到着
「……ついたぞ」
「ここが、入り口?」
それからしばらく歩いて機械仕掛けの太陽が夕暮れの座に入ろうとした頃、アーレスとメルジーネ――今はアーレスの妹、本来の生け贄であったハノーに変装しているが――は魔竜王、ガイラス=クラストの住む地下迷宮の入り口へとたどり着いた。入り口と言っても石の柱が立ち並ぶ中央に円形の巨石が地面に張り付くように置いてあるだけ。あたりはしんと静まりかえっている。メルジーネは辺りを見回してアーレスに問う。
「出迎えは?」
「ああ、いつもならすぐ来る」
さっきから布を羽織っただけのメルジーネの言葉にアーレスはそう返した。メルジーネの鎧は先ほどの休憩の際に脱いでしまってアーレスが背負うかごの中に収まっている。剣はメルジーネが佩いたままであるが、一応それもそれとなく身を覆う布で隠していて一見すると裸に布をまとっているだけのように見える。
「しかしその格好で激しく動けるのか?」
待つ間、アーレスがメルジーネに尋ねる。
「体裁さえ気にしなければね」
ひらひらと布をひらめかしメルジーネ。
「そうか。荒事は避けたいな」
妹、ハノーの姿であられもない姿を見せられては兄として、困る部分がある。するとどこからともなく笑い声が聞こえてきた。
「来たぞ」
アーレスが軽く身構える。
「ケケケッ」
「ケケッ、ケケケケ!」
アーレスが言うように、やがてどこからともなく二人の魔物が姿を現した。二人ともぼろを身にまとっただけの装束で、頭がトカゲで全身鱗姿の有り体だった。竜の眷属だとメルジーネは悟る。二人の魔物はアーレスとメルジーネの周りを飛び跳ね二人の顔を窺うと口々に言い合う。
「ケケ! これが今度の生け贄か」
「ケケケ! 確かに我らが指名した者と違い無し」
「此度の生け贄はかのアーレスの妹! 我らが我らが指名した!」
「調子に乗っている馬鹿者をお仕置きするため指名した!」
「くっ」
アーレスが口惜しさに歯がみする。それを見て二匹の魔物がますます笑う。
「ケケケケ! いいぞいいぞ! その顔その顔が見たかった!」
「無様な無様なその顔が!」
そこで二匹の魔物は笑みをすっと消して慇懃に地下に向かって礼をした。
「では開こう、魔竜王様へ通ずる門」
「いざ参ろう、哀れなる生け贄の少女とその兄たる護衛」
「では二人とも、石の台座の中央へ」
「我らが主、ガイラス=クラスト様の待つ地下へ」
「……」
アーレスがハノーに化けたメルジーネの背中を押すようにした促す。メルジーネは粛々としたふりをして円形の巨石の中央に立った。アーレスも後に続く。すると巨石がのあちらこちらが魔方陣のように鈍く輝き、そしてゆっくりと地中へ沈み込んでいった。
「なるほど、エレベーターね」
原理を知っているメルジーネが小さな声で言った。一方のアーレスは地面が沈み込む感触になれないようで、居心地の悪そうにしていた。
「大丈夫?」
「うむ、地面が沈み込むという感覚にはどうもなれない」
「ケケ、お前達! 何を話している!」
一方の魔物が二人の会話を聞きとがめ指摘する。メルジーネは頭を下げていった。
「ごめんなさい、兄との別れを惜しんでいました」
「ケケ、そうかそうか、最後の別れだ。存分にな」
「はい……」
返事の満足したのか魔物は二人から離れていった。魔物が十分離れたところでメルジーネは彼女の本来の笑みを取り戻してアーレスに言う。
「単純ね」
「……まだ気を抜くのは速い」
「そうね」
メルジーネは前を向く。長い長い間石は沈み込み続けた。メルジーネが飽き飽きしてこの二人の魔物にちょっかいでもかけようと思ったとき、石は動くのをやめた。
「「ついたぞ、生け贄とその護衛」」
二匹の魔物は寸分の狂いもなく唱和し、愉快そうにメルジーネとアーレスの姿を眺め笑い合った。
「……」
メルジーネとアーレスもその声に顔を上げる。そこには隙間のない石組みの間にぽっかりと空いた横穴が、二人を待ち構えていた。
横穴はわずかに光を帯びている。何かのまじないか、それとも光源が何かあるのか。
「……行こう」
アーレスがメルジーネを促す。
「……わかったわ」
メルジーネも頷き、二人は横穴に入っていった。入るとすぐ後ろで石が動く音がして後方は闇に閉ざされてしまう。しばらく二人は立ち止まり聞き耳を済ましていたが、彼らが戻ってくる気配はなかった。メルジーネが声を出す。
「魔物のエスコートは、ここまでみたいね」
「そうだな。だがこの先にも魔物がいる。大物がな」
「ガイラス=クラスト?」
「いや、控えの間に側近らしき魔物がいる。手練れだ。おそらくオレ一人ではかなわん」
「じゃあこのまま進みましょ。で、その控えの間の先に魔竜王がいるんでしょ?」
「ああ、そうだ、控えの間の先にガイラス=クラスト様はいる」
「様だなんて。まだもったいぶってるの?」
アーレスのかしこまった言葉をメルジーネは笑い飛ばす。
「そうだな、お前の言うとおりだ――控えの間の向こう、王の座に奴はいる。それは間違いない」
「で、あなたのあんなにも控えの間まででしたっけ?」
「そうだ、だが今回はオレも魔物に頼んでみよう。妹の身を案じてと言えば相手も心を動かすかもしれぬ」
「魔物が、心を動かす?」
「おかしいか?」
メルジーネの言葉にアーレスは言う。
「ちょっとね。あなたのかわいい思考が面白いかも」
「かわいいとは何だ!」
「まあ、頼むなら頼んでみると良いわ。わたしももしそれが叶うならそれに越したことはないから」
「ああわかった。他に確認しておくことはないか?」
「ないわ、それじゃ急ぎましょ。急ぐ理由はないのだけれど。なんだか今はとっても良い気分!」
「あ、おい、あまり急ぐな! 転ぶぞ!」
布を身にまとったまま何も身にまとわない下半身をまろびさせ駆け出すメルジーネ。その姿を目の毒だと目を覆いながらアーレスはその後を追った。
やがて二人はぽっかりとした控えの間にたどり着く。メルジーネは足を止め周囲を見回し言った。
「広い空間ね、それにあなたが言ったとおり空が見える」
「ああ、ここで奴がねじを回し天体の運行が元通りになるのを確認するのだ」
「それも聞いたわ。で、この先ね」
「ああ、この先にいる」
メルジーネの言葉にアーレスはうなずく。メルジーネは扉を見る。扉は巨大なものとその扉に人が通れるぐらいの小さな扉がしつらえてある。メルジーネは小さな扉に目をやり言った。
「扉はどうやって開くの」
「さっきも言ったがふだんなら手引きの物がいるはずだが」
「ここにいるぞ、アーレス」
「!」
天から声が降ってきて、アーレスは身構えた。そんなアーレスをせせら笑うように天のもやから上であった魔物と同じ竜の眷属らしい魔物が姿を現した。
「頭が高いぞ。アーレス。これが今回の生け贄か」
「はっ、ははーっ」
アーレスは膝を曲げる。
「娘。お前も頭が高い」
魔物はメルジーネにも呼びかける。メルジーネはうつむいた様子を見せて魔物に返事をする。
「わたしは死にゆく身の上ゆえ、礼などはいたしませぬ」
「ふふ、そうか、そうよな。なかなか気の強いおなごだ」
「で、殺すならはやくすませてほしいのだけれど」
「まあ、まて、その前に魔竜王様の謁見がある。それが済んでからでも遅くはあるまい」
「殺す前に見定めようとでも言うの? 悪趣味ね」
メルジーネの言葉に魔物は無言で笑った。悪趣味なのは自覚しているらしい。そんな二人に割って入り、膝をついてアーレスが声を出す。
「あ、あの、今回は、オレも同行したいのですが!」
「アーレス、妹との別れを惜しむか」
「は、はい!」
「……。ふむ、よかろう。目の前で妹が死ぬのを眺めるのも、魔竜王様の慰めとなろう。掛け合ってみよう」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
平伏するアーレスを満足げに見る魔物。
「ではしばし待て。その間に最後の別れを済ませるが良い」
そういって魔物は小さな扉をくぐっていった。
「やれやれ、最後の別れだって。上の魔物もそうだったけど魔物って優しいんだか優しくないんだが……」
「これからお前を殺すのだから優しいわけないだろう」
メルジーネの軽口にアーレスはたしなめの言葉を発する。メルジーネは軽く笑ってうなずいた。
「それもそうね。でも魔竜王の手先が悪趣味で助かったわ。これで運が良ければ二人で立ち向かえる」
「そうだな。運が悪かったら?」
「こっちでなんとか扉を開けるから飛び込んで助けに来て。おとぎ話の騎士様みたいにね」
「騎士? 騎士とは何だ?」
アーレスが聞き慣れない言葉に首をかしげると、メルジーネは笑って言った。メルジーネも自分の世界の外に出るまで騎士などという存在は知らなかったのだ。
「……まあ、知らないわよね」
「?」
「とにかくそのときは扉をなんとか開けるから助けに来てちょうだい、いいわね」
「わかった」
二人が話し合っていると魔物が扉から出てきた。朗々と声を発する。
「魔竜王の審判は下れり」
「どうだったのかしら?」
メルジーネが聞こえないように呟く。
「アーレス、妹と共に参り、その最期を見届けるが良い」
「ははーっ!」
再び平伏するアーレス。さらに魔物は言葉を続ける。
「なお、本来ならばこれは例外だ。他言は無用だぞ」
「承知いたしております」
身を伏したままアーレスは言った。
「では立ち上がり、ついて参れ」
「……」
「行きましょ」
さっきの取り決めなどまるでなかったかのようにメルジーネは薄く笑い、膝を屈したままのアーレスを促す。
「ああ」
そう言うとアーレスは立ち上がり、二人と一匹は生け贄用の扉をくぐる。そうして二人は魔竜王と対面する。