39話 いつの間にか寂しがり屋になっていた その4
39話 いつの間にか寂しがり屋になっていた その4
雄一郎さんは仕事の関係で今日帰ってこないらしい。少し残念だけど、啓二が食べてくれる。さあ、喜べえ、喜ぶんだ。この前の冷たい弁当とかじゃないよ。作り立てでとてもおいしいやつだ。
これで、キャッツの胃はつかんだも同然さ。うへへ。
「今日は相当気持ち悪いですね。大丈夫ですか?」
「失敬な、私は元気いっぱいだから」
加奈さんは私をかったるそうに見ていた。
「けっ、私の啓二君に対するアドバンテージをこうも簡単に失うなんて。有紀さん恐るべし」
本人は聞こえていないつもりで言っているんだろうけど、私、十分に聞こえちゃってます。
アドバンテージていうけど、加奈さんは私なんかよりずっと長い付き合いでしょ。そんな簡単にひっくり返りはしない。
私の、こ、恋人って立場は結構危ういよね。
私は額からたらたら汗を流していた。妙に寒気も感じている。
その変な緊張も携帯の着信音で吹き飛んだ。メールの主は、啓二となっている。どうやら同時送信したらしく、加奈さんの携帯にもメールが届いていた。早速メールを開けると、ちょびっとだけの内容だった。しかもかわいげのない白黒。
『もうすぐ家に着く』
「今思うと啓二ってメールに無頓着だよね」
「え、有紀さんはそう思いますか。私も似たようなものですけど」
「あ、あなたのメールもこんな顔文字もビックリマークもクエスチョンマークもない白黒メールなの」
驚いて少し大きな声で訪ねる私に、彼女は何食わぬ顔で「はい」と答えた。
「加奈さんもメールに絵文字を使ってみてはどうかな」
「そうですね、今度試してみます。有紀さん宛に。だから変な風に見えたとしてもわ、笑わないでくださいね」
「笑わない笑わない」
でもこういう質素な携帯のメールが加奈さんの物なら納得できた。何事にもきっちりしていて、自分にも他人にも厳しい。流行には少し疎い感じがするけど、人の機微には反応する。
呼び鈴が聞こえた。
私は玄関に出て鍵を開ける。扉を開けると、少し疲れた様子の啓二がいた。寂しい思いが募っていた私は、啓二に抱き着く。
「おかえり」
「ああ、ただいま。有紀、恥ずかしいから離れてくれ」
「いや」
私はあらんかぎりの力を抱きしめる腕に込めた。
パキパキ。
ん? 何か変な音がするなあ。ま、いっかあ。
私が好きなようにしていると、啓二が必死になって私をはがしにかかる。何だろうかな、このくだりは前にもあったような気がする。
そう、あれは体育祭の時。那岐ちゃんをぎゅっととした時だった。
「あ、ごめん」
私は慌てて啓二を解放する。
ああ、やっちゃったよ。
「有紀い! やたらめったら力入れんじゃないよ。体がバキバキにされるわ!」
「ごめんごめん」
「相変わらず、ゴリラ並みなのには変わりないなあ、ってしまった」
こいつ、言いやがりました。
また私のことをゴリラだ何だと。付き合ってからはデリカシーのほうも改善されたと思っていたのに、全然じゃない。
「コォォオオオオオオ」
「ご、ごめん」
必死に謝るが、もう遅い。
私は彼の背後に回り込んで、ヘッドロックをかます。
「一回沈んでろ」
こうして私の折檻を受けた啓二は、もう二度と「ゴリラ」なんて単語すらくちにださないのでありました。
「有紀さん、あいからわずゴリラ並みですね」
パキ。
心が砕ける音がした。
啓二に言われたらムカつく程度だったけど、加奈さんに言われると普通にきつい。するする、と啓二を解放した私は玄関を上がってからそこでひたすら乃の字を書いていた。
「あーあ、加奈が余計なこと言うから」
「余計なことを先に言ったのは啓二君でしょ。それにしても面倒なことになりましたね。私冗談のつもりだったんですけど、まさかバカ、じゃなくて啓二君より効いてしまうとは」
二人して何か話している。
あー、私はもとからさ、力がバカみたいなことになっているのは分かっていたよ。分かっていたんだよ。時々腹が立った時は、無意識にシャープペンシルをへし折ってしまうこともあったし、ボールペンもまたそうだった。お気に入りを折ってしまった時の悲しさなんて、それはもう酷かった。
もっと言えば、テストで答案に記入している時だ。
集中しすぎて力を抜くことを忘れていた私は、ペン先から字を紙に刻み付けるように書いた。そしたら机に字が転写されて衆目から必死に隠そうとした。
放課後には神奈川先生に。
『二条さん、次から気をつければいいからね。だからそんなに落ち込まなくていいんだよ。集中しすぎて、そうなったんだから仕方ない』
『私、そうやっていろんなものを壊してきました。お気に入りのペンも、どうしてこんな無茶苦茶なんでしょう?』
なんてやり取りをしたこともあった。
「加奈、有紀が一人でブツブツ言ってるぞ。どうしたらいい」
「まあ、大丈夫です。私に任せてください」
加奈さんは私の肩をとんとんと叩く。顔をそっと挙げて彼女をみる。とても神妙な面持ちだった。まるでこれから先戦場に向かう兵士のような様相。
「有紀さん、啓二君にあれを食べさせないといけないですよ。こんなところで果てるなんて私が許しません」
「そうだ、思い出した。ちょっと酷い、いやかなりひどい言葉を掛けられて忘れていたけど」
「それについてはごめんなさい」
加奈さんは、ズルズルと座り込んでいる私の手をとった。
「啓二に食べさせないといけないものがある」
私たち四人は食卓を囲む。
「いただきます」
各々がそういって、食事を始める。
「そのトマトと玉ねぎの煮物は有紀ちゃんがつくったのよ」
「そっか、有紀の料理は久しぶりだな」
啓二のその言葉に、穂波さんはハッとした表情を浮かべる。今まで疑問だった何かが解消されたような表情で、「なるほど、そういうことか」と呟いている。
「啓二が一時女の子にお弁当を作ってもらっていたことがあったのを思い出したんだけど、もしかして有紀ちゃん」
「えっと、はい。作っても余り過ぎるんで誰か食べてくれる人がいないかと思っていたらちょうど、啓二がいたんで」
啓二は恥ずかしそうにしていた。私と穂波さんが彼に作っていた弁当に関しての話をそらそうとしてか、はぐらかそうとする。
「有紀、お前が作ったのはこれか?」
「うん、そうだよ。トマトと玉ねぎに鶏肉の煮物。味付けは塩コショウとコンソメ。味は濃いはずだから、薄口の人には向いていないかもしれないけど」
啓二の口に合うか心配だけど、どうかな。
私は彼の様子を窺う。スプーンですくったそれを口に放り込んでもぐもぐ。
じろじろ見すぎてしまった。彼はぷいと顔を背けてしまった。
「おいしい」
「ほんと?」
私は思わず前のめりになって聞いた。彼に私の料理を食べてもらうのは久しぶりだった。いつもいつも、作ってから時間が空いていた。やっと作り立ての物を食べさせてあげることができて……。
「うん、トマトの味がしっかりしてておいしいな。鶏肉もすごく柔らかくなってる」
「よかったあ」
安堵の溜息をもらす傍ら、穂波さんが加奈さんと何か話していた。少し私たち相手に気まずい様子を醸し出している。
「加奈ちゃん、あの二人って仲が良すぎるよね。どういう関係なの?」
「弁当作ってもらっている時点で確定でしょう。見ていて腹が立つリア充ですよ」
「あ、アハハ……」
しまった。何考えてんだ私は!
篠原家の食卓で啓二に堂々とイチャついて、穂波さんや加奈さんに迷惑かけてるよ。ていうかなんでこのやり取り、普通に人に見せているんだ! 少しおかしくなっているんじゃない私? 絶対何か変。
……久しぶりにフライパンを振るったからか。
私はシュンとしてしまった。




