33話 二条有紀の不安 その5
33話 二条有紀の不安 その5
「本当にいいの? 無理はしなくていいから。ね」
担任の神奈川先生はそわそわして落ち着きがない。
事の成り行きを聞いて、壇上の脇に待機していた私の様子を見に来てくれた。正直ほんの少ししか話すことはないから、そこまで心配はいらない。でもこの先生は私が危機的な状況に出くわし何度も胸が張り裂ける思いをした。
大丈夫です、なんて言葉は気休めにもならない。
「しんどくなったら言います」
私はそういって、壇上へ目をやった。
ちょうど生徒会長が登壇し、騒がしくなっている全校に静粛にするよう伝える。
「生徒会長の荻浦です。緊急のお知らせがあって集まっていただきました」
声が、マイクを通して拡大化される。
実は私、選管と生徒会の打ち合わせが終わってから今まで耳栓をしていた。両耳からスポンとそれをひっぱりだす。
ああ、うるさいほどに聞こえる。
聴覚過敏の私は、群衆の雑音が極めて苦手だ。長い間聞きすぎると気分が悪くなる。
選管の後輩君が驚いた顔をしている。
「せ、先輩今まで耳栓なんてしていたんですか」
「うん、そだよ」
「信じられません」
私は苦笑する。
傍から見て、これから群衆に向かって何かを話す人間の様子には見えないだろう。緊張感の欠片もない。
「はは、耳が良すぎるのも考え物だよ」
なんて話していたら、生徒会長に強烈なガンを飛ばされた。
すみません。
会長に視線で謝った。
拡声器によって拡大された声が、全校に向けられる。
「さて、私、荻浦義盛は一身上の都合で生徒会を辞することとなりました。任期途中に関わらず、辞してしまうことを申し訳なく思います。では、これから先の生徒会役職変更に関しての説明を選管の二条さんにしていただきます」
私は階段を通して壇上に上がる。生徒会長が演台より離れた。
演台の前に立つと、息をふぅと吐く。
私の目の前には、千もの生徒たちが整列していた。静まり返った体育館。見えていないはずなのに、皆の視線がこちらに集まっていることは分かった。ピリピリしてくる。
私という存在がこの圧倒的な群衆にたいしてシャーペンの芯のようにもろいことを知らされた。
まるで薄氷の上を歩くような感覚がする。
しっかりしろ、私。決まりきった言葉を言うだけだ。何も演説しろなんて言われていない。短くはっきりと伝えればいい。
大丈夫だ。大丈夫。啓二も見ているんだ。しっかりしないと。
マイクの位置を合わせる。
「選挙管理委員会の二条です。会長の任期中の退任は、副会長が行うこととなるのが通例ですが、今回はその形とはなりません。今日の昼、選管に現生徒会のリコールの署名が届きました。丁寧かつ迅速に調べたところ、効力を発揮するものと判明しました」
ここで小休止、体に入った力を抜く。
うわあ、胸がバクバクするう。
「リコールの署名は全校生徒の過半数を超えた場合に即刻成立します。今回提出されたものは、全校生徒の十分の一という数です。この十分の一を満たした場合に関して、後日現生徒会の演説が行われたのちに、信任投票が行われます。この結果過半数以上が信任とした場合、リコールは無効。過半数以上が不信任とした場合は生徒会が解散されます。そして十二月中旬に、生徒会役員選挙が行われます。現生徒会信任投票日は後日お知らせします。
以上です」
私は一歩後ろに下がって頭を下げた。
壇上の端、階段のほうへ歩く。生徒会長とすれ違う。階段を下りて、神奈川先生と後輩がいる場所へ戻った。緊張から解放された私の体は一気に力が抜けた。ただ、……会長の声がうるさい。
早速耳栓を付けた。
……こうしてみるとやはり耳栓って便利だね。




