38話 いつの間にか寂しがり屋になっていた その3
38話 いつの間にか寂しがり屋になっていた その3
「よかったね」
唐突にかけられた那岐ちゃんの言葉。
それはあらゆる意味を含有していて、私の胸に矢となってささる。
彼女は私の家庭環境を知っている。家事の一切を私が担っていたこと。それにもかかわらず、私の存在を忘れたように振る舞う母。自分を許せない父の悲しみ。二人とも自分のことで手いっぱいで私に目をやる余裕はなかった。
傍らの那岐ちゃんが肩をポンポンと叩く。
「ほら、空が晴れてきたね」
「あ、ほんと。最近曇りか雨ばっかりで鬱陶しかったからね」
雲と雲の間より光が差し込んでくる。それは天使の梯子となって、幾多も地へ降りていく。
徐々に雲の穴が広がっていく。同時に梯子は大きく大きくなっていった。
「那岐ちゃんが元気ないのって、篠原くんと加奈さんがいないからじゃない」
「うーん、啓二がいないのは寂しい。でも加奈さんはどうかな? ここだけの話、私って加奈さんが苦手なんだ」
「でも何かと面倒を焼きたがる加奈さんと一緒だと、飽きないんじゃない?」
なんだろう、この不思議な感覚は。
加奈さんのことを考えると何とも言えない気分になってしまう。明らかに敵意をもって接してきたときは嫌いって思った。意地悪な人だって。でも最近は違って、仲良くしていって、それでもぬぐえない感覚。
どうして加奈さんにそんな感覚を感じる?
「不思議だよ」
「加奈さんのことを苦手としていることに、でしょ」
彼女の言葉に私の胸がひときわ大きく跳ねた。
私は視線を落とす。ちょうど弁当箱を見ているような形だ。
「うん」
「簡単だね。それはさ、間違いなく那岐ちゃんは加奈さんと自分が似ているように感じるからじゃない」
「……似ている?」
私は思わず首を傾げる。
「私も直観かな。あんまり気にしないで」
そういって傍らの親友は弁当箱を開ける。白米をつついて頬張る。私もいただきますと手を合わせて、食事を始めた。
うん、おいしい。
「有紀ちゃんさ、本当にすごく寂しがり屋になったんだね」
「ほんと、ここまでとは思っていなかったよ」
「いつも篠原君に追いかけてもらっていたからじゃない」
「篠原君が、隣にいること、当たり前に思っていない」
彼女から突如として出たこの言葉は、私の心を乱すには十分なものだった。
箸を止めた私は、空を見上げる。視線の先にはぽっかりと空いた青い穴。そこから入ってくる光がまぶしい。
「思っていたと思う」
「そか、ちゃんとそれが分かれば大丈夫だよ」
私たちは止めていた箸を進めた。
放課後はぼんやり過ごした。
すぐに帰るでもなく、教室の窓からグラウンドをただ覗いているだけ。教室の中には誰もいない。グラウンドのほうから掛け声が聞こえてきた。
私は、窓を開けて身を乗り出す。
冷たい風が教室の中へ吹き込んでくる。前髪をかき分けて、トラックを走る一団に目をやった。先頭の人物に見覚えがある。私は左目を閉じてみた。するとはっきり映る。
「お、飯田君頑張ってるな」
私は彼に向かって手を振った。
どうせ気づきやしないだろう。でも構うものか。
家に帰ってから、私は久しぶりにフライパンを握った。
すると心が昂ってくる。私の半身がようやく戻ってきた、そんな気がしたんだ。
「有紀ちゃん、そんなにお料理したかったの?」
「はい」
ああ、にやけて仕方ないよお。
だってこのフライパン、私が料理を初めてからずっと使い続けてきたんだから。いうなれば恋人。いついかなる時も私と共にあって、私を支え続けてきてくれたんだ。
「よかったね、私の相棒。もう一度一緒に戦えるからねえ」
私はフライパンに頬ずりしていた。
「さあ、私と共に暴れようではないか」
私はフライパンを掲げて叫んだ。
そんな私に苦笑いを浮かべる穂波さん。二階から降りてきた加奈さんが半眼で見ていた。
「あなたって、そんなキャラでしたか?」
「えへへ、だってうれしいんだもん。ほら、なんていうかな。例えば大好きなぬいぐるみをある日突然なくしてしまって、悲しい日々を送っている女の子がいたとする。思い入れのあるもので、毎晩ぬいぐるみを失った悲しみから涙を流していて、半年後にそれが見つかった時の嬉しさそのものだよ、そのものなんだからね」
「なぜ二回言うんです」
「大事なことだからね」
さてさて、私は何を作ればいいのかな。
私はルンルンした気分で穂波さんに目を向ける。さあ、言ってください。何でも作れるなんてことはないですけど、美味しいものは作って見せますよ。中華料理ですか、洋食ですか、それとも素朴に和食!
さあ、私のスペックの限りを尽くしましょう。
ソワソワ、ソワソワ。
どうしたのですか? 穂波さん、何を視線を逸らすんですか? 遠慮なんてしないで。
「あの、有紀ちゃん。実はね、ほとんど作ってしまったんだよ。だからさ」
……。
さいですか。
「でもね、ちょうどお野菜が少し足りない気がするから。何かいい案はない?」
私は、ぐつぐつ音を立てている鍋の蓋を少し開く。
穂波さんが何を作っているのかの確認。
ふーん。この感じだと、野菜ともう少しお肉を使った料理がいいかな。
「思い浮かびました」
私はトマトと玉ねぎに鶏肉を用意する。トマトはミキサーで粉々にして、それをなべに投入。次に玉ねぎを細かく切って、それに投入。味付けに塩コショウ。鶏肉は適度な大きさに切って、ぐつぐつ音を立て始めた鍋に。
そして十数分煮込んだ後、コンソメを放り込んで味を調整する。さじでスープを救って味見。
「ふん、まあまあだね」
「すごいてきぱきとしているね。私見ているだけだったけど包丁さばきもさすがだよ」
「えへへ、ありがとうございます」
玉ねぎは火を通すと甘いし、鶏肉は玉ねぎと一緒に煮ることで柔らかくなる。
いい具合に煮込めてきた。
お玉で小皿にすくう。お箸を一緒にそれを穂波さんへ。
「味を見てみますか?」
「うん、ぜひお願い」
穂波さんはフーフー息を吹きかけてそれを食べる。
そして、おそろしいほどにだらけた顔をした。
私は後ろにいるだろう加奈さんにあくどい笑みを浮かべた。
「こ、この子とても危険です」
体を縮こまらせて、小刻みに震えている加奈さん。
恐らく二度と見ることができないような狼狽ぶりだった。




