19話 灰色の時間 その2
19話 灰色の時間 その2
「啓二、ありがとう」
「ああ、また明日も来るからな。もし寂しいのが我慢できなかったら電話でもしてくれ」
ニッと笑う彼に私は手を振った。
彼が去った後の病室は何とも寂しいものだ。残された私は苦痛ともいえる一人の時間を過ごさなければいけない。私は唇をキュッと結んだ。
夕食も喉を通らず、点滴に急きょ栄養剤が追加された。一日に何本も点滴をさしていれば、チューブの中に気泡が入り込んだりなんてトラブルも発生してくる。ほんの少しの気泡なら、血管内に侵入しても血液に溶けて問題はないらしい。
ただ血管に空気が入ることはよくないことに変わりなく、主治医が時折点滴のチューブを捻って気泡を点滴パックに戻している。これが点滴トラブルその一。
点滴トラブルその二は。
「あっ、やば」
血液が点滴に逆流してしまうこと。
私はナースコールを押す。すぐに駆け付けたナースは点滴のチューブを見ると、すぐにそれを上の方へ持ち上げる。上から流れる点滴の薬剤で血液を血管内に戻そうとしているのだ。
しかし、なかなかうまくいかない。
「また、あれをやるんですか?」
「うーん、そうだね。気持ち悪いだろうけど我慢してね」
「……はい」
看護師はチューブを掴むと、力を入れてそれをぎゅーと腕のほうへと押し流していく。この時血管が強引に拡張されてとても気色わるい。いたいし、辛い。
目をぎゅっと閉じる。
一通り処置を終えた看護師さんは、点滴パックの量をチェックする。
「チューブが腕より下にならないように注意してくださいね」
「注意しているつもりなんですが、どうしてかこうなってしまうんです」
長時間点滴をさしっぱなしにしていると、よくこうなるらしい。
看護師が去った後、私は横になる。
翌日、といっても午前零時を回ったところ。
私はなかなか寝付けずに、ベッドをごろごろ転がっていた。こういう時に羊の数を数えればいいなんて誰が言ったのだろう。入院以降何度か試したが、余計に頭が冴えてしまって眠れなくなった。
これは羊を数えるからか?
数えるモノを変えたらどうなるんだろうかな。少し試してみるか。
「その前に、トイレ行こ」
トイレから戻ってきた私は、ベッド上で何を数えるか迷っていた。
つまらないもを数えるよりは楽しそうなものを数えようかな。例えば、例えばそうだね。楽しさを振りまいてくれる……、そうだ! 啓二だ。啓二の数を数えよう。
さて、場所はと――。
決めた。 始めるかな。
篠原啓二が私の病室に一人。
篠原啓二が私の病室に二人。
篠原啓二が私の病室に三人。
篠原啓二が私の病室に四人。
篠原啓二が私の病室に五人。
……
篠原啓二が私の病室に四十五人。
篠原啓二君が、ってそんな人数病室に入るわけないでしょが。啓二、悪いけどこれ以上は部屋に入らないから余分な数は帰ってもらうとしようかな。えっと、でもせっかくだし一人だけ私専属の看護師として残ってもらおうかな。
『いいよね、啓二』
『ああ、分かったよ。残りは帰ってもらうから』
一人の啓二が『お前らは帰れ帰れ』と手を振って、残りの四十四人は病室を後にした。ぞろぞろと部屋を出ていったあと、病室の扉は閉じられた。
『啓二、夜は不安になるから手を握ってくれる?』
『ああ、お安い御用さ』
『じゃあ、さっそく握って、それとそれと、頭を撫でてほしいな……なんちゃって』
啓二は私のお願いにすぐ応えてくれた。
グヘヘ……。最高ダネ。
んん?
啓二、何か言ったの? えっ、言ってない。ホントに、何か五月蝿いような気がするんだけど気のせいかな。あれ、何だかぼやける。まぶしい?
陽光の眩しさに瞼を開けた。体を起こして、周囲を見渡すも誰もいない。
啓二がすぐ隣にいるような気がしたけど、それは夢だったようだ。
「寂しいな。でも久しぶりに楽しい夢を見られたし、まあいいか」
私が起床してから数分後に、看護師が点滴パックの取り換えを行った。同時に体温と血圧のチェック。どちらも異常は見られない。ただ右目はぼやけたままだ。