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広島復興記   作者: 鈴宮 とも子
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カープ誕生秘話

  カープ誕生秘話


 

 こうして現金封鎖は行われた。これにより、父母が残した預金が有名無実化してしまい、庶民も店を商う人もたいへんな目に遭った。という人もいる。新紙幣発行が間に合わず、旧紙幣に切手を貼って流通させた、という話もある。このように、国のインフレ対策が失敗したとは言え、復興への努力は続けられた。

企業への融資は、限られた資産事情の中から、極力その要請に応じてきたという事情もあった。特に広島特産の『針』をはじめ、食品業、繊維卸業、小売業、土木建設業に対して積極的であった。

 国民の間では、不満もあった。

「早く住宅を用意して欲しい。市や国は、公園や緑を作ることは熱心でも、市民の住宅事情には無関心だ」

 という人もいるし、

「都市計画を早く発表して欲しい。あの相生橋の近くの道路(のちの平和大通り)は、だれのものでもないのだから、あそこに住宅を作ってもいいのではないか」

 という人もいる。

「あそこは広い道路が出来るらしい。もしかして、軍用の滑走路かも」

 そんな予想も飛び交った。

 原爆スラムと呼ばれる、すさんだ場所も生まれている。そこではさまざまな人々が、しのぎを削って生きていた。

 闇でいかがわしい酒を売るもの。

 春を売っている女性。

 ヤクザに身を落とすもの。

 人々はそれでも「生きて」いた。

 土にまみれ、砂を噛み、人間のむしろのように踏みつけられながら。

 手軽に出来る商売として、広島風お好み焼きが定着しつつあった。

 なにしろ、キャベツと水と小麦粉さえあれば、できるのだから簡単なものだ。

 ショバ代をせびるヤクザと飲み、意気投合してその場を乗り切った経営者もいた。

 その経営者は、広島風お好み焼きの進歩のために、さまざまな工夫をしたという。

 まずは、クレープみたいなものだったお好み焼きを、もっとボリュームのあるものに変更。

ソースの作り方や、鉄板のバーナーの位置へもこだわり。

 中身の具もこだわり、形もまたこだわった。

 そばやうどんを入れるようになったのは、屋台で焼きそばを作っていたのがきっかけだった。

 おばちゃんでも出来る商売なので、あっという間にお好み焼きは広まっていった。

そんな中で昭和二十四年、広島カープは結成されていく。しかしその道のりは、決して平らなものではなかった。


 進士は、医者に頼んで一時退院させてもらった。

「退院? どこへ行かれるんですか」

「聞くな。広島のためだ」

「許可できませんな」

「頼む! 一生のお願いだ。どうか、退院させてくれ。ずっととは言わん。三時間でいい」

 医者は、眉をつり上げた。

「あなた、自分がどういう状態なのか、わかっておいでなのですか? 今だってほら、フラフラしていて、足元がおぼつかない」

「わかってる! だが、あんただってわかるだろう。ここ一番ってときに、後には引けないものはあるんだ」

 医者は、渋い顔をしていたが、進士の意志が固いのを見て、不承不承、許可してくれた。

「一時間だけですよ! いいですか!」

「はいはい」

 外へ出ると、日が眩しかった。小春日和の太陽だ。

 そのまま、チンチン電車に乗って、横川へ行った。吊り革が揺れている。横川には、発起人の桐原がいる。彼とともに広島に市民球団を起こそうという同志、佐藤登議員に会いに行っていくつもりなのだ。

 日焼けした顔のハンサムな紳士である桐原説人は、スーツ姿で進士を出迎えた。髪は薄茶色で、両側に分けている。この寒いのに外衣は着ていなかった。おそらく手に入らなかったのだろう。桐原は、張り切っている様子の進士の表情を見て顔を曇らせた。

「おい。幽霊みたいな顔しやがって、おまえほんとに進士なのか?」

「たぬきが化けたってわけじゃない。妖怪でもないからな。だいじょうぶだ。だが、俺が入院していたことは、佐藤議員には内緒にしておいてくれないか? 心配させたら話が進まん」

「そうか。オレも、水素よりは口が重い人間だし、約束してやるよ」

「水素ぉ? アテにできんなぁ」

 進士は、桐原の冗句を聞いて、水素のように気持ちが軽くなるのを感じた。

「それで? 佐藤議員に、なにを頼めばいい?」

「まずは、広島県や県下五市からの大口出資のメドを立ててもらうよう、働きかけてみるんだ。個人や企業からの申し込みは、オレたちがまとめればいい」

「財政難だし、それらの大口出資が滞るかもしれないね」

「……説得次第だろう。何度かオレが言っているように、広島には古くから強豪野球チームが存在している。昨今の若者の心が荒廃していることは事実だし、健全なスポーツで発散できればそれでいいはずだ。だが、おまえのいう意味はわかるよ」

佐藤のいる議会に着いた。市議会会議場は、新しくなって旗まで立っていた。桐原に案内されて進士は佐藤議員に会った。その女好きのする丸い目を見ながら、

 ―――政治家って、だれもかれも似たような顔に、なるんだな。

 という感慨にふけっていた。

 小ずるそうな、ネズミを咥えた猫みたいな顔である。脂ぎった中年男が発する独特のにおいがした。安物のコロンでごまかしているので、むせそうである。

「佐藤議員、こちらが日銀副頭取の―――」

 言いかける桐原を制して、

「おお、手助けしてくれるのか!」

 大仰な身振りで、佐藤は進士の手を握りしめた。アメリカに迎合して議員になっただけあって、いちいち西洋かぶれなのである。その分厚い手がしっとりしていて、進士は気色が悪くなった。

 桐原は、カープのために資本金二千五百万円の株式募集をしてはどうか、と話を持っていった。佐藤はうなずき、

「議会についてはわしに任せろ」

 と大声で怒鳴った。

 吹き飛ばされるように二人はその場を辞した。

「そろそろおいとまします。新聞社に行かねば」

 進士は、陰ってきた日を見て顔を曇らせた。

「新聞社? なにをするつもりだ?」

 桐原は、首をかしげた。

「ちょっとばかり、用がある」

 進士はC新聞でカープのための資本金を募集している旨、新聞広告で打った。

 そして、夕闇迫る広島を、半ば駆けて行った。


 数日後、佐藤議員は県議会と市議会に出向き、カープへの出資が急務であることを訴えかけた。県や県下五市からの出資は、彼がもっともアテにしていたものだった。それが大口だったからである。

 しかし、現実は進士がちらりと危惧したように、財政難や議会の慎重論が噴出してきた。敗戦まもなくである。復興のために立ち上がりつつあるときに、余計な出費はしたくない、というのが県や県下五市の一致した意見であった。

 民間人や企業がどれだけ盛り上がっていても、資金には限界がある。それに、仮にも市民球団なのだ。議会が関わらなくてどうする。と、佐藤はやる気まんまんだったが、議会の反応は鈍かった。

 具体的に言おう。

 街頭で、民間人が樽募金を募集した。C新聞の広告と記事を見た市民は、なけなしのお金を投じてそこに設立のための資金の一助とした。生活費の一部を、まさに削ったのである。

 ところが、市議会のしたことは、まったく正反対だった。

 呉市長が他の四市に対して、「カープへの出資について、貴市ではどう対応するつもりか」

と問い合わせた。それに対して、もっとも乗り気であっていいはずの広島市長は、「市議会関係委員会において審議続行中」という返事である。言い換えれば、議会が承知してくれない、ということであった。尾道市長は正直に、「当市は未だ決定いたしかねており」と答えるにとどまり、福山市長は「議会内で与党が三人だけなので」なかなか決めかねている出資態度を回答している。とどめは三原市長で、「地方公共団体としてかかる事業に出資することについては、法的にも多分に疑義がありますので、出資等について考へておりません」というつれない返事をしたものであった。

つまり、佐藤は総スカンを食らってしまったのである。

 佐藤から呼び出された桐原と進士は、それを聞いてガッカリした。

「ムリだった」

 佐藤は、現実的な男であるから、簡単に片付ける。

 とたん、ギロッ。佐藤は、四つの視線を感じて首筋が冷たくなった。このごに及んで泣き言を言うとは、という顔の桐原と、任せておけと言ったろという顔の進士である。

「発案はいいんですよ、発案は」

 急いで佐藤は、自分の言葉を補った。

「市民球団なんて、ほかの県ではやってませんからね。広島として挑戦しがいがあるとは思いますが、ない袖は振れません」

「なら、借りればいいじゃないですか」

 進士は、じれったくなった。

「借りるってどこから?」

 佐藤は、信じられないという目になった。

「まさか日銀ってワケにはいかないでしょう。たしかに広島には日銀が深くかかわってきた歴史はあるが、これは地元銀行のG銀行が担当する話ですよ」

「市民球団は、わたしの夢でもあるんです!」

「病気のキミに、そこまで信用はないよ」

 佐藤は、思わず笑ってしまった。

「―――じゃ、だれがいいんでしょう? 佐藤さんとか?」

「冗談だろ。オレにだってそこまでの信用はない」

 桐原は、佐藤のためらいを見て取った。

「じゃあ、おれが融資を受ける」

 桐原は豪快に笑った。「これでも気に入った事業には責任を持ってあたってきたんだ。おれの個人的魅力ってヤツで、なんとか銀行からカネを引きずり出してやるさ」

 がっはっは。なんとも豪快にそっくりかえって笑っている。

 桐原が約束したとおり、G銀行は彼の人柄を信じて、大口の融資をしてくれたらしい。いくら貸してくれたのかは笑ってごまかされたのだった。


 カープが結成された一九四九年九月二十八日、初子が死んだ。

 以前から心臓が悪かったうえに、夫の病気やインフレ、現金封鎖と立て続けの困難に心労が続き、とうとう発作を起こしてしまったのである。

「初子、はつこ!」

 進士は、冷たくなった妻の身体を揺さぶりながら、涙声で妻の名を呼んだ。

「やめときなさいよ。食い扶持が減って喜んでるんだから」

 義妹の小夜子のその言いぐさに、進士は頭に血が上り、心臓が早鐘を打ち始めるのを感じた。

「なんてことを言うんだ!」

「人間はね、死んだらおしまい。忘れ去られていくばかりよ。残していけるものなんて、なにもないんだわ」

 小夜子はくるりと背を向けた。

 必死で進士は、癇癪をおさえつけた。手足がびりびり震えてくる。抑えがたい怒りが、だるい身体をしゃんとさせた。

 進士は、妻の身体を抱きしめる。

「初子。おまえには、苦労をかけた。俺によくついてきてくれた。俺のかけがえのない妻だった。子どもが居れば、おまえの形見になったろうに」

 すべてが片付くまでは、時間がかからなかった。初子には親類縁者はひとりもいなかったから、葬式は略式になったのである。副頭取の妻として盛大な葬式をしたかった進士としては、自分のこの身体の不調が恨めしい。

 葬式が終わるまでは退院してもいい、という医者の許可は下りたが、長時間の外出は許されなかった。納骨を見守ったのは、橋本である。橋本は、読経の声を、奥歯を噛みしめて耳を澄ませていた。小夜子が我が物顔に、まるで喪主のように振る舞っている。弟の嫁だというのに、厚かましいのである。これを見たら進士が堪忍袋の緒を切らすだろうし、そうなって当然だと思った。現状報告は、するまい。

 病院に戻ると、ベッドで進士は、ポツリと橋本に言った。

「関谷も死んだ。初子も死んだ。俺も長くないだろう。周りに生きている人がほとんどいなくなってしまった今となっては、あの原子爆弾が、血に飢えた大きな死神に思えてくる」

「進士さん……」

 進士の懐刀として部長にまで昇りつめた橋本は、ベッドの脇で涙をこらえている。

 ベッドの脇には、桐原と佐藤もいた。三人は、残り少ない寿命しかない進士の命がけの事業を、いま、まさに全うしようとしていたのである。

「気をしっかり持て。おまえには、やるべきことがあるだろう。それまで死ぬのは許さんぞ」

 桐原は、紳士の手を握りしめた。痩せ細って、今にも折れそうなほど頼りない手。

 橋本は、いまやおおっぴらに泣いていた。父親も原爆で失った。さらに、進士まで失うのか。そんなことがあっていいのか。

 窓から射し込む秋の日ざし。外は枯れ葉が舞っている。冬がはじまる。別れの季節がはじまる。ちゅんちゅんと、窓枠に遊ぶスズメの声が、無邪気な陽気さを感じさせていた。

「多くの犠牲があった。多くの苦しみがあった。多くの過ちも、失敗もあった。けれどいま、カープが結成された。G銀行の今の副頭取は、この広島の現状をよく知っているんだろう。おカネがあれば、今後も優秀なプロ選手を獲得できる。うまくすれば、リーグ優勝もできる。がんばってもらいたいものだ……」

 進士には後悔はない。

 なぜなら、あとを託せる人物が、たくさんいたからである。

 その人物、橋本を前に、進士は厳しい顔になった。

「広島の復興は、悲願でした。核兵器廃絶が出来るかどうかはわかりませんが、直近の課題としては、挑戦しがいがあります。それに、みんながむしゃらなところがありますからね」

 原爆の非人道性を訴えれば、きっとみんなわかってくれる。

 人間を信じ続ける進士の、燃えるようなまなざしを、橋本は一生忘れなかった。

  


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