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E  作者: ウボ山
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2

 恥ずかしながら、俺はラブレターを書いたことも受け取ったこともない、そんな寂しい人間である。ゆえに、これこそがラブレターである、といったようなイデアめいた規格も俺の内には存在しない。だからこそ、俺には目の前にあるこの紙切れをラブレターだと断言することは出来ないし、その逆も然りであった。


 紙面から視線を上げると、妹が不安げにこちらを見つめていた。佐倉は楽しそうに俺の様子を伺っている。


「……うん」俺は便箋と封筒を妹へと返して言った。「ラブレター……かもな?」


「いやに微妙な返事だね」


「まあ素直に読めばラブレターなんだろうけど……」俺は状況を訊いてみることにした。「誰かに手渡されたのか?」


「ううん」妹は小さく首を振った。「机の中に入ってたの」


「机の中?」俺はそれに少し驚いた。「普通ラブレターって下駄箱に放り込むものじゃないのか」


「いや、そんなことないと思うけど……」


 我が高校の昇降口にはロッカーが置いてあり、それが下駄箱の役割を果たしている。そして入学時には各生徒にひとつずつダイヤル式の錠前が支給されることになる。それで下足ロッカーに鍵をかけろということらしい。


 しかし、普通下駄箱なんかに盗まれて困るようなものはないので(いや、確かに靴を盗まれると困るのであるが、誰がわざわざそんなものを盗むのだ?)段々と鍵をかけるのが面倒になってくる。事実俺は一年の五月に入った頃には既に鍵をかけていなかった。妹はすでに施錠していないはずである。俺が入学前に施錠の不毛性について散々語ったからだ。


「しかし、ラブレターの風上にも置けないな。邪道だ」


 下足箱に入ってないラブレターなんて、髪を結んでいない陸上部女子みたいなものだ。


「ラブレター貰ったことあるの?」


「無いが」


「その割にはラブレターの在り方に物凄いこだわりを持っているようですが」


 どうやら陸上部女子のイデアと同じように、俺の中にラブレターのイデアもまた存在していたらしい。ラブレターは下駄箱に入っている。


「いつ机の中にあるのに気付いた?」気を取り直して俺は妹に訊いた。


「昼休みのあと、五時間目の始まる前。教科書を出そうとしたら何かが入ってるのに気付いた」


「逆に言えば、それまでは気が付かなかったんだな?」


「そうだね。でも、それまでにも何度か机の中を探る機会はあったから、入れたとしたら多分昼休みの間だと思う」


「ってことは、お前は昼休みの間には教室にいなかったんだな。どこにいた?」


「購買部にパンを買いに行って……あ、その時お兄ちゃん見たよ。カレー食べてたでしょ」


「そうだな」


「でもお兄さん、昨日もお昼カレー食べてましたよね」


「だめか?」


「別にだめとは言いませんけど」


「メニューを前にして迷いたくないから先に注文決めとくんだけど、なぜかカレーになっちゃうんだよな……」


 俺にとってのカレーとは、犬にとってのドッグフードみたいなものだ。それだけ食ってりゃ生きていける完全食。さすがに三日ともすれば飽きるが。俺は犬とは違うのだ。


「まあ今の話から察するに、お前はいつも佐倉と一緒に購買部に行ってるわけだな」


「うん。同じクラスだし」


「他の友達は?」


 俺がそう問うたとき、部屋の空気が少し冷たくなった気がした。どこからか隙間風が吹き込んでいるようだ。


「……まあいるとは言えないかな?」妹が小さな声で言った。


「ま、まあ入学して一週間ですからね! 友人関係もこれからってとこですよ!」佐倉が妙に言い訳がましくフォローをした。


 まあ普通、一週間もしたらそういうグループ分けってある程度固定化されてくるような気もするが。


「話す人がいないってわけじゃないんだけどね」妹は言い訳をするように言う。「自己紹介のあとしばらくはすごい話かけられたし」


「なんか派手な自己紹介でもしたのか。涼宮ハルヒみたいに」


「いや、名前。『奥さん』って」


「ああ……」


 それは「奥」の名を持つものの宿命である。「奥さん」「奥の細道」「おくりびと」などこれまでに百万回は言われている。


「……うん。でもやっぱり友達と言えるような関係はまだできてないな。少なくとも、佐倉ちゃんほどに仲がいい子はいない」妹は言った。


「大丈夫だよまいちゃん! 多くの友がいるものは、一人の友もいないんだよ! アリストテレス的には私たちこそが本当の友達なんだよ!」


「佐倉ちゃん!」


 そう言って彼女らはしかと抱き合った。その愛がエロースでなくフィリアであることを祈る。


「……つまり、男女問わずこういう手紙を貰う心当たりは無いわけだな?」


「無いね!」妹はなぜか自信満々に言った。


「ふうん……」


 俺は便箋に目を落とし、文章にもう一度目を通す。もしかすると何かの暗号かもしれない。どこかを縦読みするとか、なにか特定のワードを抜き出すとかの処理をすれば読めるのかも……。


「お兄さん。変な顔してますよ」俺が手紙をじっと見ているのを見て、佐倉が言った。


「元からだ。気にするな」


「いやそういう意味じゃなくて……その手紙に何か気になることでもあるんですか?」俺の自虐ギャグをかるーく受け流して佐倉が訊いてきた。


「いや、な、これ、明らかに茶化しにきてるだろ。ばか丁寧というか。読んでてムカつくんだけど」


「あー、こういうのなんて言うんだっけ。インディペンデンス・デイ?」妹が言う。


「慇懃無礼」俺が教えてやる。


「あーそれそれ」妹は得心したと言わんばかりに頷いた。


 事実、俺は文体が気になって全く内容が入ってこなかった。というか内容なんて無いに等しかっただろう。結局のところあの手紙が言うのは「一目惚れしました」あるいは「好きです」ということだけなのである。なぜ四文字に収められる内容をああもばか丁寧に書いたのだろうというのが疑問でならない。それに文字も、その文面と同じようにばか丁寧な仕事でもって記されている。


 もしかすると、至極丁寧に茶化すように書くことで、照れを隠そうとしたのかもしれない。ラブレターかイタズラかというのは置いておいて、当初は、これを書いた人間も真面目に書こうとしたのだ。しかし、書いているうちに段々と恥ずかしくなってきて、書きかけの手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込む。そして、その小っ恥ずかしさを誤魔化そうと、新たにふざけた文体で書き始めたのやもしれぬ。そのような心理にはいくらか共感出来るところがあったので、その仮説がいかにも正しいように思えてきた。


「まあそれより第一に、どこかに差出人の名前を書いてないかなーって思ったんだよ」


「差出人の名前……って、え」佐倉が驚いたような声を発した。「書いてないんですか?」


「あ、確かにそう言えば……」妹がのんきに言った。


 便箋を佐倉に渡すと、彼女は一通り目を通したあと「ほんとだ……」と声を漏らした。妹が持っている封筒を検めてみたが、やはりどこにも差出人の身元がわかるような署名などは入っていない。


 いやいや、お前ら「差出人が分からないラブレターが届いたの〜どうしよ〜」って話をしに来たんじゃないのかよ。単に「ラブレター貰っちゃった〜どうしよ〜」ってしたかっただけか。


 そもそも普通ラブレター貰ったらそれが誰からなのか気になるものじゃないのか? 貰ったことないけど俺ならものすごく気になるぞ。


「ともかく、ラブレターに名前が無いってのは普通じゃない」俺は言った。「果たし状系ラブレターならまだ分かるんだけどな」


「なにそれ」


「『放課後、体育館裏にて待つ』みたいなあれ」


「果たし状系って言うんですかあれ」


「まあ俺が今適当に考えたんだけど」


 送った相手をどこかへ呼び出すような手紙ならば、あえて名前を書かないという戦略はまあ分からなくはない。現地に行ってみないと誰が待っているのか分からないというドキドキワクワク感を相手に提供出来る(うさんくさすぎてそもそも来てくれない可能性が高いが)。


 しかしこの手の「好きです系ラブレター」のような、ただ自らの思いを伝えるのみのタイプの場合、名前を書いていなければ単なる怪文書である。貰う方からすれば恐怖でしかない。


「……名前を書き忘れたんですかね?」佐倉が言った。


「だとしたら随分うっかりした奴だな。テスト用紙が配られたらまず名前を書けと小学生の頃から言われてるだろうに」


「私中学の時テストで名前書き忘れたことあるよ。チェックした先生が気付いてその場で書かせてくれたけど」妹が何故か自慢げに言う。


 まあ実際ラブレターに名前を書き忘れるという事態がどれほどの確率で起こりうるのかは分からないが、十分考慮に値する可能性ではあるとは思う。少なくとも怪文書という説よりは積極的に採用したい。


「……それなら放っておけばもう一度コンタクトがあるんじゃないか?」


「でも差出人は、自分が名前を書き忘れたってことには気付いてない可能性が高いですよね」佐倉が言った。「だったら、返事がないことにガッカリしてもう送ってこないんじゃないかなあ……」


 それも手紙にあってメールに無い利点の一つなのかも知れないと俺は気が付いた。手紙には差出人のアドレスはいらない。匿名で相手にメッセージを届けることができる。どこから、どのような手段でもって手紙を届けたのかを秘匿できる。


 なんだか面倒なことになってきた。というか、なんだか面倒になってきた。なんで送った側の不始末でこちらが頭を悩まさなければならんのだ。苛立ちからかなんだか腹が減ってきた。ふと時計を見ると四時過ぎだった。間食にしては少し遅いが何か腹に入れようかしら。そう思い立って俺は冷蔵庫の扉を開いた。


「……あれ」


 目当てのものが見つからない。


「どうしたの?」


「プリンが無い」


 昨日買ってきたのに。


「あ、それ私が食べたよ」妹が悪びれもせず言う。


「……二個買ったんだけど」


「まあここに二人いますからね」


 流しに二本のスプーンがぶちこまれているのが見えた。


「……コンビニでも行ってくる」


「ついでにプリン買ってきて」


「寒い中お疲れ様です」


「最近暖かくなってきたと思ったらまた寒くなったよね。こういうのなんて言うんだっけ。アン・ハッチンソン?」


「三寒四温」


「あーそれそれ」妹が鷹揚に頷いて言った。



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