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昼休みの食堂というのは、とかく馬鹿みたいに混む。二百席弱の椅子をめぐって、餓鬼どもが椅子取りゲームを繰り広げる様子は、まさに地獄だ。最初の頃は溌剌とした表情を見せていた新一年生たちも、今となっては殺伐とした面持ちになっている。新兵が一人前の戦士へと育ったことを密かに喜びつつ、俺とその友人たちは悠々と席に座り飯を食っていた。
勝因は教室と食堂の距離だ。二年生の教室は校舎の二階であり、一年生は三階だ。この時点で俺たちは多大なアドバンテージを持っており、それが活きた形となった。四限が終わった瞬間に飛び出した俺たちは、ほとんど並ぶ者のいない注文レーンに飛び込み、見事カレーと座席を手に入れたのだった。
悪く思うな一年生ども。俺たちもかつては同じ苦汁を味わっていたのだ。まあこれから一年間、三階から精々ぜえぜえと息を切らして走ってくるがいい。
そんな阿鼻叫喚の喧騒の中、俺は友人である上野と石原に昨日のいきさつを話していた。昨日の出来事を思い出せるだけ語って、まとめに入ろうかといったところだ。
「ってことがあったんだ」
「ふうん」
「で、トカレフってどこに行けば買えると思う?」
「武器屋」石原が答える。
「武器屋というより武器商人じゃないか?」上野が言った。
「武器屋と武器商人って何が違うんだ?」
「武器屋って言ったらドラクエみたいなのを想像するんだけど」
「俺はアメリカにあるようなガンショップだな」
「どちらにせよ日本には無いな」
「武器商人ならいるのか?」
「さあ?」
「そもそも、なんでトカレフの話が出てきたんだ?」上野が呆れたように言った。
「知ってる銃の名前を出しただけだ」
「いやそうじゃなくて」
「ああ、確実に始末するためだよ」俺は言った。
「始末って……何を?」石原が言う。
「この手紙の送り主をだ」俺は妹から借りてきた、例の封筒と便箋を机に置きつつ言った。「俺の妹にちょっかい出した報いを受けさせなきゃならん」
「そうか、大変だな」上野はそう言うとカレーを口に運んだ。
石原は机の上の便箋に目を落として口を開いた。
「いいじゃないか、初々しくて。今どきラブレターなんてなかなか見ない」
「ちゃんと中身を見ろ中身を」俺は便箋を石原に手渡しつつ言う。「おちょくってるようにしか見えん」
石原は便箋を手に取り、上野はそれを横からのぞき込むように見た。石原の目が文字をなぞるように左右に動く。しばらく経って、石原は便箋を上野に手渡した。
「まあ確かに、真面目に書いたようには見えないな。馬鹿に丁寧すぎる」石原は俺の主張を認めた。
「な。読んでたらムカついてくるよな。こんなふざけた紙切れを送り付けてくるやつが妹を困らせるなんて、許せないよな」
「こえーよシスコン」石原が若干声を強ばらせながら言った。「お前、去年より悪化してるぞ」
「妹とは言え、人の色恋沙汰には手を出さない方がいい」上野が言う。「言うだろ? 人の恋路を邪魔するやつは──」
「──馬に代わってお仕置きよ?」石原が結んだ。
どんなセーラー戦士だよ。
会話が一段落したので俺は目の前のカレーと向き合う。なんだかんだで三日連続で食っている。正直、飽きてきている。この食堂には麺類や丼物など割とレパートリーがあるのだが、不思議なことに結局カレーに落ち着いてしまうのだ。妹や佐倉に見られたらまた何か言われるんだろうなあと思う。
そう言えば、彼女らは昼には購買でパンを買っていると言っていた。今そこにいるブレザーの群れの中にいるかもしれないと思って少し見渡してみたが、見つからない。さすがに人が多すぎる。
俺がそうしてしばらく周りをきょろきょろと見ていると、上野が「うーん」と小さく唸った。彼は右手で持った便箋をひらひらと動かしつつ、天井を仰いでいた。考える時に上を、そらもほぼ直上を見上げるのは彼の昔からの癖だ。傍から見ると馬鹿みたいに見えるのでやめた方がいいと俺は常々忠告しているのだが、一向に治る気配はない。
「読んでてムカつくってのはまあ同意できないことはないな。書いてることに中身が全く無いし、それになんか文体がムカつく」天井を見上げるのをやめて、上野が言った。
「でもな。これを書いたのがかわいい女の子だと想像してみ」石原が言った。「掲示板とかでムカつく言動のやつがいたらな、そいつは実はかわいい女の子なんだと考えるんだ。女の子が一生懸命キーボード叩いて、顔色を赤くしたり青くしたりして書き込んでるんだと思うと、なんか萌えるだろ?」
石原はなんだか人生楽しそうだと思う。
「やっぱりイタズラだと思うか?」石原の語りを無視して、俺は上野に意見を求めた。
「イタズラにしては手が混んでる」上野は便箋を机に置いて、代わりに封筒を手に取って続けた。「イタズラなら封筒は要らないんじゃないか? 便箋にしてもそうだけど、こういうのってバラ売りはされてないだろ。普段使わないものをわざわざ、それも必要以上に買うなんて、イタズラだとしたら結構気合が入ってる」上野は声に出しつつ自分の意見を整理しているのか、ゆっくりと話す。「そうなると、お前の妹は相当恨みを買ってるってことになるんじゃないか?」
「……多分それは無いと思う」俺は少し考えて答えた。「あいつは人に嫌われるような人間ではないと思うし、そもそもあいつはまだこの学校に入学して一週間だぜ。まだ新しい友達も出来てないみたいだ。それだけの期間で人が嫌がらせをされるまでに嫌われるなんてことがあるのか?」
「俺もそう思う」上野は頷いた。「手紙にあるように一目惚れってのはあるにしても、一目で嫌われるってのは考えにくい」
「そうかな? 妬み嫉みって線もあると思うよ?」
横から声が掛かった。そちらの方を向いてみれば、声の主は田中だった。クラスメイトの女子だ。俺と上野とは中学から同じで、それなりに気安い仲とも言える。彼女の手には購買で買ったであろうパンの入った袋があった。
「席空いてる?」
「ない」俺は右手を肩で担ぐようにして、背後に広がる凄惨な光景を親指で指し示す。「見りゃわかるだろ」
「俺、変わろうか?」
石原がそう言って席を立とうとすると、田中は「いいよいいよ」と彼を押し留めた。結局彼女はテーブルのいわゆるお誕生日席にあたる位置に立った。
「で、ミネソタがなんだって?」俺が言う。
「ミネソタ?」
「妬み嫉みの業界用語」
「どこの業界で使われてるんだよ」
「まあそのミネソタの話なんだけどさ」持ち前の適応力を見せつけつつ、田中は言った。「奥さんの妹さんってさ、かわいいじゃん(彼女の言う奥さんとは俺のことを指す)」
なぜ彼女が妹のことを知っているのだろうと考えたが、去年の冬、田中のバイト先のファミレスに妹と入ってしまったことがあった。あれ以来そのファミレスには近付いていない。
「そうだな。超かわいい。文字通り」俺は大いに賛同した。「かわいいという概念を超えている」
「そのあまりのかわいさを僻む人だっているとは思わない?」田中はそう言って焼きそばパンを口に運んだ。「友達ができてないってのもそういうのが関係してるかも……」
田中が言っているのは、女子特有の社会ってやつなのだろう。出る杭は打たれ、高木は風に折らる。「あの子ってさ〜顔は可愛いけど〜性格悪いよね〜」的な。本当にそんなのあるのか? 都市伝説だと思ってたんだが。
しかし、確かに妹は俺に似ずかわいい。なんと言うか、解像度が高い顔をしている。それが顔面が不明瞭の人の妬みを集めるというのは、有り得ない話でもないようにも思えた。
「だとしたら、この手紙の内容はあまりにもかわいすぎると思うんだよなあ」俺の心配を払うかのように上野が言った。「本気で嫌がらせをしたいならもっとストーカー染みた内容にするはずだろう。確かにこれはこれで不気味だけど」
「言われてみればそうだな」石原が頷く。「確かに、悪意は感じられないかも」
「その手紙、ちょっと見せてくれる?」
田中がそう言ったので、上野は便箋を田中に手渡した。
「あ、これ購買のやつじゃん」田中は便箋を一目見て言った。
「購買?」俺は訊いた。「購買に便箋なんて置いてあるのか」
「購買と言っても、今そこで行列ができてる方じゃないよ。食堂の外にちっちゃい窓口みたいなのがあるでしょ。あそこで文房具とかを買えるんだけど……」田中は便箋をじいと見て言った。「うん、多分そう。一度聞いてきてみたら?」
「なんで購買に便箋なんかがあることを知ってたんです?」石原が訊いた。俺もそんなものがあることは聞いたことが無かったし、当然の疑問とも言える。
「……私を疑ってるの?」
「それ犯人の台詞だぞ」
「こんな所に居てられるか! 私は部屋に戻るぞ! って?」田中はあははと笑って言った。「単純な話。買ったことがあるんだよ」
「……便箋を?」
「乙女の秘密を詮索するものじゃないよ」田中は真面目な顔をして言った。なので追求しないことにした。
その後俺たちはカレーを片付け、田中の言った食堂外の購買部窓口を訪ねた。食堂内の購買と比べると、なんだかみすぼらしい感じがする。店員(?)の姿が見えなかったので「すいません」と俺が言うと、奥の方から「はーい」と間延びした返事が返ってきた。しばらくすると、おばちゃんと呼ぶべき年齢であろう女性がぱたぱたと音を立ててやってきた。
「ここに便箋があると聞いたんですけど……」
「ええ、ええ、ありますよ」
おばちゃんはそう言うと、奥の棚から便箋の束を取り出した。
「三百十七円です」
高い。百均の便箋と何が違うというのか。
「ちょっとよく見せてもらってもいいですか」
「ええ、どうぞどうぞ」
おばちゃんから許可を得て、便箋の束を受け取る。例の便箋と見比べるてみると、確かに全く同じものに見える。
「あら、それは?」俺の不審な動きがおばちゃんの興味を引いたようだ。
「実は、手紙を受け取ったのですが差出人の名前が無くて、出した生徒を探しているんです」
「あら〜大変ねえ」
「ここ最近この便箋を買った生徒っていますか?」
「あ〜、協力してあげたいけど、お客さんの情報を話しちゃうのはまずいから。ごめんねえ」
「あ、いや、そりゃそうですよね。こちらこそすみません」
売れてないのなら「いや〜それが全然売れないのよ〜」くらいは言ってくれるだろう。言わないということは、最近これを買った生徒がいる可能性は高いのではないか。
お粗末な推理を脳内で披露していると、後ろから「封筒の方は?」と声がかかった。それもそうだと思って「こちらに封筒はありますか?」と訊くと、おばちゃんはこんな冷やかしの客にも親切に封筒の束を持ってきてくれた。やはりそれも例のものと同じものであった。
「……ちなみに値段は?」
「二百十六円」
……やはり高い。合計五百円の手紙か。まあ一通辺りの値段はもっと安いのだが、ただ一通の手紙を出すためだけにこれらを揃えるのは、学生にとってそれなりに覚悟がいることだろう。しょーもないイタズラのためだけにそんな金を使うなんて馬鹿らしい。ということは、この手紙は本気の告白なのか。
「どう思う?」
俺は後ろで待っていた上野たちに意見を求めた。彼らはしばらく考えたのち、口を開いた。
「寒い」
「ああ寒いな」石原。
「寒いね」田中。
人間は寒いと頭が回らない。それでいて暑くても回らないのだから不便なものだが。少なくとも、風に晒される食堂前という場所は議論には適さない。
俺たちはおばちゃんに礼を言うと、今度シャーペンの芯が無くなったらここに買いに来ることを誓った。そして俺たちは安息の地を求めて教室へと歩みを進めたのであった。