媚
媚
落ち着いた佇まいの洋館の窓辺からきれいなピアノの音が聞こえてくる。
ドルファンは窓辺でそのピアノの音を聞いていた。
人魚の男性、年齢13歳、地上の人間で言えば中学校に上ってすぐ、位のドルファンは地上の音楽が好きだ。海底の都市から大気のもとに移り住んできてはじめて地上の音楽を聴いて以来、この音楽というものが大好きになっていた。
ドルファンのお嫁さん候補、になるであろうドルファンと同い年の人魚の女の子リリィは、というと、音楽よりも景色、特に花を見るのが好きな様子だ。鰭を足にすることを覚えて以来、しょっちゅう陸に上がりたがる。今日も帰りの時間と落ち合う場所だけを決めて、地上では別行動を取っている。リリィ一人だと不安だが、今日は人魚のお姉さん、年の頃は20代半ば(ドルファンはまだ、ローズのはっきりとした年齢を聞いていない)のローズも一緒なので安心していられる。二人とも、自分たちの名前が花の名に由来しているからだろうか、陸上の花を見に行くのが好きなようだ。鰭から足への変形はかなりの痛みを伴うのでつらいだろうに、それをものともせず、結構頻繁に上陸している。
ドルファンは、地上の音楽が気に入っているので、ローズ、リリィの二人とよく一緒に上陸している。
地上にあがれば、それこそどこに行っても聞こえてくるいろんな音楽。管楽器の音や弦楽器の音、鍵盤楽器の音や打楽器の音、それに歌声。地上のもののなかには好きなものも嫌いなものもいろいろあるが、こと音楽に関しては、嫌いなものを思い浮かべることがドルファンには出来なかった。
地上の音響製品は、もちろん買う金もないが、万が一買えたとしても海の中に持ち込むことが出来ないのが、ドルファンの不満の種だ。ただ、海中では音も異なって聞こえるのでどうしても音楽は空気中で聞かなくてはならない。だからドルファンは、ただ音楽が聴きたいだけでしょっちゅう地上に足を運んでいた。
今日は、海岸近くの道を歩いていると一軒の家からすてきな調べのピアノが聞こえてきた。だからドルファンはそこから動くことが出来なくなってしまった。しばらくそこでピアノの音に聞き惚れていた。
この音楽を演奏している人はどのような人だろうと興味を持ったドルファンは、失礼かとは思いながら湧き上がってくる好奇心に抗いきれず、家の中でピアノを弾いている人の心をちらりとのぞいてみる。
人魚は特殊な能力を何か一つ持っていることが多いのだが、ドルファンの能力は他者と心だけで交信できる能力なのだ。ちなみにローズとリリィはそういった特殊能力を持っていない。
そこにはより純粋な音楽そのものが頭の中で鳴り響いていた。震えるほどの究極の音楽がそこには流れている。それを何とか現実の世界に表出させようと実在の両手で楽器を扱う。そこには頭の中に流れている演奏とは少し異なる音が実際に生み出される。それに失望感を感じながらも、新たに出現した音に影響を受け、そこにまた別のイメージが生み出されてそれを表現するべくまた楽器に手が向かう。
そうやって今その場に実際の音楽が生み出されてゆく。
ドルファンはその過程を面白く感じながら、しばらくそのまま音楽を聴いていた。
ドルファンの耳にも、演奏しているものの耳にも、同じように呼び出しチャイムの音が聞こえる。
それを受けて、演奏者の心の中にどろり、とした性欲がうごめくのを感じ、ドルファンはあわてて心のドアを閉じる。なんだか見てはいけないものに触ってしまった感じだ。
見ると、ピアノの音が漏れ聞こえてきていた家の門前に少女が立っている。先程のチャイムは彼女が鳴らしたものだろう。
時を置かず、中年の男が門前に現れ、彼女を連れて中にはいる。
ドルファンがそのまましばらく待っていると、先程の演奏者のものとは異なるピアノの音が聞こえてくる。そのピアノも技術的にはかなり高度なものだったが、先程まで聞いていた演奏者の音楽にはまだまだ及ばないものだ。きっと先程招き入れられた少女が弾いているのだろう。
ドルファンも、ほおって置けばよいものとは十分承知はしていたが、先程感じたどろりとした性欲が気になって、彼の”能力”を窓の中に向けてみる。
先程まで演奏していた者の心の中は、今や眼前の少女に対する性的妄想ではち切れそうになっている。その中で少女は裸にされ、彼はその少女にさまざまな性行為を強要している。
だが彼は同時に、少女の後ろに立って様々な音楽的指導を実際に行っている。実際、彼の耳にも少女の弾くピアノの音は聞こえ、それに対する音楽的アドバイスも彼の頭の中に浮かんでいる。
ドルファンはその、先程までの演奏者がそのように頭脳を用いることに少なからぬ畏敬の念を感じる。妄想をあれほど膨らませていながらどうしてあれほど表面的な冷静さを保っていられるのだろう?ドルファンにはとてもまねできないことに感じる。そんなこと少しでも考えたなら、リリィにすぐに見破られて怒鳴られ頭の2,3発も叩かれるのが落ちだ。
それほどドルファンの思いは顔に出る。読心の”能力”で、他人の考えを読みとることもできるが、ドルファンの思いも他人に筒抜けなのだ。ドルファンにとってはそれは不本意な所なのだが、他の仲間たちから見た場合、それがドルファンの憎めないところとなっているのかも知れない。
ドルファンは、少女の身を気遣う。このままでは少女は不本意なまま猥褻な行為を強いられるかも知れない。猥褻な行為自体には男としての好奇心が疼いたが、いやがる少女に対してそれが行われるのは許せないとドルファンは感じる。もしも少女の身に危険が迫るような事態になれば、窓ガラスに石の2,3個でも放り込んで、この場を逃げ出そうとドルファンは考えている。
部屋の中で、中年の男は少女にピアノのレッスンを続ける。男は少女に才能があると感じている。少女がプロを目指していることも知っている。そのために、音楽界に知名度の高い自分の所にレッスンを受けにきていることも承知している。
それだけのことを、ドルファンは短い時間の内に男の心の動きから読みとった。
(そうか、この人は有名な音楽家なんだ)先程の音楽に対する情熱やその表現方法の巧みさから、並の音楽好きではないことは感じていたが、やはりなあと、ドルファンは妙に納得する。
その男の迷いも感じる。少女は確かに自分を必要としているが、肉体関係まで要求すると、果たして彼女はその要求を受け入れてくれるだろうか。もし変態だと思われた場合、いや、思われるだけならまだしも、そのことを親に訴えられたりなどした場合、目も当てられない事態となる。目の前の匂い立つような若い肢体は魅力的だが、だからと言って、その本能に忠実になるわけにも行かない。
男は葛藤を続けながらも、少女へのレッスンを続ける。
その日のレッスンは終わった。
少女は中年の男に見送られて、その家の門に姿をあらわす。
男に、ペコリと頭を下げて出て行く少女に、ドルファンはひとつ忠告をしておかなくてはと感じていた。でないと、このままではいつ男に実力行使に出られるか判ったものではない。
ドルファンは、男の家から彼女が見えなくなるところまで彼女を尾行し、声を掛ける。
「あの、ちょっと、すみません」
びっくりとした、ちょっと警戒したような顔がドルファンのほうを振り向く。
確かに、ドルファンから見てもその少女は目鼻立ちの整った端正な顔立ちをしている。年齢は、おそらくドルファンと同じくらいかちょっと上、そして美人だ。ただ、ドルファンはそれで心を動かされることはなかった。(仮にでも彼女に手を出したりしたら、リリィに殺されちゃうよ)等と思いながら、ドルファンはリリィの顔を思い出していた。(こんなことを思っているのがリリィに分かっただけでも、ただじゃすまないな、ふふ)
「あの、なにか?」少女はドルファンに尋ね返す。自分を呼びとめた男が、自分を呼び止めたまま反応がなくなってしまったからだ。
「あ、すみません。ちょっとぼおっとしてしまって」ドルファンは、少女が出てきた家の窓辺から、きれいなピアノの音が流れてきたこと、しばらくすると、少女が訪れ、そして今出てきたことをかいつまんで話す。「最近、この近くに来たもので、あのピアノの人は、もしかして有名な方では、と思ったのですが、どなたなんですか?」
「ああ、あの方は、」少女はその音楽家の名前を口にする。国内を主な活躍の場としているが、年に何度か海外でも演奏活動を行っている、結構有名な音楽家だと、彼女は少し誇らしげに説明してくれる。
「あなたは、あの方のお弟子さんですか?」
弟子と言う言葉が、彼女にはおかしかったらしい。「いまどき、音楽家同士で師匠と弟子の関係なんて、あまりないんじゃないかしら」と、おかしそうに話す。「仮にあったとしても、私と先生の間柄は、まだそんな立派なものじゃないけど。あの先生に、週一回ピアノのレッスンを受けているって言う程度の間柄です」
と、いいながら、彼女は少し誇らしげだ。あの先生がレッスンを見てくれるというだけでもかなり選ばれた人間なのだと言う強い自負心が感じられた。
この少女は先生に対しかなり強い思い入れを持っている。そう判断したドルファンは、まどろっこしい方法をとらずに、直接本題に入る事にする。
「あの、近所の方のうわさも耳にしまして、えっと、言いにくい事なんですが、あの先生、レッスンの生徒さんをエッチな目で見る、と言うことで有名だとか」と、多少の脚色を交えて、彼女に話す。
少女の顔色が見る見る変わる。「あなたに!先生の何がわかるって言うの?先生のことを変に勘ぐるのは止めて頂戴!」目を吊り上げ、真っ赤な顔でドルファンにそれだけ伝えると、少女は二度と振りかえることなく足早に帰途につく。
(そりゃ、知らない人から急にこんなこと言われると、怒るよな)ドルファンは苦笑しながら彼女を見送る。ただ、ドルファンは、彼女に忠告はしたつもりだ。それをどう取り、今後その忠告をどう使うかは、彼女次第だ。
夕刻、ローズ、リリィと合流して隠れ家に帰ってきたドルファンは、有名音楽家の欲望について食事の席でみんなの意見を聞いてみることにする。
「そうだね、やっぱりどんな有名人だって所詮は愛欲も持っている一匹の動物だって事かな」洋がこたえる。
「じゃ、洋もそうなの?」すかさずリリィが反撃。「私、そう言うのって好きじゃない」
「リリィとドルファンは、まだそういう付き合いじゃないのかい?」ドルファンもリリィもかなり成長してきたので、今の二人の関係について、洋はストレートに聞いてみる。
「私達が?私達は、そんなエッチなことしません」きっぱりとリリィ。「私達は、ずっときれいな関係でいるの」
ドルファンとリリィを除くほかの四人は、(かわいそうに)と、ドルファンに同情の視線を送る。
「リリィ、そんな事言っているけど、リリィは子供ほしくないのか?」オーシャンがリリィに問う。
「そりゃ、欲しいけど」
「でも、子供って、そういうエッチなことをやらないと出来ないぞ。それでなくても俺たち人魚は子供が出来にくいんだ。毎晩欠かさず励むくらいでないと、何時までたっても今のままだ」
「じゃあじゃあ、オーシャンとローズは、エルンと洋は、そんなに毎晩、エッチな事してるの?」リリィは興味本位で質問する。
「そりゃあ、まあ、ねえ」ローズがエルンに同意を求める。
「え、ええ、まあ」エルンは、海底都市にいたころは学校でドルファンとリリィの教師を務めていたので、元教え子に自分たちの性的な内実をさらけ出すのには少々抵抗があるようだ。
「でもリリィ?それって愛し合っていればちっともおかしくない、自然な行為なんだよ。エッチなことが悪いこと、ってリリィは思っているかもしれないけど、愛し合っている者同士の間では全然おかしくない、自然なことなんだ。リリィもドルファンのこと、好きなんじゃないのかい?」洋が、ちょっと興奮気味のリリィを宥める調子で語り掛ける。
「私だって、ドルファンのこと、嫌いじゃないけど、」しばらくリリィは考え込む。「でも、愛しているかって聞かれると、よくわからない。愛しているって自信がないの。ごちそうさま!」
リリィはそれだけ言うと、二本足のまま海に飛び込んで、泳いでいってしまう。
ドルファンが、リリィを追いかけようとするのを、ローズが止める。「あなたが行くとややこしくなるかもしれないから、私が追いかけるわ」
「でもこれは、僕達二人の問題なんです」ドルファンはローズの制止を振りきってリリィを追いかける。
ため息をついて見送るローズ。「どうする?」
「暫く二人だけで話し合ってもらいましょう。後で私が様子を見に行くわ」と、エルン。
「好き同士で一緒にいるんだったら、問題はないのになあ。まあ、僕は運がよかったんだけどね」しみじみと、エルンとの出会いを思い出す洋。
「ドルファンがうまくリリィと話をつけることが出来ると良いがな」オーシャンが二人の去った先を見つめる。
「リリィったら、待ってよ」ドルファンがようやくリリィに追いつく。最近では、鰭のリリィに負けないほどの速度が出せるようになったドルファンだ。リリィが二本足のままならなおさらだ。
リリィが急にくるっと振り向く。「ドルファン、あなた、私とエッチなことしたいと思って追いかけてきたんじゃないでしょうね」
「リリィ、落ち着きなよ。ね。ちょっとあそこに座って話し、しようよ」ドルファンはリリィを近くの岩棚に誘う。
「リリィ、僕の気持ちの正直なところを言うよ。僕はリリィの事好きだし、エッチなことにも興味ある。だから僕だって、リリィとエッチなことしてみたいって気持ちもある。だけど!」リリィが何か言おうとするのを、ドルファンは制する。「まだ話が終わってないから、最後まで聞いて。リリィが良いって言わなければ、僕はリリィに絶対に、リリィが嫌がっているようなそんなエッチなことは
絶対にしないよ。僕、この場でリリィに約束する。リリィがもし僕のことを好きになってくれて、そう言うことを許してくれる気持ちになったらいいけど、他の人を好きになったときには、言ってね。そのときはもう、僕はリリィに付きまとわないし、僕は僕で新しい愛を探すから」
「他に誰がいるって言うのよ!」
「え?」
「他になんて、誰もどこにも居やしないじゃない!ほかの人魚たちは都市の壊滅と共に滅んでしまったんだし、生き残っているオーシャンにも洋にも、もう決まった相手が居る。」リリィは怒ったような顔でドルファンをにらむ。「私には、あなたしかいないのよ」
ドルファンは、リリィが自分の事を好きだと言ってくれるのかと思った。が、そうではない。
「そんなあなたが、『私に好きな人が出来たら私のことを諦めて、他の人を好きになるようにする』ですって?そんなんだから、私はあなたとのこれからのことが不安になるのよ。そんな気持ちが定まっていないあなたに、私が心を寄せることが出来ると思っているの?」
「いや、僕はそんなつもりじゃ・」ドルファンはリリィに、彼女が嫌がるようなことを考えるような、そんな男では自分はないと言うことを言いたかったのだ。けれども格好を付けようとして、かえってリリィの気分を害してしまった。
「じゃ、どんなつもりだって言うのよ!だってあなた今言ったじゃない!私が他の男を好きになったら、自分も他の女を好きになるって。そんな程度の気持ちだって」
ドルファンは、ようやくリリィが何で怒っているかわかってきた。「ちがう!そうじゃないよ」
「だって!今!言ったじゃない!」
ドルファンには返す言葉が見つからない。ドルファン自身はそんなことちっとも考えていなかった。
でも、出した言葉は、そうとられても仕方のない言葉だ。深く考えずに口をついて出た言葉が自分の思いとは全然逆のことを彼女に伝えてしまったことが、解った。もっと言葉を選べば良かったとは今になって思うが、リリィに指摘されてようやく今気がついたようなドルファンだから、うまい言葉が並べられるはずがない。
リリィは本当に、ドルファンのことが嫌いではなかった。むしろ最近は、リリィの心の中にドルファンのイメージが少しずつ大きな場所を占めてきていることをリリィ自身感じていた。でも、だからこそ、ドルファンの煮え切らない態度がかえって気になるのだ。自分を好きだと言ってくれる割にはさしてこれといった決定的なアプローチを仕掛けてこないドルファンに、リリィは少なからぬいらだ
ちを感じていた。”ねえドルファン、あなた本当に私のこと好きなの?どうなの!”てな感じである。
そんな矢先の、先のドルファンの発言は、今の精神状態のリリィにはたまったものではない。「僕は別に君でなくても良いんだ」リリィはドルファンからそう言われたような気がした。
ドルファンは今、自分がたった今口に出した言葉をどう釈明しようか、良い言葉が見つからず黙っている。
その沈黙が、リリィには、”言い訳なんてしません。その通りだから。”と、無言の内にドルファンが言っているように感じる。
「もう良いわ!」そう言うと、リリィはドルファンの視線を断ち切り、ドルファンから遠ざかって行く。
「あ、リリィ、ちょっと待・・」とっさにドルファンはリリィの心をのぞいてしまった。ドルファンに対する、強い怒りと蔑み、そして拒絶の心を感じ、ドルファンはあわてて読心の”能力”を解く。
(どうしよう。どうしたらいいんだろう。)ドルファンは途方に暮れる。
それから暫く、二人は口も聞かなかった。リリィは完全にドルファンを拒絶しているし、ドルファンはうなだれている。
「ねえ、いったいどうしたのよ、二人とも。」二人の沈黙にたまらず、ローズが声をかける。
「何でも!」
「・・・・」
「・・・はは~ん、ひょっとして」ローズが二人に鎌をかけようとしたところを、エルンが制する。
そしてエルンは、ローズの手を引いて別のところに連れてゆく。
「何?なんなの?」ローズは急な展開についてゆけていない。
「あの二人、今結構本気でけんかしているみたい。だから、慎重に対処してあげたいの」
「そうなの?あらら、危なかったわね、私、軽い気持ちで二人に鎌をかけようとするところだったわ」
「うん。だから、ちょっと引っ張ってきたの。ごめんなさい、ちょっとびっくりしたかもしれないけど」
「うん。このまま情報局に拉致られちゃうのかと思ったわよ。・・・今の、冗談よ」ローズは、エルンが元、人々からひそかに恐れられていた情報局の局員だったことを冗談にして言ったつもりだった。が、エルンがもしかしたら本気にしたかもしれないと思い直し、すぐに訂正の言葉を入れる。
エルンも、最近ローズの冗談に慣れてきたので、動じなくなっている。軽くローズに笑顔を作って見せて、話を続ける。「さて、リリィとドルファンの件だけど、まず原因を探る必要があると思うの」
「ふんふん」
「ドルファンには私とローズで聞いてみて、リリィは洋とオーシャンに任せるのはどうかしら?」
「え?男連中にリリィを任せて大丈夫かしら?」
「無防備にリリィたちに鎌をかけてみるようなことをしなければ、大丈夫じゃないかしら?」
「え?」一瞬、ローズは、エルンの言葉を本気に取る。
「ふふ、冗談よ」
「あ!」一本とられた、と、思った。
「さっきの、おかえし」
「もう!エルンったら!」
その後、まじめに話し合ってみて、リリィにはローズ、オーシャン、洋の三人で当たることにした。ドルファンにはエルンが一人であたる。様子を見ていると、どうもリリィがドルファンを攻めているように、エルンたちには見える。ドルファンのほうが落ち込んでいるようなので、少数精鋭であたるのがいいだろうという話になった。逆にリリィは攻めているほうなので、真摯に話を聞いてやるのがいいか、と言う事になった。エルンは、ドルファンの学校の先生をしていたのでナーバスなほうを担当してもらい、リリィには人数を多くしてなだめることにした。
「ねえドルファン、あなたとリリィの間に何かあったの?良かったら話してもらえないかしら。」エルンは、ドルファンを皆より少し離れた場所に呼び出して、なるべく詰問調にならないように注意しながら尋ねる。
「・・・・」
「・・・ドルファン?」エルンは少し間をおいてから、ドルファンに声をかけてみる。「ドルファン、私たちは今、この地球上に6人しかいない、仲間じゃない。だから、あなたとリリィの問題は私たちにもとても重要な問題なの。だから、とても気になるし、あなたたち二人が困っているのなら、私たちでできることなら何とかしてあげたいの。どうしても放っておいてほしいというのならそうす
るけど、もし、私で相談に乗れることなら、聞かせてほしいなって思ったんだけど、どうかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・・あの、・・・・・・・・あの、先生?」
「なあに?あ!っと、その前にねドルファン、もうそろそろその、先生、っていうの、止めにしない?確かに、ちょっと前までは学校であなたたちの先生をしていたけど、実際はあなたたちより立派な人間だってわけじゃないし」
「ええ?そんなことないですよ。先生は僕たちよりいろんなことをよく知っているし」
「う~ん、そうかも知れないけど、それは、人を言いくるめたり陥れたりするために必要な知識だったわけで、私にとって本当に大事なものは、実はあなたたちがくれたの。私はそれにとっても感謝しているし、だから先生なんていわれると、実はとっても恥ずかしい気がするの。だからお願いドルファン、わたしはあなた達から対等な立場でこれからも付き合ってもらいたいの。お願いだから、先
生なんて呼ばないで、名前で呼んでもらえないかな?」
ドルファンにはためらいがあった。先生がどう思っていようと、自分にとってエルンは今でも先生だ。急に先生って呼ぶなって言われてもなあ。
「私、先生って呼ばれている間は、あなたの悩みに親身になって答えてあげることが出来ない気がするなあ」
「ええっ!何で?」
「だって、先生って立場だったら、やっぱり生徒からは一歩距離を置いてないと、生徒に対する正当な評価が下せませんからね」
何だか、学校にいるときの先生口調にエルン先生がなってきているようにドルファンには聞こえる。
「けど、友人としてなら、あなたの悩みに親身になって付き合ってあげられるわ。さあ、どっちがいい?」
「先生、ひとつ質問があります。僕たちって、それほど大切なものを、先生にあげましたっけ?」
「ええ、とってもいいものを。普通じゃとってももらうことが出来ないような大切なものを」
それって、なんだろう?ドルファンは直接エルン先生に聞いてみる。「先生、それって、何ですか?」
「恥ずかしいから教えない」エルンは笑顔で答える。
そんな事言われると、何だかとっても気になる。
「もうひとつ質問です。先生って呼ばれるの、そんなに嫌ですか?」
「す!んごっく、嫌」
ドルファンもそこまで言われると、これ以上、エルンを先生と呼べない気持ちになる。
ドルファンは、ちょっと努力してみることにした。
「じゃあ、・・・・エルン?」
「なあに?」エルンはうれしそうに答える。
「これで、いい?」
「ええ!とっても。さあ、次は私の番ね。あなたの今の悩み事は何かしら?」
「それが・・」ドルファンは、リリィが急に怒り始めた経緯を告げる。「僕、どうしたら良いのかわからなくなって」
「あなたは、リリィのことをどう思っているの?」
「好きです」
「どのくらい?」
「どのくらいって・・・とっても」
「リリィが命の危険にさらされたときに、身を挺して守るつもりはある?」
そう言われて、ドルファンはちょっと考えてみる。うん、大丈夫、出来ると思う。
「出来ると思います」
「それなら、ドルファンはリリィの前に行って、好きだとはっきり言うべきよ」
「・・・そういうのって、これまでにも何度も言っている、と思うんですけど」
「それって、好きだよって言う程度の、軽い気持ちの言葉じゃなかった?」
「僕、リリィには結構本気で話していたつもりだったんだけど。リリィはそうとってくれていなかったみたいで・・」
エルンには、リリィの気持ちも多少分かる気がした。ドルファンのことだから、本人は本気をこめて言ったつもりでも、どこか一歩引いた感じの言葉になったのだろう。それがドルファンの良いところでもあり悪いところでもあるとエルンは以前から感じていた。それが、こと恋愛ということになると、ドルファンの相手には、どうも歯切れの悪い言葉として聞こえるに違いない。それを理解してく
れる相手なら良いが、そうでない女性だと、すぐに愛想を尽かしてしまうかもしれない。
リリィはドルファンのことを理解している子だと、エルンは思っている。けれどもリリィはもっと情熱的な恋をしたいのかも知れない。
「ドルファン、自分の心で思っているありったけを、リリィに伝えてみたら?あなたは今までリリィに自分の心を出し惜しみしていたのよ。だからリリィはあなたがどう思っているのか不安になるのよ。心のありったけを伝えたら、もしかしたらあの子、恥ずかしがりやだから逃げるかもしれないけど、きちんと追いかけていって、正式に付き合うという言葉をもらわない限りそばを離れない、って
いうの。できる?」
「いやあ、僕には、ちょっと・・。それって、逆にしつこいって、嫌われないかなあ?」
「ドルファン、男の子でしょ?だったらしつこいくらいで良いのよ。それで嫌われたって、精一杯やっての結果だから後悔はないんじゃないかなあ。今のままで、うじうじして男らしくない奴って思われるのよりは、ずっと良いわよ。私はそう思うわよ」
「本当?」
「ええ!」
「僕って、うじうじしてる感じなのかなあ・・」
「う~ん、見方によっては、ねえ」
ドルファンはまだ決心がつかない様子で、悩んでいた。
エルンはドルファンがどんな結論を出すか、しばらく様子を見ていた。
「うん!よし!決めた!」ドルファンが突然声を上げる。「僕、リリィに思いの丈を打ち明けて、リリィに正式に付き合ってほしいって言う。断られるのはちょっと怖いけど、エルンが言ってくれた方法だから、きっと僕たちにとってベストの方法なんだ。思い切ってやってみるよ」
「えらい!それでこそ男の子!」エルンはドルファンの肩を頼もしそうにたたく。「がんばって!」
「う、うん!」ドルファンが緊張して硬くなっているのが、傍目から見ても分かる。
「ほら、もっと肩の力を抜いて、リラックスして」
(がんばれ、ドルファン)エルンには、二人がきっとうまくゆくと見込んでいる。
「リリィ、どうしたって言うんだ?一体」オーシャンがリリィに質問する。ローズと洋もわけを知りたそうな顔をしてリリィを見つめている。
「何が?」そんな三人に構わず、リリィは自慢の緑色の髪の毛を手入れしている。
「いやだから、近頃、リリィがやけにドルファンに冷たいんじゃないかってことだよ」
「二人の間に何かあったの?」洋とローズも思いを口にする。
「そんなの、あなたたちに関係ないでしょ。何かあったとしても、それは私とドルファンの二人の問題でしょ?なんであなたたちが出てくるのよ?」リリィは三人に目をあわさず答えを返す。
「それはそうかも知れないけど、なんかさあ、二人がそんなだと、私たちも、どうしたって気になるじゃない?いつもほとんど一緒にいるわけだしさあ」
「そんなの、プライバシーの侵害だわ!ああ!どこかでひとりっきりで生活できないかしら」
「今は一人っきりにならないほうが良いよ。僕たちは、今は6人きりしかいない、弱い立場の存在なんだ。人間と共存するわけには行かないだろうしね。僕やエルンが地上の人間の中に紛れ込んで情報や物資を調達してくることは出来る。けれど、人魚が存在していることが人間に知れたらとても大変なことになるだろうことはリリィだって想像がつくよね」これは、洋。
「海の中は危険がいっぱいだしな。毒を持つ生物とかに噛まれたり刺されたりしたときは、一人じゃどうしようもないぞ。やっぱり、今のところ、みんなでかたまって生活するほうが安全だ」と、これはオーシャンの意見。
「わかってるわよ、そんなこと。ただ言ってみただけ。でもさあ、プライバシーってものも、大切じゃないかしら?特に女の人にはさあ」リリィは助けを求めるようにローズを見る。
「そりゃ、確かにそうよね。だから、男と女は部屋を分けている訳だし。それを個室にするって言うのは、今の状況じゃ、安全上、問題が多いような気がするなあ」
「だったらさあ、個人のプライバシーに関係するようなことは、せめて、見て見ぬふりをするとか、してもらえないかなあ?」
「そりゃ、僕たちだってほかの人の生活に深入りしようとは思わないけど、今のリリィとドルファンを見てると、何だか放って置けないんだよ。二人の間に、かなり頑丈な壁があるようで。そんなんじゃ二人ともつらいだろ?そうじゃない?リリィ」
洋にはそういわれるが、自分は悪くないと、リリィは思っている。少なくとも思い込もうとしている。
「私のせいじゃないわ。ドルファンが悪いのよ」
「ドルファンが、どう悪いんだ?」
「私は、ドルファンのことを好きになろうと努力したのよ。でも、ドルファンは、私でなくても、ほかの女の子でも良いって言うんだもの」
「ドルファンが、そんな事言ったのか?」
「うそお」
オーシャンもローズも、信じられない風でリリィの言葉を聞いている。
「なによ、私の言葉が信じられないって言うの?」
「いや、そうじゃないの。ドルファンって、リリィにべたぼれって感じで思っていたから、まさかそのドルファンがリリィにそんな事言うなんて、って思っただけ」
「そうなの?」ドルファンって、私に”べたぼれ”なの?
「俺もそう感じていた。本当に、あのドルファンが、リリィの前でほかの女の子でも良いって言ったのか?」
「え?ええ、そんな風なことを、言ったわよ。」オーシャンに問いただされて、リリィは少ししどろもどろとなる。ドルファンがリリィに話したことを、もう一度よく考えてみようとリリィは感じ始める。
「僕の感じでも、ドルファンはそんなことを好きな女の子の前で言うような奴じゃないと思うんだけどなあ。なにか、リリィの聞き間違いじゃないのかい?」
へえ、変な信頼かもしれないけど、ドルファンってみんなからそういう信頼はされているんだ、と、リリィはドルファンのことを改めて考え直す。
「ねえ、もしかしたらドルファンが別の意味で言ったことを、リリィが聞き間違えたって事はないかしら?もう一度ドルファンがなんて言ったか、思い返してみない?そのときドルファンがどういったか、リリィ、覚えている?」
「えー?そんなの、覚えてないよう」と言いつつ、リリィは、ローズに言われたとおり、ドルファンの言ったことを思い返そうとする。でも、聞いていたときに先入観があった所為か、会話の詳しい言い回しまでは思い返せない。
「確か、あの時は、みんなでエッチなことしているかどうかの話をしていて、愛があればエッチなことって悪いことじゃない、みたいな話になっていたわよね?洋」
「え?ああ、そうだったと思うよ」思いっきり省略されていて、そういう結論でいいのかどうかは多少疑問に思ったが、洋はここではあまり細かいところにこだわっても仕方がないと考えた。
「それで、そんな話が何だか嫌になって私、一人だけ話の輪を外れたの。そしたらドルファンが追いかけてきて、ドルファンも私とエッチなことするってことには興味があるって言ったの。それってみんな、どう思う?」
「ええっと、そりゃあ、ねえ、オーシャン?好きな女の子と、エッチなことをするのを想像するのって、男としては至極正常なことと言うか、ねえ?」
洋に振られて、オーシャンも、「ああ、それはお前、ドルファンが正常な男だって証拠じゃねえか?」と、感想を口にする。
まったく!男どもってそんなエッチなことばっかりしか考えられないのかしら!とか考えながら、ローズが口を挟む。「それで、そのあとはどうなの?」
「ええっと、その後は、そう!そこからが問題なのよ。ドルファンは、そういうことには興味があるけど、もし私に好きな人がいるんだったら、私のことあきらめるって言うの。そして、ほかの女の子を捜すって言ったのよ。それって、私じゃなくても誰でもいいって事じゃない?」
「うう~ん」
「ドルファンが」
「そんな事をねえ」
三人とも、返答に窮する。その話だけでは、ドルファンがすごい悪者に聞こえなくもない。今の話だと、エッチなことに興味はあるが、その対象は君でなくともよいと言っているようにも聞こえる。
だが三人とも、ドルファンがそういうことを言うだろうか、しかもリリィの後をわざわざ追いかけて行ってまで、という疑念が心に引っかかっている。
三人はすっかり押し黙ってしまった。
「ねえ、どう思う?」リリィはなおも3人に答えを求める。
そこに、ドルファン登場。
「リ、リッリリィ!は、話があるんだ!」リリィの前までドルファンが泳ぎよると、リリィが目の前にいるにもかかわらず大声でしかも緊張のあまりどもりながらそうつげる。
リリィも、ほかの三人も、ドルファンの迫力にただきょとんとしてその後の展開をただ待っている。
「リリィ!聞いて!僕、リリィが大好きなんだ。本当だ、本当に大好きなんだ!だから、ずっと僕のパートナーでいて欲しいんだ。これから先ずっと僕のパートナーになってください!おねがいします!」
ドルファンがそこまで一気にまくし立てる。
「・・・・んな、何よドルファン、なんだって急に」リリィはすぐにはそういうのがやっとだった。
「僕!これから先、ずっとリリィだけを大事にするよ。本当に、ほかの女の人になんか目も向けないって、あ、目くらいは向いてしまうかもしれないけど、」
聞いていたオーシャン、ローズ、洋は、そこでぷっと吹き出してしまう。
でも、ドルファンは真剣だ。外野の反応は耳にも入っていない。
「けど、本当に好きなリリィだけを愛することをここに誓うよ。本当だ。だから、リリィ、これから先ずっと僕と一緒にいて欲しい。それってリリィを僕に縛り付けることになるかもしれない。けど、僕は、そう、勝手かもしれないけど、僕はリリィを僕に縛り付けたいんだ。」ドルファンはそこまで、言おうとしていたことを一気にまくし立てた。思っていたより表現が武骨になったかもしれない、けど言ってしまったし、かまうもんかとドルファンは開き直っている。「あとは、リリィしだいだけど、僕の気持ちを受け取って欲しい」
「そ、そんなこと急に言われたって・・」リリィは内心、うれしかった。なるべく顔に出さないようにしようとは勤めたが、少しは顔に出てしまったかもしれない。けど、これから先ずっと縛られるのと言うのも、ほんの少し抵抗はあったし、けれどもドルファンならまあいいかなとも思ったし。
「ねえドルファン、少し考えさせてくれないかな。そんな大事なこと、今ここで急に言われたって」
「嫌だ!僕は今ここで返事を聞きたい。どうか今ここで答えて!」
「そ、そんな勝手な」今回ばかりは、リリィは完全にドルファンのペースに飲まれている。しかも周りにはほかの人の目もある。なんとか主導権を取り戻さなくちゃとリリィは考える。
「とにかく!そんな大事なこと、すぐにここで答えを出すわけには行かないわ。だいたいそんな、失礼よ」リリィはその場を泳ぎ去る。
「いままでだってずっと一緒にいて、リリィも僕の事分かってくれていると思う。だから、これ以上何を考えることがあるのさ?」ドルファンはリリィの後を追いかける。
「僕はもう覚悟を決めたんだ。これでだめなら、僕はみんなの下を去るくらいの気持ちでいるんだ。ぜひここで、答えて」ドルファンはリリィを追いかけながら自分の思いを訴える。言っていて、普段の僕ならこんな強引なこと絶対に言わないな、と、心のそこで思っていた。
「そんなんだったら、なおさらここで答えを出すわけに行かないじゃない」
「でもいずれはそういう決断をしなくちゃいけなくなるんだよ。一緒にいられるならそんなこと考えなくていいけど、一緒にいられないなら、ずっと未練を引き摺りながら一緒にいなくちゃいけない。そんなのは僕耐えられないから、そんななら僕は一人で生きてゆくよ。でもそんな事をリリィが気にする必要はないよ。これは僕が決めたことだし、僕がリリィに強いていることだから責任は僕にあ
る」
リリィは逃げながら、ドルファンを初めてかっこいいと感じる。いい奴だけど頼りないと思っていたけど、へえ、そんな一面もあるんだ。
「でも、これからまだ海人族の生存者が見つかる可能性もあるじゃない。その人をどっちかが好きになるなんてこともあるかもしれないわよ。だから、まだそんなに決め付けなくてもいいんじゃない?」
「僕の心には、ずっとリリィがいたんだ。そりゃ、リリィの言うようなことがまったく無いかといえば、将来のことなんて僕にも分からないけど、今の僕にはずっとリリィしか見えていないんだ。でもリリィはそうじゃない。だからリリィは僕を嫌いだと言ったって構わないんだ。僕の押し付けにリリィは従う必要はない。リリィはリリィの心に従えばいいんだ」
リリィが急に止まる。「ちょっとドルファン!あなた、何でそういう風に言っちゃうのかなあ?今の言い方、どっかで聞いたことがあると思ったけど、ちょっと前にけんかをしていたときの原因になった言い方とそっくりじゃない。自分中心の考え方をしてる。あなたその言い方もうちょっと考えないと、人に誤解を与えるわよ」そう言って、リリィがドルファンの顔をにらんでいる。
「え?」
「あなたあのとき、私の事好きだけどもし私に好きな人がいたらあきらめてほかの人を探す、って言ったわよね?」リリィはけんかを始めたときのドルファンの言い回しを、今のドルファンの言葉を聞いて思い出した。
「うん」
「わたし、それを、私じゃなくても別の女の人でもいいってドルファンが言っているように聞こえたのよ」
「そ、そうだね。そう言ってリリィ、怒っていたよね」
「これからは気をつけなさいよ」
「う、うん」
「答えはOKよ」
「へ?」
「へ、じゃないわよ。あなたが返事を聞かせてくれってずっと私を今まで追いかけてきてたじゃない。その答えを今言ってあげたのよ」
「本当?」
「感謝しなさい」リリィはドルファンにかわいくウィンクする。
「うん!ありがとう、リリィ!」ドルファンは思わずリリィを抱きしめる。
「だからって、すぐに体を許すってわけじゃないわよ。あんまり調子に乗らないでね」そういってリリィは抱きついているドルファンを軽く引き剥がす。
「あ、ご、ごめん。つい、嬉しくって」
そう言ってすぐ謝るドルファンを、リリィはこれまでのように軟弱さとはあまり感じなくなっていた。むしろ謙虚さとやさしさと言う風に。愛は人の判断力を狂わせるものなのである。
でも、それでもいいとリリィは感じている。それに快ささえ感じる。
「ま、ゆっくりと二人でやってゆきましょうよ。私たちの時間はたっぷりあるんだから」
リリィは手を差し出す。「さ、みんなの元に帰りましょ」
ドルファンは照れる。手を握ったままみんなの元に帰るほうが、ドルファンには恥ずかしかった。
「エルン、ドルファンに何か”能力”を使ったかい?」洋が、洋たちの元に戻ってきたエルンにたずねる。
「馬鹿なこと言わないで!私はむやみに”能力”を使わないって誓ったんだから。でも、そう聞いてくるって事は、ドルファン、決行したのね」
「すごい勢いだったぞ。あのリリィがドルファンの勢いにのまれてたからな」と、オーシャン。
「で?その二人は?」
「リリィがあっちのほうに逃げて行ってね、そのあとをドルファンが追いかけて行ったわよ」ローズが、ふたりが向かった先を指差す。「さあて、どうなったことやら?」
「みんな、そんなに心配していないように見えるけど?」エルンが、みんなの様子を見てそう言う。
「そういうエルンも、あまり心配していないように見えるけど?」と、洋。
「ま、私の授けた作戦だからね」
「自信があるのね」と、ローズ。
「あの二人は、もともと好き合っているんだもの。ちょっと男の子が積極的に行けば、それで問題は解決、のはずよ」
「私も、その意見に賛成」
「お!結果が戻ってきたぞ」オーシャンが指をさした方向には、お互いに手をつないで、リリィに手を引かれて戻るドルファンの姿があった。
「あれあれ、もうリリィに主導権をとられているぞ」と、洋。
「短い天下だったなあ」と、オーシャン。
それでも、そこで二人を待つ皆の顔には安堵感があふれている。
待っている四人に向かって、リリィは元気に手を振る。ドルファンも少し恥ずかしそうに手を振る。
ある日、ドルファンとリリィは二人一緒に上陸する。
ピアノの鳴る窓辺に二人は立っている。
「なるほど、いい演奏ね。」
練習なので、ところどころ行きつ戻りつはしているが、テクニックもあるし、心のこもった音楽が聞こえてくる。
「これを弾いているのが、あなたの言っていたヒヒ親父なの?」
「そう」
「信じられない・・・・、ていうか、信じたくない!」ドルファンが言っていたことと、窓辺で聴く音楽のギャップに、リリィはと惑っているようだ。
しばらくすると、例の少女がやってくる。
「リリィ、隠れて」
「あの子なのね」
二人は木陰に隠れる。
「心を開くよ」
「ええ」
ドルファンは、自分の感覚感知の”能力”をリリィにも覗くことが出来るように開放する。
少女が呼び出しチャイムを鳴らす。
どろりとした性欲がチャイムの音に呼び起こされるのを、リリィも感じることが出来た。
ドルファンは”能力”を閉じる。
「・・・・本当ね」リリィは気持ち悪そうな顔をしてドルファンを見る。
「ね」
「あなたのとは違うわね」リリィはいたずらっぽい顔でドルファンを見る。「あなたのには性欲プラス愛を感じるけど、さっきのは完全にいやらしい性欲だけだったわね」
しまった!とドルファンは思う。”能力”の開放の際に、特別に制限をしなかったので、自分の感覚までリリィに筒抜けになったのだ。
「でも、あの子の心にも、覚悟みたいなのがあったけど、どういうこと?」
リリィにそう聞かれたが、その理由はドルファンにも分からなかった。以前の少女には見当たらなかった感覚だ。
それから少しして、またピアノの音が聞こえ始める。先ほど流れていた、この家の主人のピアノとは違うが、繊細で華麗なタッチのピアノの音が聞こえてくる。
「あら、あの子もなかなかうまいじゃない」と、リリィ。
しばらくは、窓辺からピアノの音が聞こえていたが、やがて鳴らなくなる。
それからずっと音が途絶えたままだ。
リリィがじれてきた。「どうなっているの?なんでこんなに長くピアノの音が聞こえないの?ピアノのレッスンでしょ?」
「うん、そのはずなんだけど」
「ちょっとドルファン、”能力”を使って中の様子を探って。ほんの1,2秒でいいから」
「よくないよそんなの、覗きだよ」
「もう!ここまで首を突っ込んでることじゃない!ほんのちょっとでいいのよ。私も共犯になってあげるから、さあ!」
リリィが共犯になってくれるということで、心が少し軽くなったのか、ドルファンは”能力”を使う決心をする。
家の中の二人は性行為の真っ最中だった。
嫌悪感を感じつつ、ピアノの教師に自らすすんで体を開く少女。
ほんの少しの背徳感と性的な充実感に満たされている音楽家。
「もういいわドルファン」
ドルファンは”能力”の使用を止める。
「なにこれ?何で彼女は?」リリィには訳が分からない。好きでもない相手にすすんで体を開くなんて。(私なんかドルファンのこと好きでも、まだ体を許していないのに。私が間違っているの?)
レッスン時間をかなり超過して、少女は出てきた。
門を出て、帰途についた時点でリリィはその少女の前に飛び出す。
少女の顔をまっすぐに睨んで、「あなた間違ってる!」と告げたので、言われた少女も何のことか分からずきょとんとしている。
「な、なに?なんのこと?」
「好きでもないのに、あんな親父に体を許すなんて、間違ってるって言ってるの!なんでなの?私わかんない!」
リリィが飛び出すとすぐに確信をつく発言をしたので、止める間もなかったドルファンだが、それでも少し遅れてリリィを追いかけ、リリィのそばに立つ。
先のリリィの発言に顔を紅潮させ、少女も怒鳴り返す。「あなた!人の前に出てくるなり根拠のない失礼な発言をするなんて、あなたこそ失礼極まりない破廉恥な女ね。何を根拠にそんな起こってもいないことを見てきたように話すような根も葉もない発言が出来るわけ?だれが先生に体を許したですって?その証拠はあるの?あるなら見せて御覧なさいよ!」
「うぐ・・」リリィは言い返せない。ドルファンの”能力”を使って、なんていっても信じるはずないし、逆に信じられた場合、今度はドルファンの立場が危うくなる。勢いに任せて飛び出した自分の迂闊さを、いまさらながらリリィは後悔した。
ドルファンがリリィをかばうように半歩前に出る。「僕が彼女を連れて、素敵な音楽が流れてくる窓辺があるって、連れて来たんだ。そしたら君もやってきた。ああ、今日は君のレッスン日なんだなって思ったけど、そのまま二人で窓の近くで聞いていようって相談してしばらく聞いていたんだ」
「ああ、思い出した!あなた先週の・・」
「うん、覚えていてくれたんだね」
「・・・・」少女は何も言わずにドルファンの顔を睨んでいる。何か言いたいことがあるようだけど、敢えて言わずにいる、そんな風だ。
ドルファンは話を続けることにした。「さっきの話の続きだけど、しばらくするとピアノの音が聞こえなくなった。どうしたんだろうと思って聞き耳を立てていたら、あの、なんていうか、声が聞こえてきたんだ。」
リリィは、ドルファンのうそに感心していた。(ドルファンったら、よくまあすらすらと)
「わかったわよ。聞こえたんなら仕方がないわね。でも、どうして私が先生を好きでないなんてあなたたちにわかるの?私のことなんて何も知らないくせに」
「それは、君自身が一番よくわかっているんじゃないか?僕たちが知っていようといまいと、君自身の心が一番悲鳴を上げていたんじゃないのかな?」
ドルファンは鎌をかけてみたが、それは結構少女の本音をついたようだ。「私はどうしてもプロになりたいの!あなたは知らなかったようだけど、ここの先生は結構この世界では有名なの!先週あなたが話してくれたその話で私も覚悟が出来たの」そして少女はリリィに顔を向ける。「あなた、さっきあなたはどうして私が先生に体を許したかって聞いたわね。それはあなたの、その彼氏のせいよ!」そして少女はまたドルファンに向き直り、「あなたにはお礼を言っておかなくちゃいけないかしら?先生は私に世界的に有名なコンクールへの参加を約束してくれたわ。あなたが提案してくれたお話が、うまく功を奏したんだから」
「でも、だからって、好きでもない男と・・」リリィはまだ納得がいかないようだ。
「あなた、まだ経験ないんでしょ?」少女がリリィにずばり指摘する。
「何の?」といったところで、リリィは少女の質問の意味がわかる。「ば、馬鹿なこと言わないでよ!私だって!ねえ、ドルファン?」
「ド・・なに?」珍しい名前なので、少女は思わずリリィに聞き返す。
そうだ!名前は変えとかなくちゃいけないんだった。「なんでもない!なんでもないの。ニックネームよ。」
少女は改めて二人に向き直る。「どう?これでご満足?これ以上何もないんだったら、通していただけないかしら?私もこれからは忙しくなる身ですので」
少女はわざわざ、並んでたっている二人の間を掻き分けて帰途をすすむ。
リリィももう、少女に反撃する気力を失っていた。見かけは自分とそう変わらない少女に先を越されたと言う負い目もある。それにその相手が少女の好きでもない相手で、少女はある目的を達成するために体を差し出したと言うのもリリィにとっては新鮮なショックだった。
ドルファンは、といえば、そう言う話は、ドルファン自身が”能力”をうまくコントロールできないころによく自分の心に飛び込んできた話だったので、比較的平然としていた。(そうか。そう言う風に僕の警告をつかっちゃったか)程度の感慨だ。
並んで泳ぐ帰り道、リリィはドルファンに問いかける。「ねえ、私も早いうちにヴァージンなくしちゃったほうがいいのかな?どうおもう?」
ドルファンには、かなりショッキングな質問だったが、なるべく平静を装って返答する。「そ、それは、僕は無理に早める必要はないと思うよ。正直言うと、僕自身はこう言っているのにかなり無理しているんだ。僕は出来ればすぐにでもリリィを組み伏せて思いを遂げたいって気持ちも、心の一部にある」
リリィが少しドルファンから離れる。
それをあまり気にせず、ドルファンは話を続ける。「でも僕は、僕自身の”能力”で相手の気持ちがわかるし、”能力”を使わなくても今まで”能力”を使った経験から、その人が僕をどう思うかがある程度理解できる。リリィに無理な事を強行した後でのリリィの反発や、心が離れてゆくのは僕には十分予測できるし、僕はそのほうが嫌なんだ。一時の快楽に身を任せて、その後の事を捨てたくな
い。だから、僕は、自然に僕たちの気持ちが盛り上がったときにそうするのが一番いいと思うんだ」
いつのまにかリリィがドルファンに体をぴったり寄せている。「今がそのときだったら、どう?」
小悪魔的な笑顔を浮かべているリリィを見つめかえしたものの、ドルファンにはそれがまた冗談だと感じる。
「もう、その気もないくせに。それじゃあ、あそこにちょうどいい茂みがある。ちょっと寄っていくかい?」
「茂み?そんな所じゃいやーよ。」リリィはぷいと頬を膨らませて見せる。
二人はしばらく黙ったまま並んで泳いでいた。
「今考えていたんだけどさあ、さっきの子、憎らしいくらいに強い子だったわね」
「うん、僕もさっきの子の事を考えていた。でもあの子、そんなに強くないかもしれないよ。もしかしたら今頃、自分のしたこと、されたことや決心を後悔しているかもしれない。それでももうことは起こってしまったから、それから先にすすむしかないんだろうけど」
「ドルファン、ここからあの子の心読める?」
「うん、出来るけど・・」
「だったら読んでみてよ!」
「嫌だよ!そんな風に僕の”能力”を使わせないでよ。それは完全に覗きだし、プライバシーの侵害だよ」
「さっきは読んでくれたじゃない」
「それは、あの子の身に危険が迫っている可能性も考えたからだよ。今はもうそんな危険はないはずだし・・」
「どうしても嫌なの?」
「嫌って言うか、そう言う”能力”の使い方をしちゃだめだと思うんだよ。リリィだって、むやみやたらと僕に”能力”を使われて、心を覗かれたい?もし、”能力”を無制限に使う味を覚えちゃうと、僕、そう言うことだって平気でやるようになると思うんだ。でも僕はそうなりたくない。だからどこかで”能力”を安易に使うことに歯止めをかけないといけないと思うんだ」
「ふーん、ドルファンもいろいろ考えてるのね。わかったわ。もう無理な注文はしないから」
リリィはその後しばらく、何か考えている風だった。
「ドルファン、”能力”を持っているって、結構面倒なものなのね」
「何だか急に黙り込んじゃったと思ったら、そんな事を考えてたの?そうだね、自分勝手に無制限に使うんだったら結構便利かもしれないけど、ほかのみんなとうまくやっていこうと考えたら、結構面倒だと思う。それは、”能力”を持っている誰もが考えることじゃないかなあ。他の人に出来ないことが出来るって、便利だけど、それと一緒に責任も伴うよね。それって”能力”だけのことじゃな
いと思う。あのピアノの先生だって、あんな素敵な音楽を奏でることが出来るから人気も出るし、尊敬も集める。だから、少女にあんなどろっとした欲望を持つことがわかると人は失望するんだよ。リリィもそうだったでしょ?」
「ええ・そうね」
「普通の人がそんな欲望を持っても、変な人、とか気持ち悪い程度しか思われないだろうけど、あの先生がそんな欲望を持っていることがわかると、悪くすれば音楽家を廃業しなくちゃいけなくなるかもしれない」
「へえ、そんなものなの?」
「あ、ごめん。実は僕もよく理解していないんだけど、あの先生はその事をとっても恐れていたんだ」
「へえ!そうだったの」
「それはあの子もうすうすわかっていたようで、それであの先生に言う事を聞かせようとしたんだよ」
「悪く言えば、たぶらかしたのね」リリィが面白そうに言う。
「まあ、悪く言えば、ね」ドルファンも苦笑い。「でも、その代わり彼女は嫌な思いをして大切なものをなくした。本当なら、もっと大切にしたほうが良いものをね」
「そう、ね。それは、そう思うわ。・・ドルファンって、結構自分の”能力”で苦労してきたんだ」
「人の心が覗けるなんて、いい事なんてあんまりないよ。ひとつ、収穫はあったけど」
「ふうん、なあに?それって」
「すごく、意志が強いけど、純な女の子を見つけることが出来たってこと」
リリィはそれを聞いて嫉妬の心がうずく。「それ、誰?エルン?さっきの女の子?」
「リリィ!君のことだよ。あれ?わかんなかったかなあ。わかってもらえると思ってわざとぼやかして言ったのに」
それを聞いて、リリィが照れる。「なあんだあ!そうならそうと、はっきり言ってよお!」リリィはドルファンの後ろ頭を軽くぱあんとはたく。リリィ自身は自分と人を比べることが出来ないので、ピンとこなかったのだ。「へええ、私って、そうなんだ。ふうん」なんだかリリィは嬉しそうだ。
「どう?ドルファン。あなたがそう思っている私が、あなたの彼女になってあげたのよ。嬉しいでしょ?感謝してね」
ドルファンはさっき頭をはたかれたのがかなり効いたようで、まだ頭をさすっている。「普通そんなこと、自分から言わないよ」
「私は言うの。それはね、それだけ自分に自負を持っているってことだし、それをその人の前で言うってことはそれを今後とも維持しようって言う決意の表れなの。だから、これからさきもあなたが私と一緒になってよかったと思うような女であろうとするって意思の表れなのよ。それって、あなたにとってもいいことでしょ?そう思わない?」
「ううん、何だか嬉しいような、そうでないような・・」
「なによそれ、そのはっきりしない態度」
「人の頭をぱーん!てひっぱたかない、おしとやかな女の子って言うのも、良いかなって思ったりして」
「なーに言ってんの!私だって、おしとやかになろうと思ったら、いくらだってなれるんだから。ただ、私って女を生かすのは、私のクレバーで活発な面をより表に出すほうが」
「ねえねえ、クレバーって、何?」
「なに、ドルファン、クレバーって意味も知らないの?クレバーってのはねえ、・・・」
などととりとめのないことを話しながら、寄り添って仲間の元へ帰るドルファンとリリィであった。