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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅳ 孤独な姫君はフライパンを手に戦った。
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72話   平穏な年末年始を過ごす その3

   平穏な年末年始を過ごす その3


 私たちは席を立つと会計を済ませる。

 店を出ると、真っ直ぐに弟が入院する病院へ向かった。

 病院は正月明けで、外来の待合が混みあっていた。マスクをしているお年寄りから、私の腰あたりの背丈しかない子供もいた。幼い男の子が、足を滑らせて転ぶ。私はわきを抱えてその子を起こしてあげる。

「大丈夫かな、痛いところはない?」

「うん。だいじょうぶ」

 風邪を引いているんだろう。鼻から鼻水を垂らしていた。風邪をひいても元気いっぱいな子供に私は笑みを浮かべた。

 ちゃんとマスクつけないとダメでしょ。

 男の子は時折後ろを振り返って、こちらを窺っていた。その可愛らしいしぐさを見ると、何だか元気が湧いてくる。私は、その男児に手を振ってみた。すると彼も手を振り返してくれる。

「子供、好きなんですね」

 隣で私と子供のやり取りをただ見ていた宮古さんはそう言う。

「嫌いではないよ」

 私は子供から視線を外す。

 いつもお見舞いに来る時と同じ経路で弟の病室へ行く。

 前に違うほうからいってみようとして迷ったことがあった。結構方向音痴な私は、どんどん病院の奥へ進んでいって、ボロボロの病棟へ足を踏み入れていしまった。ほとんど使われていないようで、患者はおろか、病院関係者の姿も見られなかった。

 私はその時、何を考えていただろう。呆れていたのかな。

 幼い時の習性がいまだ治っていないことに。

「私さ、結構な方向音痴なんだ」

「そうなんだ」

 宮古さんは唐突な話題にどう反応していいか分からない様子だ。

「小さい時の話だけど、一度弟と一緒に迷ったことがあったんだ。どこか全く分からなくて、帰れないから、不甲斐ない私は泣き始めてね、それを弟に慰めてもらった。結局、弟が私の手を引いて家まで導いくれたんだよ」

 私はエレベーターを降りる。廊下を歩いて、そのまま弟の病室に入った。病室にはツンとした消毒液の匂い。暖房の風で、ベッドを仕切るカーテンがかすかに揺れる。私はそれを引いた。

「今は、泰孝が迷ってしまっているよ」

 暴かれたカーテンからは、ベッドで安らかに眠っている弟の姿が露わとなる。

 宮古さんは大きく目を見開く。

 私は、宮古さんに追い打ちを掛けるように言い放つ。


「あなたの知ってる泰孝は、もういないんだよ」


 泰孝の姿を目にした彼女は、口元を手で覆う。しばし彼を見つめた少女は、彼のベッドに歩み寄る。そして恐る恐る手を伸ばして、彼の手に触れようとした。その手は酷く震えていて、少しでも触れると彼から手を放そうとして、でもその手を優しく握った。

「ずっと会いたかった」

 ぽつりとこぼした本音。

 その主は、彼を愛おしそうに見つめている。反面、どうしようもない悲しみも包含していた。

 宮古さんは、ベッド横のパイプ椅子に座ってしばし彼の手の感触を確かめていた。

「彼は、泰孝君は、もうずっと眠っているんですか?」

「うん、もう半年間ずっと目を閉じたままだよ」

「そう、ですか」

 沈痛な面持ちを浮かべた彼女は、彼の手を己が額に持っていく。両手で包み込んで顔を私に見せないようにしていた。

 私も足が疲れてきたので、彼女から離れた場所で椅子に座った。

 

 特に話すこともなく、時間が過ぎていく。

 宮古さんは、温かなまなざしを弟に向けている。その瞳は過去を懐かしんでいるようだった。

 彼女の様子を見ていると気になってくることがある。そんなにまで愛おしそうにしているところを見る限り、彼らは相当な関係にあると思う。彼女からして弟はどんな人間だったのか、聞いてみたくなった。

「これは私の興味心からなんだけど、弟はあなたからしてどんな人だった?」

 宮古さんは、一瞬聞かれている意味を解していなかったようだ。少し考えるそぶりを見せると、私に大きな瞳を向けてくる。その瞳は胡乱気であった。

「えっと、私にとってしてみれば、彼はとても優しい人でした。その優しいというのは、誰に対しても優しいんです。その優しさっていうのが、私の憧れているような優しさでした」

「宮古さんが憧れる優しさ?」

「はい。彼は誰かが陰口をたたかれることを嫌っていました。例え友人が話の種で、誰かの悪口を言おうものなら、その友人を叱責していました。それってとてもすごいことだと思いました」

「うん」

 私は、心底頷いた。

 まさしく弟のすごいところだ。

 弟は真っすぐで、曲がったことを嫌う。

 友人が悪いことをしているとして、それをしっかり怒ってやることができる。友達のまがった部分を直してやるのは、友達の大事な役割だ。少なくとも私はそう思っているし、こんな風に話してくれる宮古さんもそう考えているだろう。

 そんな友達に対しても怒ることができるのは、結構難しいことだと思う。

 今のSNSでは、正しいことをしている人が、同調圧力によって操作されるクラスメイト達から非難されることだってあるだろう。顔を合わせず、声を聴かずに、電子の短い文章が、一人の生徒を釣り上げて、罵詈雑言を浴びせる行為なんて、想像するだけで恐ろしい。

 そんな形のない意志が、どのような形で働くかなんてわからない。

 ちょっとした苛立ちの憂さ晴らしなんてもので、炎上なんてこともあるだろう。そうして言いたいことも言えなくなってしまうんだ。

 でも泰孝はそんな程度のことに恐れを抱かなかった。

「いうべきことは言う。でないと、心がつっかえて気分が悪い」

 宮古さんは、私の言葉を聞いてハッとしている。口を開きかけてまた閉じる。数瞬躊躇ってから、彼女はとつとつと話し出す。

「私に対してもよく言っていました。何だか癖というべきか、彼の口癖になっていたものですね」

 私はまさしくそうだと、コクコク頷いた。

 宮古さんは、彼にしばし目をやる。そして私を見据える。瞳の奥に、決して潰えない強い光を感じさせた。

「これから先も、泰孝君のお見舞いに伺っていいですか?」

 私は息をのむ。

 彼女のこの言葉は嬉しいモノであった。 

 泰孝という少年が、病院で忘れられた存在にされてしまうなんて不安を一掃するものであった。同時に、いつ目覚めるとも分からない少年を待ち続ける苦痛を彼女に味あわせていいのか分からない。

「もう、目を覚まさないかもしれないよ」

 彼女は、間髪入れずに言う。

「目を覚まします。必ず」

 宮古さんの瞳には、一切の迷いはない。

 私は当然愚問だろうことに対して、義務的に問う。

「いつになるか分からないよ」

 そっと告げた言葉。

 彼女なら、もう答えることは決まっている。

「わかっているよ」


 私は目を閉じた。

 体中の筋肉が弛緩していく。

 フラフラとして、壁に寄りかかった。

 私はもしかすると、弟の状況に絶望して彼女が離れていってしまうのではないかと考えていた。それは万が一であって、彼女の様子を見ていればはっきりわかることであった。宮古さんの弟に対する接しようは、見ているこちらが恥ずかしいくらいに思いやりのあるもので優しさを感じさせた。

 そこまで確実であっても、私は無意識下に不安を抱いていたのだ。

 私は、私の怖がりように笑わずにはいられなかった。

 宮古さんは、そんな様子に怪訝そうな目を向けてくる。

「ああ、気にしないで。あなたが、はっきりと言ってくれて安心したんだよ」

「そう、それで」

 不安そうに窺う彼女に対して、私は目を拭って答えた。

「うん、良ければぜひお願いします。弟も絶対喜ぶだろうし」

 私が改めてそういうと、宮古さんは安心したようだ。落ち着いた表情で、ベッドに眠る泰孝に目を遣った。

「二条さん、ありがとう」

「お礼を言われるようなことじゃないよ」

 窓より覗く外は、冷たい風が吹き荒れている。歩行者が首に巻いているマフラーは、激しく揺られていた。手をこすり合わせて、白い息を吐きかけている。だけど私たちは、それを他人事のように見ていた。ここは、この空間は普段よりもずっと温かかった。

 

 


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