03 魔王のお茶はいかが?
太平凡太は強烈な頭痛と吐き気に見舞われながら目を覚ました。
「どこだ、ここ……」
その答えはすぐに出た。何の事はない、アパートの自分の部屋である。
太平の部屋は、引っ越してきたばかりで必要最低限のものしか部屋にないため、同じ六畳だというのに、乱雑に酒瓶の転がっていた勇者の部屋よりはいくらか広く見えた。
「ああ、そうかあの後……」
太平は昨日の出来事を思い出した。
昨日、勇者に盛大にゲロを吐きかけた太平が、あの後どうなったかと言うと……。
※※※
「てめぇ、この勇者様にゲロかけるたぁ、いい度胸じゃねえか!」
太平はガン切れした勇者にフルボッコにされては、回復呪文で回復。そして回復したところで、更にフルボッコ、そしてまた回復呪文という、エンドレスフルボッコの刑に処されていたのだった。
回復呪文に、こんな恐ろしい使い道があろうとはビックリ仰天である。
運良く勇者が我に返ってくれたのと、マナが尽きたのとで、このいつ終わるともしれないフルボッコタイムは終了したのだが、太平の心には大きなトラウマが刻まれてしまっていた。
『金輪際、酒を飲むのはやめよう……』
トラウマの大本はそこではないと思うのだが、太平がそう思ってしまったのだから仕方がない。
そんな太平をよそに、勇者はまるでウワバミのごとく酒を飲み続けた。
――こいつ、血液の代わりに酒が流れてるんじゃないのか……。
そう太平がそう思った頃、勇者はろれつの回らない口調で語りだした。
「なぁ、俺だってな、自分の世界じゃ真面目にやってたんだよ! この勇者って肩書が、俺を縛り付けるわけだ!」
勇者は酒臭い息を吐き出しながら、何処か遠いところに思いを馳せて言葉を続けた。
「勇者っていうのはな、品性高潔でなきゃいけないらしいんだよ。いつも爽やか笑顔、弱きを助け強きをくじく、民衆のあこがれ、正義の味方、それが一般的な勇者ってやつらしいのさ。本当の俺は、酒を浴びるほど飲んで、女を飽きるほど抱きたいっていうのによぉ」
勇者は一升瓶を女に見立てて抱きしめ始めた。太平は呆れた目でその様子を見ている。
「それに比べてこっちの世界じゃ、俺は俺であって勇者じゃねぇ! 俺は俺で居ることが出来る。こんな素晴らしいことはねぇよ。最高だぜっ!」
「異世界最高!」
と、両手を天にかざしながら叫んだ後に、そのままの姿勢で勇者は真後ろにぶっ倒れた。そして、寝息を立てて深い眠りに落ちていった。
太平は、勇者の頭を何度か突付いて反応がないのを確認すると、抜き足差し足で物音一つ立てないようにして、自室へと逃げ戻ったのだった。
そして、自室に戻った太平は、すぐさま鍵とチェーンをかけて布団に潜り込むと……
「今のはきっと夢! 今のはきっと夢!」
と、呪文のように繰り返しながら、泥のように眠りに着くのだった。
※※※※
そして、今に至る。
「話をまとめるとだ……」
一〇一号室の住人は『ゲートとか言うの通って異世界からやってきた聖剣を使う勇者』という事になる。
「なんだよそれ……」
あまりにも突拍子のない設定に、自分で口に出しておきながら、まるで真実味がなかった。
けれど、隣に勇者と名乗る住人がいることだけは真実だった。何故ならば、今も隣室からあの男の高らかなイビキが太平の部屋まで響き渡っているからである。
あまりの五月蝿さに、太平は隣室の壁を殴りつけた。いわゆる壁ドンである。
その数秒後……。
グサッ!!
太平の部屋の壁を引き裂いて、聖剣の切っ先が顔を出していた……。
「安心しろ、聖剣デュランダルは魔を断つ剣だ、壁は斬れちゃいねえよ。壁という空間を断裂してキサマの部屋に届いてるんだ」
「ちょっと待て! 魔を断つ剣って……昨日俺の腕を斬っただろ!」
「ああ、人間なんて生き物は、所詮薄汚れた魔物みたいなもんだから斬れるんだろ? 細かけぇこたぁ気にすんなよ!」
「勇者が守るべき人間を全否定していいのかよ……」
「五月蝿え! 俺はもう少し寝るから、黙っとけ!」
聖剣デュランダルの切っ先は引っ込んでいった。
確かに勇者の言った通り、壁には傷一つ付いてはいなかった。
暫くして、隣の部屋からまたしても掃除機の吸い込む音のようなイビキが聞こえてきたのだが、太平は『壁ドンすると壁から聖剣が飛び出てくる』ということを学習したので、放置することにしておいた。
「世の中ってやつは、まるで油断ができない……」
ほんのちょっとの油断で、聖剣が飛び出てこられたらたまったものではない。
「さてと、どうするかなぁ……」
太平の部屋には、菓子折り包がもうひとつ残っていた。そう、一〇三号室に持って行くやつである。
「行くか!」
太平は、顔を洗い、歯を磨き、更にシャワーを浴びて新しい服に着替える。そして、部屋に置かれている姿見で髪型をチェックする。
「これでいいかなぁ?」
なにゆえ、きっちりと身だしなみを整えているのかというと、一〇三号室の壁越しにかすかに聞こえた声が、女性のものであることを知っていたからに相違なかった。
しかも、若い女性の声だったのだ。まぁ、若い女性の声ゆえに、緊張して引越しの挨拶に行けなかったわけなのだが、昨日腕をぶった斬られるわ、フルボッコにされるわ、飲みつぶされるわ、そんな大災難を経験した太平からすれば、若い女性相手の緊張など、とるに足らないものと言えた。
若い女性何するものぞ! と勢い勇んで、太平は一〇三号室のドアの前に立つ。
そして、チャイムを鳴らす。
「はぁーい、どなたですかー?」
中から、可憐な若い女性の声が聞こえてきて、太平は自然と顔が緩んでいった。
『声から想像するに、年の頃は二十歳くらい、それいでロングヘヤーで、ちょっとタレ目のタヌキ顔かなぁ?』
などと、想像の翼を羽ばたかせていた。
「あ、最近隣に引っ越してきたものですけど、ご挨拶にきました~」
「はぁい、ちょっと待って下さいねー」
そして、ドアが開かれる。
そこに待っていたのは、太平の予想した人物とはまるで違っていた。大きな鎌を手に携え、漆黒のローブを身にまとった、ドクロ頭が立っていたのだ。
太平の顔から、急激に血の気が引いていった。
「あ、あは、あははは……」
太平は薄れ行く意識の中で『世の中ってやつは、本当に、本当に、油断ができない……』と、心の中で呪文のように繰り返すのだった。
「あ、あの、大丈夫ですかー?」
意識が研ぎ得る最後に見たのは、不気味なドクロのアップだった……。
※※※※※
「はっ!」
太平が目を覚ますと、鼻孔に花の甘い匂いが漂ってきた。その香りの正体は、窓際に並べられた、たくさんの植木鉢に咲き誇る、見たこともない美しい花々から漂ってきていたのだ。
そして、やっと自分がベッドに寝かされているのだということに気がついた。
周りを見回すと、勇者の部屋とは対照的に綺麗に整理された部屋だ。ピンクのレースのカーテン、ファンシーな目覚まし時計、かわいいクマのぬいぐるみ、そして錬金用の釜と、死神の鎌……?!
「なんだこりゃ!」
「あら、目を覚ましましたかー?」
ニッコリと微笑む? ドクロ頭が、ピンクのフリフリレースのエプロンを付けて、お盆に紅茶を乗せて運んできた。
「さらに、なんだこりゃーーっ!」
ダブルツッコミである。
ツッコミたくなるの仕方がない、おどろおどろしいドクロ頭にピンクのエプロン(しかもヒヨコさんがかわいく描かれている)の、ミスマッチ感は半端無かった。
「あ、わたしの外見に驚いちゃってますー? ごめんなさい、《魔王》といえばこういう格好って相場が決まってるじゃないですかぁー?」
太平は、何か変な言葉を聞いたような気がした。
「ご挨拶がまだでしたねーs。わたしは魔王と申しますー。よろしくお願い致しますですー」
魔王と名乗った人物は、床に正座すると、恭しく頭を下げた。
「あ、わざわざご丁寧に。俺は太平凡太って言います……。って、魔王!?」
「はい」
予想すべきだったのだ。勇者が居るのだから、魔王が居てもおかしくないということを……。
「なるほど、魔王さんも異世界からいらっしゃったと……」
太平は魔王が差し出したお茶を飲むことで落ち着きを取り戻していた。どうやら、このお茶にはリラックスさせてくれる効果があるらしい。どんな茶葉なのかと聞いてみたかったが、何か嫌な予感がしたのでやめておくことにした。
「そうなんですよー。もう、あっちの世界では魔王っていうだけで、偉そうにしてなきゃいけなくて大変だったんですよー。わたしって、本当は誰かの為に尽くしたいタイプなのにぃー」
「は、はぁ……」
「だから、気分転換も兼ねて、ゲートを通ってこちらに遊びに来ているんですよー」
またしても《ゲート》と言う単語がよぎる。
「あ、一〇一号室の、勇者さんとは別の世界なんで、戦ったりはしませんから安心してくださいねー。あ、お茶のおかわりしますかー?」
魔王がティーポットから、新しいお茶を甲斐甲斐しく注いでくれる。
「あの、お聞きしたいんですけど、魔王さん」
「もぉー。魔王って呼び捨てでいいですよ」
ドクロ頭がほんのりと赤く染まった。骨がどうして朱色になるのか謎でしかなかった。
「ゲートって何処にあるんですか?」
※※※※※
「はーい、ここですよー?」
「こ、ここ?!」
アパートを出て歩くこと二秒。太平が案内された場所は、なんとアパートの敷地内にあった。
敷地内におかれている今にも半壊しそうな物置小屋、ここが《ゲート》だというのだ。
「ほんとに、ここなの?」
「はい! 魔王は嘘を申しません!」
えっへんとばかりに胸を叩いてみせる。
ガラガラガラと建て付けの悪い扉を開くと、物置小屋の中には段ボール箱や、スコップ、ハンマー、その他もろもろの雑貨が乱雑に放置されていた。パッと見たところ、何の変哲もない物置小屋でしなかった。
「えっと……。ゲートって何処にあるの?」
「ああ、ゲートはですねぇー。普段は閉じているんですよー。だって、知らずに入っちゃったら危ないじゃないですかー」
「ま、まぁそうだな」
「待っててくださいねー。いまゲートを繋げてみますからー」
魔王が手をかざすと空間にひずみが疾走る。それに合わせて、魔王の右手の指にはめられた指輪が輝きを放ちだす。
「〇△✕※〇※△〇……」
明らかに日本語ではない言葉を、魔王は歪みだした空間に向けて唱えていく。歪んだ空間はうねりを繰り返し、やがては楕円形へと変化していった。
「はい! これがゲートでーっす!」
得意げになって魔王が指さした楕円形の中は、数センチ先もまるで見えない深淵の空間が広がっていた。
「どうですかー、ちょっと覗いてみますー?」
「えっ? いいの?」
「覗くくらいだったら、大丈夫だと思いますよー。多分」
最後の多分が気になったが、好奇心に負けた太平は恐る恐る身を乗り出して、頭だけをそのゲートの中に突っ込んでみた。
「な、なんだこりゃぁぁ!」
本日三回目の『なんだこりゃー!』を言い放った太平が見たものは……。