36話 いつの間にか寂しがり屋になっていた その1
36話 いつの間にか寂しがり屋になっていた
ぼんやりしていた。
何か白い膜が目に張ったように、いろんなものがちゃんと見えない。通りにはたくさんの人がいる。当然顔は見えなくて表情も分からない。声の様子から喜んでいるのだろうか、楽しんでいるのだろうか、そんな様子が感じ取られた。
車道には、たくさんの車が走っている。
にぎやかだ。
私はそんな通りを歩いていた。隣には父だ。とても優しくて、近くにいるだけでとても心強くなる、そんな父親だ。私はそんな人の隣を歩くだけで幸せだった。
灰色の空から、雪が降り始める。とてもとてもちいさな粒子。はしゃぐ私に、それを愛おしそうに見つめる父。
小さな小さな雪がたくさんたくさん降って、徐々に先が見えなくなっていく。
周りの人たちも見えなくなっていく。
不安になった私は、傍らの父を見た。
優しく微笑んでいるその様子。その顔は瞬くまに、吹きすさぶ雪へと消えていった。
私は、咄嗟に手を伸ばす。少しの間、話していた手を父へと向けて……。
でもその手は、何もつかめなかった。
「お父さん!」
私は天井に向けて、手を上げていた。拳は強く握りしめられている。呼吸が荒くなっていた。何もつかめていないその手を見て、あれが夢だったことを知る。
重い体を引きずって、ベッドから体を起こす。
十分くらい何もしていなかった。荒れた呼吸を鎮めて、倦怠感が少しでも抜けるのを待つために。
クローゼットから制服を取り出して、ゆっくり着替える。
階段を下りて洗面所で顔を洗った後、リビングに顔を出す。そこには、新聞を広げた雄一郎さんがいた。キッチンのほうでは穂波さんが朝ごはんの支度をしている。
「おはようございます」
「おはよう、有紀」
「おはようございます、有紀ちゃん」
雄一郎さんが新聞をたたむと、こちらに笑顔を向けてきた。
私はキッチンのほうに顔を出す。普段なら、加奈さんが朝からそこにいる。しかし今朝はまだ寝ているのかいなかった。
「何か手伝うことはありませんか」
「うーん、そうねえ。コーヒーを淹れてもらおうかしら」
「お安い御用です」
私はやかんにお湯を入れてガスを点火する。上の戸棚に置いてあるコーヒー豆の入った袋をおろす。二さじ焙煎した豆を取り出す。コーヒーミルであらびきにした後、ネルドリップでコーヒーを抽出する。
コーヒーカップにカリカリに焼いたトーストを雄一郎さんのもとへ運ぶ。
「はい」
「ああ、ありがとう」
雄一郎さんは砂糖やミルクを入れず、そのままコーヒーを口に含む。
お口にあったか不安だった。
「あの、ど、どうでしょうか?」
「うん、うまいね。喫茶店とかでバイトとかしていたのかな?」
「いえ」
雄一郎さんの様子はすでに目が覚めているようだった。ならコーヒーをそんなに苦いものにする必要もない。
粗挽きにして余分な苦みを抽出させず、あっさりしたものにすればいいと考えた。
お気に召していただいてよかった。
私は胸をそっとなでおろす。
「有紀、コーヒー美味しかったよ、ご馳走様。じゃあ、行ってくる」
私と穂波さんは雄一郎さんを玄関まで見送った。
「気をつけていってきてください」
「うむ、有紀も体には注意するんだぞ。穂波も頼んだからな」
「はい。いってらっしゃい」
冬の朝は冷たい。上気した頬にそおっと乾いた空気が撫でていく。ピリピリして痛い。だけどそれが妙に心地よかった。まだ日が明けないうちだった。




