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E  作者: ウボ山
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「はい、みなさんさようなら。解散」


 副担任の教師はそんな投げやりな挨拶を繰り出すと、引き戸を閉める音を置き去りに教室を出ていった。瞬間、教室は歓喜の声で満たされた。


 今日は担任が何やら忙しいらしく、副担任がホームルームを行った。プリントの配布なども無く、その結果珍しいことに、今日のホームルームは六限目の終了から二分ほどで終了した。生徒達は狂喜乱舞している。感動のあまり泣き出す者もいるくらいだ。かく言う俺も若干目頭が熱くなった。


 涙を堪えつつも、俺はさっさと荷物をまとめる。と言っても、まとめるべき荷物などそれほどない。俺には家で勉強するという習慣は無いので、教科書やノートは机とロッカーに分割して置いていっている。カバンの中に入っているのは筆記用具と、いつ配られたのかも分からないぐちゃぐちゃのプリント、それと脱いだ体操服の入ったビニール袋くらいだ。


「帰るの?」


 石原と上野に適当に挨拶をしたのち、さっさと帰ろうと引き戸に手を掛けたところで、田中にそう声をかけられた。


「お前は帰らないのか?」延ばした手を引っ込めつつ俺は田中に訊き返した。


「そりゃ帰るよ。学校に住んでるわけじゃないし」田中は言った。「でもそれは今じゃないんだ」


「何それ」


「かっこいいでしょ?」


「当たり前のこと言ってるだけだろ」


「当たり前のことを言うのが流行ってるんだよ」


「それが蔓延すると、情報量ゼロの会話ばっかりになるな」


「人は情報の交換のためだけに話すわけじゃないでしょ?」田中は満足そうな顔をして言った。「ほら、人はパンのみに生きるにあらずってやつ?」


「多分違うと思う。知らんけど」


「そっか」田中はさも面白そうにあははと笑う。何が面白いのかは俺にはわからない。「ああ、引き止めてごめんね。じゃあね」


 そう言って田中はひらひらと手を振った。


「じゃあ」


 俺はそれに応えるように軽く手を挙げて、教室を出た。


 廊下に出ると、人通りが無い。他のクラスはホームルームが終わっていないらしい。左右どちらを見ても、廊下の突き当たりまで動くものは一切無い。廊下の壁や天井の輪郭が、消失点へと向かっていく様子がよく見える。ああ、俺は今人より先んじているのだ。そう考えるとなんだか無性に嬉しくなって、俺は半ばスキップのように軽やかな足取りで階段へと向かっていた。


 そうして二つ隣のクラスの教室の前を通ろうとした時、その教室から見知った顔が出てくるのが見えた。俺は彼女に背後から声をかけた。


「やあやあ、むつみさん。お元気ですかな」


 キャラにも似合わず、なんだかご機嫌な挨拶をしてしまった。その恥ずかしさからか、先程までの高揚感が一気に萎んでいくような感じがする。俺の気分が急速に落ち着いていく中、むつみはゆっくりとこちらを振り向いた。


「これはこれは、りんいちろうさん。私はお元気でしてよ。ごめんあそばせ」むつみは挨拶を返す。


「ごめんあそばせの使い方間違ってないか」


「珍しいね。この時間に帰るなんて」俺の物言いを無視してむつみは言う。


「ホームルームがすぐに終わったんだよ。担任が忙しいとやらで」


 彼女は「ふうん」と言うと、翻って再び歩き始めた。俺は彼女の後ろを追いかける。


 このむつみという人間は、俺の古くからの知り合いである。いわゆる幼なじみだ。しかし最近はなんだか微妙な関係になっている。どれくらい微妙かと言うと、この前金を無心しにいった時に提示された上限額が三千円だったくらいには微妙だ。ただその微妙具合は、去年の冬の「あの事件」以前よりは大いにマシになったもので、それなりに良好な関係であるとも言える。


「そう言えば、ごめんあそばせってリアルで言ってるやつなんて見たことないな」


「まあそうだね。お嬢様とかなら言いそうだけど」


「お嬢様ってなんで丁寧語で喋るんだろうな。いや、お嬢様の知り合いがいる訳でもないし、会ったことがあるわけでもないんだけど、何故かお嬢様って丁寧に話すイメージ」


「そういう風に教育されてるんじゃない? 社交界的な。社交界ってなんなのかよく分かってないけど」


「どうでもいいんだけどさ、お嬢様キャラがよく言う『〜ですわ』って、文字で読むと関西弁のオッサンで再生されない?」


「あー、『〜だっちゃ』って言うからラムちゃんかと思ったら、東北弁のオッサンだった的な?」


 本当にくだらない話をしつつ、渡り廊下を歩いて昇降口に向かう。食堂の前を通るが、昼の地獄の様相とは打って変わって人の気配はない。


 昇降口も静かだった。俺とむつみの足音だけがコンクリートに染み入るように響く。他にもすでにホームルームが終わっているクラスはあるはずなのだが、最速で帰るという人間はあまりいないのだろう。


 靴を取り出そうと下駄箱を開けようとしたとき、ラブレターの件を思い出した。若干緊張しつつもロッカーを開けたが、案の定手紙は入っていなかった。


 下駄箱でなく、机に入れられていたラブレター。あえて机に入れた理由はなにだろうか。下駄箱に入れた方が都合がいいはずだ。帰る時には必ずこうして開けることになるし、時間を選べばほぼ確実に誰にも見つからず手紙を入れられる。なにかよっぽどの理由があったのか。


 そんなことを考えながら靴を履き替えて昇降口から外に出る。間もなくむつみも出てきたので、俺は訊いてみることにした。


「ラブレターってわかる?」


「……何? 馬鹿にしてんの?」彼女は不満げ、というよりは不思議そうな顔を浮かべて言った。


「もしかするとあまり一般的な概念ではないかもしれないと思って」


「いや、大体の人がわかると思うけど……それでラブレターがなに」


「うちの妹がな、貰ったみたいなんだよ」俺は件の便箋と封筒をカバンから取り出して、むつみに手渡す。


「へえ」と意外でもなさそうに言って彼女は手紙を受け取り、目を通すような素振りを見せる。しばらくそうして紙面を見つめると、彼女は怪訝な表情を浮かべて便箋の裏を確かめるようにひっくり返した。無論そこには何も書かれていない。真っ白だ。


「署名は?」むつみは訊いてきた。


「無いんだ。だから困ってる」


「ふうん。なるほどね」そう言ってむつみは口を閉じて、考え込むように地面に視線を落とした。


 そのまま俺たちは正門の方に歩みを進めた。我が校には裏門もあるが、何故か登校時にしか開いていない。裏門の方が家から近いので若干煩わしく思う。


 正門の近くに女生徒がひとり立っているのが見えた。誰か人を待っているのだろうか。にしてもこんな寒いところで待つことはないだろう。昇降口で待てば風もないだろうに。


「……まいちゃんが貰ったって言ったけど、どうやって渡されたの?」しばらく黙っていたむつみが口を開いた。


「昼休みの間に、机に入っていたらしい」


「机に? 下駄箱じゃなくて?」俺と同じことをむつみは言った。「うちの下駄箱って、一年生の時の出席番号順に並んでるよね」


 我が校では、学年が変わる度に下駄箱の位置が変わるということはない。一年生の時に出席番号順に割り振られたロッカーを、卒業するまで使うことになる。留年した場合はどうなるのだろう。身の回りに留年した生徒がいないのでわからない。


 ちなみにロッカーに各生徒の名前は書いていない。出席番号だけが書かれたシールが貼られている。


「ってことは、まいちゃんの下駄箱の位置を知ることは割と容易なはずだよね。出席番号さえ分かればいいんだから」むつみは言った。


 クラス替えがあってしばらくは、教室の扉の外側にクラスの名簿のプリントが貼られている。それを確認すれば名前から出席番号を調べるのは簡単に出来るだろう。


「さらに言えば、犯人は小心者らしいんだぞ。告白にラブレターを使うくらいには。そんな人間が、人の目のある教室での犯行をあえて選ぶか?」


「小心者ねえ……」むつみは呟いた。「少なくとも、ちゃんと思いを告げれる時点で小心者とは言えないんじゃないかな……」


 何故か俺が責められているような気がした。


 渡り廊下の方から人の賑やかな声が聞こえてきだした。ここからが帰宅ラッシュの時間だろう。しばらくすれば、渡り廊下から昇降口にかけては部活の勧誘でさらに騒がしくなる。その前に帰ることが出来たのは僥倖だった。


 俺たちはもう少しで正門というところに迫っていた。歩みを進めると同時に、門の近くに立っていた女生徒の姿も近付いてくる。彼女はこちらを見ているようだった。近付いてくる人影が、待ち人のそれなのか確かめようとしているのだろう。その姿に、なんとなく見覚えがある気がした。


 俺の隣でむつみは手紙をじいと見ていた。暗号でも解こうとしているかのように、その表情は真剣だ。


「それで、どうすればいいと思う?」俺は訊いてみた。


「何を?」むつみは顔を上げて訊き返す。


「その手紙」


「さあ」むつみはそう言って、便箋と封筒を俺に返した。「考えてみたら?」


「無駄だと思うけどなあ……」


 門の前の女生徒がすぐそこにいた。やはりどこかで会ったような気がしてならないので、さりげなく顔を見ようとしたが、俯いているのでよく見えない。やはりこんな所でひとりで待っているのは寒いのか、彼女は肩を震わせていた。


 そのまま正門を出て歩道を歩く。十分も歩けば家に着くだろう。そもそも俺とむつみがこの学校に通っているのは、家から近いからというのが大きい。流川楓みたいな志望動機だなあと我ながら思う。


 その十分間に手紙について考えることにした。今のところ最大の謎は「なぜ下駄箱でなくて机に入っていたのか」だ。それさえわかれば大きく答えに近づくような予感があった。


「なんでだと思う?」俺はむつみに訊いた。


「……少しは自分で考えてみなよ」呆れたようにむつみは言った。


「『分からなかったら人に訊く』ってのは基本だろ」


「他人任せだなあ」


 他人任せ。その言葉が天啓のように俺をうった。


「それだ」俺は言った。


「なにが?」むつみは訝しむようにこちらを見る。


「お前が誰かに教科書を借りたとして、それを返しにいくとする。でも教室にその目的の人物がいなかった。どうする?」


「何か突然始まったなあ……」むつみはそう言いつつ、少しの間考えて口を開いた。「その人の机に置いておくのじゃだめなの?」


「お前はそいつの席を知らない。それに何となく失礼だろ。礼も言わずただ机に置いておくって。少なくともお前は、そういうやり方は礼儀を欠いていると思ってるわけだ」


「うーん……じゃあ私なら、その人の友達に、返すついでに礼も言っておいてくれるよう頼むかな」むつみは言った。「まあ友達いなかったらどうしようもないけど」


「じゃあ、お前がそう言われて教科書を渡されたとする」俺は続ける。「お前はどうする?」


「どうするって……」むつみは考えた。「……その場はその人の机に置いておくかな。それでその人が帰ってきたら、誰かが返しに来たよって伝える。忘れてなければ」


「それと同じようなことが起きたんじゃないか」


 俺がそう言うと、むつみは納得いったような表情を浮かべた。


「ラブレターを渡すのを誰かに頼んだってことか」


「そう。元々は手紙を手渡してもらうつもりで頼んだんだと思う。それで配達を依頼された人間は昼休みに教室に行った。でも妹はもう食堂に向かっていて不在だったんだ」


「それで机の中に入れるだけ入れておいて、配達完了ってことにしちゃった……ってこと?」むつみは俺に確認するように言った。俺はそれに頷く。


「ああ、配達業者からすれば他人事だしな。処理が適当になるのも、まあ仕方の無いことだ。まあそれがラブレターってことを知ってたら、普通はそうはしないだろうけど」


「多分『この手紙渡しといてくれる?』くらいの頼み方だったんだろうね」


「だとすれば筋は通る。下駄箱じゃなくて机に入っていたのは、配達業者からすればそっちの方が手間も無いし、他人の目を気にする理由も無かったからだ」


「なるほどねえ……」むつみは感心したようにうんうんと頷いた。「で?」


「……ん?」


「それで? 結局差出人は誰なの?」むつみは言った。


「……わからん」俺は答えた。


 最大の謎と銘打っておいてなんだが、本当に解き明かすべき謎はそこではなかったのだ。そうだ、俺は差出人を探していたのだ。いくらその手紙の配達過程がわかったところで、なんの意味も無い。


「じゃあね。誰が送ってきたのか分かったら教えてよ」


 気が付けば家に着いてしまっていた。


「……じゃあ」


 俺はむつみと別れると、家に入った。


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