26話 橘加奈という少女 その3
26話 橘加奈という少女 その3
昼休み、私は穂波さんが作ってくれた弁当を携えて啓二と共に教室を出る。授業の合間合間に、私へ視線を送っていた加奈さんは、席を立つと私たちを追いかけてくる。ただ、私たちに合流する様子はない。
廊下から階段へ降りようとする頃、加奈さんだけでなく飯田君も私たちをつけていた。
私は啓二に耳を打つ。
「あの二人さ、何をしたいのかな?」
「分からないな。しかもあの組み合わせは、妙だぞ。あいつら、相当仲が悪かったと思うんだがな」
私はちらりと後ろを見やる。少なくとも一人、まったく隠れるつもりもなく、こちらに歩いてくる女子がいる。飯田君は、まあ、隠れているつもりなのだろうかな。教室と教室の間にある隔たりに隠れたり、生徒の集団に紛れこんだりしながらついてくる。
私はくるりと踵を返す。
「加奈さん、どうしたの?」
「そうね、あなたが心配なので追いかけてきました」
私は柱に隠れているもう一人に視線を向けた。
「飯田君は、どうしてそんなところに隠れているのかな?」
角刈りの少年は、肩をびくっとさせて観念したようにヘラヘラ笑いながら出てきた。
「いやあいやあ、二条と篠原のコンビは見慣れてるんだけどさ、そこを橘が追っかけてるとなれば興味がわいてしまって、へへ」
さて、私たちは四人で昼食を摂ることとなった。場所は学生食堂で、飯田君は食券機に並びに行った。私たち三人は弁当を所持していたので、適当な席を探した。混みあっていてまとまった席がなかなか見つからなかったが、ちょうど食事を終えた集団が、席を立った。
「お、ラッキー。ここにしようぜ」
啓二は、ハイエナよろしく立ち去って間もない席を取りに行った。
「ちょうど空いてよかったね」
「本当に、あの馬鹿の席もしっかり空いてよかったですよ」
私は加奈さんの隣に腰を下ろした。向かいに座っている彼の弁当を見て思った。私が彼と昼食を一緒にし始めたころは総菜パンばかりだったなと。いつの間にやら私が甲斐甲斐しくも彼の弁当を用意することになって、……私自身はそれがとても楽しかったんだけどね。
「啓二は、一時総菜パンばかり食べていた時があったね。どうしてなの?」
彼は苦笑する。どうも聞かれたくなかったことらしい。私は慌てて話をそらそうとしたけれど、加奈さんがその答えを勝手に言ってしまった。
「穂波さんと啓二君が親子げんかしていたんですよ」
彼は恥ずかしそうに顔を背ける。彼女はそんな様子を愛おしそうに見ていた。
「親子喧嘩、いいじゃないですか。何も恥ずかしいことじゃないです。啓二君は、言いたいことがあればいうべきですよ。居候の私がこういう事を言うべきじゃあないですけどね」
「いや、我儘はなあ」
理想的な親子像。
私がどれほど希求しようとも、結局は手に入れることなどできなかった。私はせめて、それがどういうものか少しでも知りたい。だからさりげなく聞いてみたかった。どんなことが原因で喧嘩をしたのか。
「啓二が、我儘かあ。どんな我儘だったの?」
「っと! 我儘というよりはその、すれ違いってやつでな」
彼は暗い顔をする。
……やっぱりこんなこと、友人でも言いにくいよね。ましてや、私は両親との間に問題があって、それを彼らは気にかけてくれている。
啓二は私のそんな話から気をそらすように、別の話題を振った。
「加奈って、どうして飯田と仲がいいんだ?」
あまり表情を表さない加奈さんが彼の言葉に露骨に嫌そうな反応を示した。
「どうしてそういう風に見えるんですか。私はあいつと仲がいいわけではないです」
「でも二人で私たちをつけてきていたよね?」
「あれは、成り行きですよ」
弁当の蓋を開けて、ご飯をパクリと頬張る加奈さんは、私を半眼で見ていた。
各々弁当をつついていると、誰かの携帯に着信したようだ。聞きなれないモノだったが、どうやら啓二のものだ。彼は携帯を手に、メールの内容を確認している。
「あいつ、俺達がどこにいるかわからないらしいぞ」
「あのお馬鹿さんと、一緒だと疲れますね」
そういって、中性的な顔立ちの氷の姫は席を立つと周囲を見渡した。数分周りに目を凝らしていたが、その時の彼女の目は剣のように鋭くて怖いものだった。
「ああ、やっと気づいたようです」
飯田君がこちらのテーブルにカレーライスを置く。
「まったく、橘の奴はおっかない目をしやがるよ」
びくびく震えながらそう言う彼に、私は笑いをこらえることができなかった。飯田君なんて、以前まで全然話すこともなくて名前すら知らなかった。そんな彼はお調子者で、几帳面な加奈さんとの組み合わせなんて水と油みたいなものだって思う。なのに彼らの組み合わせは妙に面白い。
「やっぱ二人の組み合わせは面白いねえ」
「有紀もそう思ってたか」
啓二の言葉に加奈さんは思わず席を立って後ずさっていた。眉はぴくぴくひくつかせて、唇は異様に吊り上がっていた。あまり笑ったり驚いたりしない彼女から、こんな面白い表情を窺うことができた今日この頃を私は幸せに思います。
「じょ、冗談がきついですよ。啓二君も有紀さんもからかうのはほどほどにしてください。私、めまいがしてきました」
そんな反応をする傍らで、飯田君は一人暗い雰囲気になっていた。夏の時折雷が混じった豪雨のように不穏なものだった。
「……そんなに言わなくてもいいだろ。いくら図太い俺でもさすがに落ち込むわ」
私は慌てて彼にフォローする。
「あ、ごめんね。そんな意味じゃなくてね」
「二条さんは、そんな奴、放っておいても問題ないです。どうせ昼食を始めれば嘘のように元気になりますよ」
「そんなものなのかなあ。それだといいけどね」
私は傍らの加奈さんと小声で話していた。
「二人とも、無茶苦茶聞こえてますけどねえ」
「はいはい、そんな怒らないでください。代わりに弁当の品を一品あげますから」
加奈さんは、唐揚げをつまみ上げると飯田君のカレーライスに添えた。すると彼は目をキラキラっさせて喜んでいる。
何と単純な奴なんだろうね。ちょろいな。加奈さんにぞんざいに扱われてしまう理由が分かったよ。
私は食べかけの弁当を見つめた。
三人同じの弁当。穂波さんと加奈さんが朝早くに起きて作ってくれたものだ。こうしてみたら、加奈さんと啓二に私は、周りから兄妹に見られるのかなって、一時だけ思った。




