52話 生徒会役員 その2
生徒会役員 その2
明朝、制服に着替えた私は有紀さんと台所で弁当を作っていた。卵を焼いて、加熱した油の中には、牛肉に衣をつけたものを入れる。パチパチと油が跳ね返ってくる。牛カツに火が通る前に、ソースを作る。
「穂波さん、大丈夫かな?」
有紀はコーヒー豆を機械でゴリゴリすりつぶす。彼女は昨日と打って変わって元気になったようだ。ただ、頭の怪我のことがあるし、用心しないといけない。
火が通ったカツを菜箸で引上げ、キッチンペーパーの上に置く。
「熱が結構高いから、もしかしたらインフルエンザかもしれない」
「早く良くなるといいけど」
私たちはしばらく、各々の作業を無言でこなしていた。
恋敵と隣で一緒に料理をする光景は、なんてシュールだろうか。昨日は特に何もなかったのに、啓二と少しでも心が通じたと思ったら、有紀のことが頭に浮かんで、急に悲しくなる。そしてそのままふて寝してしまう始末。
何をやっているんだろうか、私は。
「私、生徒会長になった」
「うん、おめでとう」
あれ、あんまり驚かない。
彼女の反応が面白くないので、その理由を聞いてみた。
「演台で演説していた姿がとてもカッコよくて素晴らしかった。あの時には、確信してたよ」
「……」
有紀、お前は私を過大に評価しているんじゃないか。
私はそんなすごい人間じゃない。強かでいようとして、いつもその張りぼてが壊れることを心配している小心者だ。
有紀はそんな私とは違う。
「生徒会は今役員が不足している。急いで一人生徒会に入ってもらわないといけないんだが、有紀、もしよかったら生徒会に入ってくれるか」
有紀は私がずっとできなかったことをした。私はいつも啓二君と顔を合わせて、そのたびに今日いおう。今日こそは言おう。なんていう風に毎日が過ぎていった。妹と兄の関係が壊れてしまうことに、恐怖して私はずっと先延ばしにしてきた。
そんな私とは違って、有紀は純粋に自分の想いを伝えた。誰かに気持ちを伝える時、それを拒絶される怖さを感じる。でも彼女はそんなことに負けなかった。
私はそんな彼女を尊敬している。
有紀が隣にいるとどれだけ心強いだろうか。多分ダメだとわかっているが、わずかにも彼女が承諾してくれる可能性を信じた。
しかし。
「ごめんね」
やはり、そうだろうな。仕方ない。有紀もだいぶ体の調子は戻ってきているとはいえ、大変な状況下に置かれている生徒会の役員にするのも考え物だ。
「いや、気にするな」
私はサンドイッチを箱詰めしていく。
穂波さんの様子を見に行こうとした時、ふと気になったことがあったので、聞いてみた。
「有紀って誕生日いつなの?」
「私は六月二十七日生まれだけど」
私より年上……。
お姉ちゃんか。
いつもと変わらない時間に、いつもと変わらない三人で登校した。一限目は家庭科の授業だった。簡単なお菓子を作ることになっていた。作れるものなら何でも構わない、と先生が言っていた。
「これは楽勝ではないか」
私と同じグループの那岐はこくりこくりと頷いている。
「みんな、加奈ちゃん料理が得意だから何でもできるよ。何か希望があったら言ってみて」
私のグループの男子三人に自慢げな那岐。あまり誇張されると困る。もし思っているようなものができなくてがっかりされたら心に来るぞ。
卵四個とバターに薄力粉、バニラエッセンスをテーブルの上に準備する。綺麗なボウルと泡だて器、スポンジの型にクッキングシートを用意。
「那岐、生クリームと適当な果物を貰ってくれないか」
「わかったよ」
「男子諸君には、卵の黄身と白身を分けてそれぞれのボールに入れてください」
そうして彼らによって、分けられた白身に砂糖を入れて猛烈にかき混ぜる。
メーレンゲー、メーレンゲー、メーレンゲー。
ちょうどいい具合に泡立ってきた頃だ。何か異変があったらしい。那岐が悲しそうな顔をしてこちらに歩み寄ってきた。
「加奈あー、オーブンが壊れてるよー」
「な、なんだってー!」
先生に問いただすと、周りの子もみんな困っているらしい。どうやら、ガスの供給が遮断されているみたいだ。先生が代替措置としてカセットコンロを用意したのだが、全グループ分はなかった。
那岐は、半分泣きそうな顔になっている。
「那岐、私のケーキ、そんなに食べたいのか?」
「うん、だってえ、無茶苦茶美味しいんだもん!」
こんな嬉しいことを言われたら、もう諦めることなんてできないだろ。どんな手を使ってでもケーキを作り上げて見せる。
「我がグループの男子諸君、炊飯器だ。炊飯器を用意するんだ」
「「「イエス、マム」」」
彼等は収納棚のほうへ直行していった。炊飯器があれば、何とかケーキを作ることができる。しかし炊飯器を使っての手順を全く知らない。私は、炊飯器の構造から火力と加熱時間を予想する。
頭をフル回転させていると、男子らが戻ってきた。
「も、申し訳ありません、隊長。炊飯器は古くなっており、先日すべてリサイクルに出したとのことです」
「ギヤああああああああああああああ――」
あまりにも想定外のことが起きて、私は発狂してしまった。
コップ一杯の水をごくごくと飲んだ。
しばらく休んで、落ち着いた私はこう思った。
……この学校、家庭科、やる気、ないんですか……。
私の目つきが恐ろしかったのだろうか。男子諸君は、びくっと背筋を正した。そして少しずつ距離をとっているように見える。
「こうなったら、理科準備室に行って電気分解のコードを持ってきてやるー」
「ちょっと、もういいよ加奈」
「そんな訳にいくか。料理が得意なこの私にこんな屈辱、許せるものかー」
那岐は興奮する私の脇に腕を通して、行動を封じる。
「加奈、忘れたなんて言わせないよ。あなた電気分解のコードでどんな目にあったか」
加奈の言葉に、私はぎくりとする。ギャーギャー文句を垂れ流すことを止める。そっと後ろにいる那岐の顔を見ると鬼もかくやの形相をしていた。
というのも
――私は二年前、理科の実験でホットケーキを電気の抵抗で焼くというものがあった。道具は薄っぺらい金属板二枚に、水の電気分解に用いたコード、空の牛乳パックだ。ホットケーキの材料をかき混ぜて、空の牛乳パックに入れ、パックの両端に金属板を差し込むものだった。
なかなか面白いもので、案外ホットケーキはしっかり焼けるのだ。加熱されている証として、牛乳パックに入れた材料から水蒸気が立ち上がってくる。
生地がふっくらと膨らんできて、もうすぐ完成というときに私は誤って、金属板に触れてしまった。
「あびゃびゃびゃびゃ――」
実際にはこんな奇天烈な叫び声なんて上げていなかったが、体中がびくびく震えた。手は金属板から離れない。右手から伝わる電気が右の胸に差し掛かろうとした時だった。異変を察知した那岐に足を蹴り飛ばされて転倒。
その時に金属板も離して感電を逃れることができた――
「ああ、忘れるもんか。あれで私は死にかけたんだからな」
私はなんて軽率なことをしようとしたんだろうか。あんな忌々しいものを再び使おうとするなど。私はコードからの直の感電をして、那岐にとても心配をさせてしまった。那岐に美味しいケーキを食べて欲しかっただけなんだがな。
情けない。
俯く私に、そっと手を置く誰か。顔を上げれば、那岐が微笑している。
「加奈のケーキ、また今度食べさせてね」
「ああ」
私は那岐の気遣いに感謝する。
それはそうと家庭科担当の教師は後でこってり絞っておかないといけないな。
昼食は那岐と食べていた。
場所はあまり生徒が寄り付かない談話室。冬場は屋上に出るなんて苦行はできない。かといって静かな場所でご飯を食べれる場所は限られてくる。
「混んでるかと思ったのに、いたって普通だ」
「うん、そだね。私あの日差しがいい場所にしたいなあ」
との那岐の意見から、私たちは窓際の席に着く。特に何か話すことがなかった私は、生徒会についての話をしてみる。
「年末に差し掛かって、みんな忙しくなってくる時期に生徒会は解散した。新しい生徒会はできたけど、課題は山積している」
那岐は総菜パンを齧っている。
「例えば?」
「まず一つ目に、生徒会の役員が足りないんだ。本当ならあと三人は欲しいくらいなのにな」
「それって結構まずくない。生徒会の業務遂行に差し支えるでしょ」
私はカツサンドを両手でつかむ。そしてパクッと食べた。
うーん、味が濃いなあ。男子は濃い口が結構好きだっていうけど、啓二クンはどうなんだろうか?
水筒からアツアツの紅茶を、コップに入れる。
「生徒会規則と校則を変更して役職の兼務を可能にする」
「いきなり校則変更って、また大変だね」
鳥のタルタルソースサンドを物欲しそうに眺めてくるので、仕方なくそれを那岐の弁当の蓋に置く。気のせいだろうか、目がキランと光ったぞ。
「ただ、そもそも論でいうとだ。絶対的に人数が足りない。今の生徒会は最低人数すら満たせていないのだ」
今度はハムサンドを彼女に分けてやる。すると、那岐は遠慮なくそれを口にほおばる。仕草はまるでリスのように可愛らしい。
「足りなんだ。あと少し、本当にあと少しなんだ」
カツサンドと、熱々の紅茶を彼女のほうへ渡す。私の一連の行動が何を意味しているのか理解したのだろう。那岐は滝のように汗をかいている。顔色はよろしくない。
私はにやりと笑みを浮かべた。
「那岐、一人なんだ。一人だけどうしても必要で。もしよければ、生徒会役員になってくれないか?」
那岐は盛大にため息をついた。
「わかったよ。やる」
「ありがとう。わが親友」
私は那岐に抱き着いて頬ずりする。
本当にこいつは愛玩動物のように可愛らしいな。すねてる時も、可愛らしいんだからなあ。まったく、この子のお陰か知らないが、私は恋愛対象が男でなくてもいいんじゃないかって思い始めているぞ。
危機感を覚えた那岐は、私から一気に距離を取った。
「なに? どうかしたのか」
「い、いや。何だろうね。本能が離れろと忠告してきたんだよ」
まあ、ふざけるのはこの辺にしておこう。あんまりからかうと怒ってしまうからな。
「那岐、その本当に生徒会に入ってくれるのか?」
「はあ、あのね。加奈はそんな回りくどいことしなくてよかったのに。頼まれたら入っているよ。何かあったら私に言いなよ」
「うわーん。那岐男らしいぞ。惚れてしまいそうだ」
「ちょ、ちょっと何を言っているのよ。あ、な、たはそのほうの趣向だったの?」
私が那岐の頬にスリスリしようとしたら猛烈に抵抗される。顔面を押さえつけられて、おそろしく変な顔になっているだろう。
「何を言う。かっこいいのも可愛いのも素晴らしいぞ」
「ちょっとー、なんか変なこと言ってるよー。加奈ってこんな変な性格だったっけー。助けてよー、有紀ちゃん!」
「うへへ、有紀は啓二とラブラブ昼ごはん中だ。残念だったな」
あまりにふざけすぎていると、那岐の強烈な張り手が鼻面にヒット。私はそのまま、後ろに転倒した。
「ふー、ふー。やりすぎた、かな」
床に転がる私は、加奈に頬っぺたをツンツンされている。大丈夫そうだと判断した彼女は、私を放って、一人教室へ戻っていった。




