忌憚無く、説明できる。


 正当で、精透な、正答。




 きっとこれが答えだ。


 そう感じた。


 ()()()()()()()()()()()()、俺はいつも信じているのだ。


 問題を解いている時にふと「ああこれが答えなんだ」と確信する瞬間を。


 これ以外に答えは無いだろうという、自分の感覚を。





「お兄ちゃん?」妹が言った。


 ああ、俺は妹になんと説明すればよいのだろう。


 彼女は俺を許すだろうか。


 俺はひどいことをしてしまったのだ。


「我が妹よ」俺は言った。「俺を一発殴ってくれないか」


「あいよ」


 瞬間、グーが飛んできた。


 コンソメじゃないパンチは初めて食らった。

さて犯人は誰でしょう?

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