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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅳ 孤独な姫君はフライパンを手に戦った。
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68話   クリスマスイヴ その1

   クリスマスイヴ その1


「有紀、そろそろ行こうか?」

「あ、うん。少し待って」

 部屋の扉越しから放たれる啓二の言葉に私は応える。

 左手を軽く閉じたり開いたりして調子を確かめる。力がうまく入らないことと、傷跡がうずくこと以外、特に変わった様子は見られなかった。

 私は、色が少し抜けた青色のリストバンドを左手首に付ける。

 そして鏡で自分の姿を再度確認した。

「大丈夫そうだ」

 私は鏡から翻って、そそくさと部屋を出る。自室のすぐそばにいた啓二はどこかソワソワした様子だ。無理もない。私が彼とちゃんとしたデートをするのはこれが初めてなのだから。

「お待たせしました」

「あ、いや。気にするな」

 家を出た私たちは、バスで最寄り駅へ向かった。

 駅上り線のホームで私たちは、しばしの間列車待ちをしていた。まだ午前八時少し過ぎたぐらいだというのに、ホームは老若男女問わず多くの人で込み合っていた。込み合う列車に乗り込んだ私は、つり革を掴む。隣で啓二も同様にしていた。列車内では特にどちらから話すこともなかった。私はうつらうつら、立ったまま電車の中で寝ていた。


「眠いのか?」

「はは、ちょっと眠たいね」

 終点についた私たちは列車から降りると、別の列車に乗り換える。

 そしてさらに電車に揺られること一時間半。私たちは古都京都中心にあるJR京都駅についた。改札を出てすぐの大通りには、人があふれかえっている。また外国人の姿もたくさん見られた。如何にこの町が、外国にとって人気であるかがうかがい知れた。傍のタクシー乗り場なんて、長蛇の列ができている。

「すごい人だね」

「ほんと、こんなにいるとは思わなかった。まずは、ゆっくり散歩しつつ、京都国立博物館へ行こう」

「うん」

 私たちは、駅前の大通りの信号が青になったのでわたる。目の前に京都タワーがそびえたっていた。内部がどういった構造かなんて知らない。ただ、ここは夜になるとライトアップされて結構綺麗だそうだ。

 私はそれを見上げている。

 相変わらず、私たちは手をつないでいない。今も手袋越しだけど、手の甲同士がぶつかり合っているのが分かる。

 私たちは、文化祭の後夜祭でこそあんな大胆なことをしていた。今思えば、よくあんなことができたと思う。

 激情ってほんとにこわいね。理性的だととてもできないことをやってのける。

 なんて妙な関心をしている場合ではない。私たちは現在も手をつなぐことを恥ずかしがっている始末だ。

 恋人同士とか言って、何なのだこのざまは!

 啓二、男の子なんだからそこはリードしなさいよ。

 そう私は内心でぼやいていた。

 今日は何の日だ。私たちのちゃんとした初デートだ。しかもその日は一二月二十四日、クリスマスイヴ。思い出に深く残るものになるだろう。なら、くよくよしていたり、変な恥ずかしがったりせずに、もう少し積極的にならないといけない。

 ……。

 啓二にばかり文句を言っていられないか。

 今もこつんこつんって、手があったっている。

 私は意を決して、彼の手を掴んだ。

 驚いた啓二が私を覗きこんでくる。私はそっぽを向いて、あくまでも平静を装う。

「別に、恋人なんだからさ、手をつなぐくらいどうってことはないでしょ」

「……そうだな」

 啓二は、視線を前に戻す。

 

 啓二のことを意識しだしたのは、今から三か月近く前にリストカットで入院した後だった。その頃は弟は入院しているし、父はリストラで日々アルコールに浸っていたこともあった。母は私より、全てのことをそんな父に優先していた。

 私はとにかく、シロアリに喰われた柱のようにボロボロな家族関係を支えることだけ意識していた。

 毎日早くに弁当と朝ごはんを準備して、学校に行く。授業が終わったら、週に三回のペースで弟の見舞いに行き、帰りにスーパーで食材を購入する。帰宅したら家を掃除して、そしてみんなが食べるともわからない晩御飯を準備する。洗濯も夜のうちに終わらせる。

 皆おいしいものを食べれば、少しは幸せな気分になってくれるだろうと思って、いろんな料理を覚えた。でもそれを作ったとしてみんなは食べない。

 私はすこしでも、現状を変えたかった。だけど、それが叶わないことを日を追うごとに知らされた。

 そして私は絶望のあまり、風呂場でリストカット。

 強烈な痛みと共に、避けた肉よりあふれる赤く温かい血を見て思った。なんだ、大して痛くなんてないや、って、暗くなっていく意識の中思った。

 気が付いたら病院だった。何だか、退院してから妙に話しかけてくる男子がいた。そいつとはなぜか、昼ごはんも一緒に食べた。何度も邪険にあしらったのに、彼は私に積極的にかかわってきた。

 ほんの一か月程度の事だ。それがもう長いこと昔のように思えてしまう。

 あの頃、啓二は私と関わりたいという思いが必死だったと思う。それでかな、今じゃ予想がつかないような積極性があったのかもしれない。私は私で、もうすがるものがなかったから、彼が向けてくる好意に対して必死にすがろうとしたのかもしれない。

 私は鴨川にかかる橋の上から水面を見ていた。過去と今を考えれば考えるほどに、私たちの好意の形というべきだろうか、それが変わってきているように思う。

「あ、何か泳いでいるね」

「ああ、隅の方なんかカメがいるぞ」

 私は、彼の横顔を窺った。

 彼は、目を細めて川に泳ぐ魚を探していた。あまりに必死なので、少し笑ってしまった。

「そろそろ行こ、風邪ひいちゃう」

「確かに、有紀も調子が悪くなったらすぐに言うんだぞ」

「わかってるよ。啓二相手に我慢はしないからさ」

 私たちは川を渡ると、まず三十三間堂、京都国立博物館という順に足を運んだ。博物館は大変混んでいて、チケットの購入に二十分は時間を要した。博物館内は人があふれかえっていて、ゆっくり見て回ることはできないだろうと思っていた。

 そう思っていたのだけど、啓二がとある展示品を凝視している。私は何を必死になってみているのだろうかと思い、横から覗いてみた。

「ああ、啓二ってこういうの好きなんだ」

「はい好きですよ。俺はこういうの大好きですから」

 必死になって彼が見ていた物は日本刀だった。

 反り返ったそれは、光に照らされて美しい刀紋を浮かび上がらせる。切先の形状も言葉で表すには陳腐といえる美しき形状をしている。

 こうして間近でみると、日本刀の芸術性には感服させられる。

「啓二が、こういうの好きな理由、少しは分かるかも」

「お、そうか。例えばこの刀のどんなところが好きなんだ?」

「そうだね。まず何といっても刀紋だね」

「ふむ、それは焼き入れの過程でできるものだ――」

 私がうかつにも、興味を持ったせいで啓二から延々日本刀について語られる羽目となった。他の観覧者の迷惑になりかねないので、彼を強引に刀が展示してあるそこから引きはがす。

 博物館内には、お土産を売っている場所があった。

 結構混んでいたけど記念に、携帯端末用のストラップを購入する。

 博物館を出た後は、啓二が家族と京都に来た時によく通っているという寿司屋さんに連れて行ってもらった。彼曰く、そこは押し寿司がとてもおいしいそうだ。ただ、寿司屋さんというと値段の方が心配になる。

 こういう所帯じみた思考は嫌ではある。そう思いながらも聞いてしまった。

「高級寿司店じゃないよね」

 彼は頭を傾げた。

「何の心配しているんだ? 別にそんなんじゃないさ。まあ確かに値段は少し張るけど、そこは俺に任せろ」

「え、なに、奢ってくれるの?」

 なんて期待のまなざしを向けると、急に慌てだす啓二。

 少しいじったら、すぐこんなかわいい反応をしてくれる。ま、この辺にしないと本当に奢るとか言い出しそうだ。

「別に奢ってもらおうなんて思ってないよ」

「な、何を、別に奢るくらいのことはできるぞ。一応バイトっぽいことをしているから、何の問題もないぞ」

「いいよ、奢られると私、気を使うしさ、割り勘のほうがいいからさ」

「そう、か」

 啓二はどこか釈然としない顔をするも気持ちを切り替えて、そのお店へ向かった。

 ちなみに、啓二のバイトぽいことというのは、雄一郎さんの仕事のお手伝いだ。内容に関しては、研究職に従事する雄一郎さんが必要とする書物、情報の取り寄せ等々一高校生にしてみればそう難しいことではないものだ。

 先を見据える彼の横顔は何とも凛々しいものだった。


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