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嘆きの村

 抹殺された理論の果てに、天蓋は今日も巡り巡る。

 機械仕掛けでできた祈りの歌が聞こえ、辺りをゆっくりと震わせた。すると星々の運行の描かれた天蓋がゆっくりと回り出し、世界に夜が訪れる。

 ここは人造の世界。

 どこかの世界を写し取った模造の世界。

 けれどそこに生まれてしまった人間は、この世界で必死に生きてゆくしかない。

 そんな世界と、そこに住む人びとをを嘲笑うのは、純白の衣装を身にまとった黒く輝く肌に闇のように黒くねじれた髪を束ねた女。

 名をメルジーネという。

 小利口な魔導師達が戯れに作った世界を彼女は自由に渡ることができ、使われる言語を自由に話すことができた。

 彼女が求めるのは剣。

 己の白剣と対をなす黒剣。

 どんな血をすすっても黒く染まり続ける、呪われし黒の大剣。

 それは、これから挑むかりそめの世界のどこかににあるはずだ。女は舌なめずりを一つし、小さな閉鎖世界に飛び込んでいった。


……。


 地上にまで天の回る鈍い歯車の音が聞こえていた。天には輝く白字で星々の星座と惑星が巡る運行表が刻まれている。だがそれに終わりが近づいていた。時の歯車の動きは鈍く、この世界の時は止まりつつあることを誰もが知っていた。

 時の歯車を回す螺子(ネジ)を巻かねば、じきにこの世界は運行を止め、時間がこの世界から消え失せる。そのためにはネジを巻くことのできるこの世界の王者、魔竜ガイラス=クラストに生贄を捧げなくては。生きた少女を捧げなくては。それがこの何度も村を守ってきた巨漢の戦士、アーレスのたった一人の最愛の妹だとしても。


 アーレスのことを語ろう。アーレスは赤銅色の筋肉の塊が動いているような堂々とした巨漢であった。得物は二本の小剣。これを巧みに操り、村を襲う魔物を切り裂き、はたまた迷宮に潜む悪鬼を討ち果たしてきた。しかしさすがのアーレスでもこの世界の王、魔竜ガイラス=クラストには敵わない。粛々と我が妹を生贄を捧げるしかなかった。村の英雄の妹の死出の旅を前に、村中が嘆き悲しんでいた。


……。


「辛気くさい村ね」

 そうしてこの世界に降り立ちメルジーネは言った。とはいえ彼女はこの世界の(ことわり)など何も知らぬ。道先案内人が必要だった。女は自分が辛気くさいと嘲笑った村へと向かう。そこではほんとうに辛気くさい儀式が行われていた。広場に集まり村中の人間が涙を流している。女は泣いている村人の中で賢そうに見える老人に話しかけてみることにした。

「ねえ、何を集まって泣いているの?」

「おお、おお、旅の人。この村一番の戦士のたった一人の妹が、魔竜王の生贄になる。それを嘆いているのじゃ」

「それは哀しいわね」

 女は適当に話を合わせた。その程度のことはこの傲慢な女にもできた。だがすぐに好奇心に負けて老人に聞く。

「ところで魔竜王って?」

「おお、旅の方はご存じない。それはこの世界の王、ガイラス=クラスト様じゃ」

「ガイラス=クラスト……」

「そうじゃ。この世界を回す螺子(ネジ)を持つ尊くも暴虐な魔竜の王じゃ」

「ふうん。ところで、私はこの世界にあるという黒い魔剣を探しているの。あなたは何か知らないかしら」

「……知らぬな。だがガイラス=クラスト様ならご存じかもしれない」

「そう、じゃあそのガイラス=クラストに会ってみたいわね、できる?」

「それは無理じゃ。ガイラス=クラスト様は生贄としか会おうとしない。そして生贄は二度と返って来ぬ」

「そうなの。残念ね」

「今は嘆きの時。旅人も一緒に嘆いて下されぬか」

「わたしは別に哀しくない。ふりだけなら、いいわよ」

「……」

 老人は説得を諦めたのだろう。ため息をつくと女から離れた。傲慢な女は広場の高台を見た。巨漢の男と反対に小柄な少女の姿が見えた。男は泣き、女は目を閉じて運命に耐えていた。女の興味は男の筋骨隆々とした姿に注がれた。

「へえ、こんな世界に置いておくにはもったいないくらいいい男じゃない」

 久しぶりのたくましい男の肉体を味見して見るのも悪くないと思いつつ、女は広場の高台に不用意に近づいていった。するとアーレスは目ざとく不審な動きをする女を見咎める。

「何だ貴様。この辺りの人間ではないな」

「そうよ。それがどうしたの?」

 反応の良さに内心喜びながら、身をよじって女はアーレスに語る。

「どこから来た?」

「あなたの想像もできない、遠い所」

 からかわれたと思ったアーレスは、それで女への興味を無くし、言った。

「我々は今忙しい。話なら後にしてくれ」

「……」

 アーレスのぶっきらぼうな物言いに、女の劣情はさらに掻き立てられた。組みしだきたい。しだかれたいと思う。女はアーレスに提案する。

「ねえ、その子、生贄にするんでしょう。私が代わってあげようか」

「なんだと?」

 再び声をかけられ、アーレスの眉が歪む。まったくいまはこの悲しみに浸っていたいというのに、腹立たしい。

「私はガイラス=クラストに会いたいの。それにはこれが一番手っ取り早いと思う」

 何を言っているのかわからず、女の言葉に不審そうにアーレスは言う。

「生贄になるという意味がわかってないようだな。ガイラス=クラスト様は生贄の血を油替わりにこの世界の螺子(ネジ)を回すのだ。お前は確実に死ぬぞ」

「死ぬ気はないわ」

「ならば、なぜ生贄の身代わりになると?」

 アーレスの問いに女は自らの白剣を引き抜き答える。

「そのガイラス=クラストとやらを私の白剣で討ち果たすからよ」

「何を言うか! そんなことできるわけ無い」

「やってみなくちゃわからないでしょ」

「ふん、重たい得物を持っているようだが、そんなものでガイラス=クラスト様に敵うはずもない。何よりこのオレにな!」

 これ以上嘆きの時間の邪魔をしないで貰いたい。なに実力を知ればその考えが浅はかだと思い知ることになるだろう。アーレスは単純にそう考え、女の前に立ちはだかる。その体格差は圧倒的だ。

「お兄ちゃん!」

「すぐ済ます」

 そしてアーレスは困惑した顔の妹にそう言うと二本の短剣を抜いて女に躍りかかった。女はひるむかと思ったが待ってましたとばかりに白剣で応戦する。広場の中央で二人は剣戟を重ね合った。一合まず打ち合ってアーレスが手応えに唸る。

「むう、魔剣か。だが負けぬ!」

「知ったところで手遅れよ!」

 女は巨大な白剣を軽々と振るい、身を翻すとあっという間にアーレスより優勢に立った。だがアーレスも負けてはいない。次第に手数を見切り、やがて互角に相対する。

「へえ……」

 女の口に笑みが浮かぶ。あまたの世界を渡り歩いてみてもこれほどの戦士にはなかなかお目にかかれない。私に(かしず)くのにふさわしい戦士。女の淫靡な心はますますさざめいた。それに呼応するかのように、白の魔剣も力強く呻り出す。次の二撃、三撃で、女はアーレスの優位に立った。

「なんのこれしき!」

 アーレスが叫ぶ。彼もまたこれほどの剣士と戦うのは初めてのことだった。先ほどの言葉も忘れ、こちらは純粋に血が滾り、心が踊る。両手の剣を素早く動かし身を躍らせる。だがそれだけだった。女の人間離れした打ち込みと身のこなしに対応できない。あと十合打ち合えば負ける。アーレスはそれを知り、素直に負けを認めた。

「……。やめだ。オレの負けだ」

「そのようね」

 女は言う。だが汗だくになっただけのアーレスと対照的に女は涼しい顔をしていたが、その裏で誰にも悟られないような疲労を隠している。女は小狡くも自己加速のまじないを使っていたのだ。素の実力だけなら、アーレスの方が遙かに上だった。だが女にはまじないの知識があり、それを使いこなす技能があった。その力でようやく勝てたのだ。あと十合程打ち合っていたら、女のまじないは切れ、息切れした女は一気にアーレスに負けていただろう。だが勝ちは勝ちだ。女は自分がまじないで勝ったことに対して後ろめたさなど全く感じなかった。

「で、どうする」

「言った通りあなたの妹の代わりになるわ」

「そのようなことは村の人間の承認無しに決められぬ!」

 叫ぶアーレスに対し女はせせら笑ってこう返す。

「案外肝の小さい男ね。生贄はあなたの妹なんでしょう? 助けたいという気持ちはないの?」

「くっ……」

 女のあざ笑いにアーレスは表情を歪める。妹への思いと村への忠誠、その板挟みになるアーレスに救いの声が舞い込んだ。

「良いではないか。女がそれを望むならば」

 メルジーネが振り返るとさっき女が話した老人がどこか楽しそうに立っていた。

「しかし長老、魔竜王を怒らせでもしたら!」

「へえ、長老さんなんだ」

 女の言葉に老人――長老は軽くうなずき二人に言った。

「その女の剣捌きを見た。人間離れしておる。その女ならばガイラス=クラスト様を打ち倒すことができるやも知れぬ」

「世界の螺子(ネジ)を巻けるのはガイラス=クラスト様以外におりませぬ!」

 アーレスの言葉に老人は首をかしげる。

「さてそれは事実かの。ガイラス=クラスト様がそうおっしゃっているだけじゃ。それより女よ。おぬしはこの世界の外より来たのだな」

「へえ。わかるんだ」

 長老の言葉に女は妖艶に笑う。窘めるように長老は咳払いをしていった。

「伊達に長く生きてはおらぬ。女よ。名乗るが良い」

「ならば覚えておきなさい。メルジーネ。それが私の名前」

 女は名前を名乗った。

「そうか良い名じゃ。わしはレド。このちっぽけな世界にある唯一の村の長老じゃ。そしてむこうの大男はアーレス。その妹の名前はハノー」

「その大男以外の名を覚えるつもりはないわ。長老さん」

「好きにすると良い」

 そこで長老は真面目な顔をするとアーレスに向き直る。

「アーレスに命ずる。妹の代わりにメルジーネを連れて、ガイラス=クラスト様の所へ向かえ」

「はっ。……しかし、よろしいのですか」

 一礼はしたがアーレスの言葉にはまだ戸惑いが残る。

「二言はない。その女、おぬしより遙かに強い。またアーレス、おぬしもメルジーネに協力せよ」

「何故!」

 長老の言葉にアーレスはさらなる困惑の声を上げる。

「勝ちの確率を上げるためじゃ。このメルジーネが強いと言っても、一人では心許ない。それに、かの魔竜王を裏切るとなれば確実に勝たねばならん。そうじゃろう。メルジーネ? 違うかね?」

「そうね。そうしてくれるといろいろと助かるわ」

 いろいろに含みを持たせてメルジーネは言う。

「ではそうせよ。アーレス、よいな」

「……わかりました」

「うむ。今日は休め。出立は明日じゃ」

 そこで長老は集まっていた村人に向かって呼びかける。

「さあ、者ども、聞け! 嘆く時はお終いじゃ。これより異界の者の力を借りて我々は魔竜王に対して攻勢に出る。祭りの身支度をせよ!」

「祭り? いますぐですかい」

 困惑した声に長老はさらに言う。

「そうじゃ。今すぐじゃ。我らに時はない! 物を惜しむな。失敗すれば全てがお終いじゃ!」

 困惑しながらも村人たちは突然の祭りの準備に散っていった。メルジーネは長老に話しかける。

「ずいぶんあっさり魔竜王様を裏切るのね。長老さん」

「そうともよ。おぬしがここに来たことこそ千載一遇の好機。さらにわしは老い先短い。ならば暴虐な魔竜王が倒された世界の夢でも見てみたい。例えそれが時が止まるまでの儚きものでも、な」

 からからと笑う長老を見てメルジーネが妖艶な笑みを浮かべる。

「ふふ、あなたは私と同じ匂いがするわ」

「かも知れぬな。強欲な女、メルジーネよ」

 長老の物言いにメルジーネの淫蕩な血が騒ぎ出す。彼女は長老を挑発した。

「ただ、あなたがおじいさんなのが残念だわ」

「なんの若い者には負けんぞ。なんなら試して見るか? ほれそこの草むらで」

 挑発されて長老がそこの茂みを指し示す。女もそれに乗った。

「いいわ。試して見ようじゃない。満足させられなかったら承知しないんだから」

「よっし。かかってこい女!」

「長老!」

 側でずっと聞いていたアーレスがたまらず叱咤する。

「おおアーレス。聞いていたか。祭りの支度の引き継ぎを頼む。わしはこの女と用事ができた」

「やれやれ、お若いことで。では失礼しますよ」

「おお、さっさと行け」

「ふふ、あなたは後にとっておくわ」

 女はアーレスまで挑発する。そんなメルジーネをアーレスは冷めた目で見る。

「黙れ女。長老を殺すなよ」

「手加減するわ」

 笑うメルジーネに長老が横やりを入れる。

「なんの。手加減など無用じゃ」

「じゃあその件は遠慮無く。行きましょう」

「ではなアーレス。生きていたらまた会おう」

 そういって長老とメルジーネは草むらに消えた。アーレスはぽりぽりと頭を掻くと、妹をまず安心させるために、広場の中心へと向かった。


「お兄ちゃん!」

 広場の中央に行くと妹がアーレスの赤銅色の巨体に抱きついてきた。そうして確かめるように聞く。

「私、死ななくて良いの?」

「ああ、そうだとも。きっとそうだtも」

 抱きついてきた妹を安心させるためにアーレスは強がって言う。

「よかった……」

「ああ、ああ、そうだな……」

 こうして胸に最愛の妹の温もりを感じていると、救われたという気分にアーレスはなった。そうしてあのメルジーネとかいう女へのささやかな感謝の念も浮かんでくる。そう、少なくとも、最愛の妹は生贄にされて死ぬことはない。ならば良いのではないだろうか。アーレスはそう思い始めていた。そう、言ってしまえばアーレスは単純な男なのだ。

「それにしてもお兄ちゃんより強い剣士様がいるなんて」

 アーレスの体に身を渦盛らせながら妹、ハノーが言う。アーレスはそんな妹の頭を軽く撫でた。

「そうだな。オレもまだまだということだ」」

「うん……。あの人なら、ガイラス=クラスト様にも勝てるかな?」

「勝って貰わねば困る」

 きまじめな返事に妹は笑った。

「お兄ちゃん、ちゃんとあの女の人に協力してね。私は足手まといにしかならないから祈るしかできないけど」

 妹の言葉にアーレスは口元を緩ませる。

「お前の祈りがあればオレは百人力だ」

「えへへ、ありがと」

「ハノー」

 アーレスは妹の名前を呼んだ。アーレスの頑丈で日に良く焼けた肉体に埋もれるようになっていた妹は彼の顔を見上げる。

「何、お兄ちゃん」

「色々あって疲れただろう。今日は家に帰ってもう休め」

「お兄ちゃんは?」

「長老に祭りの指揮を一任された。たぶん家には帰れない」

「そう……。明日あの人と出かけるときには必ず見に行くから」

「すまない」

「ううん、いいよ。じゃあお兄ちゃん、おやすみ」

 名残惜しそうに妹は兄の体から離れる。そういって二人は別れていった。


 祭りは長老の言葉とは異なりささやかな物であった。元より長老より引き継いだアーレスには祭りをどうすればよいのかなどの知識も無ければ情熱もない。それに明日のことに不安もある。迷いのままでは剣速も鈍る。正直アーレス自身としては明日のための鍛錬をしたいところであった。

 いやいやながら祭りの指揮をしていると服をはだけた長老がふらりと現れた。

「なんじゃい、しけとるの。やはりわしがいないと駄目か」

「長老。ご無事でしたか」

「何とかの。しかし……」

 満足げの長老に言を発せさせずにアーレスは言った。老人の自慢話など聞きたくもない。

「では、あとの差配は長老にお任せします。私は明日にそなえ早く休むので」

「そうはいかん」

「なぜです」

 その言葉と同時にアーレスは後ろから腕を捕まれる。アーレスは捕まれたこともだが、後ろに回り込まれていたのにまったく気配など感じなかった女の技量に驚いた。

「つまり、長老さんはわたしを満足させられなかったのよ」

「それと何か私に関係が?」

「うむ、わしがこの後はアーレスに任すと言ったのよ」

「は?」

 硬直するアーレス。

「と、言うわけでよろしくね」

 そういってメルジーネはほとんど裸の自分の体をアーレスに押しつけてくる。柔く濡れた感触にアーレスはたまらず声を出す。

「急にしなだれかかるな!」

「いいじゃない。長老のお墨付きよ」

「長老! 安請け合いをしないでください!」

「わしは見回って祭りに出し惜しみがないか調べておる。あとは若い二人に任せたぞ。アーレス。覚悟を決めよ。それともまさかおぬし童貞ではあるまいな」

「それは違いますが。しかし……」

「ならば怖じ気づくな。望む女を満足させるのも男の仕事じゃ」

「満足させられなかった男の台詞では」

 アーレスの言葉の最中にさっきのお返しとばかりに長老は口を挟む。

「それはいい。敵討ちを頼む」

 そういってさっさと長老は姿を消した。アーレスが唖然としているふっと耳に息をかけられる。アーレスが振り返るとそこに笑うメルジーネの姿があった。

「さあ、大男さん。遊びましょ」

「やれやれ……」

 しかたなくアーレスは近くの茂みに行きメルジーネを下に組みしだく。そうして律儀に腰を動かし始めた。始まりはこんなものだった。だがアーレスは知らない。いつしかこの女の所作に一喜一憂する自分の姿を。


「満足したか?」

 ことが終わってアーレスがぎこちなく言う。裸のメルジーネはからかうようにアーレスに言った。

「まあまあね」

「ふん……」

「あら女を抱いて機嫌が悪いなんてひどい」

「別に機嫌が悪いわけではない。ただ明日のことが心配なだけだ」

 アーレスは内心の苦悩を隠さず言った。黒い瞳を向けメルジーネは笑いかける。

「あなたが協力してくれればきっと勝てるわ」

「どうだろうか……ガイラス=クラスト様の力は恐るべきものだ。オレはそれが心配でならない」」

 不安げな男の様子と対照的に女はあっけらかんとしたものだった。腕を背中で組み豊満で形の良い黒真珠のような乳房を強調するような姿勢を取りメルジーネは言う。

「勝てなかったらわたしは世界の外に逃げるから。あなたも付いてく?」

 からかうようなメルジーネの言葉だったが、アーレスは真面目な顔をして答えた。

「オレは残る。村への責任があるし、なにより妹のことがある。置いてはいけない」

「そ、残念ね」

「何が残念だ?」

「あたなほどの戦士をみすみす死なせるのがね」

「だったら勝てばいいだろう。そのために来たのではないのか?」

「そうね、そうだわ。あなたの言うとおり」

 メルジーネは自分の荷物をまとめるとその中から彼女の持ち物であろう薄い毛布を取り出しそれにくるまる。しばらく沈黙が流れ、アーレスが眠気を感じその前にメルジーネに礼儀だけでも挨拶をしようと思ったが、その時にはもうメルジーネはその美しい背中をアーレスに晒しながらすでに眠りに落ちている。

「やれやれ」

 それをはしたないと感じたアーレスは毛布を引き上げメルジーネのその黒い肌を隠し、彼女の側に座りこむ。まあいい、妹には帰れないと言っておいた。それに女を抱いたその体で家に帰る気恥ずかしさもある。アーレスはここで夜明かしをする覚悟で目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。



「アーレス?」

 夜中ふと目を覚まし、メルジーネは呼びかける。アーレスは側で座り込んだまま背中をまるめて眠っていた。

「ふぅ……」

 メルジーネはため息をつく。彼女は今一番の悪夢を見ていたのだ。メルジーネは仰向けになり天を見上げる。星々の星図と運行が書かれた大天球。それはまがい物のくせにやけに美しく、メルジーネの郷愁を誘った。


 メルジーネの故郷も似たような星々の星図が描かれた天蓋の下にあった。“名前が失われた魔術師”の手によって量産化の方式が解き明かされた、箱庭世界の一つだ。そこでは魔術師達の実験の材料として人間達や魔獣達が飼われていた。しかし魔術師はこの世界に何も価値を見いだせなかったのだろう。戯れに破壊することにした。破壊神と呼ばれる獣が、メルジーネの故郷に放たれた。そこから先は地獄だった。

 人も魔獣も(ことわり)も、すべてが破壊神の獲物になった。


 村で始めに気がついたのはメルジーネだった。ぼんやり見ていた西の空が赤黒くなり、それが破壊の(ヴィジョン)であることに気がついたときには、すでに村の半数が焼け焦げていた。その一撃でメルジーネは両親と弟を失った。炎は燃えさかり、天を焦がし、本当に焦がし、飴色になった天蓋が溶け歪み、内面の歯車を露出させる。機械仕掛けの祈りの音がごうごう響き、天蓋を進めようと試みるが破壊神はその巨大な二本の手で天蓋を掴み世界そのものを破壊した。降ってくる天蓋のかけら。大地を揺らし、下にいる生き物を押しつぶす。そして小さなメルジーネさえも……。

 そんな彼女を危機一髪で救ったのは村一番の狩人だった兄だった。最愛の妹を救い出した兄は連れだって禁じられた地下迷宮の入り口へと向かう。地上も駄目、空も駄目、ならば下へ下へ逃げるんだ。この大迷宮を下まで逃げよう。兄と妹は頷き合い、地下迷宮を下っていった。


 長い長い道のりだった。しかし幸いなことに巣くっている魔獣でさえこの破壊に怯えているのかほとんど襲ってこず、道を通してくれた。以前の理を守る獣には兄が矢をお見舞いした。そしてようやく辿り着いた地下の最下層。そこにそれはあった。白の魔剣。そういしてすぐ側に破壊神がせまっていた。

「悪あがきしてきたけれど、ここまでかな」

 兄が笑いながら弓をつがえ、巨大な破壊神目がけてそれを射る。もちろんそんなものは効きもしない。破壊神は兄の体の時間を半分止め、もがく兄を見て楽しんだ後、兄をバラバラにした。そこには純然な悪意があった。暴力があった。最愛の兄の血とはらわたが飛び散る悪夢の中でメルジーネは悲鳴を上げることしかできなかった――。




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