秘密
ズシン、ズシン。
暗い夜でもその振動は遠くからでも良く響いた。
魔竜王とその僕達が一路、村へと向かっているのだ。
メルジーネとアーレスは村の手前まで迫った彼らにようやく追いついた。行きの時に使ったエレベータが使えないので危険を冒してメルジーネは再び洞窟の空を舞った。それでも魔竜王達は村を襲える狂奔に酔っていて気づかない。魔竜王のすみかはもぬけの空だったのだ。魔竜王もその手下もだれもが人間を襲える喜びに震え沸き立っていたようだ。それに気づいたメルジーネはある仕掛けを魔竜王達のすみかに施しておいた。それで彼らに追いつくのに時間がかかったのだ。それが今、発動する。
グラリ。
始まりは揺らめきだった。
それが激しい震動に変わり、やがて小柄の魔物が立っていられないほどの揺れとなる。同時に魔竜王の拠点に火の手が上がり、火の柱は天蓋を灼かんがごとく燃え上がる。
「何事だ!」
「拠点に火が! そしてこの振動……なにかがおきています!」
「それはわかっている! 何かとは何だ!」
「この世界が、壊れるのよ」
「何!」
紅蓮の炎の柱を背景に、メルジーネが姿を現し妖艶に笑う。と同時にさらに炎の柱は天をつき、天蓋にまで火が回り始める。最早昼と変わらぬ明るさの中、メルジーネとアーレスは巨大な魔竜王に向かって一礼した。
「ごきげんよう。魔竜王さん」
「キサマ、生キテイタカ!」
「ええ、ぴんぴんしてるわ」
メルジーネはおかしそうに笑うと、魔竜王の目が鋭くなる。
「オノレ……ダガ、我ハタオセマイ!」
そして魔竜王が言うがメルジーネは動じなかった。くすくす笑うと魔竜王に向かって言う。
「倒すんじゃ無いわ。私はあなたに命令するの」
「? ナンダト!」
いぶかしむ魔竜王を指さすとメルジーネは大声で命じる。
「さあ、魔竜王、この世界を守護する王たる役目を果たしなさい! この世界の秩序を維持し、世界を元通りにしなさい!」
「……グッ」
その言葉に何かを思い出したかのように痙攣する魔竜王。
「さあ! 早く!」
「グッ……」
「さあ、どうしたの!」
メルジーネがずいと一歩前にでると魔竜王はとうとう折れた。
「グ、グウウウウウウウウウウムムムムムム!! ミナ、ヒケ! マズハ、コワレタセカイヲナオスノダ!」
「は、はい! おい戻るぞ! 魔竜王様の命令だ!」
「ガイラス=クラスト様の命令だ!」
その言葉と共に魔物の群れは村から一目散に引いていく。それをみてアーレスが叫ぶ。
「おおっ、魔物が村から!」
「どう、見事なものでしょ」
豊満な胸を張ってメルジーネ。そんなメルジーネにアーレスは聞いた。
「しかしなぜだ。なぜ魔物は村から手を引いたのだ」
「それはね。魔物達はこの世界を維持するシステムの一部だからよ」
「システム? なんだそれは?」
側に立つアーレスがわけがわからず不思議そうに言うとメルジーネはくすりと笑ってごまかした。今のアーレスにはわかりようのないことだ。
「わからなければそれでいいわ。けれどね。あの魔竜王ガイラス=クラストを倒す方法はまだ謎なの」
「あれだけのことをしておいてお前にもわからないのか?」
アーレスの言葉にメルジーネはうなずく。
「ええ。だからこれから聞きに行く」
「聞きに行くだと? 誰にだ」
「それはね」
メルジーネはそこで一度息を吸って吐き、言った。
「もう一つのシステムの長。あなたの村の長にね」
村長は村の広場の中心で静かに待っていた。二人を見て声を上げる。
「おお、戻ってきたか」
「ええ、戻ってきたわ。村長、あなたに聞きたいことがあって」
「聞きたいことじゃと?」
不思議そうに眉を上げる村長にメルジーネは鋭く言う。
「とぼけないで、魔竜王の秘密のことよ」
「……」
「村長?」
アーレスがまさかというように聞く。だが村長は頭を振ると目を細めメルジーネに向き直った。
「……」
口を開く。
「……そうか、娘。どこで気づいた」
「私はこの世界が一つのシステムだと最初から知っていただけ。魔物達がシステムで動いているなら人間の側もシステムで動いているはず。だから、魔竜王にこの刀が届かないならそれに対する人間の方にも何か秘密があるはずと踏んだのよ」
メルジーネの返事に村長はうなずく。
「なるほどな」
「で、どうなの?」
「ずっとこんな日々が続くのだと思っておった」
「人は生まれ死に、あるものは魔物に捧げられ、そしてねじは回る。それを維持するのがずっとずっとわしの役目であった」
「……」
万感の思いを込めるように村長は口を開く。
「そう、ずっとじゃ。意味も無く。訳もわからず、ずっと」
「もうこの天蓋世界を作った魔術師は死に、維持する意味は失われているわ」
「それでもこの世界に命は生まれ続ける! わしにはそれを守る役目があるのじゃ」
「そうね」
「そして生まれ行く命のためにある程度の犠牲も致し方ないと思っていた」
「村長。あなたはきっと正しいわ。でも……」
「娘、お前はこの鎖を断ち切るというのか」
「ええ、私はこの世界の維持に興味はないもの。あるのはこの世界にある黒剣だけ」
「魔竜王が死ねばこの世界の時は止まる。それでもか」
「ええ、知っているわ」
「そんな!」
二人の言葉にアーレスが割って入る。村長はアーレスを叱咤した。
「黙れアーレス。これがこのたわいもない世界の事実じゃ」
「く……」
「で、どうなの、魔竜王の命はどこにあるの」
メルジーネが問うと村長は遠い目をしていった。
「ふ、命か。娘よ。魔竜王の命は我が命」
「そう、ね。そうだろうと思ってた」
「さあ、わしを殺すが良い」
村長の言葉にアーレスがたまらず叫ぶ。
「おい、待て! 何か方法が!」
しかし村長は首を横に振って言った。
「こやつの手によって壊れた世界を修復したら魔竜王は再び村を襲うじゃろう。わしは無事だがそのほかの命は無残に消えてゆく。さあ今のうちに済ますのじゃ」
「村長さんの言う通りよ。もうこうするしかない」
「く……」
二人の言葉にアーレスは断腸の思いで引き下がる。そんなアーレスを横目にメルジーネは村長に向かって言った。
「ごめんなさい」
「何を謝る?」
「あなたに魔竜王のいない世界を見せてあげられなくて」
「気にするな。長く生きすぎた男のたわいごとじゃ」
「村長!」
「ゆけ、メルジーネ。そしてアーレス。好きに生きよ。わしのようにはなってはならぬ」
「……。なりたくも無いわ」
どこか感慨深げにメルジーネ村長はわずかに笑ったようだ。アーレスに向き直り言う。
「そしてすまんアーレス。この世界は止まる。つまりお前の妹、ハノーの時間も止まる」
「だったらオレの時間も止まりますよ」
アーレスが言うと村長は首を横に振る。
「いいやいかん。アーレス。お前は卓越した戦士。探しに行くのだ。世界の外へ。ねじが無くてもこのちっぽけな世界が回るすべを見つけに」
「まさか! そんなこと! できるわけない!」
「いいや、できる! できるはずじゃ、のう、娘よ、どうじゃ?」
村長の言葉にメルジーネは口を開く。
「それがあなたの最後の希望って訳ね」
「ああ、そうだ。生け贄無しに回る世界。それこそわしの望む物」
「わかったわ。その望み、本当に叶うかどうかはわからないけど道は作りましょう。もとよりそのつもりだったから」
「どういうことだ?」
メルジーネの言葉にアーレスは首をかしげる。
「私はね、黒剣を預ける相棒が欲しかったのよ。アーレス、あなたならその役に十分だわ」
「しかしオレに……」
戸惑うアーレスにメルジーネは言う。
「村長さんの願い叶えてあげたくは無い? 妹さんを安全な世界に住まわせたくは無い?」
「アーレス、わしからも頼む。この世界に住まう村人に真の平穏を」
「……」
アーレスは天を振り仰ぎ、ようようと重い口を開いた。
「……承知いたしました。このオレで良ければ」
その言葉を聞いて村長がわずかに頬を緩める。
「ふう。これで肩の荷が下りた。では手っ取り早く済ましてくれ」
「はいはい。それじゃあ行くわよ」
「……」
「……村長」
「さよならね。村長さん、あなたの腰使い、なかなか悪くなかったわよ」
アーレスは目を閉じ、メルジーネはそう言うと村長に愛用の白剣では無く手持ちの普通のナイフを突き立てた。村長の命を吸う気にはなれなかったのである。
「ぐ……」
あっけない物だった。それだけで村長は動かなくなる。そして同時に遠くでがらがらと何かが倒れ伏す音がした。ガイラス=クラストのそれが死であった。それを聞いてメルジーネが言う。
「終わったわね。さあ、黒剣のところへ行きましょう」
「……わかった」
村長の死体を残して二人は魔竜王の宝物庫へと向かう。もはやなにも障害は無かった。あとに残るは止まろうとする世界が一つそこにあるだけ。