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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅰ 夜空の姫君は見つけた
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4話   有紀の拒絶

   4話   有紀の拒絶


 私は今病院にいる。私は月曜と水曜、金曜の週三回は学校帰りに病院を寄る習慣がある。

 それはある人の見舞をするため。その人物は人口呼吸器をつながれ、常時バイタルをチェックされている私の弟だ。

 名前は二条泰孝。私とは年子だ。

 ちょうど半年前だった。その日は弟の中学校卒業日だった。式が終わって、近所の外食店でクラスメイトと打ち上げをした帰りに、交差点で事故にあった。頭を強く打っていて、意識はそれ以降失われたままだ。

 私は弟の髪を優しく撫でる。

「泰孝、気持ちよさそうに眠っているな。でももうそろそろ起きろよ。寝すぎは体に良くないぞ。な」

 私はポーと泰孝の顔を見つめる。今日は少し穏やかな表情をしている。たまにつらそうな顔をして時に意識がないままに涙を流している姿を見ると、私自身の無力さが悔しくて悔しくていてもたってもいられなかった。

 ただ今日はそうではなかった。

 だから私は平静でいられた。

 私は眠る弟をもっと近くで見たいから、椅子を寄せる。奴さんの頬を人差し指でつつく。

 何にも反応しない。

 もしかしなくても意識はないか。

 私は静かに眠る泰孝に凭れかかる。体はあまり痩せていないみたいだ。

 温もりを確かめたい。

 私はそっと泰孝を抱きしめる。抱きしめる心地が良くて私はしばらくそうしていた。


 家に帰宅した私は昨晩の作り置きを食べる。私が夕食を用意したものの、あの夜は結局二人ともそれに手をつけなかった。

 あの二人の顔を思い浮かべる。思わず歯を食いしばった。箸を持つ手が震える。

 私はため息をついて、箸をおいた。

 せっかく、頑張って作ったのに、どうしてみんな帰ってきてくれないの?

 残り物を適当にたっぱ詰めにして、私は自室にこもった。

 部屋の窓からはまん丸い月の明かりがさし込んでくる。空に同じく瞬いている星々は月あかりに圧倒されてその姿を隠してしまっている。

 私は左の掌に医師から処方された錠剤をプラスチックのシートより押し出す。そしてそれを口に放り込んで、グラスを仰いだ。

 向精神薬。

 精神科に処方されたものだ。これを飲めば確かに心も体も幾分か調子は良くなる。しかし副作用も働くので、鬱陶しいものに変わりない。

 私はベッドに倒れ込むと泥のように眠りについた。


 翌朝、私は学校のロッカーのカギを開けると一枚の手紙が入っていた。この学校のロッカーはポスト投函機能が付いており、学校の連絡事項などを記した紙が入れられたりする。

 しかし今私が手にしているものはそういう類のものではなかった。

「なにこれ?」

 A5サイズの紙を二つ折りにしたもので、内側に何やら言葉が連ねられてあった。

 紙を開いて内容にすっと目を通した。


 二条有紀、放課後に体育館裏に来なさい。話がしたい

 

 差出人不明。

 呼び出している奴が単体か複数かわからない。ただ人気がいないとこに呼び出すこと自体に不穏な予感がした。

「……私もだいぶ嫌われたものだ」

 私はため息をついた。そしてロッカーを施錠する。

 教室に入ればいつも通り篠原君がいた。私の一つ後ろの席で座っている。

 彼は私に気付くと手を振って「よっす」と声を掛けてくる。

「ああ、おはよう篠原君」

 普段と変わらずに愛想よく接してくる彼。

 彼を見ると思わず笑みがこぼれた。

 どうして笑ったんだろう。

 私は誰かとあいさつしたり話したりするときは無表情になっていると思う。表情の変化に乏しいことが私の性質だ。だから今日彼に会った時に思わず顔が緩んでしまったことに私自身が戸惑ってしまった。

 その様子は篠原君からしても驚かれるものだった。

「に、二条が、わ、笑っただと」

 彼は動揺から大きく目を見開いている。私は彼の反応から普段の自分にほとほと呆れた。

「失敬だね、君は。私だって笑うことくらいはあるよ」

「うん、その通りなんだけどよ……」

 彼はいいかけて、クラスメイト達に目を向けた。

 私も彼に倣ってみんなの様子を窺った。すると皆目を丸くして、硬直していた。

「な、なに。私が笑う事って、そんなに珍しく思われていたのか?」

「たぶん、そうだな」

 私の傍らにいる篠原君が頷いた。

 私は下を向くと、自嘲気味に笑う。

「くく、私ってクラスもみんなもれなく全員から無表情キャラに認定されていたのね」

 しかもあの様子は、天文学的な奇跡を目の当たりにしたかのようだ。

 みんなの様子に私はなんだか恥ずかしくなって、机に突っ伏して顔を隠した。

 視線が集まってる。

 ああ、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!


 昼休憩の時は普段と変わらず、屋上で篠原君と過ごした。

「なあ、私が笑ったことってそんなに変だった?」

 柵に凭れながら、パンを頬張っている彼は私の問いに黙り込んだ。

 ……篠原君、何も言わない。やっぱり変だったんだ。

 私が落ち込んでいると、頭をポンと優しくたたかれた。

「お前が笑っていた様子が、とても輝いて見えていたんじゃないか」

「へ?」

 私は彼に言っていることがすぐに理解できなかった。思考が硬直している間にふとある人物の声が聞こえた。

「その話、とても興味があります」

 私はその声にぎょっとした。

 今朝、私のローカーに入れられていた手紙。その差出人がやってきたのではないかと私は考えた。時間は放課後ってしてあったけど、私に話しかけてくる人物なんてクラスでは二人だけ。その一人は篠原君でここにいる。

 じゃあ、やっぱり呼び出している人? 

 いや、そう考えるのは浅薄だ。

 そう悶々と考えていたら、目の前をふさがれた。

「さあ、私は誰でしょう」

 ああ、このあまくて軽快な口調と、突然人の目を後ろから隠してくる人と言ったらこの人しかいない。

「委員長」

 そう言うと彼女はぷうと頬を膨らませる。

 朱色に色づく頬を可愛らしく私は思った。

 彼女は神宮寺那岐じんぐうじ なぎ。学級委員長をやっている。人当たりが良くクラス、いや学年を通しての人気者だ。

 さらに私と違ってずっと女の子らしい。

 今の表情なんてまさにそうだ。

「ちょっと有紀。委員長じゃないでしょ。ね」

「ああ、はいはい。那岐ちゃん。それでどうして屋上に」

 彼女は頭を傾げた。

「屋上に来ることがおかしい?」

「うん、那岐ちゃんは普段ここに上がって来ないじゃない。私を探していた?」

「そうだね。探していた。それと屋上に来なかったのは理由があるのです」

 彼女は私の隣に座り込むと、優しく微笑んだ。

「でも今はそのことよりずっと気になる話をしていたようですね。私もそれに混ぜてくださいな」

「おう、委員長も言ってやれ」

 那岐ちゃんは篠原君を半眼で睨む。

「篠原君、私のことはホームルーム以外では普通に名前で呼んでください」

 篠原君は後頭部をガシガシこすって苦笑いを浮かべている。彼女の指摘に少しは悪く感じているのだろうか。まあ、何度言われてもなかなか改善しないのだから、そう思っているとは私からは到底思えない。

 それに彼女自身が、別にそう呼ばれることを嫌っているようでもない。

 篠原君は誰かが嫌がるようなことはしない。

 これは単に私の願望にすぎない。しかし、それを否定するつもりなんてさらさらなかった。

「悪い、神宮寺。癖でな。それで俺たちが話してたことだけどさ」

「うん」

「今朝の二条のことだよ」

 那岐ちゃんは何か思い当たることがあるのか、ふむふむ、と頷いている。そして私の顔を覗き込んで彼女はほっこりした。

「なかなかいい笑顔だったねえ。本当に見ているこっちは驚いた」

「ねえ那岐ちゃん。私が笑っていることがそんなに驚かれること?」

「うん、ああいう風に本心からの笑みは長いこと見ていなかった」

 厚い雲の隙間から太陽の光が漏れてくる。屋上は冷たい風が相変わらず吹いている。しかし、太陽が少しでも見えるようになると、肌に感じる温度が暖かくなった。

「神宮寺、二条の笑顔は本当に輝いていたな」

「うん、そう。本当にその通りですよ。何も混じっていない純粋な笑み」

 篠原君はベンチに座る私に真正面に立ちはだかる。彼の瞳はキランと輝いて、鋭いものだ。男の子にしては少し長い目な髪が風でくしゃくしゃにされている。

「二条、俺はな、お前にもっと自信を持ってほしい。俺はお前のことをちゃんと知っているわけではない。過ごしてきた時間だって、神宮寺のほうがずっと長い。神宮寺はお前のことを深く知っていてお前にとってもよき理解者だと俺は思う」

 篠原君は話している途中で息継ぎをする。

「でもな、明らかに付き合いが短い俺でもお前が気高くて強い人間だってわかった。あまり自身を卑下するのは止めてくれ。そうされると、その度に俺は心がナイフで刺されるように痛くて仕方ない。お前が言葉の額面通りに周りに認識されることが何より嫌なんだ」

 私は驚いた。

 彼は今までにないくらい感情的になっている。本音をぶつけてもらえている。本音をぶつけてくれる人を私は久しぶりに目の前にした。

 家族は不仲で、親はしっかり私に向き合ってくれない。弟はいつ覚めるともわからない深い眠りについてしまった。那岐ちゃんとは、私の家族関係が良かったときからの付き合いだ。

 だが、家族仲が悪くなって以降は、意図的に彼女から避けて本音で話すことなんてなくなってしまっていた。

 ……あんな醜い家庭を見られたくなかったから。

 私は胸をぎゅと押さえる。

 呼吸が乱れて、汗がスーと頬を伝る。

 勘違いだろうか、私が思っていることは勘違いなんだろうか?

 いつも自分勝手に期待して、勝手に絶望して、心は空回りしてばかり。そんなことばかりで辛いから、周りに興味を持たないように過ごしてきた。

 私の頭の中をいろいろなものが駆け巡る。



「あーあ、今日はまた派手に負けてしまったなあ。最悪だぜ、たく」

 玄関に父の姿がある。普段と変わることなく、しわしわのズボンによれよれのカッター姿。無精ひげにとろんとした目

 中年男の口から垂れる酒の匂い。と服にしみ着いたタバコの悪臭。

「父さん、ご飯はどうするの?」

「は、んなもんいらねえよ。失せろバカ」

 私に罵声を浴びせると私を突き飛ばして、リビングでまた酒浸りになる男。

 堕落する様子を見て、私はただ怒りを覚えた。

 私は悔しさから歯を食いしばり、父の前から姿を消す。


「お父さんはどうしたの?」

 珍しく早く帰ってきた母。母は私の手料理を口にしている。いつも夕飯は働く母のために欠かさず作っている。帰ってきたって食べてもらえることは少ない。それでも疲れた母のためになることをしてあげたかった。

 別に料理の感想だって欲しいわけじゃない。残さず食べて欲しいわけじゃない。だけれどもやっぱり、……母に料理を褒めてもらいたかった。

 母のためにやっていることなのに考えが倒錯している。私の心のなかは雨に濡れて肌の冷たさを感じるときのように、心が柔くなっている。

「有紀、あんた頬が腫れているけどどうしたの?」

「ああ、これはその、父さんにね」

 私は母に向かって作り笑いをする。母は私の言葉に悲しそうにした。でも悲しみを感じているのは私が傷つけられたからじゃない。

「そう、有紀。父さんは辛いのよ。仕事をクビになってからずっと、だから父さんのことは我慢してあげてね」

 私より父の心配か。母は私のことなんてどうでもいいんだ。


 私は昏睡状態の弟の頭を優しく撫でてあげる。

「ねえ、私って母さんと父さんからしてなんなんだろうね」

 答えられないのを分かっていて私はあえて弟に問う。

「父さんだって、昔はこんなんじゃなかった。仕事をなくしたのが原因だって分かっている。本当は優しい人だって、ちゃんとわかっている。母さんは父さんを心から愛している。それは父さんへの心遣いからも分かる。いつだって父さんを考えて、行動している。父さんの分も働いて」

 次第に弟の顔がぼやけてくる。そして頬を七色の雫が伝う。

「あは、はは。情けないや。ごめんね」

 私は涙を必死に拭い、弟に笑顔を向ける。取ってつけたかの笑顔。発泡スチロールのようにもろく儚い。

 そんな愚かな笑顔を弟に向け続けていた。

 


 心の中を嵐のごとく渦巻く、私と家族との記憶。

 ああ、こんな家族を見られたくないから、那岐ちゃんとも距離を取ったんだ。

 こんな風に私から父、母、最後に弟が離れていった。本当にもう地平線の彼方へと彼らは消えていったのだ。

 潮騒を瞳に映し耳で心地よい音を感じて、いつか帰ってくる船旅とは違う。

 もう帰ってこないんじゃないかって、そう考えている。

 心がぎゅうぎゅうになって、周りに気を遣う余裕もない。それ故に那岐ちゃん以外に私に話しかけるものはいない。その那岐ちゃんにも、私はちゃんと面と向かって接しなかった。

 これは甘えだ。

 だって那岐ちゃんだけは離れないような気がした。桜の花を飛び回るミツバチのように密接で確固とした関係だと思っていた。

 だからと言って、それが友達をないがしろにしていい理由にはならない。

 己の行動の愚かさを今しがた再確認した。

「そうか、私は酷いことをしていたよ、那岐ちゃん」

 そう私が告げると、彼女は困惑した。

「何を言っているの? 何が酷いことだって有紀ちゃん?」

 ベンチの傍らに座っている彼女は、私を覗き込んだ。私は彼女のリスのようにくりくりと可愛らしい目を見つめ返す。

「私はね、ずっと前から自分のことで手いっぱいになってさ、心配してくれるあなたをそっけなくあしらってしまったことが多々あった。それは私の問題を誰かに話すという事が、恥ずかしかったことと怖かったことからだ。そしてあなただけは、私の理解者であり続けるんだって、思っていたから、あなたに対してそんな風に接してしまった」

 私は自身がしてきたことに情けなく思い、塞ぎ込んだ。とはいえそのままというわけにもいかず、私は恐る恐る彼女を窺った。すると彼女は春の太陽のごとく暖かく慈しみを感じさせる笑みを浮かべていた。

「そっか。そうだったんだね。

 ――ちゃんと言ってくれてありがとう――

何だか唐突に有紀ちゃんが可愛く見えてきたよね。ああ、我慢できないな」

 彼女は私の頭を両手でがしっと掴むと、胸に抱き寄せた。

 ええー、那岐いきなりハグとか、ちょっと―。

 私は彼女から逃れようと、頭をもぞもぞさせる。

「ちょっとくすぐったいのよねー」

 と言いつつ、私を解放した。

 私はある時を境に気になっていたことを口にする。

「ねえ、篠原君はどこに行ったの?」

「彼なら、屋上と階下をつなぐ階段の裏だね」

 ……篠原君、私たちに気を使って。

「さあ有紀ちゃん、彼をそろそろ呼んであげましょう。有紀ちゃんも彼がいないから寂しがっているようですし」

 私はタコのように赤面する。

「ちょ、ちょっと、私は別にあんな奴いなくても寂しくなんてないし。那岐ちゃん、そ、その変な捉え方はしないでちょうだい」

「えっと、好意とかそういう方かな」

 彼女はサキュバスとか悪魔じみた笑みを私に向けた。

「違う違う―」

 私は彼女との他愛無い会話をしつつ、この様子を懐かしんでいた。特に面白い要素がなさそうなことでも一緒に笑いあって、恋バナに心躍らせたりした時の笑い顔。

 山の小川のように何の混じりけもない純真無垢なもの。

 私はいつから忘れたんだろう。

 この優しい時間を。


 放課後、私は今朝ローカーに入っていた手紙の指示に従って体育館裏にいた。

 手紙の差出人はここに現れない。

 ホームルームが長引いているのか、先生もしくは級友につかまってなかなか来れない状況になっているのかもしれない。

 別にそれならそれでいい。特に今日は何か忙しいというわけでもない。

 今日は父も母も帰っては来ない。晩御飯の準備はしなくてもよいのだ。どうせ自分だけとなれば、コンビニ弁当で十分なんだし。

 それになんといっても私の家の近くにあるコンビニで新しい弁当が売られている。一つ二百九十八円の炭火焼肉弁当が美味しそうなのだ。

 よし、今日はあれを晩御飯にするか!

 私は財布の中身を確認しつつ思う。

 手紙の差出人はどういった目的で私を呼び出した?

 恋文?

 いやいや、あんなむき出しのセンスのかけらも感じさせないモノは恋文とは到底言えないだろう。むしろ果たし状に近い感じがしたぐらいだ。

 果たし状。……そんな生ぬるいものだったらまだましか。

 普段の私に苛立ちを募らせる女子共の一人がこれを私に送ってきたとして、ここに来るのは本当に私以外で女子一人だけか? 

 何人来たってかわらないけど。

「時間の指定も曖昧だし」

 放課後って紙には書いてあった。でも授業は四時までには終わって、下校時間は七時ちょうどとなっている。指定範囲が長すぎる。

 嫌がらせで私を待たせ続けるとか……。

 そう思うと額から嫌な汗があふれてきた。

 いやいや、そんな暇な奴いないでしょうに。

 変なこと湧き水のように絶えることなく考えていると、校舎を出てこちらへ近づく人影を確認した。どうやらその子が呼び出し人みたいだ。

 よかった。早く来てくれたし。

「ふーん、ホームルームが終わってからすぐに来てくれるとは、愁傷なことです、二条有紀さん」

「いや、そんなに。それより、この手紙はどういう事? 橘さん」

 やはりこの前、篠原君と二人三脚が決まった時に私を睨んだ子。

 私は感情の読めない表情の橘さんに、紙切れをちらつかせる。

「ふん、周りに人がいるところで聞けないこと」

「えっと、そう。まあ誰も来ない場所に呼び出しているんだしね」

 橘さんは、馬鹿なのあなた、というような視線をする。

 もともと、彼女はクラスでも少々性格がきつめなイメージだ。最近までクラスメイトのことをちゃんと知ろうとしていなかった私には誰かのイメージを語る資格なんてないのだけれど。

 私の心は先ほどまで、いろいろ揺れていたけど彼女が来てから車や人の通らない夜のように静かになった。

 橘さんは私の目を見ている。私も彼女の視線から目をそらさない。

「二条さん、あなたは、いつから篠原君とあんなに仲が良くなったんです? 二人三脚を一緒に走ることを、まさか前もって決めていたなんて私は驚嘆しましたよ」

 なんでこういう事を聞いてくるの? 

 私はあんまりこういう事を考えたくない。最近特にそうなってきた。寝ている時も起きている時も、授業受けている時も、買い物している時も、料理している時ですら考えている。頭を圧迫するくらい彼のことを考えている。息も変に苦しくなって。

 彼に対して怒っているとか、憎んでいるとか、嫌っているとかそんなんじゃない。

 彼は私からしてとても素晴らしくて魅力的な人だと思う。

 でも、毎日そんな事が続いてしんどくなってきた。

 私は深呼吸する。

「彼と仲良くなったのは、最近」

「ふーん、あなたたち付き合っているのですか?」

 私の胸の中で心臓がドクンと撥ねる。明らかに彼女の言葉に動揺している。

「い、いや。付き合っていない……」

 橘さんは私の言葉を懐疑的に聞いている。

「あなたは知らないでしょけどね、クラスじゃ二条さんは篠原君と付き合っているんじゃないかって言われています」

「え?」

 私は彼女の意外な言葉に凍り付いた。

 橘さんは私の様子など、道路に転がる石ころのごとく気にせずに続けた。

「休み時間はあなたたち二人で話している時が多いし、昼食は一緒に取っている。時々二人きりで帰ることもあるそうね」

「……」

 彼女は私を気にせず話をつづけた。

「あなたがどう思っているかは知らないですけど、周りはそう見ているんです。ねえ二条さん、あなたは彼がクラスではどういう存在かわかりますか?」

「少なくとも私とは真逆」

「ふーん、自覚はしていたか」

 橘さんは私に嫌みたらしく言う。その眼には茜色に染まる空を映し出して焔のように揺らめいていた。

「私はな、彼に憧れて好意を抱いていた。彼があなたと仲良くなってからも、私の心のなかは変わらない。周りの女子みたいに心の中で悶々として、思いを捨てるつもりなんてない」

 先ほどまでのとってつけた丁寧語はなくなった。

 少女は想いを吐露する。

 そして最も想いに真っ直ぐでありながら、真っ黒な心情を口にした。

「ねえ二条さん、あなた、篠原君から離れてくれませんか」

 私は途中から、彼女の目を見続けることができなくて俯いてしまった。彼女の気迫に押しやられてしまった。

 だけれども私はごく自然と、彼女に対してある言葉が出た。


「いやだ」


 どうしてだろう? 

 ごく自然とこの言葉が出た。彼と過ごすことで何かと心が喘息を患ったかのように苦しいのに、彼との関係が絶たれてしまうことの方が嫌だって伝えた。

 そうなんだ。私は彼と関われば苦しい。それから先もっと苦しくなっていくかもしれないのにそれでも彼と仲良くありたい。

 なんで? どうして?

 分からない。

 分からないけど、今心の中から本当に何か形を成さない何かが溢れ出す。

「いやだ! いやだ! いやだ!」

 私の心からあふれたものは無意識に発した言葉で彼女に伝わっていく。

「私は、私は、篠原君から離れたくない」

 私の反応が想定外だったのか、先ほどまで強気だった彼女の瞳からは焔が消えていた。

 クラスではほとんど誰とも話さない。コミュニケーション能力がない子だって思われているかもしれない。

 黙っているから自分の意見がまともに言えない子だって思っていた?

 そんなことはない。

 私だって言わせてもらう。

「橘さん、私はあなたのいう通りにはできません。私だって譲れないモノはある」

 そういうと、鞄を持つと翻って校門へと向かう。

 その最中、彼女の声がふと耳に着いた。

「二条さん、後悔、しても、知らないですよ」

 後悔なんてしない。

 私は振り返らず、そのまま進んだ。



次は一週間後に投稿予定です。

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