02 異世界の勇者は飲んだくれ!?
時間軸は少し前に遡る。
太平凡太が、この超次元荘の一◯二号室に引っ越してきてからはや三日が過ぎようとしていた。
「これどうするかなぁ……」
太平の頭を悩ませていたのは、手に持った大きな菓子折りの包み二つだった。
引っ越してきたのだから、せめて両隣くらいには挨拶はしておこうと思って用意したものなのだが、元来人付き合いが得意な方ではない太平は、尻込みしたままズルズルと三日の月日が経ってしまっていたのだ。
菓子折りの中身の賞味期限の問題もあって、これ以上先延ばしにするわけにもいかず、太平は六畳一間のアパートの中を菓子折りを手に持ったままグルグルと回り続けていたのだ。
――このままグルグル回っていたら、バターになってしまう。
そんなわけのわからない理由で、太平はとりあえず一◯一号室に挨拶に行こうと決めたのだ。
「コホン、コホン、えぇっと、隣に引っ越してきた、太平です」
太平は、一◯一号室のドアの前でリハーサルを繰り返していた。
今のリハーサルは八回目だった。
部屋のチャイムを押そうとしては躊躇し、押そうとしては躊躇し、リハーサルを繰り返すといった、非生産的な行動を繰り返していたのだ。
そして、九回目のリハーサルを行おうとした時。
「うっせえよ! 何部屋の前でブツブツ言ってんだ! ぶっ飛ばすぞおら!」
と、ガラの悪い罵倒とともに、勢い良く部屋のドアが開け放たれた。
太平はそのドアに弾き飛ばされ、その場に尻餅をついてしまう。
ドアから出てきたのは、ロックミュージシャンのようにボサボサの茶髪のロン毛の、日本人とは思えない目鼻立ちのハッキリとした長身の男だった。
「なに黙ってんだよ! おい、俺に何のようなんだよ!」
ロン毛男は、太平を睨みつけると、まるでヤクザのようにイカツク凄んでみせた。近づけられた顔から、酒の臭いがプンプンと漂っていた。
――待て待て、見かけは怖いが、話せば良い人ということもあり得る……。
太平は物事をポジティブに捉えることにした。
ここは法治国家日本だ、引っ越しの挨拶に行っただけで、殺されたりとかなどあるわけがないと、常識的な思考をしたのだ。通常ならば、その考え方は間違いではなかっただろう。だが、このボサボサロンゲ男は常識の範疇に収まる男ではなかったのだ。
「お前まさか……。あっちの世界からの刺客か何かか!?」
「へ?」
ロン毛男の言葉を太平は理解できなかった。いや、理解する時間すらも与えてはもらえなかった。
そして、ロン毛男は予想もつかない言葉を口にしだした。
「いでよ! 聖剣デュランダル!」
ロン毛男の声に反応して、右手に光の粒子が集まって輝き出す。そしてその輝きは見る見るうちに刀剣の形をなしていった。
気がつけば、ロン毛男の手には長さ一メートルを軽く超える大剣が握られていた。
かなりの超重量であろうその大剣を軽々と担ぎあげると、ロン毛男は太平の首元にそれを突きつけた。
この時、太平は自分の考えが甘かったことに気がつくのだ。
――なるほど、世の中ってのは油断の出来ないようにできているんだな……。引っ越しの挨拶をしにいったら、大剣、しかも聖剣を喉元に突きつけられたりするんだから……。
命の危機だというのに、何故か太平は落ち着いていた。あまりにも非常識過ぎる展開に、脳がついていかずに現実感を帯びていなかったからに他ならなかった。
「さぁ、お前はどこの魔王の手のものだ! どうやってゲートをくぐり抜けてきた?」
「魔王? ゲート?」
どこぞのゲームか漫画でしか聞くことのない言葉を耳にして、太平は今自分が置かれている状況が夢ではないのかと疑いだしていた。
――そうだ! こんなことが現実にあるはずがない。夢だ! きっと夢に違いないんだ。ならば……。
「あーはっはっは!」
太平は唐突に狂った様に笑い出した。
それを見たロン毛男は、警戒心から素早く半歩後ろに下がった。
「そうだ! この俺様は、魔王の手下どころか、魔王そのものなのだ! あーっはっはっは」
どうせ夢の中なのだ、それならば好き勝手にやってしまえとばかりに、太平は調子に乗って言いたい放題の限りを尽くした。
「なんだと……。本当にゲートを通り抜けられたっていうのかよ……」
「そうだ、そのなんだゲートとかいうのを……死ねえええええ!」
アドリブが続かなくなった太平は、途中で言葉を止めて、問答無用でロン毛男に襲いかかる。
そして……。
「え?」
太平が目にしたのは、自分の左腕が胴体と切り離されて空中を舞っている光景だった。
それはあまりにも非現実的な光景だったが、太平の身体を襲う筆舌に耐え難い痛みは紛うこと無き現実のそれだった。
腕の付け根から吹き出す血しぶきが、一◯一号室のドアを真紅に染め上げていった。
太平の視界がどんどん暗くなっていく。そして、闇の中へと視界だけでなく意識も沈んでいくのだった。
「あれ? ちょっと待てよ! 何でそんな簡単にやられるんだ? まさか……お前、本当はこの世界の普通の人間なんじゃねえのか? おい、おい! 死ぬなよ! 死なれたら俺が困るんだよ! おい、おいィィィィィィ!」
ロン毛男は太平の沈みゆく身体を激しく揺さぶった。
「仕方ねぇなぁ……」
ロン毛男は気だるそうに髪をかきあげると、太平の左腕を拾い上げ、切断面へとつなぎ合わせる。そして、なにか呪文のようなものを呟きながら、開いている方の手を傷口へとかざしたのだった。
「回復呪文は専門外なんだけどなぁ……」
※※※※※
「おっ、気がついたのか?」
太平が目を覚ますと、そこは見覚えのある部屋だった。
それもそのはず、ここは一◯一号室。一◯二号室と同じ作りなのだから、見覚えがあるのは当たり前なのだ。
ただ違っているのは、部屋中が酒と煙草臭いが充満している事と、乱雑に脱ぎ散らかされた服の中に、何故か甲冑が混ざっているところだった。
「まぁ、あれだ。お前が変なこと言うから悪いんだぞ? 俺だって、お前が一派人だって知ってりゃ、聖剣でいきなり斬りかかるなんてことはしなかったんだからな」
「聖剣……? 斬りかかる……?」
いまだよどみの中から抜け出せない太平の意識が、その言葉に反応して霧が晴れるように鮮明になっていく。
「そうだ! 俺の腕! 俺の腕が……ある!?」
太平は切り落とされたはずの腕が、まるであの出来事が夢だったかのように、何事も無く繋がっているのを確認した。
「あれ? とすると、さっきのは夢?」
「夢じゃねえよ! お前の腕を直すのに、どんだけ貴重なマナを消耗したと思ってんだよ!」
「マナ?」
「とは言え、回復呪文が苦手な俺が、失敗しなかっただけでもめっけもんだぜ」
「回復呪文?」
「はぁ、お前さっきから疑問形ばっかりだな? 一から全部説明しなきゃいけないのか? そんな面倒臭いことやってらんねえぞ」
ロン毛男は、一升瓶を口元に持っていきグイッと一気に飲み干すと、どこかで見たことのある菓子折りの包みから、饅頭を手に取り一口で食べてみせた。
「あー! それ俺の持ってきた菓子折り包!」
「おう、頂かせて貰ってるぞ。どうせこれ、俺に持ってきたんだろ?」
「そ、それはそうだけど。腕を斬り落とした相手に食べられるっていうのはちょっと……」
「細かいこと言うなよ。治ったんだしよぉ」
「そうかもしれないですけど、気分の問題でしょ?」
「それならこれだ、お前は俺の酒を飲んでいけよ?」
「は?」
ロン毛男は新しい一升瓶を取ってくると、嫌がる太平に強引にコップを手渡した。
「まぁまぁ、一杯やれよ」
太平の返事を待たずに、ロン毛男はコップになみなみと日本酒を注ぎ込んだ。
酒が嫌いというわけでもない太平だったが、こんな得体も知れない男の勧める酒を飲んで良いものかと、手に持ったコップをどうして良いかわからないまま固まってしまっていた。その間にも、ロン毛男はグイグイと酒を胃袋に流し込み続けていく。
「あぁ〜ん、何だお前、俺の勧める酒が飲めなって言うのか?」
ロン毛男はろれつが回らなくなってきており、確実に玄関で会った時よりも泥酔していた。部屋の中を見渡すと、殻になった一升瓶がそこらかしこに転がっている。
「お前、コップが持てないように両腕無くなってみるか?」
完全に目が座ったロン毛男の右手に、光の粒子が集まり始めだす。
「飲みます! 飲まさせていただきます!」
ヤケクソ気味になりながら、太平は慌ててコップの中の酒を飲み干す。
「おぅ! いい飲みっぷりじゃねえか! さぁ次行こ、次!」
間髪入れずに、空になったコップに新たな酒が注ぎ込まれる。
言われるままに、太平はその酒も一気に飲み干してしまう。
「おう! お前中々見どころあるじゃねえか! 名前はなんて言うんだ?」
「あ、太平凡太です……」
「そうかぁ! 俺はなぁ、実は異世界から来た『勇者』なんだよ! どうだ? 驚いたか? 驚いただろ?」
自称勇者は、太平の肩を抱いて背中をバシバシと殴りつけた。太平は殴られた勢いで、振り子のように前後に大きく揺れ動いた。
異世界の勇者という、衝撃の事実を知らされた太平だったが、今はそれどころではなかった。そんなに強くもない酒を連続で一気させられた挙句、身体をこれだけ揺らされたのだ、胃袋の中の物が今まさに逆流せんとしていた……。
そして太平の中でカウントダウンが始まる。
五、四、三、二、一……。
「ウゲェェェ……」
嘔吐物を自称異世界の勇者に吐きかけた太平は、またしても意識を失うのだった……。