12 魔オッパイ。
「なるほど……。魔王さんなら、魔力とかで相手の居場所がわかったりするんですね!」
魔王といえば強大な魔力を持ち、全知全能に近い能力を発揮する悪の権化のような存在。と、これはゲームの中や小説の中でよくある設定なのだが、今ここにいる魔王の姿は、何処からどう見てもそこらにいる普通の可愛らしい女性にしか見えなかった。いや、普通の女性よりもオッパイはかなり大きかったのだが……。
太平はアパートでの魔王の姿を思い出して、『やはり外見って大事なんだ……』と思うのだった。
「あらあら、魔力とか必要ないですよぉ〜」
「へ?」
「ほらほらこっちですよぉ〜」
魔王は太平の腕を強引に引っ張ると、意気揚々と歩き出した。
――こ、これは!!
太平の身体の神経がある一点に集中する。その一点とは……密着された魔王のオッパイが触れている腕の部分である。この感触を全身全霊で味わおうと、太平は全ての神経をそこだけに集中させた。
――ああ、柔らかく弾力性がありながら、何故だろうこの感覚からは母性のようなものまで感じ取れることが出来る……これが、魔王のオッパイの力……《魔オッパイ》の力なのか……。
太平は自分がまるで胎児に戻って行くような、そんな安らぎにも似た感覚を感じていた。出来ることならば、このまま時間が止まって、悠久の時を過ごしていたいと太平は心の奥底から思ったのだった。
――ああ、オッパイ……お前は何処から来て、何処へ行くのか? まさか、オッパイとはこの世の真理であり、この宇宙創世の秘密に繋がるものなのでは……?!
太平が軽い混乱状態に陥っている間にも、魔王はドンドンと進んでいく。そして、とある場所で足を止めた。
「はい、着きました!」
魔王はそう言うと、組んでいた腕を離してある場所を指差した。離された腕からは、至高の感触が奪われていく。
「あ、あぁぁぁ! 魔オッパイが……」
太平は魔オッパイの感触を喪失したことに泣きそうになった。いやさ、本当に瞳に涙をためてしまっていた。
「どうしたんです太平さん? ほら、イクちゃんあそこにいましたよぉ〜」
「え?」
魔オッパイにばかり思いの募らせていたせいで、太平はイクを探すという当初の目的を完全に忘れてしまっていた。
「危ない危ない、危うく魔オッパイの魔力に、引きずり込まれるところだった……」
別段魔王のオッパイは魔力を放っているわけではない。太平が勝手に自分から引きずり込まれただけのことである。
「あれ……ってかここは」
「はい、ケーキ屋さんですよぉ〜」
二人が居る場所はデパートの洋菓子屋さんの前だっだ。魔王の言う通りにケーキが絶品なのか、店の前はとても盛況で十人あまりが列を作って並んでいた。そしてその列に並ばずに、ケーキが陳列されているショーケースを、まるでトランペットを欲しがる黒人の少年のように、あこがれの眼差しを向ける幼女がそこにしゃがみこんでいたのだった。
「あいつ何やってんだ……」
その幼女こそがイクだった。
「ケーキ、甘い、美味しい。憧れのスイーツ」
そんなことをブツブツと呪文のように繰り返しては、虚ろな目でショーケースを見つめ続けていた。ケーキ屋の店員さんは、イクに対してどうしていいものかわからずに戸惑いの表情を見せていた。多分このまま後五分もすれば、迷子センターなりに連れて行かれていたことだろう。
「イ、イク! こんな所で何やってるんだよ!」
太平はイクの元へと駆け寄ると、軽く肩をたたいた。
機械的にイクは太平の方を振り返ると、これまた虚ろな目で太平を見つめだし、例の言葉をまたしても呪文用に呟いた。
「ケーキ、甘い、美味しい。憧れのスイーツ。わたし知ってる」
「え、いやあの……。イクはケーキ食べられるのか?」
「……わたしは食べられない……。古代兵器だから……。兵器とケーキ、言葉は似ているのに食べられない……」
どうやら、古代兵器であるイクはケーキを食べることが出来ないようで、指をくわえて見つめることしかできないでいたのだ。しかし、ケーキという食べ物がどういったものなのかというデータはあるようで、そのデザイン、香り、そんなものにイクの心は惹かれてしまっているようだった。
――いや待てよ、根本的に古代兵器に心はあるんだろうか……?
太平は頭を悩ますのだが、今までのイクの行動を見る限り、心がないとは思えなかった。
「食べられないけど、ケーキ欲しい……」
「仕方ないですねぇ、ケーキは後で買いに来ましょう。今は何よりもイクちゃんのおパンツを買うことが最優先事項なんでから〜」
「パンツを買ったらケーキを買いに来てくれるの?」
イクの虚ろな目は今度は魔王へと向けられる。
「はい、約束ですよぉ〜。魔王は嘘を申しません。って、魔王じゃなくて、麻緒です! 麻緒さんですよぉ〜!」
魔王は偽名を使っていたことをすっかり忘れていたようで、慌てて取り繕ってみせたのだが、イクはケーキのこと以外はまるで興味が無いようで、気にかける素振りすら無かった。
「うん。わたしパンツ買う。そして。その後待望のケーキを買う。パンツとケーキ、二つ合わさって最強になる」
「いやいや、ならないから……」
イクの知識は一体どこのデータベースをから導き出しているのか……。太平は頭を痛めるのだった。
※※※※
「ここが女性下着売り場ですよぉ〜」
一同がやってきたのは、魔王が言ったとおりに女性下着売り場だった。そこには色鮮やかな女性下着たちが、まるで宝石のような輝きを放っていて、太平などには眩すぎて直視することが出来なかった。
「場違いなオーラが半端ないな……」
太平にはこの空間に一種の結界のようなものが発生しているように思えた。そのオーラが男性の侵入を阻んでいるのである。すなわちここは女性だけの聖地なのである。
「さぁ、イクちゃんのおパンツを探しましょうねぇ〜」
魔王がイクに向かって微笑みかける。イクは無感情のまま魔王の顔を見ているようで、何処か遠いところを見ているようだった。きっと、いまだ心はケーキ屋のケーキを見つめ続けているに違いない。
イクとは打って変わって、魔王の方はノリノリでお花畑のように広がる下着売り場に、目を輝かせていた。
そして太平はといえば、今すぐここから逃げ去ってしまいたい気持ちをなんとか抑えて、踏みとどまるのに全力を注いでいたのだった。
そんな太平を見て、魔王は『かわいい』と素直に思った。そして茶目っ気ならぬ、魔王っ毛がムクムクと湧き出してきた。
魔王はそれとなく太平の側にやってくると、両腕で胸を押し上げて谷間を強調するようなポーズをを取ってみせる。瞬時に太平は、その一部分にレーザービームのような強烈な視線が注がれてしまう。
「わたしも、最近ブラのサイズが合わなくなってきたんで、新しい下着が欲しかったんですよぉ〜。良かったら、太平さん選んでくれますかぁ〜?」
「ゲフッ!?」
不意の魔王の言葉に、太平は強烈なボディブローを喰らったかのように、口から吐瀉物を吐き出しそうになった。
「そ、そ、そ、それは無理です!」
太平は魔王の顔を直視することが出来ず下を向いたままで、両手で壁を作るパントマイムをして、此処から先には自分は入れませんアピールをしてみせた。
「あらあら、残念です〜。太平さんに可愛い下着を選んでもらいたかったのに〜」
魔王はイタズラ好きな小悪魔のようにクスクスっと笑ってみせた。魔王なのに小悪魔とはこれいかに。
「俺は向こうのベンチで座ってるんで、二人で選んできて下さい!」
太平は少し離れた場所にある休憩所を指差した。
「はぁい、わかりました。それじゃイクちゃん、二人で可愛いおパンツ選んじゃおうねぇ〜」
太平が去っていくのを、イクは少し寂しそうに見つめていたのだが、急いでパンツを買わないとケーキを買ってもらえないことを思い出して、急急と下着売り場に踏み込んで行くのだった。