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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅰ 夜空の姫君は見つけた
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2話   二条有紀の気まぐれ 

少し長く感じるかもしれません。

2話   二条有紀の気まぐれ 


 私はグラウンドを一望できる窓へ身を寄せている。

 肌を撫でる風は冷たく、グラウンドの隅に佇んでいる木の葉は鮮やかな色合いをしていた。先ほどまでポツリポツリといた学生の姿が始限前のショートホームルームを前にしてだれ一人いない。

 嵐のような騒がしさがふと静まった。担任の先生が来たのだろう。

 私は窓から振り返り、席に着く。

 担任の先生は名簿を教卓の上に置き、生徒およそ三十人を一瞥する。そして微笑む。

「はーい、皆さんおはよう。では、早速出欠をとろうと思います……」

 担任はアイウエオ順にクラスメイトの名前を読み上げていく。

 そして私の名前も読み上げられる。

「二条有紀さん」

「はい」

 返事をしてまたグラウンドのほうを眺めた。天気が悪くなってきたために、外は暗くなっている。

 雨は降らないでほしい。降られたら……傷がうずく。


 四限目終了のチャイムが鳴る。

 私は弁当箱を机の中から取り出して、席を立った。すると後ろの席の奴に声を駆けられた。

「なあ二条、お前は昼ごはん誰かとたべるの?」

「いや、特にそのつもりはない」

「じゃあさ、一緒に食べね」

 私は彼の提案を特に突っぱねる理由がなかった。

「別にいいけど」

「じゃあさ、屋上にしようか?」

「好きにすればいいんじゃない」

 彼は「そう」とだけ言うと、すたすたと足を進めた。私は教室を出て、彼の後についていく。

「篠原君はさ、結構物好きだよね?」

 私は以前より気になっていたことを聞く。

 クラスメイトからしてみて、私は口数が少なくて付き合いが悪い女っていう風に見られている。

 確かにそれは当たっている。私自身が意図的にクラスメイトを避けているんだから。

 この男はそんな印象が悪い女にどうして頻繁に接してくる?

 私は疑問に思っているのに、彼はこう返してきた。

「え? 何がもの好きなんだ? 煮干しとか干し魚が好きだってことか?」

 いや、確かに食べ盛りな男子学生が肉より魚のほうを好んでいるというのは物好きなんだろうけど。私が聞きたいのはそういう事じゃない。

「違う」

 私が短く反論すると、篠原君は怪訝そうにする。

「じゃあ、なんだよ?」

「はあ、もういい」

 彼は不思議そうにしていたが、まあいいかという風に頷いた。


 屋上にはしっかりフェンスが敷かれており、学生にも開放されている。

 私は彼の後ろへとついていく。彼は屋上へと続く階段を昇り、ドアノブを回す。開かれる扉から、屋上でのんびりと過ごしている生徒が数人目がつく。ここは昼食場所としてはそこそこに人気がある。

 だからこの光景に対して違和感を持つことはない。

 にしてもよくこの時期にここでご飯を食べる。

 校舎は五階建てで、常に風が強く、寒くなっていくこの時期の屋上は生徒から嫌煙されがちな場所だと思っていた。

 私たちはその屋上に備え付けられているベンチに腰を掛ける。

 ふと隣にいる篠原君の様子を窺った。彼のひざの上には総菜パン。

 いつも、同じような気がする。

「パンが好きなの?」

「まあな、そういう二条はどうなんだ?」

「……どうだろう。朝はいつもパンだし、別に嫌いってわけじゃない」

「ふーん」

 私が彼のパンを見ている時、気が付かなかった。篠原君は私の弁当に視線を向けている。

 白米にトンカツ、ポテトサラダ、サバとトウモロコシにマカロニのマヨネーズ和え。

「おいしそうだな。これって二条が全部作ったのか?」

「うん、そうだよ」

 私は特に大したことはないって感じで答えた。

 だが彼は満面の笑みでこういった。

「すごいじゃん」

 褒められた。

 初めてだ。

 私は学校で昼食をとるとき、いつも一人だった。仲のいいクラスメイトは若干二名を除いていないから、料理のことも話さない。家じゃあ、母は食事を作ってはくれない。自分が食べるものは自分で作っていかなければいけなかった。

 だから料理できることは私にとって大したことではない。

 私はこの年くらいの女子ならできて当たり前だって思っていた。

 その分彼の反応には驚いたし、嬉しかった。

「別にさ、大したことじゃないと、私は思うけど」

「ううん、違うぞ二条。料理できない奴なんていくらでもいるんだ。そのことを考えるとやっぱりすごいことだ」

「……そう」

 その後私は彼に話しかけることはなく、彼のほうも同様であった。

 静まり返った中、私は昼食を終える。そして食べ終わった彼と共に、教室へと戻っていった。

 

 午後の授業は身体能力測定だった。今日は寒く、クラスメイトはみな長袖に長ズボンだった。

 皆各々のグループを作って騒いでいた。

 大きな声出して笑って、バカみたい。

 私はくるりと反転して、そいつらが視界に入らないようにした。

 私はまず、体育館に向かった。

 体育館では反復幅跳びに握力測定、背筋力測定などが行われていた。

 私は体育館の中を見渡す。すると篠原君の姿があった。彼の周りにはあいつの友人だろうか、数人の男子が取り巻いていた。

 特に興味はなかったので、私は一人握力測定を行う先生に身体能力記録表を渡す。

「握力測定、お願いします」

「はい、えっと二条さんね。まだあれから時間がそう経っていないけど測定は大丈夫なの?」

「ええ、問題ありません」

 先生より測定器を受け取る。それを右手に持った時に背後から声を掛けられる。

「お、二条も体育館に来てたのか? 何々、握力測定?」

 鬱陶しい。

 篠原君、どうしてグループから抜け出してきたの?

 別にあの子たちといるほうが楽しいだろうに、何考えているんだか。私としては独りで気楽だったのに、本当に面倒な奴。

 私は彼を半眼で窺いながら、手元の握力計を握る。

「何しに来たのよ」

「ちょっかい出しに来た!」

 イラっ!

 こいつの鬱陶しさが私の握力を強化する。

 私から器具を受け取った先生は、驚愕し、絶句した。

「に、二条さん……。あなた、すごいわね」

「何がです?」

「握力よ」

 そう言われると先生より右手握力の数値を見せられた。それは私からして別に何という事はないものだった。しかし周りからしたらおかしなものだったのだろう。

 篠原君は目を剝いている。

「握力七十八キログラムって、ゴリラかよ」

 ゴキン。

 私はとっさに拳で彼の頭をどつく。

 鈍い音が響くと同時に、彼はフラフラと倒れた。

 その様子を見て先生はため息をついた。

「まったくデリカシーのない子ねえ」

「まったくです」

 篠原君は握力測定をしている先生の前で伸びている。私は何食わぬ顔で、次の測定に向かった。


 背筋力測定、反復幅跳び等々測定を一通り終えた私は、一人更衣室で体操着から制服に着替えて教室に戻った。

 席に着いた私は、机に突っ伏して下校後の予定を練る。

 今日は四時のスーパーの特売に間に合いそうだから、食材を少し買っておかないといけない。醤油も足りなくなってきていた。気に喰わないけれどあの二人の夕食も用意しないといけない。

 私は机から頭を挙げると、ノートの端をちぎる。そこに買う予定の食材を書き並べてみた。

 醤油に味噌、お米に白菜とかぼちゃに大根。それと小麦粉も忘れないように。

 私が買い物のリストを考えているうちに、クラスメイトが全員教室に戻っていた。

 担任もいつの間にやら教室にいる。

「さて、ショートホームルームを始めます。とはいっても連絡事項が特にないので、掃除当番以外は解散という事で、みなさん今日もお疲れさま。さようなら」

「「さよなら」」

 終礼が終わると私は机にかけている鞄を手に取りそそくさと教室を去った。どのクラスも皆終礼が終わったころだろうか、騒がしい。

 がやがやセミの鳴き声のようにうるさい。

 鈴虫見たく綺麗な音だったらいいのに、このざわつきは私の心を逆なでした。せめて授業中みたいに車の音、風の音、人が歩く音だけだったらいいのに。

 無音とまではいかなくてもいい。

 ただ、人のひらいた口から飛び出す言葉が、ぐにゃぐにゃのスライムみたいにまじりあって理解できない状態が私にとって一番嫌いだ。

 ざわつきなんて、昼食時とか当たり前なのに私にはどうしても嫌なんだ。どうして嫌なのか分からない。分からないからまたそれが怖い。

 昼食の時だってそうだ。私はうるさいのを避けるために屋上へいつも逃げている。

 篠原君はたぶん、このことに気付いているんだと思う。

 本当なら買い物も嫌。人が集まるとこは全部嫌。

 嫌だけど、行かないといけないことなんてざらにある。今から行くスーパーだってそうだ。

 私はロッカーから靴を取り出す。靴を履き替えると上靴をロッカーになおす。

 いつもと変わらず私は一人で学校の玄関を出て、校門を出て、歩道を歩く。傍ら二車線の道路は交通量が多く、信号待ちで列をなしていた。まるでアリの行列みたいだ。

 毎日同じ光景。

 同じだ。

 私の生活はずっと変わらない。

 失業して夜遅くまでパチンコ通いの酔い倒れな父に、派遣で夜遅くまで働いている母。

 父が仕事をしている時まではこんな酷いことはなかった。

 いつからこんな風になってしまったんだ?

 いつまでこんな風になっているんだ?

 職を失った父と家族の歪んだ関係。

 そのしわ寄せが全部私に来る。

 私はレジでバーコードを読み込んでいくおばさんの様子をボーと眺めていた。商品のバーコードを読み取り終えたおばさんが、合計金額を述べる。

 私はガマグチ財布より五千円を取り出した。

 お釣りを受け取り、店を出る。

 店を出て左手の道をまっすぐに進む。すると道が坂になっていく。

 私の家は丘の上に建てられている。そのため、荷物が多いと夏なんかは熱中症になって倒れてしまいそうなくらい疲れてしまう。

 家まで上がってきたときには汗だくだった。

 荷物を置いて、カギを開ける。

「ただいまー」

 ドアを開けて、靴を脱ぐ。

 玄関には私の靴だけ。どうやら誰も家にはいないらしい。

 私としては別にそれで構わない。余計な気を使わなくて済む。

 さっそく私は買ってきた食材をキッチンに運んでいく。

 それにしてもさっきから変な音がする。

 カサカサって何か虫でも入り込んでいるんだろうか。最近私はちゃんと家の掃除をしていない。生ごみも溜まっている。だから何かが出てもおかしくはない。

「まさかの時に備えて、持ってきた方がいいか」

 私は物置からゴキブリ退治用スプレーを取り出す。それを護身用に足元に置いた。

「とりあえずは、これでいいでしょ」

 私は何の確証もなくそういうと、炊飯器の釜を取り出す。そこに今日買ったお米を二合入れて水で研ぐ。適量水を入れて炊飯器の電源を入れた。

 次にフライパンに油を入れて、温める。そこに豚肉を放り込んで焼く。そこそこ火が通ってきたので、ケチャップにみりん砂糖と甘酸っぱい味付けをする。

「カサカサ、カサカサ」

 先ほどからこの音が私の耳に嫌なほど入ってくる。

 私は豚を焼いているフライパンの火を消す。そして蓋をすると、足元に置いていた殺虫剤を手に取る。

「ああ、あああ、ああああ。嫌だなあ」

 私の皮膚には恐怖のあまりサブいぼがたっていた。嫌な汗が額を伝う。

 先ほどから聞こえるこの不快な音はキッチンの隅に置かれたごみ袋からしている。

 そっと近づき、私はゆっくりゴミ袋を退ける。

「………」

 いた。

 私は殺虫剤をゴキブリにかざしてキッチンが臭くなるほど薬剤を噴射した。

「ごほっ、ごほっ」

 さすがに薬を撒きすぎた。息ができない。

 私はキッチンの子窓を開けた。

 そしてゴキブリの始末をすると、ワカメ、油揚げ、玉ねぎを熱湯で煮つつ、生ごみはすべて処理し、散らかっているものも片づけた。

 先ほどから煮込んでいる鍋に適量の味噌をお玉で溶かしいれる。

 野菜は……めんどくさいなあ。生でいいか。

 大根を千切りにする。次に人参も千切り、適当なサイズに切ったトマトとトウモロコシを皿に盛り付ける。

「……出来上がり」

 

 食卓にほかほかのごはんと甘い味付けの焼き豚、みそ汁に生野菜があった。

 私はお箸を持ちつつ合掌する。

「いただきます」

 私はご飯を口にしながらに思う。

 自分一人だけのために料理なんてするもんじゃあない。面倒だし、なんていったって作りすぎる。一応父さんと母さんの分も用意してはいるけど、あの二人、食べるかどうかわからないから。

「はぁ、寂しい」

 ふと口からこぼれた言葉。

 もう長いことこんな生活しているのに、何を今さらそんなことを言っているんだ。

 私は嘆息した。


 私は食事を終えて、食器を洗っていた。ちょうどその時に母が仕事から帰ってきた。

「たーだーいーまーあーあ」

「おかえりなさい」

 私は玄関まで出迎えてから顔をしかめた。それは母の息が酒臭かったから。

「飲んできたの」

「そーよー」

「晩御飯はどうする?」

 私の問いに母は何やら笑う。何がおかしいの?

「いらなーい。もう寝る―」

 そういって母は二階の自室へとふらふら歩いていった。

 まだ八時なのにどれほど飲んできたの。あれってほとんど酩酊状態でしょうに。

 それに今日もご飯を作った意味はなかった。いらないならそう言ってほしい。自分だけのためにご飯を作るのはもう疲れた。コンビニの弁当で十分よ。

「まったく」

 私は食器を片して、一階の自室にこもった。

 真っ暗な部屋の中、私はベットに横になった。家族のことを考えると頭のなかがごちゃごちゃする。

それをかき消したい一心でヘッドホンを耳に着け、音楽プレイヤーを操作する。音量は少々高いめだ。

 疲れていたんだろうか、私はそのまま眠りについた。

 

 次の日も私は変わりなく学校へ行く。

 私にとってクラスで友人と呼べるような存在はほとんどいない。だから時間を持て余していると窓からグラウンドを見ていることが多い。毎日毎日一日に何時間とみているのだから飽きるんじゃないかって?

 実は意外とそうではない。

「はあ、にしても今日は気分が優れないなあ」

「ふーん、いつも陰気だけど実際にそう言うのは珍しいな」

 私は思わず後ろからかけられた言葉に体をびくっとさせた。

 まさか思っていることが口を突いて出てきているとは思いもしなかった。だから篠原君にそう指摘されて驚かずにはいられなかった。

 私は大きく二回深呼吸する。そして後ろを振り返る。

そこには彼の姿があった。

「盗み聞き? 趣味が悪い」

「いやいや盗み聞きとは悪い言われようだな。お前が十分な声量で言っているから聞きたくなくても聞こえてきたぞ」

「そう、聞きたくなかったのに悪かったわね」

 ぷいっとそっぽを向く私に、彼は慌てた様子になる。

「二条、そういうつもりじゃないんだ。音量の高さの例えであってだな、あくまでもお前の話に興味がないわけじゃあない。誤解させたなら、悪い」

 私があくまでひねくれたことを言っただけなのに、そこまで彼が動揺していることは驚いた。

「そこまで、必死にならなくてもいいだろうに。私だって冗談のつもりだった」

 それを聞いて彼は安心したのか大きくため息をついた。

 真面目な奴。

「それならいいんだ。それより二条、もうすぐ体育祭が開かれるだろ」

「ああ、もうそんな時期……」

「そうだよ。その様子じゃあ、オマエ完全に忘れてただろう」

「うん、その通り」

「いや、そう自信満々というか、はっきり言われるとな」

 篠原君は呆れた表情になる。

 私は鞄から行事日程表を取り出して、体育祭の予定を調べる。体育祭開催日時は今日から十日後か。

「体育祭……か」

「そ。今日の五限目にみんなが出場する競技を何にするか決めるみたいだ」

 私は彼から視線を外して考える。

 確か体育祭の競技は生徒全員に最低でも一つは割り振られる。適当なものを一つ選べばいいか。ただ何人かは二、三つと役割を与えられる。私もそんな連中の一人になりたくはない。

 ……どうする? 

「何考えてるんだ二条? どの競技にするか悩んでいるのか?」

「……外れではない、けれども当たりでもない」

「まあ、二条は運動神経がいいからどんな競技も向いていると思うけどな」

「買い被りすぎよ」

 私は振り返り教卓のほうを見る。

 まだ先生は来ていない。

 教室の騒がしさから、頭の内側より風船のように圧迫されるような痛みを感じる。私は机に突っ伏して雑音を無視しようとする。吐き気がして玉のような汗が出てくる。呼吸が乱れて苦しい。

 

 五月蝿い。

 

 私は必死に耐えている。耳をふさいでただ時間が過ぎるのを待った。

すると教室の前方よりドアが開く音がした。

 私は頭を挙げて前を見た。

 担任が来たみたいだ。

「おはようみんな」

 先生がクラスメイトに一通り視線を送ると、私に目を止めた。

「二条さん、顔色が悪いけど、大丈夫ですか」

 先生は心配そうにしている。

 本当に生徒をよく見ているな。まるで鷹の目みたいに遠くからでも気づく。

「はい、……少し疲れているだけです」

「そう、調子が悪くなったら無理をしてはいけませんよ」

 と担任ははにかんで答えた。

 本当にこの女教師は人間としてよくできている。

 しっとりとした黒いショートヘアに知的な眼鏡、女子が恨むような白くてきれいな肌。背は百六十センチメートルくらいで、スタイルもいい。二十四歳というのに強かな心を持っていて、優しさもある。

 私とは真反対の人間だ。

「私にはまぶしすぎるな」

 私はボソッとつぶやく。

 先生は普段通りに生徒の出欠をとると、さっさと教室を出ていった。


 昼休み、私はまた篠原君と屋上で昼食をとっていた。

 私は弁当、篠原君はまた総菜パンだった。

 篠原君はパンを齧りながら、私に質問する。

「朝はだいぶ調子が悪そうだったな。やっぱり体育祭のことか?」

 私は篠原啓二君を一瞥する。

 彼はよく人の内情にずけずけ入り込んでくるな。

「……別に、あなたには関係ないでしょ」

 私はそっけなくそう答えた。すると彼の表情は暗くなる。

「そう言われると悲しいところがあるな」

 私にそう言われることが彼にとって悲しいって。君の言っていることが分からない。

 篠原君は年頃の女からしてみれば、かっこいい。性格も明るくてフレンドリーだ。勉強も、そこそこできる。

 いろんな人から好かれている。

 私なんて女は性格は悪いし、クラスの皆に嫌われている。こんなやつ一人に嫌われたとして、それは彼にとってたいして重みのないことだと私は思う。

 そもそも私なんて嫌われ者とばかり時間を割いていると、君までクラスの皆から嫌われてしまう。

「篠原君にはいい友達がたくさんいるでしょ。私みたいな奴一人に嫌われたって痛くもかゆくもないでしょ」

 つい皮肉っぽく言った。

 そんな私に、篠原君は怒りの表情を向けた。

「なんでそんなことを言うんだ。二条、お前はなんで自分というものをそんなにぞんざいに扱えるんだよ」

 私は彼の語気にひるむことなく、ただ「さあね」と答えた。

 彼は続ける。

「俺にとってはお前も等しく友達だ。お前に嫌われると辛くて辛くて仕方ないぞ」

 彼がそこまで言ってくれる。それはとても嬉しいことだ。

 だけど素直にありがとうと言えない。

 私はお前がよく声を駆けてくることを鬱陶しいと感じる。でも同時に君が声を掛けてくれることを心の内では嬉しく思っていた。

 私は彼に背を向ける。柵にもたれかかって空を見上げた。

「……君は私がクラスでどう見られていると思う?」

 予期せぬ問いに篠原君は怪訝そうな表情を浮かべる。

「そう言われても、俺にはわからない。なんで、そんなことを聞くんだ?」

「私はクラスの皆からは協調性がないように見えている。現に私がクラスの皆から離れていっている。自分で一人になりたがっている。それを自己中心的だという風に見られる」

「でもお前、俺とはちゃんと話してくれるじゃん」

「そ、それは君が鬱陶しいほど話しかけてくるから、無視するの諦めたのよ」

 ああ、なんだか少し涙目になる。血がカアって昇ってフラフラする。この涙目は別に悲しいとか辛いとかそんなんじゃない。嬉しさはあるけれどそれも違う気がする。

 ……恥ずかしさ。

 い、いやいやそんな事ないない。

 私が悶々としていると、彼はまっすぐ私を見据えた。

「友達になることは自由だ。クラスの連中が何と言おうと関係ないだろ」

「いや、そうじゃなくてっ! 私があなたの友達を不快にさせてあなたが嫌われるようなことになったらと思うと、怖いんだよ」

 私の本心を聞くと彼はきょとんとする。

 何言ってんだこいつ、みたいに。

 篠原君は私から視線を外して、空を見上げた。後頭部を人差し指でポリポリ掻きながら言葉を発する。

「大丈夫だよ。俺の友達でお前のことを不快に思っているような奴はいない。もし俺がお前と話すことを勝手に不快に思うやつがいて、そいつが俺から離れていくようならそいつは大切にすべき友人じゃない。

友達の縁はそんなことではびくともしない」

 屋上を強い風が吹き抜けていく。私の黒髪をぐしゃぐしゃと撫でていく。スカートは翻ってしまう。私は必死にそれを押さえつけた。彼は彼でパンを包装していた袋がとばないように握りしめていた。

 風が止んだ後、私はふーと息を吐いた。

「篠原君は友達をそこまで信頼しているんだ」

 私が彼にぶつけた疑問は、友達を信頼できない奴ならではのものだ。彼の人間性を私の物差しで測ろうとしていたこと自体がおこがましい。

 私は撃俯いている。するとおでこをぴんと撥ねられる。

「あ、あんたね。いきなりデコピンとかしないでよ」

 額を抑えて大袈裟に痛がっている私に、彼は笑顔を向ける。

「考え込むのはよくないぞ」

 そういって彼は真剣な顔になる。

「なあ二条、体育祭の競技には二人三脚があるんだ。もしよかったら俺とペアを組まないか?」

 緊張しているんだろうか、目がものすごい泳いでいる。

「……私なんかでいいのか?」

 自信なく問う私に、彼は噛みついてきた。

「何のためにお前に聞いているんだよ。お前がいいからそう聞いたんだよ」

『お前がいい』という言葉が私の頭の中をくるくる回る。そしてその意味を理解し始めた時には顔は真っ赤になって額からは汗が出る。スカートの前で会わせた手をしきりに動かしている。

 ええ、ちょっと待って何それ? 告白。遠回しな告白なの? い、いや、何を考えている私。あくまでも篠原君は二人三脚の相手に私を誘っただけで、その理由ならいくらでも考えられる。

 彼の言動からその、こ、こ、こ、告白なんて考える私はやはり考えすぎなんじゃ。

 え? でも、私でないとダメだっていうのは何? 

 そ、それこそ篠原君が言っていたように考え込むなってことよね。考え込みすぎなのよ私は。そうよ、 これは彼にとっては二人三脚しやすい相手が私であることをさしているだけ。そう、そうよ。間違いないわ。

 篠原君は首を傾げる。

 ふむ、彼からして私は挙動不審に見えるだろう。とにかく落ち着かなければ。

「あー、ごほん。げほげほ。ごほん」

 私はなんで咳払いをしているの? もうやっていることが理にかなっていない。

「あのそれでどうだろうか、二条?」

 篠原君は不安そうに尋ねてきた。私は頭がパニくったままではあるが、彼に応える。

「う、うん。もし私でいいのなら、二人三脚の相手、……よろしくです」

 もじもじする私に、彼は満面の笑みで「おう!」といった。

 

 五限目の中盤、いよいよ体育祭の種目の割り振りが始まった。

 学級委員長が黒板にチョークで五十メートル走、百メートル走、二百メートル走。障害物競走等々書き連ねていく。各種目とも割り振りは二人ずつ。二人三脚は四人となっていた。

 比較的静かな中、種目の割り振りが進んでいく。

 五限目が終わりに近づく中、二人三脚の担当が決められようとしていた。

「では二人三脚です。これは四人二組という事になります。二人三脚をやりたい人は挙手してください」

 神宮寺という女子学級委員長が言い切る前に、私たちは静かに手を挙げた。

「えっと、二条さんと篠原君ですか。二人三脚のペアはもう決めてあるんですか?」

 私たちは頷く。

 学級委員長は釈然としないまま、二人三脚の欄に私たち二人の名前を書き込む。そしてその間に私を鬼もかくやという形相で睨む少女がいた。私が矢のように目線を向けると彼女は視線を外した。

 私は強い視線で睨んできた少女のことを考えていると、不意に声を駆けられた。

「二条、二人三脚よろしくな」

「ああ、やるからには勝ちたい」

 こうして私と篠原君は体育祭で二人三脚をすることとなった。

 五限目終了の後、クラスではひそひそと話声が聞こえた。

 おおよそ私が篠原君とぺアを組むことを訝しんでいる者によるものだろう。私みたいな梅雨時のような根暗女がクラスで人気もある彼とどうしてこういう風になったのかっていう、ある意味当り前な疑問だ。

 そんな単純ともいえる疑問を持つ輩がいれば、中には明確に敵意をむき出している女どももいた。彼の相手が別に私以外の者(女)であったら、そこまで怒りはしない。私だからこそ嫌なのだろう。

 私はそんな奴らに一瞥する。そして鞄を手に取り、篠原君に言った。

「さようなら」

「ああ、さよなら二条」

 

今日という日が、これまでの私の生活に決定的な変化を与えるのではないかという予感がした。


ご拝読ありがとうございました。


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