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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅱ 夜空の姫君は再生を願って
24/77

24話   橘加奈という少女 その1

   24話   橘加奈という少女 その1

 

 訂正。私は彼女に対して、並々ならぬ敵対心を抱いていたようだ。彼女は私に対して優しい笑みを浮かべていて、それを違った風に見た私が嫌になってしまう。

 橘加奈さん。

 私の目の前にいた少女は、学校で会う時のような孤高さは感じさせなかった。腕を組み真っすぐ私に向けてくる視線からは、気難しい性格がかすかに表れていた。彼女の口元より笑みがこぼれた。

「退院おめでとうございます」

「う、うん。ありがとう」

 橘さんは、雄一郎さん、穂波さんにそれぞれ視線を交わした。

「彼女の荷物は私が運んでおきます。それと部屋の案内もしておきますので。失礼します」

「ああ、助かるよ。私はハルさんと話があるのでね」

 彼女は私から荷物をひったくると廊下奥の方へ進む。

「あ、あの、私も失礼します」

 慌てて橘さんを追いかけた。

 どうして彼女が、この家にいるのだろうか。苗字は違うけど、この家の様子をよく知っているようだし、篠原さんの親類なのかもしれない。それにしても意外だったな。あんまり橘さんとは、仲がいいってわけでもないのに、こんな風に出迎えてくれるなんて。

「あの、荷物は私がもつ」

「あなた、まだ病み上がりでしょう。無理はしないで、周りを頼りなさい」

「は、はい」

 こんな厳しくとげとげした女の子とは、かつて反目しあった仲だった。

 彼女にとって、私が篠原君と仲良くなっていくことが気に入らなかったらしい。手紙で放課後に呼び出されて、彼から距離をとるようになんて言われたこともあった。また、彼女自身が恋敵であること、親友の那岐ちゃんも篠原君を好いているという事実を彼女から知らされた。

 明らかに邪魔をしようとしているのかと思った時もあった。

 それが一転、私が篠原君との関係に微妙な空気が漂い始めると、彼女は私を叱咤激励した。

 本当はとてもいい人なんだって、思う。

 橘さんは階段の前で立ち止まると、私に手を差し出した。

「階段上がるけど、もしよかったら手を貸しますよ」

「えっと、ありがとう。ではお言葉に甘えさせていただきます」

 彼女の手を取りに階に上がると、一本の廊下に扉が五つ目に入った。

「二条さんの部屋は、廊下の一番奥になります」

 橘さんは奥の扉の蝶番を捻る。開いた扉に私を招き入れると、あとから彼女も入ってきた。

「何か困ったことがあれば、私に言ってください。私にできうることであれば協力します」

 そういって彼女は有無を言わさず、この部屋を出ていった。

 私は改めて与えられた部屋に目を遣る。

 部屋は白を基調としていて、端にはベッドが置かれている。中央にガラステーブル、それを挟んでベッドの向かいには机と本棚、木製の衣装ケースが置かれていた。

 私の実家にある部屋よりも、広くて立派だった。ベッドはこんなにふわふわじゃなかったし、本棚なんてなかったから机に平積みしていた。机だって金属の事務机で飾り気なんてものは一切なかった。

 女の子らしい部屋なんてものがどんなものか、ちゃんとわかってはいない。だけど私のあの部屋が女の子らしい部屋とはかけ離れていたことは確かだった。

「こんな立派な部屋を、私なんかが使っていいのかな」

 ボソッとつぶやいた。

 今日は必要最低限の荷物を、家から持ってきた。後日宅急便で重いものは配送予定だ。

 貸していただく部屋だ。綺麗に散らかさずに使わないと。

 大きな旅行鞄から、ジャージを取り出しているとドアがノックされる。

「二条さん、橘です。入りますよ」

 私の了解を待たずに、入ってきた彼女は私をしばし凝視していた。

「えっと……」

「私、お茶を入れてきますからあなたはそこの座布団に腰を下ろしていてください」

 そしてせわしなく彼女は出ていった。


 次に部屋に入ってきたときにはノックはなかった。彼女は何かを両手にしているようで、扉を開ける際機用に足を使っていた。

 橘さんは、お茶と和菓子をテーブルの上に置く。

「あの、私、おばあさんを見送らないといけない。それに叔父さまと叔母さまにもお話をしないと」

「雄一郎さんと穂波さんは、ハルさんと大事な話があるようです。私たちは二階でゆっくりするようにと。それ、どうぞ」

 彼女は熱いお茶にふーふーと息を吹きかけて、ずずっとお茶をすすった。私も促されたので、お茶に口を付ける。

「二条さん、いろいろ聞きたいことがあるんですが、構いませんか?」

「うん、いいよ。どんなこと?」

「あなたの体のこと」

 彼女の直球の質問にしばらく私は硬直した。

 私の身体能力は著しく低下している。それは日常生活を送るうえで、若干の支障をきたす可能性がある程度といわれている。これから、この家でお世話になっていく中でどうしてもあの方たちの迷惑をかけることになる。

 硬直する私に、彼女はあるものを差し出した。

「モナカ、食べるでしょ」

「……うん」

「少し意地悪な聞き方でした。繊細なあなたのこと、誰かに迷惑をかけてしまうという事態に対して相当のストレスを感じてしまうんじゃありませんか」

 私は彼女からもらったモナカをちょびっと齧って聞いていた。

 この子ってなかなか鋭いところがある。那岐ちゃんの恋心を見破っていたのもそうだ。

「誰かに迷惑を掛けたくないのは確かだね」

「でも、そんなことは土台無理な話です。だからあまり固くならないで。あ、それと私のことを苗字呼びするのはもうやめてください」

「わかった。その、次からは加奈さんって呼ばせてもらう」

 やっぱり、人と接するのは楽しいな。少し前まで、私の中に深く入り込んでくるのが怖くて、避けていたのに。

「加奈さんに呼び出されて、話をしたときは喧嘩上等みたいな雰囲気で怖かったけど、本当はとても優しいんだね」

「さあ、それはどうなんでしょうね。私って冷たい女ですからね」

「自分のことを冷たい人間っていう人ほど優しいんだよ」

「どう思おうがあなたの勝手です。それで、私は、その、聞いてもいいんですか?」

 私はこくりと頷く。

「では、まず一つ目です。怪我の具合はどうなんです?」

「体がいう事を聞かない時がある」

 

ドンッ!

 

 向かいの人物が両手をテーブルにたたきつけて、その場をおもむろに立ち上がった。

「ちょ、どうしたの?」

「……あ、いや、すみません」

 彼女は唐突にした行動に、後悔しているようで座った時には叱られた子供みたいになっていた。

「私が頭を怪我したこと、知ってるの?」

「あなたが欠席してから、一週間ぐらいたってでしょう。啓二君の様子があまりにおかしかったので、問いただしました」

 ……啓二君? 

 加奈さんは啓二が好きだって自分で言ってたね。学校じゃあ、彼女は啓二とあんまり接点がなかったような気がするけど、どうしてそんな親しそうに名前を呼ぶかな。

 私は些細な疑問を抱く。

 それは彼女の次の疑問によってうやむやとなった。

「体が言うこと聞かないって、どういう事? その、私がここに案内したときはちゃんと体、動いていたみたいで、その半身とか視野に影響が出ているようには見えなかったのですが」

「えっと、視力に関しては左目がほとんど見えなくなってしまって」

 加奈さんは私の言葉に一切の反応を示さない。俯いて、じっとそこに座ったままだ。目は前髪によって隠れてしまって彼女が何を思っているのかわからない。ただ、私は今の言葉を言うべきでなかったと思った。

 誰かに迷惑をかける。

 あなたに迷惑をかける。

 そういうニュアンスが、入り込んでしまったとしたら。

 加奈さんは迷惑をかけないなんてことはできないから、気にするなって言ってくれた。でもそれでも、私は――。

「学校にいるときは基本私と行動してください」

 私が余計なことを考えているのを察してか、会話を打ちとめるように彼女は言った。そして、モナカをパクっと一口、熱い緑茶を気にせずごくごくと一気に飲み干した。

 それからというもの、私たちは黙り込んでしまい、気まずい時間を過ごすこととなった。

 

「おばあさん、気をつけて帰ってね」

「うん、アンタも達者にせいよ」

 雄一郎さん、穂波さんと私は玄関から祖母を見送った。私は二人より、体を休めるよう厳命されていたため、家事を手伝うことはできなかった。穂波さんと加奈さんが台所に立っていて、その後姿を見るだけという状態は忍びなかった。

 台所に二人以上入り込んだら、狭くなるだろうしこの状態はある意味仕方ないものだった。

 私はソファにちょこんと座っている。

 やはり緊張がとてつもない。

 細く長い糸を手繰って針の穴に通すように、古事記の訓み下し文を読むときのように神経が張り詰めていた。こんな状態も最初だけだとは思う。

 雄一郎さんは奥の一室に籠ってしまった。

 インターフォンが鳴った。

 ふと私は立ち上がった。二人とも手が離せない状態だし、私が代わりに応対するべきだって思った。

「私が応対しますね」

「ああ、大丈夫。有紀ちゃんはそこで座っていて」

 そうはいっても、彼女はその場を動こうとしないので私は突っ立ったままでいる。すると玄関扉が開いて、よく知っている人物の声がした。

「ただいま」

 廊下からこちらに姿を現した彼に、私は目を丸くした。この驚きは加奈さんの比ではない。

「啓二……くん」

「こんばんは、有紀。そしてようこそわが家へ」

 不思議な感覚だった。

 私は先ほどまで緊張で、ピリピリとしていた。それは彼の姿を見ると同時に消え失せている。ふっくら蒸し焼きにしたスフレを口にしたときのように幸せがあふれてくる。私は手を胸にあてて彼をじっと見つめた。

 篠原啓二。

 そうか、私を引き取ってくれた篠原雄一郎さんと穂波さんは彼の両親だったんだ。


「おかえりなさい、啓二くん」

 私は彼の帰る場所にいられるという幸せをかみしめた


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