04 異世界にようこそ。
ゲートの先に見えたもの、それは……。
空中に浮かぶ数キロはあろうかという大きな島の数々。その島の中心部分には、見たこともないような巨大な樹が天にまで届かんとそびえ立っており、その根は大地に向かい伸び続けていた。その根の先に視線を向ければ、そこは視界すべてを覆い尽くすような大草原が、どこまでもどこまでも果てることなく続いていた。空には昼だというのに無数の星が宝石のように輝いて、世界を余すことなく照らしだしていた。
「なんだよ、なんだよこれ……」
この想像を絶する光景に導かれるように、太平は頭だけでなく全身をゲートの先へと向かわせてしまっていた。二本の足で、しっかりとこの異世界の大地に降り立つ。足元が震えてまっすぐに立ってはいられない、それは太平の身体は感動に打ち震えているからに相違なかった。
太平は空を見上げて両手を広げ、この見知らぬ世界の空気を大きく吸い込んでみた。
「空気が薄い……」
どうやら、このゲートの開いた場所は標高が高い場所なのだろう。通常より薄い酸素が、太平の呼吸を乱した。しかし、そんな事は太平にとって些細な事でしか無かった。これほどまでに、知的好奇心を掻き立てられることが他にあるだろうか? 小さい頃に夢見たファンタジーの世界が今眼の前に広がっているのだ。恐怖など無い、あるのは踊り狂う胸の高鳴りだけだ。
されど、恐怖は感情ではなく、物質として太平に襲いかかってきた。
「なんだ……」
太平は空を飛ぶ知らぬ何かを視界の端にとらえた。
そして、次の言葉を口に出す前に、其れは太平の方へと猛スピードで近づいてくるではないか。あまりのスピードに、太平はその認識することが出来なかった。勿論逃げるという選択肢を脳が導き出す時間などありはしなかった。脳が太平に危険を知らせた時、それはすでに太平の眼前に全長七、八メートルはあろうかという飛竜が、口を開けてけて飲み込もうとした時だった。
恐怖はなかった。恐怖を感じる暇などなかった。
ただ、シンプルに『死』という単語だけが頭の中をよぎったのだ。
太平の身体は即座に飛竜に噛み砕かれて、飲み込まれてしまう。そう思った刹那。
「もぉー。だからちょっと覗くだけだって言ったのにー。中に入っちゃうんですからー」
呑気で可愛らしい声だった。
「あれ?」
太平は自分の身体が肉片に撫でなっておらず、五体満足であることを確認した。そして、その声の方に視線を向けると……魔王が右手をかざして、黒い膜のようなフィールドを展開して飛竜の動きを封じているではないか。
「わたしが遅れていたら、食べられちゃってましたよー!」
目の前で暴れている飛竜の事など、位にも介さないほどの余裕で、魔王は太平の方を振り返り子供をたしなめるように言い聞かせてた。
その間にも、飛竜は何度もその黒膜のフィールドを突き破ろうと牙を突き立て、必至に羽と尻尾を振り乱すのだが、魔王の黒膜のフィールドは微塵も揺るぎはしなかった。
「悪い子にはお仕置きしておきますね。一応、わたし魔王ですから」
魔王は左手を飛竜に向けてかざす。魔王の指にはめられた中指の指輪から禍々しい闇が広がる。その闇は周囲の空間に十センチほどの風穴を開けた。
その風穴から、黒色の水流が溢れでては、魔王の手のひらの上に集まって数センチ足らずの黒色の球体を形成した。
「砕けてください」
魔王はその黒色球体を飛竜に向けてシャボン玉を飛ばすように息を吹きかける。その球体が飛竜の身体に触れた途端……飛竜の身体は爆発四散した。
血しぶきと肉片が四方八方に撒き散らされて、ちょっとしたグロテスクな光景が二人の眼前に広がった。
「もう大丈夫ですよー。守護の指輪で守られてますから、血とかもかかりませんから安心してください。血しぶきかぶっちゃったら、お洗濯とか大変ですもんねー」
そう言って、魔王は右手の小指にはめられた指輪を太平に見せた。が、当の太平はとっくの前に意識を失って気絶していたので無意味だった。しかも、よく見ればスボンには大きな染みが出来ており、そこから滴る水滴で大地を潤わしてしまっているではないか……。
「あ、あれー。違う意味で洗濯が必要になっちゃったかもー」
魔王は自分のドクロをコツンとかわいく小突くと、てへへっ、と笑ったような素振りをした。が、ドクロゆえに表情はわかりはしなかった。
※※※※※
「し、死ぬぅぅぅぅ」
太平が絶叫して目を覚ましたのは、ほんの少し前に見覚えのあるベッドの上だった。
「目を覚ましましたかー?」
魔王は台所から、フライ返しを片手に顔を出した。台所からは、ジュージューとお肉が焼ける音と、美味しそうな臭いが漂っていた。
「もうすぐお肉が焼けますからー。良かったら夕飯食べていってくださいなー」
フライパンをふるうエプロン姿の魔王と言うのもは、シュール以外の何物でもなかった。
「夕飯……」
確かに、太平のお腹タイマーは夕飯の時間を告げていた。
「って事は、俺かなりの時間気を失っていたってことに……」
「怪我とかはないから大丈夫ですよー。あと……おズボンとおパンツは洗濯しておきましたから……キャッキャッ」
魔王はフライ返しを持ったまま、ドクロの頬の部分を抑えて恥ずかしそうに顔をそむけた。
その時、太平は初めて自分の下半身が無防備な状態、つまりはすっぽんぽんであるということに気がついたのだった。
「な、なんだこりゃぁぁぁ!」
そして、気を失う前の記憶がフラッシュバックしてきては、何故こうなったのかを理解させた。
「悪いとは思ったんですけどー。濡れたズボンとパンツのままはどうなのかなーって思って。あ、ちゃんと洗濯してありますよ! かわりに、良かったら、これでも履いていてくださいなー」
そう言って、魔王がわたしてくれたのは、何の変哲もない黒いジャージだった。太平は、布団の中でもぞもぞとしながら、渡されたジャージを履いたのだった。
「い、色々ありがとうございました……」
太平は、ベッドから出て食器をテーブルに運んでいる魔王に頭を下げた。
「いえいえ、気にしないでくださいー。それより、お肉が冷めちゃわないうちに食べちゃいましょー』
並べられた皿の上には、血の滴るようなステーキが、油を飛び跳ねさせて美味しそうな匂いを出していた。
太平は思わずごくりとツバを飲み込んだ。
「それじゃ、いただきまーす」
「あ、はい。いただきます」
ドクロ頭の魔王と、向い合って座って食事をとる。異常極まりない光景だったが、ほんの僅かな時間触れ合っただけで、慣れてしまっている太平の環境適応能力は飛び抜けているといえよう。まぁ、朝から何も食べてなかった空腹状態の太平が、ただ単に美味しそうなお肉に飛びついただけとも言えなくはない。
太平はこの肉料理にむさぼりついた。美味いのだ。空腹の五臓六腑に染み渡るのだ。
美味しい食べ物を食べると、人はみな嫌なことを忘れて幸せになれるというのは、本当なのだと、太平は思った。
「しかし、食べたことない味だなぁ、食感も少し筋張ってるけど、噛みごたえがあって悪くない。これっ
て、牛肉ですか?」
太平はフォークに突き刺したお肉を、しげしげと眺めていた。
「牛肉じゃないですよー。これは、さっきの飛竜のお肉ですよー」
あっけらかんと答える魔王。
フォークを手に持ったまま固まる太平。
太平は固まったままの状態で、視線だけを台所に向けると、そこには……あの時の肉片がゴロゴロと転がっているではないか。
そして、太平は本日三度目の失神をするのだった。