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 わたしはシャルロッテの手を引いて、自分の家に連れ込んだ。この年頃で、夜遅くに異性を自宅に招く行為には、やましい想像力を刺激される方も多かろうと思う。しかし、このたびは同性の友人を招いているだけなので、男の人を部屋に連れ込むことを思えば、ずっと健全だと言えよう。


 幸い、今日は両親共に所用あって不在だった。ボーイフレンドを連れ込んだ訳ではないので、居たとしても大きな問題にはならないだろうが。


「……どうして、わたしを家に呼んだの?」


 申し訳なさそうな、あるいは責めるような言い方で、彼女は言った。その理由は知っている。


「迷惑でしたか?」

「そうじゃ、ないけど……」


 わたしを助けてくれたときの凛々しい姿からは想像できないほどに、彼女は萎縮していた。普段の彼女を知らないのだが、借りてきた猫のようとは、まさにこのことだろう。やはり、これが彼女の本来の姿なのだろう。


「わたし、吸血鬼よ」


 シャルロッテがわたしの招待に難色を示していた理由は、つまりそういうことだった。


 そんな馬鹿な、などとは言えない。想像はできていたことだ。なにしろ、そうでなければ説明のつかないことが、山ほどあるからだ。


 いくら彼女が太陽の光に弱いとは言っても、本当に昼間に全く姿を現さないということが、果たしてありうるだろうか?


 よしんば、彼女が単なる血液嗜好症(ヘマトフィリア)であったとして、わたしの膝にできた擦過傷を見て、分別を捨てていとおしげに味わうような奇行に走るだろうか?


 思い返してみると、初対面の時点で、彼女が人間ではないことは、薄々気付いていたのかもしれない。その理由にはならないかもしれないが、この世のものに美を見出せなくなっていた時期にシャルロッテと出会い、その彼女にこの世ならざる美を見出したのだ。なにしろ、最初に見たときは妖精か天使の類と、本気で確信したほどなのだから。


「吸血鬼は、招かれなければその家には入られないの。そして――人を襲うわ」


 言い伝えによれば、吸血鬼とは確かにそういうものらしい。確か、ドラキュラでもそんな記述があったと思う。


 しかし、招かれなければその家に入られないというのだけは、常識ある人間ならば当たり前のことなのではないかと思う。たとえ友人の家であっても、普通は許可無く入ったりはしない。勝手に人様の家に押し入るような空き巣泥棒や強盗の類よりは、ずっと良心的ではないか?


「……襲っても、良いんですよ」


 わたしは冗談めかして言った。しかし、半分は本気だった。最近は、人間の視点で見る世界が色あせているのだ。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になるという。彼女に血を吸われて吸血鬼になるのなら、悪くはないと思っている。実際には、吸血鬼としての生などは、ロクなものではないのかもしれない。しかし、わたしくらいの年頃の男女であれば、それまでの退屈な日常とは異なる、美と驚異に満ちた生に憧れたところで、さほど驚くには値しないだろう。


「茶化さないで。わたしの質問に答えて。あさひ、貴女はとても危険なことをしているのよ。さっきだって、一歩間違えば、わたしは貴女の血を吸い尽くしていたかもしれないのに」


 彼女の言うとおりである。吸血鬼を家に招くことは自殺行為と言っても良い。たとえ吸血鬼の存在を信じなかったとしても、突然他人の膝を舐めるような人を家に招くことは、普通はしない。


 無論、単に吸血鬼の世界に憧れてシャルロッテを招き入れたわけではない。と言うより、自分が吸血鬼になるかならないかというのは、わたしにとっては大した問題ではない。わたしなりに考えがあって――というより、あれは反射的にやったことだ。だが、その後家に招待したのには理由がある。


「先輩によく似た友人が居たんです。見た目だけですけれど」


 わたしは浦島水江のことについて話した。


 浦島水江がシャルロッテと同じアルビノであること、わたしの尊敬する先輩であり目標であったこと、彼女の『竜宮』のこと――そして、彼女の死について、全部話した。


 妖精めいた雰囲気という点については、彼女とシャルロッテは共通している。性格は違えど、喪ってはじめて、浦島水江が持つ本質的な儚さが、シャルロッテと全く同質のものであることがわかる。


 今となっては、水江は本当に妖精だったのかもしれないとさえ思う。あの妖精には、人間の世界で生きていく能力は無かったのだ。


「似てるんですよ。もちろん、性格とかは全然違います。だけど、放っておいたら、先輩も水江みたいに消えてしまうんじゃないかって。そう思ったら、考えるよりも先に引き止めてしまっていたんです」

「……」

「今は先輩と離れるのは恐い。だって、別れたらもう二度と会えない気がするんですもの」


 シャルロッテは目を逸らした。図星だったらしい。やはり、あのとき別れたら、もう二度とわたしと会う気は無かったらしい。


「ねえ先輩、もうすぐ転校されるのでしょう? それでも、急に居なくなったりはしないでください。別れるのが嫌なんて駄々を捏ねたりはしませんけど、それでも、ちゃんとした形でお別れしたいの」


 あんな形で知り合ったのだから、自然に関係が解消されるというのは、本当に寂しいことだ。本音を言えば、近日中にお別れというのだって嫌だ。駄々を捏ねて引き止めたいくらいである。なにしろ、わたしが彼女に近付いた当初の目的を、まだ果たしていないのだから。


「……ねえ、あさひ。吸血鬼って、永遠に生きられると思う?」


 不意にシャルロッテは、わたしにそのような質問をした。


「それは――確かに、そういうイメージはありますけれど」


 わたしは吸血鬼という存在について、思った通りに答えた。


 わたしの中では、吸血鬼というのは何百年も若いまま生きる存在であるという認識である。恐らく、現代に広まった吸血鬼のイメージは、元来の伝承やドラキュラの登場当初とは大きく異なる、退廃的な美と不変性を備えたものであると思う。彼女はまさにそういう吸血鬼だった。本当はわたしよりも一つ上ではなく、もっと長く生きていて、長らくその美貌を保ってきたのだと思っている。


 しかし、シャルロッテは首を横に振った。


「そんなことはないの。確かに、吸血鬼は寿命では死なないし、歳もとらない。でもね、吸血鬼っていうのは、悪者なのよ。自分が生きるために、人間を食い物にする。そんなことを続けているうちに、いつか、誰かに退治されてしまう。永遠なんて、無いのよ」


 彼女は寂しそうにそう言った。


「一人で長生きするのは辛い。わたしも吸血鬼の仲間を探したわ。でも、皆、わたしよりも先に死んでしまった」


 わたしは彼女が見せる憂いを秘めた表情の正体を知った。数え切れないほど、友人に先立たれてきたのだ。その苦痛に満ちた生が、彼女の憂鬱を形作っている。残念ながら、わたしもそういう、いずれ喪われてしまう友人の一人に過ぎないのだろう。


「死ぬのは恐いわ。でも、生きているのは苦しい」

「それは――普通の人だって、きっと同じです」


 残念ながら、人間も吸血鬼も、それは変わらない。生きるということは、苦難の連続なのだ。現代日本という、地球全体から見れば比較的恵まれた環境にあってもなお、そういう考えに至ることはよくある。


 ましてや、シャルロッテは吸血鬼で、長生きだ。生きることと死ぬことの両方の辛さは、そこらの若者よりよく知っている。


「……そうね」


 わたし自身、彼女が抱える苦しみを完全に理解できる訳ではない。わたしも友人を失う経験は共通しているものの、わたしと彼女のそれは、完全に同一の感情ではないように思える。


「人が本当に死ぬときって、心臓が止まったときじゃなくて、誰からも忘れ去られたときだと思う」


 わたしがそう言うと、シャルロッテはビクンと震えた。わかりやすい反応だった。彼女が本当に恐れる死とは、要するに、そういうことなのだろう。彼女は、極度の寂しがりやなのだ。永劫の生の中で、友と呼べる者達を失いながら生きてきたのだから。彼女のことを本当に知る者は、もう一人も居ないのかもしれない。


「……わたしは鏡に映らないし、写真ににも映らないわ。身体は生きていないから、子供だって産めない。生きていた証さえ残せないのよ」

「先輩!」


 どうにも空気が湿っぽくなりそうだ。わたしもあまり明るい話題を振ったわけではないのだが、このままではひたすらに空気が重く暗くなりそうだった。


「写真に映らないなら、絵に描くのはどうですか?」


 これを聞いたシャルロッテは、キョトンとした表情で呆けていた。鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔というのは、きっと、こういう表情を指すのだろう。


「わたし、絵のモデルを探してたんです。モルゲンシュテルン先輩を一目見かけたときから、ずっと描きたいって思ってたんです!」


 わたしは目的を打ち明けた。そもそも、わたしが彼女に近付いたのは、全てこの理由に集約されるのだ。


「……わたしで、良いの?」


 やはりシャルロッテは、初めて会ったときの第一印象のとおり、内気で自分に自身の持てない人物のようであった。だが、そんなことはわたしには関係なかった。わたしが美しいと思うからモデルに選んだのであって、彼女が自分自身をどのように評価しているのかなどは、今のわたしを動かしている情熱からすれば、大した問題ではないのである。


「先輩じゃなきゃ、描く気になれません。そのために、貴女を毎日探したんですよ」


 それは、男の人が女性に対してする告白に似ていた。わたしが『竜宮』の呪縛にとらわれて以来、初めて美しいと思ったのが彼女だったのだ。恋愛には疎いが、傍から見ると、こういうのが恋なのかもしれない。そう思うと、なんだかとても恥ずかしい。


「わかったわ。ちょっと待って。今、脱ぐから」


 そう言って、シャルロッテは急に服のボタンに手をかけた。快く承諾してくれたことは嬉しかったが、思わず吹き出してしまった。


「別に、脱がなくても良いですよ」

「えっ? そ、そうなの?」

「ええ。先輩が見せたい姿を見せてください。わたしも、一番綺麗な先輩を描きますから」


 わたしはヌードデッサンというものがあまり好きではない。自分の裸を描かせるとなると、強い拒否感を示すことがよくある。わたしとしても、そういう女の子として見られたくないような恥ずかしい姿を描くほど、趣味は悪くないつもりだ。


「もちろん、先輩が自分の裸を描いてほしいのなら、わたしは余すところなく描きますけれど」

「そっ、そんなことないわ。このまま、このままで」


 結局、普通に窓辺に座っている彼女を描くことになった。


 わたしが彼女をモデルに選んだのは、間違いではなかった。初めて出会ったときと全く同じ、月光によく映えるその姿は、やはりこの世の美とは異なる、妖精めいたものだった。それまでのスランプがまるで嘘であったかのように筆が走り、瞬く間にキャンバスがシャルロッテで埋め尽くされてゆく。絵を描くことに苦痛を感じないのは久しぶりだった。


「……できたわ」


 あっという間に描けた。実際の時間は結構経っているのだろうが、時間が過ぎるのが非常に早く感じた。


「これが――わたし?」

「はい」


 出来上がった絵は、今までにないほどの出来栄えだった。白い肌、白い髪、赤い瞳。単にアルビノの少女を描いたというだけではない、この世のものではない美を湛えた妖精の絵。『竜宮』と浦島水江の呪縛に打ち勝った瞬間だった。周囲の評価はどうあれ、わたしはそう断言できるほどのものを描くことができたと思う。惜しむらくは、今後これ以上の作品を描くことはできないという確信があったことくらいであろうか? だが、これを最後に筆を折ることになろうとも、もはや悔いはなかった。


「そう――鏡を見たのは、もう随分昔のことね。でも、あさひ、ちょっと美化し過ぎではなくて? わたし、こんなに美人だったかしら?」

「わたしの目には、それくらい綺麗に見えます」

「……何言ってるの、もう!」


 わたしがそう言ってのけると、彼女は頬を赤らめた。顔を真っ赤にして慌てふためく彼女の姿も、なかなか新鮮なものがあった。今までにない彼女の一面を見ることができたという点においても、この絵は成功だった。


 それに、女たらしの気質はないつもりだが、今日は歯の浮くような台詞がすらすらと口から出る気がする。わたし自身の意外な一面も発見できたのかもしれない。


「綺麗……」

「当然です。だって、わたしの自信作なんですから」


 ここで、貴女が綺麗だからです、などと言うほどの甲斐性は、わたしには無かった。それは本心なのだけれど、面と向かって口に出すのは恥ずかしい。


 それにしても、懐かしい。絵を描いて褒められたのは久しぶりだ。幼少の頃に描いた絵を親に褒められて、それが長じて画家を志したのだ。そういえば、亡くなった水江も、わたしの絵を褒めてくれていたっけ。


 わたしは涙を拭った。今日が人生で最良の日であるという確信があった。


「……ねえ、先輩。わたしがスランプから脱却できたのは、先輩のお陰なんですよ。どうか、わたしにお礼をさせてください」


 今日のわたしは何でもできる気がする。久しぶりに、自分自身が納得のできる傑作を描けたことに気を良くしたわたしは、普段よりもずっと大胆になっていた。


「あさひ、何を……?」


 わたしは服を少しはだけた。丁度、肩と鎖骨の辺りが見えるように、まるで男の人を誘惑するように、わたしは彼女に対して隙を見せる。


 とても恥ずかしく、はしたないことをしているのだろう。だが、彼女のためになるような行為は、他に思いつかない。


「ねえ、先輩。わたしの血を吸って。わたしを、食べて」

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