47話 橘加奈の決意 その2
47話 橘加奈の決意 その2
一瞬誰かと思った。普段の話し方と全く異なるそれ。表情もコロコロ変わってまるで別人のようだ。私はそんな彼女に、驚きを隠せない。今までも、表情を変えることはあってもそれは乏しかった。篠原夫妻にも取り繕っているように見えて。
ただ、こうなっている彼女と、彼女が今はなった言葉には妙な納得もしていた。
「加奈さんも、家族のことで何かあったの?」
「ああ、あったよ」
「ずっと前にみんな死んでしまった」
彼女の放った言葉に、私は息をのむ。
橘加奈さんが親族でもないのに、篠原宅で生活している理由がそんなにつらく悲しいことだとは思わなかった。
動揺する私に対して、加奈さんは歯をむき出しにして睨みつけた。
「お前は、まだ家族がいる。弟さんは眠っている。両親は病院にいるそうだな」
「うん、みんな病院にいる。祖父も調子が悪くなっている」
「……そうか」
私は何も言えなかった。
彼女がどういう意図で私の家族のことを聞いてくるのか、自分の家族のことを話してくるのか分からなかった。
「長い話だ。聞いていてしんどいだけの話。お前はそんな私の話を聞いてくれるか」
彼女は、目を伏せていた。
「うん。聞く。どんなことでもちゃんと聞くから」
私は力強くうなずいた。
「そうか、ありがとう」
――今から話すことは六年前の春のことだ。
まだ篠原夫妻の元で暮らす前のことだった。
私は、両親と旅行をしていた。
電車を乗り継いで、離島行きの高速船に乗り込んだ。島までは、本島から三十分の距離。当時は天気が荒れていて、船便が次々に欠航となっていった。
そんな中私たちが目指していた島への船は何とか出港することとなった。
私たちは船に乗り込んだ。
あの時の記憶は鮮明に覚えている。
港にいるにもかかわらず、船は大きく揺れてとても怖かった。私は、船から降りたいと何度も言った。 父さんの袖を掴んで、降りよう、降りよう、と。
しかし父は私のいう事を聞き入れてもらえなかった。
向こうもプロなんだ。危険なら船を出しはしないと。お前はそんなに心配するなって。
ぐずる私にそう言い聞かせてきた。
港を出て十数分、船は大きく揺れた。まるで転覆するような勢いだった。私は怖くなって母に抱き着いた。
何度か船が大きく跳ねた。
そしていつの間にか私の意識がなくなった。
意識が回復したのは、冷たい海水に満たされた船内から海自の人が私を助け出してくれた時だった。
私はすぐに本土の病院に移送された。怪我などは大したことはなかった。ただ病院の関係者だろう人に、連れられて地下に降りた時だ。電気があまりついていなくて、薄気味悪いところだった。
私はある一室に連れられた。
そこには、顔に白い布を掛けられた二人の遺体があった。
私は幼いながらに理解していた。認めてはいけない。この二人は父と母ではない。誰か関係のない人だって。
そう思わないと私自身が壊れてしまいそうだった。
私は部屋で茫然としていた。
その後のことは覚えていない。葬式のことも。
ただ数週間ろくに食べ物も喉をとおらなかったことは覚えている。
私はどんどんやせ細っていって、退院のめどは立たなくなった。点滴で栄養剤を投与され何とか命をつないでいた。見舞いには啓二やその両親が度々来てくれたそうだ。死にかけていた私には、その記憶は残ってはいない。
私は事故の一か月後には何とか体調を持ち直した。
それからが大変だった。
私には親戚がいなかった。このままでは孤児院送りになるところだった。その直前だ。当時より友人であった啓二君の両親が私を引き取ると申し出てくれたんだ。
そして彼の家に来た。
篠原夫妻は血のつながらない私を歓迎してくれた。
ただ、もともと篠原家は三人家族。そんな中に私が混ざり込んだことで、難しい問題も起きた。啓二君は一人っ子。篠原夫妻にとって、全ての優先は彼だった。それが私が混ざってしまったことで、そうではなくなった。私のせいで彼を不憫な目に合わせてしまっているんじゃないかって思った。
そのことで啓二君と衝突することもあった。
ある冬の昼下がり、私は河原に寝っ転がっていた。
家に居づらくなった私は、よく河原へ行った。
私はお天道様をぼんやりと眺めていた。啓二と酷い喧嘩をした後だ。喧嘩の内容なんて覚えていない。些細なことだったんだろう。私は寒い中一時間も河原にいると、ある人が私を覗き込んだ。
その人は啓二だった。彼は近くを通りかかった石焼き芋屋からいもを買って、私に半分わけてくれた。
彼は喧嘩のことを謝ると、お詫びだとか言って渡してくれて……。
私は彼の優しさと自身の不甲斐なさに涙を流した。
私が悩んでいることを察した彼はこういった。
お前は俺の妹だから、俺に面倒をかけていいんだ。お前は俺の妹だから俺のいう事をちゃんと聞くこと。約束な。
そうして指切りをした。
この時の彼の言葉はとてもうれしかった。邪魔者な私を、邪魔でないと言ってくれて兄妹として認めてもらえた。同時に私は思った。彼、いや彼等からの恩を返さないといけない。そもそも返せるようなものじゃあないかもしれない。
でも、ちっぽけな私でも何かできることはあるはずだって。そう思った。
私にとって、あの人たちは何物にも代えがたい宝だ。――




