06 ここ掘れワンワン。
「どうかしたのか? まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして?」
鳩が豆鉄砲を食ったのではなく、犬が二足歩行で喋った事が大事なのだが、この犬のボキャブラリーが豊富なことは理解できた。
毛で覆われた犬の表情というものは、人間に比べるとかなりわかりにくいものではあるが、敵意を持っているようには見えなかった。
「さてと……」
太平は、一回大きく深呼吸をすると……
「犬が喋ったああああああああああああああああ!」
と、天を仰いで大絶叫をするのだった。
「なんだなんだ、いきなり大きな声で叫んだりしおって……。耳が痛いじゃないか」
柴犬は、自分の耳を二本の前足で器用に塞いでみせた。
小さい子供が見たならば、『わぁ、ワンちゃんかわいい―』で済んだかもしれない。が、『わぁ、ワンちゃんかわいい―』で二十一歳は済ませることが出来ないのだ。
「ど、どうして犬が喋るんだよ! おかしいだろ? おかしいよな? それともあれか、おかしいのは俺の方で、お前のほうが正しいのか?」
「まぁまぁ、玄関先で騒がしいのも何だから、部屋に入ってくれ」
太平は、ムンクの叫びのような表情のまま、言われるままには部屋の中へと踏み入った。
柴犬は、座布団を一つ取り出すと、そこに座れと仕草で合図した。太平は何もわからないまま、座布団に腰掛ける。
太平は部屋の中を見回してみた。
中央に置かれたちゃぶ台、戸棚には色鮮やかな首輪が十個ほど並べられ、出窓に置かれている写真立てには、仲の良い犬と肩を組んでポーズを決めている写真が飾られていた。
――果たして、犬という生き物は肩を組めるものなのだろうか……。
太平がそんなことで悩んでいるうちに、柴犬はお盆の上に湯のみを二つ載せてこちらにやってきた。
――どうやったら、あの足の構造でお盆を持つことが出来るんだ!
と、心の中で突っ込んでみたが、それを言うならば部屋のドアを開けることも不可能なわけで、さらに言ってしまうならば、喋っている時点でそんなことは些細な事でしか無いのだ。
柴犬はちゃぶ台の上にお盆を置くと、器用に湯のみを掴んで、太平の前に置いてくれた。
「あ、どうも……」
柴犬の入れたお茶、その味がどんなものなのか太平は興味があった。しかし、興味が有るのと、飲んでみようと思うのは同列には並ばなかった。
考えてみてもらおう、どんなに美味しそうな料理でも、作り手次第では食欲を失ってしまうものだろう。見事なフレンチを、フレンチ・ブルドッグが作ってきた場合は、『洒落が効いてる!』と思う以前に、食べることはないだろう。
そんな太平の心の中など知りもぜずに、柴犬はこれまた器用に前足で湯飲みを持って、お茶を飲み始めた。そして、お茶を一息で飲み干して湯のみを置くと……。
「ところで、一体何の御用なのかな?」
と、太平に問いただした。
「……」
太平は言葉に詰まった。
何の用かと聞かれれば、五月蝿かったから注意しに来た訳なのだが、もはや太平にとって鳴き声のことなどどうでも良くなっていた。
「何で、犬が喋って、アパートに住んでるんだよ!」
「ふむ、さっきから聞いていれば、犬、犬と、お主は自分のことを『人間、人間』と呼ばれたら嫌ではないのか?」
「うっ……。なら、なんて名前なんだよ!」
「我輩は犬である。名前はまだ無い!!」
柴犬は、待ってましたとばかりにドヤ顔で言ってのけた。
先ほどの前ふりは、これを言いたいが為だけのものでしかなかったのだ。
瞬時に苛立ちの最高潮へと達した太平は、気がつけば、柴犬の首輪を掴んで、ネックハンギング状態で身体を持ち上げていたのだった。
……
……………
…………………………
「調子に乗ってすまんかった!」
柴犬は反省の印として土下座をしていた。
犬の土下座と言うものははとても奇妙なものだった。
流石に土下座までされては、こちらの怒りも矛先を収めるしか無く。太平は、あぐらをかくと、ちゃぶ台に肩肘をついて、柴犬と正面切っての対話に踏み切った。
「そんであれか、お前も異世界から来た口なのか?」
「うむ、吾輩は犬の世界からやってきた!」
柴犬は尻尾を振りながら答えた。
「んでなんだ、犬の世界で勇者とか、魔王とかやってんのか?」
「いや、犬の世界では――柴犬をやっておる!」
「そのまんまじゃねえか!」
太平はちゃぶ台をおもいっきり叩きつけた。手が痛かった。
「そのまんまだとなにか悪いことでも?」
小首を傾げる柴犬を見て太平は『かわいいじゃねえか……』と思ってしまった。
「まぁ、吾輩が色々答えたのだ、お主は何をやっておるのだ?」
「うっ……」
今されて一番嫌な質問を、この柴犬はド直球で投げかけてきた。
無職の人間に、『今何やってるの―?』と言う質問は、心臓にナイフを突き刺すのに匹敵する。更に続けて『将来とか考えてるの?』等と言われた日には、突き刺したナイフの手首を返す行動にも似ている。つまるところ致命傷だ。
「なんだ? 答えられないのか? そんなにやましい事をしておるのか?」
「何にもしてねえんだよ! 悪いかっ!」
太平の目には大粒の涙が溜まっていた。が、既の所でそれを溢れ落とさないように踏ん張っていた。これこそが人間の尊厳であろうか。
「なるほど、無職のクズ人間というわけか……」
まさか、犬の鳴き声を注意しに来たら、犬に無職のクズ人間呼ばわりされようとは、思いもよらない太平だった。
――現実ってのは本当に油断ができない……。いつ如何なる所で、俺を精神的に殺しに来るかわからない……。
「つまるところ、仕事がなくてお金がないわけなのだろう? ならば、吾輩の力で、お主にお金を授けてやろうではないか!」
「え? マジか? 異世界の犬にはそんな力があるのか……」
「ついてくるが良い!」
柴犬は、お出かけ用の首輪に着替えてリードをつなげると、リードの先を太平に手渡した。
「散歩中はリードがないと、周りの者に不安を与えるからな」
変な所で常識のある、異世界の柴犬だった。
※※※※
「外に出たはいいが……これってただの散歩なんじゃ……」
柴犬を連れての近所のお散歩。今の状態をそれ以外に表現するすべはなかった。百人に聞けば、百人がそう答えたに違いないのだ。
柴犬は軽快なリズムでチャカチャカと足を鳴らしながら歩いて行く。
どうやらご機嫌なご様子だ。
柴犬はどうやら外では普通の犬として見られたい様で、太平に話しかけてはこなかった。ただ、こっちに来いとばかりに、率先して先を歩いていた。
散歩を満喫(柴犬だけ)すること約三十分。
太平と柴犬は、ドラえもんに出てきそうな空き地へと到着した。
柴犬がこちらを振り向いては、舌を出してハァハァと何かをアピールしていた。
「なにか言いたいなら言えよ! 今なら周りに誰もいないから!」
「そうか? なら……」
柴犬はまたしても二本足で立ち上がると、空き地の端の方を指指した。
「あそこを掘るが良い!」
「はぁ? 何のために?」
「お主は、花咲か爺さんを知らんのか!」
「え……。もしかすると、そこを掘れば……大判小判が……」
「ザックザク!」
柴犬は肉球をこちらに向けてポーズを決めた。
「お前……まさか、あの有名な花咲か爺さんの犬だったのか!」
「いいや? それは違うぞ」
「え? 違うの?」
「ポチ先輩は、まぁ憧れの存在というか、リスペクトすべき犬と言うかだな……。でもまぁ、吾輩もなんかやってみたら出来るじゃないのかなぁ、というファジーな感覚でやってみたのだ!」
フン! と、柴犬は何か文句あるのかとばかりに鼻息を漏らした。
「百聞は一見に如かずだ! さぁ、太平よ! そこを掘るが良い!」
いつの間にか、太平は呼び捨てされる立場になっていた。
「いや待て待て、お前が掘れよ? 犬だろ?」
「おいおいおい、お主は何歳だ?」
「お、俺は二十一歳だけど……」
「吾輩は四歳だ。人間に換算すると、三十二歳ということになる。つまりは年長者だ! 年長者の言うことは聞くものなのだぞ! そして、犬という呼び方もヤメるが良い! そうだな、さんをつけて、シバさんと呼ぶが良い! なんだか、破壊神みたいでカッコイイしな」
それを言うなら、シヴァだろ……と、突っ込みをする気力も既に無く。太平はシバさんのウンコ片付けように一応持ってきた小さなシャベルで、言われるがままに示された場所を掘るのだった。
しばらく掘り進めると……
カツン
と、何か硬いものに当たる音が聞こえた。
「まさか、本当に……」
太平は大慌てで更に周りを掘り進める。そして出てきたものは……。
「何だよ、何なんだよこれ……」
太平は力なくシャベルを地面に落とした。
「うむ、人骨だな……」
掘り起こされたのは、人間の骨、しかも一人分まるまるだった……。
「これは、犯罪の匂いがするな……。犬だけに鼻が利くから!」
シバさんは上手いこと言ったみたいな顔したが、太平は顔から冷や汗をダラダラと流し続けていた。
「どうするんだよ! こんなもの金になるどころか、何かしらの犯罪に巻き込まれるじゃねえかよ! 俺の命すら危うくなるわ!」
「まぁまぁ、長い人生、そういうことも在るだろうさ」
「あってたまるか! 兎に角、誰かに見つかる前に埋め直さないと……」
しかし時既に遅し……。
「あら、なにをやってるんですかー?」
スーツ姿のOLがこちらに気がついて向かってくるではないか。
「逃げなきゃ……」
と、太平が思った時には、すでにシバさんはその場から姿を消していた。犬だけに逃げ足の速さは一級品だったのだ。
「うわぁ、太平さんじゃありませんですか―。奇遇ですね―」
「え?」
両手に買い物袋を持ったスーツ姿のOLは、駆け足でこちらに来ると、太平の目の前で足を止めてニッコリと微笑んだ。
愛くるしい顔立ちで、少しプニッとした頬に、大きな目。髪の毛は肩まである黒髪で、おでこを少し露出させていた。身長は百六十センチないといったところだろうか。
太平はこの女性にまるで見覚えがなかった。いや、見覚えはなかったのだが、声には聞き覚えがあった。間の抜けた調子でホワーンとしたこの声……。
「まさか……。魔王さん?」
「はぁい! 大正解ですよ―」
魔王さんは買い物袋を地面に下ろすと、パチパチパチと拍手をした。
「正解した太平さんには、商品として、この大根をプレゼントしちゃいますよ―」
魔王さんは、買い物袋の中から大根を一本取り出すと、太平に手渡した。
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ、どうしたしましてー」
前で手を組んで、ひたすらニコニコと微笑む魔王さんの笑顔は眩しかった。というか、いつも骸骨なので、表情というものをこの時初めて見たのだ。
「あの、魔王さん、いつも骸骨姿だったはずなんですけど……」
「あ、これですかー? 近所にお出かけする時は、流石にあの格好じゃまずいだろうと思いまして―。幻術を施してあるんですよ―。ほら、普通の人間に見えるでしょ―?」
魔王さんはくるりとターンを決めてみせる。
「あ、はい……」
普通よりも可愛いらしい女性に見えます……。と思ったが、それは言わないでおいた。
「ところで、どうしたんですか、こんな骨なんか掘り起こしてー」
「うわっ!?」
慌てて骨を隠そうとしたが、間に合うわけもなく……。
「はぁ、なるほどー。二◯一号室の柴犬さんに言われるがままに、穴を掘ったら、こんなのがでてきちゃいました―ってことですね―」
「そうなんです! た、助けてもらえませんか! 魔王さんの魔力で!」
「なるほど。ここは、この魔王におまかせですよ―!」
魔王は胸の辺りをポンと叩いた。どうやら幻術状態の魔王はそこそこの巨乳のようだった。
「こんな骨も、魔王にかかればぁ……◯✕■◯※∞……」
聞いたことない言葉を魔王が詠唱し始めると、人骨は薄ぼんやりと発光し始めた。
そして……
「はい! スケルトンのでっきあっがりーっ!」
見事なアンデットモンスター《スケルトン》として復活したのだった!
「何ですかこれは……」
「スケルトン君です! そうですねー。スケ君って呼んであげてくださいね―」
「いや、そう言う問題ではなくて……」
「スケ君は、色んな事が出来ますよ―。お手伝いとかもしてくれますよ―。寂しい時は話し相手になってくれたりも……。あ、スケ君は、言葉喋れませんでしたっ、てへっ」
魔王はコツンと後ろ頭を叩いてみせる。それをまねするように、スケ君も同じ動作を取った。
「さて、そろそろお夕飯の支度もしないといけないし、アパートに帰りましょー」
放心状態の太平は、魔王の手に引かれてアパートへの帰路についた。その横を、スケルトンのスケ君はカタカタと骨を鳴らしながら着いて行くのだった。
※※※※
「はぁ……」
本日六十九回目のため息を付いた太平は、自室に着くやいなや床の上にへたり込んでしまった。
魔王さんが幻影魔法をかけてくれたのか、それとも運が良かったのか、スケ君は誰にも気が付かれることなく、騒ぎも起こすこと無く、この超次元荘まで辿り着くことが出来た。
そして今……太平の部屋の隅に直立不動で立っていた。
魔王さんはといえば、
「お夕飯の支度しますので、またですよー」
と、幻術を解き、いつもの骸骨と黒衣のローブ姿に戻ると、さっさと自分の部屋へ帰って行ってしまったのだ。
こうして取り残された、一人と一匹?
「どうすりゃいいんだよ……」
途方に暮れるまま、気がつけば太平は心労も相なって眠りの中へと落ちていった。
……
…………
……………………
「ん……」
太平はお味噌の良い匂いに、鼻孔をくすぐられて目を覚ました。
床にそのまま寝ていたはずなのに、太平の身体は掛け布団もちゃんとかけられた状態で、布団の中にあった。
誰がそんなことを……。
その疑問は考えるまでもなく判明する。
太平の目の前には、エプロンをつけたスケ君が甲斐甲斐しく夕飯の支度をしていたのだ。
「お前がやってくれたのか……」
テーブルの上には、湯気のたった大根のお味噌汁に、大根の田楽、大根のサラダが並んでいる。盛り付け方も見事なもので、まるでどこぞの料亭にでも来たかのようだった。
スケ君はテーブルの横に座ると、炊飯器からお茶碗にご飯を注いで太平に渡してくれた。
「あ、ありがとうな……」
ぎこちない感謝の言葉は、太平の照れている心の現れだった。
スケ君は『どういたしまして』とでも言っているかのように、首を一回縦に振って答える。
料理を目の前にして、太平は食べるべきか、どうすべきかと思案に暮れた。
なにせ、スケルトンの作った食事である。しかも、材料は魔王からもらった大根と来ている。スケルトンと魔王の合作料理が、果たして一般人である太平に食べられるものなのか、甚だ疑問を感じてしまうのは仕方がないことだろう。
しかし、『お召し上がり下さいませ』とばかりに、正座をしてこちらを見ているスケ君の姿を見せられてしまっては、食べないわけにもいかなかった。布団まで敷いてくれたのだ。それなのに、『こんな飯が食えるか!』と、どこぞの料理評論家のように振る舞うことなど、太平には出来はしなかった。
覚悟を決めて、太平は箸を手に取り、大根の田楽を口に運んだ。
「う、美味い! 美味いぞこれ!」
ホクホクとして、それでいて口の中でとろけるような……。そんな細かい描写ができるほど太平はグルメではなかったが、単純に美味いことだけは理解できた。
「じぁ、こっちは……」
太平は次々とテーブルの上にある料理に箸をつけていく。
そして、そのどの料理も太平の舌を唸らせる程に美味しかった。
「お前……料理が得意なんだな」
スケ君は、照れるように首筋をポンポンと叩いた。
こうして、太平はスケ君と打ち解けることが出来たのだ。
時には……
「俺さぁ、仕事は決まらなくて悩んでるんだよぉ……」
等という愚痴を聞いてくれる。
「よぉし、お前ルイー◯な! 俺マリ◯だから!」
ゲームにも付き合ってくれる。
こうして、二人の間には急速に友情が深まっていったのだった。
そして……
「お前のおかげで、俺はため息ともおさらばだ! お前さえいてくれたら、きっと仕事だってすぐに決まるさ! あぁ、だって俺たちは親友だからな!」
太平はスケ君の肩を抱いて大きな声で叫んだ。
今までウジウジしていた自分とおさらばして、スケ君と二人で、強く生きていこう吐血したのだ。
だが、大きな声で叫んだのがまずかった……。
「五月蝿えっていってんだろぉがぁ!」
その声の主は、一◯一号室の勇者。
そして、声と一緒に壁から突き出てきたのは、聖剣デュランダル。
その聖剣デュランダルが、貫いているのは……。
「スケ君!!」
スケ君のボディだった。
スケ君は、まばゆいばかりの聖剣の光に覆われていくと、身体の細胞が分解され始めていった。聖剣デュランダルは魔である存在を消し去ってしまうのだ。
次第に消えていくスケ君の身体を抱きしめながら、太平は泣いた。
「畜生! ふ、復讐してやるうううううう!」
こうして夜は更けていくのだった。
※※※※
翌日、魔王さんにその話をすると。
「はい、わかりましたー。スケ君を復活させます―」
と、あっけなくスケ君を復活させてくれた。
しかし、勇者の隣りに住まわせることは、またいつ聖剣デュランダルの餌食にされるかもしれないので、魔王さんの世界に住まわせることしたのだった。
別れ際、名残惜しそうにするスケ君の姿を、太平は決して忘れないだろう。