69話 クリスマスイヴ その2
クリスマスイヴ その2
昼食を終えた私たちは、京都駅に戻り、一時間半かけて元来た乗り換え駅に戻る。
電車内は込み合っていたけれど、私たちはうまい具合に座席に座ることができた。電車が発車すると、三、四か国語で途中停車駅自由席、指定席に関してのアナウンスがなされる。
啓二は、そのアナウンスをぼんやりと聞いているみたいだ。到着予定時刻がアナウンスされると、彼は腕時計で現時刻をチェックしていた。
「啓二、さっきのお寿司屋さん。おいしかったね」
「そうか、気に入ってくれたようで嬉しいよ。機会があったらまた行きたいしな」
「うん、それに値段も少しは高かったけど、許容範囲だったね」
京都中心地の外食店は値段が他の地域より高いイメージがある。それを考えたら、今回のお寿司屋さんは予想より安い気までしたくらいだ。
ただ啓二に至っては、穂波さんと雄一郎さんに加奈の分のお土産として持ち帰り用に三箱包んでもらっている。私が奢られようと奢られまいと、彼の財布への負荷は大きいものであったことに変わりはなかった。
お土産の料金を彼に全額負担してもらうのは、気の毒だったので私も払うと言った。まあ、予想はついていたけど、断られた。
「お土産代、何だか悪いね」
「別にかまわないさ。今日は電車料金だけで結構な支出を強いているんだからな」
「まあそうだね。でも一年に一度のクリスマスだし構わないよ。記念すべき初デートだしね」
「初デート、か」
啓二は車窓から流れる風景を眺めている。
電車は住宅の密集する地域から、田んぼや竹林に常緑樹が茂る田舎の風景に変わった。
「結構歩いたが、体調はどうだ?」
「うん、大丈夫。これくらいなら全然問題ないね」
「もし、具合が悪くなったらすぐに言えよ」
「分かってるよ、心配性だなあ」
私は、本当かあ、て渋い顔をする啓二に笑みを浮かべた。
電車は定刻の数分遅れで乗換駅についた。
遅れた理由は、電車を降りるとすぐにわかった。線路には薄く雪が積もっている。空は厚い雲が覆っているけど、鉛色といった重苦しい色合いではなかった。ただ、しんしんと雪が降っている。
改札を出て、歩道で信号待ちをしている間、私は掌を前に出す。すると、大粒の白い結晶が手に落ちてくる。手の温度が、それを溶かし、溶かしたらまた雪が手に落ちる。それがずっと繰り返されて、手は冷たくなっていく。
「こんなに雪が降るのは、何年ぶりだろうね」
「何年振りっていうか、この地域で過去こんなに振ったことはないような気がするぞ」
「そうかな、ずっとずっと昔に一度だけど、これより酷い雪が降った気がする」
その時は、お父さんと一緒だった。
何をしに行ったのか覚えてはいない。父と手をつないで街中を歩いているだけの記憶だ。手をつなぐ父は、優しい笑みを浮かべた大好きな父だった。確か、この後父とはぐれて迷子になってしまったような気がする。
今思えばその記憶は何と皮肉だろうか。
まるで、優しい父は私の手から失われることを暗示しているようだった。
今は父に代わって、啓二と手をつないでいる。
あの時の記憶、夢と同様に啓二の手を私はいつか離してしまうのだろうか。
私はそう考えると、体中に酷い寒気が走った。心に巣食う不安、それを殺すように彼の手を強く握った。
彼は私の様子に一瞬驚いていたけど、強く握り返してくれた。
信号は青に変わった。だけど雪の降りようが酷かったので、隣の地下街入り口のほうへ進んだ。
女子というものは買い物に関して何と現金なんだろうか。
私ながらに恥ずかしく思うことがある。というのも現在私はデパートの女性服を取り扱っている区画で買う気もないのに品を睨み続けていたりする。少し灰色がかったセーターなんて温かそうでデザインもなかなか私好みとなっている。手に取って、それの後ろの様子とかも調べた。
夢中になっている私をよそに、啓二は居心地が悪そうだった。
「気に入ったんなら買えばいいだろ」
「そうはいってもね。服って結構お金かかるでしょ。買うか買わないかを考えるのって大変だよ」
普段私はデパートや服屋さんで服を買うことはない。貧乏していた時に、近くの古着屋で私に会うものを探して格安で購入していた。服の状態はそれほど悪くはない。今まで結構お世話になってきた。
ただ、まっさらな服も欲しくなってくるのは贅沢だろうか。
最新ファッションも気になるし、素敵な服とか見つけたらどうしても足を止めてしまう。
「ま、いっか」
私はセーターを棚に直し、その場を去った。
私たちはデパートを出る。
デパートはターミナル駅から四車線の道を挟んだところにある。ここは駅を中心として、大型電機製品店のビルや私鉄百貨店が立ち並ぶ総合商業施設群である。目の前に行きたいビルがあったとして、横断歩道はない。地下道を歩いてそこまでいかなくてはならない。しかもその地下道ときたらクモの巣状に広がっていて、迷子になりやすい。
デパートの隣にある観覧車は、例のごとく地下道を通らないといけない訳ではない。
この観覧車の外装は紅いペンキで塗られている。今なら待つ時間なく、観覧車に乗れるので、啓二と観覧車のチケットを自販機で購入し、列に並ぶ。
数分で私たちの番となる。
係員が、観覧車の扉を開く。
私たちが中に入るのを確認すると扉を外側から施錠した。
私は啓二と向かい合うように座った。
観覧車は徐々に上昇していく。同時に建物と建物の間から西日がこちらに差し込んできた。先ほどまで厚い雲に覆われて、激しい雪が降っていたとは思えない。
「楽しい時間て、すぐに終わってしまうんだね」
私はただ、夕日を眺めている。窓から差し込む光が私たちを艶やかな金色で包み込んでいた。西日ほど、何かが終わっていくような焦燥感を与えるものはない。
啓二は複雑そうな顔で私を窺っている。
「これから先も、楽しい時間はいっぱいある」
「そうだね。ただ、今日という特別は終わってしまうんだ」
私は鞄からリボンで包装されたものを取り出す。それを両手に、先ほどから思っていたことを彼に言ってみる。
「私さ、後夜祭の時に付き合っていないのに君にキスしたでしょ。恥ずかしさとかそんなこと考えないでさ、今じゃ、よくそんなことができたなってよく思う」
「あ、ああ、あの時な」
啓二は恥ずかしそうに私から目をそらした。私は彼をただ見据える。
「今じゃあ、手をつなぐことも恥ずかしがっていてさ、その理由を考えてみたんだ。啓二と仲良くなったときは、家族との不仲も深刻で、恋敵が二人もいてさ、啓二が他の子のほうへ行ってしまうのが怖かった。私は君を必死に私とつなぐために、ああまでできたんだと思う。
そして啓二と付き合っていく過程で、啓二が私と一緒に過ごしてくれる安心から、ゆっくりじっくりしていきたいって思ったんだ。
今日は、思い切って手をつないでみた。少し恥ずかしいけど、前ほど抵抗はなくてむしろ楽しいくらいだった」
私は膝上に置いた啓二へのクリスマスプレゼントをぎゅっと握る。
私は以前、主治医と穂波さんとの会話を診察室の外から盗み聞きしていた。先生が診断をした後に、私を追い出して穂波さんとだけ話しているのが気になったからの行為だ。盗み聞きなんて、ほんとはいけないことだって、それくらい分かっていた。なのに、心のざわめきが酷くて、私は誘われるように診察室のほうへふらり歩いた。
私は診察室の扉を背に中の音を探った。
常人なら到底聞こえないだろう声。それは常軌を逸した地獄耳の私なら十分に聞き取れるものだった。内容は実に苛烈極まるものだった。
「だけど、温くやるのはダメだって、思った」
「どうして?」
「いつ、死んでしまうようなことがあっても、後悔しないように生きないと」
こんな自分が死んでしまうなんてこと、仮定でも考えたくない。ましてその内容を恋人に何の躊躇いなくいってしまう自分が一番驚いている。
啓二は、私の肩を荒々しくつかむ。その目は怒りと悲しみに染まっていた。
「死んでしまうなんて、いうな。そんな悲しいこと、俺は絶対に許さない。神宮寺に加奈や俺のおやじに母さんも許さないぞ。お前はやっと、自分から幸せになろうとしている最中だ。その途中で、それを曲げてしまうようなことは止めてくれ」
啓二の腕はとても堅くて大きなものだった。抱き着く彼の体はとても暖かくて、私の冷たい体を温めてくれる。この感触は過去に父が私を抱いてくれたものに似ているような気がした。抱かれている間は、とても心強くて、いつどんな時よりも安心できる。
私は啓二に父と同じものを求めているようだ。
でも啓二は父ではなくて、私の恋人だ。間違っても父と思ってはいけないし、父のように頼りっぱなしになってもいけない。恋人はフェアでないといけないんだ。
「フェア……か」
私はポツリつぶやいた。
フェアだというなら、啓二にも、この苦しみを背負ってもらいたい。
「私はさ、重度の脳挫傷を患ったでしょ」
「ああ、でもそれがどうした?」
「脳挫傷を負った人は、寿命が短くなるかもしれない。私に関しては、本来助からないレベルのもので、未だに脳内を血の塊が残っているみたいだよ。こうやって、普通に話せて、普通に歩いて、普通に運動できるなんて奇跡そのものなんだよ」
私は啓二の胸に手を置いてそっと押す。
啓二は私を抱く力を緩めた。そっと離れると、啓二の顔は、幼い子供の様に悲しそうな顔をしていた。瞳は揺らいでいる。
私は彼に構わずに続けた。
「勘違いしないで。私は簡単に死ぬ気なんてない。君や篠原夫妻、加奈に那岐がいる。もっと楽しい時間を過ごしたいし、もっといろんな経験をしたい」
沈痛な面持ちを浮かべる啓二であったが、目をぎゅっと閉じて数回深呼吸すると普段の凛々しい顔を浮かべた。
「わかった。俺は、お前をいつどんな時も支えるし、今まで以上に……お前との時間を大切にする」
「ありがとう」
さて、重い話はここで終わり。
今日はクリスマスイヴなのだから、彼にプレゼントを渡さないといけない。膝の上でぎゅっと握りしめている物に視線を落とす。
「啓二、私さプレゼントを用意したんだ。気に入ってもらえるか分からないけど、その。メリークリスマス」
私は赤いリボンで結んだプレゼントを啓二に押し付けるように渡した。啓二は恥ずかしそうに受け取りながら、ありがとう、という。彼はリボンをほどくと包装を丁寧にはがした。
紺色のマフラーが緑の包み紙よりその姿を覗かせる。
啓二はそれを見て目を輝かせた。
「もしかして、手作りなのか?」
「うん、こういうプレゼントは手作りに限るじゃん。アニメとかマンガではよく彼女が作っている描写をするでしょ。気に入った?」
「もちろん。無茶苦茶嬉しいぞ。ありがとう」
「どういたしまして!」
彼の反応が嬉しくて思わず笑みをこぼしている。啓二が鞄を開けて何か探している様子から私も期待する。啓二は何をくれるのかな?
私は座席から立ち上がって、彼の様子を窺う。
「俺も用意したんだ。有紀みたいな、いいものは用意できなかったけど」
啓二は鞄から青を基調として金色の星がいくつか流れている包装のされたプレゼントを取り出す。リボンは私と同じく紅。
彼は笑みを浮かべてそれを私にくれた。
私は早速、包装を解いて中身を拝む。
「これ、は……」
私は彼からもらったものに驚きを隠せない。いや、こんなものを貰うなんて思わなかった。
私は膝の上に置いてあるプレゼントの中身を手に取る。
「啓二、これって」
「お前のそれって、毎日使うからか痛みも激しいだろ。まあ、あうかは分からないけど、良かったら使ってくれ」
ぶっきらぼうに言う彼がくれたものは、リストバンドだった。過去に切った手首の傷を隠すために毎日使う代物だ。これのお陰で、痛々しい傷を隠すことができる。
私は今はめている古いリストバンドを外す。それをひざ元に置くと、彼からもらった水色のバンドをはめる。
そしてそれを、斜光に照らしてみた。
「ずっと、見ていてくれたんだ」
私が切り裂いた手首。
深く長く腕時計なんてものじゃとても隠せない。手首なんて普通は目のいくようなところじゃない。でも万一誰かの目に入ったらどうする。深く長い、見ていて痛々しさを伝えるようなあくまでマイナスな印象しか与えないモノ。それに悲しそうな顔をする人を見たくないから、リストバンドを付けていたんだ。
毎日使うから痛むのだって早い。
あまり目のつくような場所でないそれに、啓二は目を配っていてくれたのだ。私の傷をずっといたわってくれる彼に無類の幸せを感じた。
「あったかい」
私は左手首に付けた新しいリストバンドを胸に寄せる。それはもう大切に。
十五分から二十分の間だった。




