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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅳ 孤独な姫君はフライパンを手に戦った。
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71話   平穏な年末年始を過ごす その2

   平穏な年末年始を過ごす その2


 三箇日は、特に変わったこともおこらず平和であった。

 どこの家庭も同じように、おせち料理を食べて初詣に行く。あえて言うならこれだけだ。後は寝正月。ぐうたらも甚だしいくらいだ。弟がいたら、今頃布団から引っ張り出されていただろう。

 今日から正月休みは終わる。一般の社会人であられる方は朝早くに満員電車に揺られている。

 私も、このままぐうたらしているわけにはいかない。

 日が昇るとともに起床する。

 階下のリビングでは加奈がぼんやりとした様子でテレビを見ている。あまりの呆けようなので、私は彼女の頬をつまんだ。

「ふおい、止めろ」

「あ、起きていらっしゃる」

 加奈はジト目で私を睨む。

「有紀は私がどういう風に見えたんだ?」

「てっきり寝ているものかと」

「誰が目を半分開けたまま寝ているんだ。こんな半眼開いたままで寝ているとか、相当疲れがたまっている人じゃないと無理だろ」

 私は、必死にツッコミを入れる彼女に苦笑いした。

「それはそうと、おはよう有紀。調子はどうだ?」

「正月休みの影響だね。眠気が酷くて仕方ない」

 ここ数年、私はまともな正月休みを過ごした記憶がない。一年中家事労働に追われていたのだ。今では想像するのが難しいくらいにまで、この家の生活に馴染んできた。

 私はキッチンで六枚切りのパンをトーストする。

 いい焼け具合になると、それにバターを塗る。眠気が酷いため、コーヒーは濃い目にした。

 朝食をリビングでぽけーとしている加奈に持っていく。

「ありがとう」

「気にしないで、それよりどうしたのかな? 加奈、眠いっていうよりしんどそうだけど」

「別にしんどいわけじゃない。ただ考え事」

 そういって加奈は、熱々のコーヒーをすすった。

 いつもと同じ薄い目のものだと思っていたのだろう。彼女は一口含むと、目をぎょっとさせる。加奈は慌ててテーブル中央に置いてある砂糖ビンを取り寄せると、コーヒーに入れた。

 私は彼女の反応が大袈裟に見えた。

「そんなに苦かったの?」

「うーん、ちょっと苦いな」

 じゃあ私も砂糖を入れるべきだね。

 コーヒーに砂糖を入れて、私はそれを飲んだ。カリカリになったパンに齧りついていると、加奈が思い出したように言った。

「なあ、有紀は宮古さんを知っているか?」

 私は首を振って応える。

「生徒会の副会長ってことぐらいかな。真面目な印象しか知らないよ」

「そうか、実は昨日な、その宮古さんから有紀に会って話がしたいという連絡が来たんだ」

「私は別にかまわないよ」

 暇だし。

 私が適当に答えると、加奈が何やら連絡を始める。そしてあれよあれよと、待ち合わせ場所に時間が決まっていき、私は今日宮古さんと会うことになったのだ。朝食を終えた私は、洗い物をしながらため息を吐く。

 隣で皿を拭いている女の子はこんなにも強引だっただろうか?

 最近彼女の印象は調和的なものだった。だからこそ忘れていたのだ。私が啓二とくっついたのは、加奈の焚き付けによるものだった。正しいと思ったことには、とことん突き進んでいく。そんな女の子なのだ。

 私は食器を洗い終えて、タオルで手をふく。

「話だなんて、冬期休暇明けに学校で話せばいいのに、どうしてこんな急なの?」

「宮古さんにとって、もっとも会いたい人のことをあなたが知っているからだ」

「えっと、その人は……」

「泰孝君だ。かつて宮古さんの彼氏だった人」

 ああ、そう言えば弟には恋人がいた。

 結局、私にはちゃんと会わせてもらえなかった。顔も名前も知らない女の子は、弟より年上で、時折話を聞く限りでは真面目であったことだけ知っている。

 昏睡状態となって半年。

 予期せぬ別れとなったにも関わらずに、まだ彼の身を案じてくれる子がいる。そのことに私は嬉しかった。

 

 昼前、学校近くのファミレスで私と宮古さんはおちあった。

 正月明けで、店内は少々空いている。店員の皿を積み上げる時に、皿同士がこすれて高い音が鳴る。厨房のほうからは、パチパチ脂の跳ねる音が聞こえてくる。客同士の雑談とかない分、それが目立ってしまうのだろう。

「あなたが二条さんだったの?」

「そうですよー、私が二条有紀ですー。そういうあなたは加奈とよくつるんでいるところを見てきたので名前だけは知っていますよー」

 私はお冷に口を付ける。

 はて、どうしたものか。弟の彼女かも知れない人を前に私は妙にそわそわしている。いやね。いるって知っていたよ。でもいざ会うとなると、何かなあ緊張しているのだろうか。妙に胸をチクチクさしてくるこの感覚。

「と、ところで宮古さんはあいつの恋人だったって聞いているけど時期はいつぐらいからなの?」

「大体中学二年くらいから、彼と知り合った。そして私が三年になって彼と付き合い始めた」

 話す宮古さんのもとへ、トマトソースのスパゲティが運ばれる。

 彼女が何か私に問いたげな眼をしている。どうしたのだろうかと思いながら、テーブルに目を遣るとスパゲティがある。

 ああ……そういうこと。

「どうぞどうぞ、お先に」

「えっとごめんなさいね。じゃあ先にいただきます」

 なるほど、宮古さんは結構気を使うタイプだね。

 以前学校で見た時は、とげとげした印象があった。でもこうして話してみると、案外話しやすいというか、生き生きしているというか。多分今の彼女の様子こそ、本来の物だろう。学校での難しそうな顔には、何か特別な理由があると言ってもいい。

 店員が私のもとにサンドイッチセットを置いていく。

 ハムサンドをパクッと頬張りながら私は考える。

 弟のことについて、宮古さんと話をするわけだ。

 宮古さんは、弟と恋人だ。

 そして弟は現在昏睡状態となっている。

 どう考えても、ものすごく重い話になるじゃない。せめて、全部食べ終わってから話そう。今話すと絶対彼女は食欲をなくすに決まっている。

 私がハムカツサンドに手を付けようとしているところ、宮古さんが食べかけのスパゲティにフォークを置いて私をまっすぐ見据えてくる。

「あの、弟さんのことを聞いていいですか?」

 えっと、今聞いてきますか? 別に私は構いませんよ。弟のことに関して話すことに何ら精神的な負荷なんてありませんからね。でもあなたは何かとつらいでしょ。恋人と数か月音信不通とか普通じゃない。

 内容次第じゃ食欲吹っ飛ぶだけじゃすみませんよ。

 なんて私は、内心で忠告する。

「い、いいよ。どんなことでもね」

 彼女は一瞬逡巡するも、意を決したようだ。

「あの、泰孝君はどうして私に一切接してくれなくなったんですか?」

 これは、またストレートに聞いてくるんだね。

 ストレートな問いには、ストレートな答えが必要だ。辺に曲げた答えは誤解を生むかもしれない。それによって彼女を喜ばせたり悲しませたりするのだ。まあ、彼女はどのみち悲しむことになるだろうけど。

「泰孝はね、接したくても接することができないんだよ」

「えと、それはどういう?」

 ふと思った。

 私はどうしてこんなにも他人事のように話せるんだ? 少し前、私が両親と暮らしていた時は、弟のことを考えると悲しくなって仕方なかった。弟のことを考えるだけで涙が出そうになったくらいだ。そんなにも脆い心で弟のことを誰かに話せるはずもない。その時、私の傍にいた人物は弟を除き、那岐一人だった。

 今は、優しい人に囲まれて幸せを享受している。頼れる人物が弟だけではなくなった。

 そのことが私にとって弟という存在を矮小化させているのか。決してそうではないと思った。少しでもそんなことを考えた自分が怖くなった。

「弟は、入学してすぐに、交通事故にあった」

 泰孝の現状を説明すると、宮古さんの表情は空虚なものへと変わっていく。悲しみが表に出るよりも、ショックのほうが大きすぎたようだ。宮古さんの心は防衛反応を起こして、強制的に思考を停止させる。

 数分ほど様子を見たものの、このままほったらかしというわけにいくまい。

 肩をとんとんと叩いてみると、存外早く彼女の態様は正常に戻った。

「大丈夫?」

「えと、ごめんなさい。私、驚いてしまって」

 その後の彼女はやはり食欲をなくしてしまった。真っ白い皿に半分のスパゲティを残してしまった。彼女は重いため息をつく。

「えっとさ、一応確認してほしいことだけど今のあなたにとって、泰孝の存在はどういったものなのかな?」

 私は彼女の眼をまっすぐに見る。彼女は目をそらさずにきっぱりと言った。

「彼、泰孝君に会わせてください。どれほどつらいことを言われても構わない。彼の顔を見て、彼の声を聴きたい。お願いします」

「うん、いいよ」

 頭を下げようとする彼女は、私の軽い返答に驚いている。

 まあ、彼女が驚くのも仕方ない。私自身も以前まで、弟と誰かを会わせることに、妙な躊躇いを感じていた。それは弟の変わり果てた姿を見せたくないというものだった。そして何より私自身、物言わぬ弟と二人きりの時間を持ちたかったというのがある。

 今思えば私の行動は間違ったことばかりだ。


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