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E  作者: ウボ山
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 四月も二週目を過ぎた。今年の寒気は未練がましいらしく、暖かくなったかと思えばまた寒くなるといったことをずっと繰り返している。北から吹く風が針のように冷たい。そのせいか通学路の桜は入学式には間に合わず、冷たい風に未だ寂しい枝を揺らしているのだった。


 新学期が始まってから一週間ほどが経過していたが、俺の周りでは今のところ何ら目新しいことは起こっていない。昨年度と特に変わりのない生活が続いている。強いて言うならば、一年の時に三階だった教室が二階になって、悠々とした登校および迅速な下校が可能になったくらいか。


 他に目に付くところで変わったことと言えば、部活に所属している連中が新入部員を求めて昇降口や、それに繋がる渡り廊下の辺りで待ち構え始めたことだろうか。あれを突破できなかったものは、部活動という無間地獄に落ちることとなる。地獄からの使者たる「先輩」たちのヘラヘラとした笑顔や、ペラペラの言葉に騙されてはいけない。地獄への道は善意で舗装されている。


 しかし、中には善意でメッキをするのも忘れて、無理矢理地獄に引き込もうとする輩もいる。一昨日には、かよわい女生徒が男に腕を掴まれて、熱心に話かけられているのを見かけた。基本傍観主義、というよりもヘタレの俺でもとても見ていられなかったので止めに入ったが、男が体育会系みたいなやつだったら恐らく無視していた。ひょろひょろだったので割と強気に行けた。自分のヘタレ具合が嫌になる。


 まあそのようなケースは稀で、ほとんどのクラブが健全に勧誘をしているようで昇降口の辺りは連日賑やかである。現在帰宅部のエースを務めている俺にとっては他人事でしかないのだが、傍から見ているとそのような景色はとても賑やかで楽しげだ。色とりどりのプリントやらチラシやらが舞い飛び、その下で人々が騒ぐ様は、どこか花見を彷彿とさせた。桜の花に人を集める魔力があるように、やはり部活動にもそのような引力があるように感じる。しかしその下に屍体が埋まっていることは言うまでもないのだ。


 そんな綺麗に舗装された人生の岐路を今日も踏破し、現在俺は帰路についていた。住宅街を冷たい風が吹き抜ける。それが首筋を撫でるたび俺の足は必然的に早まった。マフラーさえあれば。四月にもなってマフラーを着けているというのが馬鹿みたいに見える気がして、朝持っていくのを止めたのが凶と出た。一刻も早く家に帰りたい。そして一秒でも早くこたつに入りたい。なんだかマッチ売りの少女みたいだ。俺はそんなことを考えながらひたすら歩みを進めた。


 見慣れた景色だ。通学路なのだから当然ではあるのだが、ここ最近はずっとこの道を往復する日々を過ごしている。 そもそも幼少からここに住んでいるので、歴はもう十五年近くになるだろう。カレーでさえ三日も続けば飽きるというのに、こんな退屈な景色をそれだけ見て飽きないはずはあるまい。


 毎日同じ道を通って、毎日退屈な授業を受けて、毎日変わり映えしないメンツと話す。そんな繰り返しに俺はやや食傷気味になっていた。


 もちろん、毎日気温は違うし、毎日授業は進むし、毎日人の機嫌というのは変わるものだ。完全に同じ日なんて一日たりともない。空に浮かぶ雲は一秒ごとに形を変えるし、宇宙は常に膨張している。


 しかし、そんな瑣末なことは鏡面のように穏やかな日常に波紋を生じるには至らない。非日常の雫の、その一滴でも垂れさえすれば水面は揺れると言うのに、滴下の時はなかなか訪れず、俺は日々を悶々と過ごしているのだった。非日常は表面張力が高い。


「何か面白いことねえかなあ」


 要はそういう事だ。願いは白いため息となって排泄された。


 しばらく寒さにうち震えつつ歩いていると、いつの間にか自分の家の前に行き着いていた。郵便物が来ているか確認しようとポストを開けてみると、二、三枚のチラシがはらはらと躍り出て地面に落ちた。


 ところで今日、手紙を書くような古風な人間はすでに絶滅危惧種となり、メールやLINEを使うものがマジョリティとなっている。しかし手紙には手紙の良いところがあると人は言う。では手紙の良いところとは、手紙にあって、メールには無いものとは何であろうか。


 地面に落ちたチラシの一枚を手に取って見てみると、それは不動産の広告で、見覚えのある町名の物件がいくつか並んでいた。裏面にも地図やらなんやらが敷き詰められている。他のチラシも見てみたが、片面印刷のものはなかった。


 それは「裏面」である。チラシはともかく、ほとんどの便箋は片面印刷で、罫線が片面にしかない。である以上、手紙には裏がある。だからと言って、人からもらった手紙の裏に何やら書きつけるのはひどく失礼なことだとは思うが。


 風に飛ばされる前にチラシを拾い集めたのち、俺は鞄の横ポケットから家の鍵を取り出した。それを鍵穴に差し込み扉を開ける。中に入ると当然ではあるが風が吹きつけることはなくなり、ようやく人心地ついた気持ちになる。


 チラシをその辺に置いておいて、靴を脱ごうと視線を下に向けると、そこに妹の靴があるのに気が付いた。これで帰宅レースは今年度が始まって以来俺の全敗ということになる。


 一昨日は部活の勧誘絡みで少しいざこざがあったので帰宅が遅れたのだが、それ以外の日には俺は何ら無駄な行動を起こさず帰宅した。それなのに妹に負けるのは、うちのクラスの担任のホームルームがやたら長いのが原因だろう。他のクラスと比べても十分は長い。教室の前の廊下で、多くの人が友人を待って立っているのをよく見る。


 明日はもっと帰宅を最適化しようと意気込んだ最中、俺はあることに気が付いた。


 俺の記憶が正しければ、妹の足は二本しかない。しかしなぜかここには二足の靴が綺麗に並べ置かれている。二足とはつまり足四本分ということである。このままでは妹の足が不足していることとなる。


 妹の足が増えたわけでも、妹が増えたわけでもないとすれば、妹が友達を連れてきたというのが自然だろう。リビングの方から人の話し声が聞こえるのも、その説の信ぴょう性を強化した。入学から一週間で友達を作って家に呼ぶとは、妹のヘタレ具合からすると驚きである。


 さて、兄として俺はどうすべきであろうか。一応顔を見せて挨拶をすべきか。せっかく友達同士で遊んでいるところに水を差すのはよくないのではないか。玄関で靴も脱がずにそんなことを考えていると、勝手にリビングの扉が開いた。


「ほら、やっぱり帰ってきてる」扉からこちらを覗き込むようにして妹が言った。「帰ってきたならただいまくらい言いなよ」


「あーただいま」方向性が定まる前に選択の時が来たことに狼狽えつつも、俺は言った。「……友達が来てるのか?」


「うん」


「……俺も顔を見せた方がいいか?」


「え」妹が意外そうな顔をする。「どういうこと?」


「お兄さん、おじゃましてまーす」


 リビングの方から何だか間延びしたような挨拶が聞こえてきた。その声に俺は聞き覚えがあった。


「……佐倉?」妹に俺は問うた。


「そうだけど」


 佐倉とは妹の友人であり、我が家にも足を運んでいた人物である。やたら家に来るので俺とも面識がある。


 俺は靴を脱ぐとリビングに向かった。案の定と言うべきか、いるべくしてそこに佐倉はいた。彼女はソファに限りなく浅く座っている。尻ではなく腰で座っていると言った感じで、それは座っているというよりも、文字通り「腰掛けて」いるという方が正確であった。見慣れた姿である。下校してそのまま来たのか、制服を着ているということだけが新鮮であった。


「変わり映えしねえなあ」


「安定した品質だと言ってください」佐倉はのそりと姿勢を正しつつ言う。


「いやお前がっていうよりも、この光景がな……」


 せっかく新学期になったというのに、生活に全く新展開が無い。雨漏りが梁を腐らせるように、マンネリズムが生活に染み入っているような気になる。


「ああ人はこうして老いていくのだなあ、と言った感じだ」俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しつつ言う。「昨日掘った穴を、今日にはまた埋めて、みたいな」


「ドストエフスキーでしたっけそれ」


「知らん。読んだことない」


 俺はそう言ってコップに注いだ麦茶を一息に飲んだ。喉が乾いていたのもあって殺人的にうまい。生き返るような心地だ。どっちだ。


 喉の乾きを癒したところでリビングの方を振り返ると、佐倉がソファから立ち上がりこちらへと歩いてきた。


「ともかく、お兄さんは日常に数滴の空虚を注ぎたいんですよね」


「それは何の引用?」


「そんなお兄さんに、いいネタがあるんですよ」俺の問いかけを無視して佐倉は言った。


「ちょっと、佐倉ちゃん……」妹が非難するように佐倉を見て言う。


「ネタ?」俺は佐倉がスタンドマイクを前に「はいどーもー」とか言ってるのを想像する。「漫才でもやってくれるのか」


「いえ、ネタとはタネの倒語です」佐倉は笑って言う。「つまりは話の種です」


「あ、そう……」


 佐倉が妹とコンビを組んで漫才をするのを期待していただけに、反応がやや淡泊になる。それに対して佐倉はやや不満げな顔をして言った。


「反応が薄いですね」佐倉は小さくため息を挟む。「まあお兄さんって他人に興味とか無い孤高の人ですもんね……私とお話なんかしても面白くないですよね……」


「ほら、お兄ちゃんってソシオパスだから……」妹が佐倉に耳打つように(それでいて俺に聞こえるように)言った。


「はいはいはい。興味あるからはよ言え」


 佐倉のテンションが妙に高い。少なくとも普段の彼女はこんなに人に突っかかってこない。俺は他人に興味がありありなのでそういうのは分かる。ありありなので。


「まいちゃん、ほら、あれ」


「お兄ちゃんには見せない方がいいと思うんだけど……」渋るように妹が言う。


「ほれ。はよ」


「はいはい……」


 佐倉の追い立てに諦めたような表情を浮かべ、妹は自身の鞄からなにかを取り出した。それは封筒であった。と言っても給料袋のような茶封筒ではない。長方形の長辺の方が封入口になっている、いわゆる洋形の封筒だ。


「手紙?」


「まいちゃんが貰ったんです」


 佐倉が言った。まいちゃんたる妹はどこか居心地悪そうにそれをこちらへと寄越した。


 特に装飾もない、シンプルなデザインの封筒である。封印や封蝋の形跡はない。とじ口のあたりを触ってみると、ややガサガサとした感触が指に伝わる。のりで止められていたらしい。中にはどうやら便箋が入っているようである。見てもいいかと俺が聞くと、妹はただ頷いて応えた。


 封筒の中には、これもまたシンプルな便箋が二つ折りにして入れられていた。ボールペンで書かれたであろう字が、罫線に合わせて整然と並んでいる。俺はその内容に目を走らせた。


『拝啓』


『やわらかな春風を頬に感じ、心華やぐ頃になりましたが、ますますご活躍のことと存じます』


『さて、本日はお伝えしたいことがございましてお手紙を差し上げました』


『結論から申し上げますと、わたくしはあなたに一目惚れをしてしまいました』


『本来であればお伺いしてごあいさつを申し上げるべきところなのですが、生来の小胆小心の性質から、失礼ながらお手紙にて微志をお伝えしたく思います』


『つきましては、略儀ながら書中をもちまして告白申し上げます。花冷えの頃は体調を崩しやすいものです、どうぞご自愛専一にお過ごしくださいませ』


『敬具』


「……」


 つっこみどころは色々あるが。


「ラブレター、だよねこれ 」


 妹が困惑したような顔で言った。


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