70話 平穏な年末年始を過ごす その1
平穏な年末年始を過ごす その1
大晦日、私たちはリビングで年越しそばをすすっていた。私はそばが好きで、そのトッピングにもこだわりを持っている。薬味のネギは多く、かき揚げを麺の上にデンとおいて、熱い出汁にしばし浸す。少し出汁を吸ったくらいが、結構おいしい。油揚げに、ニシンも用意して、テーブルの中央に置いてあるけど、私は使わない。
「有紀は、そばが好きかい?」
向かいに座っている雄一郎さんが、興味深そうに私を窺っていた。
「ええ、でもどうしてそう思ったんです?」
「すごくおいしそうに食べるからね」
「もう、あんまり女の子の顔を見ないで下さいよ」
私は苦笑する。
蕎麦を瞬く間に食べ干した私は、出汁も残さない。ごちそうさま、と告げてキッチンにどんぶり鉢を持っていく。そばを湯がいた鍋と共に鉢も流しに置く。それらを洗って水けを拭き取っていると穂波さんが肩をポンとたたく。
「有紀ちゃん、あとは私がやるからゆっくりしておきなさい」
「はい」
私は二階に上がる。
加奈が部屋から出てくると、私を招き入れた。彼女の部屋には啓二もいた。普段部屋の中央に置いてあるガラステーブルはわきに追いやられている。空いた空間を埋めるように彼らは座っていた。
「二人とも、何してるの?」
首を傾げる私に、啓二はトランプが入ったプラスチックの箱を見せてくる。
「ああ、加奈と有紀に俺を入れてカードゲームでもしようと思ってな」
「有紀も何かしないか? ババ抜きから大富豪に神経衰弱」
「やるやる!」
私は、ふたりの傍に座る。
啓二はカードをシャッフルする。不器用なのか、時折カードを落としそうにしている。彼は普段こそ、結構完璧っぽい印象がする。だからかな。そんな様子がおかしくて、悪いと思いながらもくすくす笑ってしまう。
「何をするの?」
「ふーん、そうだな。大富豪でいいか。加奈は何がいい?」
加奈は目を閉じると腕を組んで考え込む。
そんな難しいことでもないだろうに、真剣に考えなくてもね。
「ふむ、私は神経衰弱がいいと思うぞ」
「「それダメ」」
私と啓二の声がハモる。
二人同時に反対されて、彼女はしんとしてしまった。あまりに必死な反応をしてしまったみたいだ。加奈が少し怖がっている。
別に怖がるようなキャラじゃないが。
ただ私も啓二も彼女に神経衰弱をさせるわけにはいかないのだ。
橘加奈は、瞬間暗記力が常人の比ではない。以前私が彼女と神経衰弱をしたとき、彼女はめくったカードをすべて覚える程度だった。私にしてはそれだけでも十分にすごいことだ。私も彼女の様に暗記する力を鍛えていこうとも思った。
なのにあんなものを見せられるとさすがに心が折れた。
「五十四枚のカードの位置すべてを十秒足らずで覚えられる人に勝てないよ」
「うーむ。私も間違えるときは間違えるのだが」
啓二は、カードを配り終える。
ゲームの種類はババ抜きとなった。彼としては大富豪をしたかったらしい。三人で大富豪、大量のカードを手にどれを出すか手間取っている様子が想像できるのはたやすい。
私たち三人が囲んで中心に同じカードを置いていく。
もう同じカードがないか確認している時に、啓二がさりげなくあることを言った。
「加奈は、最近口調が変わったな。どうしたんだ?」
「別にどうもしない。私はずっと自分を飾ったような話し方をしてきたと思っている。実際そう意識して話していたんだ」
「そんな飾っているなんて」
啓二が彼女に気を遣うような言葉を言おうとして、彼女にさえぎられる。
「飾っていたさ」
加奈はカードを床に置くと、啓二にわずかな笑みを浮かべる。
「啓二クン、私はある人に女の子らしく見て欲しくてずっとそうしてきたんだ。最初こそ、なかなか大変だった。染みついた話し方を意図的に変えるなんてな」
加奈の過去を慈しむような優しい笑みは、私に野性的緊張感を与えた。彼女の一度として見たことのない表情。それが恋する者の浮かべるものであることは、すぐわかった。
啓二がこの表情に、驚くことはあっても心が彼女に揺らいでしまうことはないと思っている。だけど、目の前の状態を見せられると、本能的に加奈を敵として見てしまう。まるで獣みたいに。
私は荒れる呼吸を落ち着けようとする。
落ちつけ私。
何を怖がる?
私は天井を仰ぐ。目はぎゅっと閉じて。
「私はな、啓二クンがずっと好きだったんだ。いつから明確に好きになったか、一応覚えてはいるよ。その時は飾る、なんて知らなかった。大体恋なんてものをちゃんと知らない時の物で。でも君のことを考えると、心がポカポカして心地よかった」
彼女は悔しそうに唇をキュッと結ぶ。そして顔を俯かせた。
啓二は彼女の言葉に、翻弄されていた。今まで全く意識してこなかったのだろうか。とにかく驚いている、という顔をしていた。そして彼女に対して申し訳なさそうな顔も同時に浮かべる。
加奈は、はああー、と長年の溜まりたまったほこりを出すように息を吐く。顔を上げると満面の笑みを浮かべていた。
「私を妹にしてくれて、ありがとう」
透き通った綺麗な肌に、一滴の雫がこぼれる。
私は、どうしていいか分からなかった。
自分は、どうしても譲ることができない。そして私の欲が誰かを深く傷つけることになる。恋愛関係が、三角かそれ以上になった時には酷くつらいことが見えない場所で起こることは分かっていた。
私は、傷ついた子たちの上に立って幸せを貰う。
私は膝に置いた拳をぎゅっと握る。
私の体温が死神の吐く息に絡めとられるように下がっていく。畏怖の感覚を覚えている時、ふと頭を撫でられる。
私は恐る恐る前を見る。
すると、加奈が苦笑していた。
「ごめんごめん。こんな話はいまするべきではなかったな。でも、これから先、私が新しく出発することを二人に宣言しないといけない気がした」
私と啓二は互いに顔を見合わせる。
加奈は先ほどの物と違う、最上の笑みを浮かべていた。
「私に恋人ができたんだ?」
「「ええ!」」
またしても声が重なってしまった。
夜も更ける頃だから、あまり大きな声を出してはいけない。
私は口を押えるそぶりをしたのちに、誰が相手か聞いてみた。
「二人もよく知る人だ。もったいぶってもな。
……ほら、飯田だよ。意外かもしれないが」
そしてまたもや私たちは、驚きの声を上げるのであった。




