01 超次元荘の朝は早い?
東京の端っこの僻地に、今にも朽ち果てそうな二階建てのアパートがあった。年季とヒビの入った壁には、なんの種類の植物だかわからない蔦が絡まり、お化け屋敷のような様相を醸し出しており、さらに半分ずり落ちているアパートの表札は、前衛芸術のようで味がある、と言えなくもない。錆び付いた郵便受けなどは、わび・さびを感じさせる一種の風情のようなものがある――気がする今日此の頃なのである。
と、ここまで全力で言葉を濁してきたが、一言でキッパリハッキリと表現するならば……。
《ボロアパート》
これで済んでしまうのである。
これは二階建てのボロアパート《超次元荘》を舞台にした物語である。
※※※※
「いい天気だなぁ……」
太平凡太、二十一歳、独身、職業『無職』、将来の夢『幸せな家庭を築くこと』は、パジャマ姿でボロアパートの前に立つと、小さなボロラジオをアパートの塀の上に置いてスイッチを入れる。
ラジオが朝のラジオ体操を奏で始める。
『ラジオ体操第一! 大きく腕を振ってー背伸びの運動ー!』
太平は、大きなあくびを一つしながら、ラジオから流れる声に合わせて腕を天に向けて伸ばした。全身に太陽を浴びて、かび臭そうなパジャマがいくらか浄化されていくようである。
「おはようございます、太平さん。良いお天気ですねぇ」
太平凡太の横に仲良く並んだのは、可憐で小鳥のさえずりのような声を持つ可憐な少女――などではなく、ドクロ頭に、漆黒のローブを身にまとい、さらに死王の鎌と呼ばれる大鎌を手に持った――魔王だった。
魔王、年齢秘密、独身、職業魔王、将来の夢『大魔王』は、死王の鎌を手に持ったまま大きく背伸びをした。死王の鎌が周囲の時空を切り裂いて、断裂した空間から闇のオーラが溢れだす。
「うおっ! あぶねぇ! 悪けど、ちょっと離れてくんない? 俺、その鎌にかすっただけで余裕で死ねってから」
「えっ? そんなことありませんよー。もし死んだとしても安心してください、ちゃんと蘇らせてあげますからねっ、えへっ」
「えへっ、じゃねえよ! ゾンビじゃねえかよ!」
「え? でも、永遠の命ですよ? リッチとかの高位なアンデットにした方がいいですか?」
「どっちにしろ、アンデットじゃねえかよ!」
もう一度断っておくが、ここは東京の僻地であり、◯◯大陸とか、◯◯帝国とかではない。ごくごく普通の現代世界である。
アパートの前には、普通に道路が通り、早起きのおじいちゃんが散歩をし、ランニングをする若者が通り過ぎて行く、そんなごく当たり前の風景の広がる場所なのだ。
「あとな、ラジオ体操するのに、その格好はどうなの?」
「え? これがどうかしましたか?」
魔王は、漆黒のローブをヒラヒラとなびかせてみせる。今にもその漆黒の闇の中に魂まで吸い込まれてしまいそうなそのローブ。これは比喩表現でなく本当にそうなのだからたまったものではない。
《魂喰衣》と呼ばれ、その名の通り魂を食らう伝説級の装備である。
「やっぱりー魔王ですからー。それ相応の格好をしておかないと、示しがつかないっていうかですねー」
魔王はまるでどこぞのオフィスレディーのような口調で喋った。
ドクロの仮面がOL口調で話すというのは、異常すぎて滑稽に見えてくるから不思議だ。
「なんで、ラジオ体操の最中に、死と隣合わせにならなきゃいけねえんだよ!」
「ドキドキしちゃいます?」
「そんな恋のときめきみたいに言うんじゃねえよ!」
太平の叫び声に反応して、アパートの一室の窓が勢い良くガラガラガラっと立て付けの悪い音をさせて開いた。
「うっせぇよ! 朝からでけぇ声出してんじゃねえよ!」
アパートの窓から顔を出して叫んだこの男、髪は茶髪のロン毛でボッサボサ、ヨレヨレのTシャツに、染みの付いたトランクス、さらに口からは酒の臭いをプンプンとさせている。よく見れば、片手には日本酒の一升瓶を持っており、中身はすでに八割がた無くなっていた。身なりをきちんと整えれば、二十代後半の長身、細マッチョのイケメンであるというのに、全くもって残念な男だった。
この男飲んだくれは、名前を勇者、独身、二十八歳、職業勇者、将来の夢『逆玉、もしくはヒモ』である。
「朝もはよからラジオ体操とか……どこの健康優良児だよ! ってかな! そこの魔王!」
「あ、はい! はいはい! 魔王でーす!」
魔王は元気に飛び跳ねながら手を上げて答えた。
「おかしいだろ? そこの平凡な一般人はともかく、お前は確実におかしいだろ!」
「おい! 誰が、平凡な一般人だ!」
太平が即座に反応して突っかかる。
「違うのか?」
「……」
太平は反論できずに下を向いて黙りこんでしまう。
俺が平凡なのではなく、お前らが異常なのだ! と、言い返したい太平だったが、その言葉は飲み込んでおくことにした。なぜなら、この勇者は事あるごとに、聖剣を振り回して暴れだすド畜生だからだ。特に、酒の入っているときは、何をしでかすかわからないからたちが悪い。
「えー、魔王が、健康に気を使ったら駄目なんですかー?」
「ってか、お前の頭ドクロだろ! どこのドクロが健康に気を使うんだよ! お前んとこのスケルトンは、健康に気を使って体操とかすんのか?」
「この前、ダイエットしてるのは見たことありますけど?」
「どこをダイエットすんだよ! 骨でも削るのかよ! アホか、お前の魔王軍はアホだらけか! うちの魔王軍の爪の垢でも飲ませたいわ!」
「そんなこと言われてもー。勇者さんの世界の魔王と、わたしは違いますから、一緒にしないでくださいよー。もープンプンですよ?」
魔王はドクロの仮面に、漆黒のローブ、大鎌という出で立ちでありながら、カワイコぶった。もちろん、ドクロゆえに表情はわかりはしない。
「お前の世界はどんだけ軟弱なんだよ!」
「でもー、うちの世界の勇者様は、そんの飲んだくれて管を巻くような人じゃないですけどねー」
「嫌味か? 貴様、それは嫌味か? やんのか? おら、やんのかおら?」
勇者は窓から裸足のまま飛び出してくると、即座に聖剣デュランダルをその手に召喚する。光の粒子を物質へと変換し、聖剣デュランダルは勇者の呼びかけによって、どこにも顕現することができるのである。
しかし、襟首ヨレヨレのTシャツに、トランクス一丁、そして聖剣デュランダルという組み合わせは、もはや笑うしか無いといった具合だった。
「まぁまぁ、勇者さんちょいと気を静めてくださいよ。魔王さんも、謝ってあげてよ」
「えー、どうしてわたしが謝らなくちゃいけないんですかー?」
「なんで、俺が気を静めなきゃいけねえんだよ! 俺はなぁいつだって冷静沈着なんだよ! ぶっ殺すぞ、この大平凡野郎!」
太平の中で、何かがぶちきれる音が聞こえた。
太平は、この太平凡太という名前のせいで、幼少時代から『平凡』『大平凡』などと罵倒され続けてきたのだ。まぁ、実際太平のスペックはびっくりするくらいに平凡なので、名は体を表わしてしまっている訳なのだが。むしろピッタリマッチしているぶん、そう呼ばれると一気にこまかみの血管がぶちきれてしまうのだ。そして全身にアドレナリンが分泌され、狂戦士へと変貌するのである。
「畜生、黙ってりゃ、人を平凡呼ばわりしやがって、こちとらお前ら違って、この世界の住人なんだ! お前なんか、ただの異世界からの放浪者じゃねえかよ!」
太平は近くにあった大きめの石を握りしめて、それを勇者に向かって投げつけんと振りかぶった。
「そうだーそうだー。大平さん、わたしとタッグを組んで勇者さんをやっつけてしまいましょー!」
魔王は太平に寄り添うようにして、死王の鎌を構えた。
「に、二対一とか卑怯だなお前ら!」
勇者といえども、今は酒が抜けずに足元もふらふら付いているような状態である、更に、勇者は知っていた。ブチ切れて狂戦士と化した太平は、戦闘力こそはさほど無いものの、兎に角しつこく面倒くさい事を……。
ちなみに、どう面倒くさいかというと、毎朝新聞受けにゴミをいれたり、ピンポンダッシュを繰り返したりと、それはもう鬱陶しい事この上ないのだ。
「えへへっ、魔王ですもん、卑怯な方が正しいんですよー?」
ドクロ頭が、歯をカチカチと鳴らして笑っていた。
「こんな時だけ、魔王ぶりやがって……。やめだ、やめだ! 第一、この世界で力を使うと、色々面倒なことになるしな……」
「そうです、そうです、わたしたちは異世界からご厄介になっている身なんですから、ご近所付き合いとかを大切にしていかないと!」
胸を張って言う魔王だったが、どこの誰が魔王相手に近所付き合いをしてくれるのか謎なところだった。
「はぁ……。部屋に戻って飲み直すか……」
勇者は後ろ頭をボリボリとかきながら、今度はちゃんと自室のドアから部屋へと戻っていった。
太平はやり場のない振り上げた拳を、地面に向かって振り下ろす。地面に当たって跳ね返った石、が自分の足に当たっては、痛みでのたうちまわった。
「さてとー、わたしも朝ごはんの準備しないとー。あ、大平さん良かったら、朝ご飯食べていきますかー?」
「どうせまた、とんでも材料使ってるんだろ……」
「えー? 美味しいですよ、マンドラゴラのお味噌汁に、コカトリスの玉子焼き!」
「えっと、俺自分の部屋で飯食うからいいや……」
太平は逃げるように自室へと走り去っていった。
ぽつんと取り残された魔王は、一人でラジオ体操を第二までやり遂げると、満足そうにドクロの奥歯を鳴らしながら部屋へ戻り、朝ごはんの支度に取り掛かるのだった。
天下泰平日本晴れ。
いつもと何ら変わらない超次元荘の日常が今日も始まる。